170.緋の神鉄
往々にして逃げた敵を深追いすることは、敗北の伏線が立つものと古来より伝えられて来ている。それは追う側が圧倒的な有利にあったとて「はいはいご都合主義ご都合主義」と、言いたくなる程に成立してしまうものだ。
――――逃走したゴブリンを追ったラウスとその仲間たち。そしてそれを追うライネス率いる軍と幾人かの冒険者。
調査隊は二分された状況にあり、残された聡い者達は呆れた様子で彼らの向かった方向を見ていた。そうして「あんなもの絶対罠に決まっているだろう」「周りが見えていなさ過ぎだ」と、口々に溢している。
確かになまじ強いからと言って独断専行で場を乱す……仲間に迷惑は掛かっていないが、これは問題行動だ。
「すんませんルフレ様、止めたのに行っちゃいましたね……」
「まあ、どうせああいう手合は何を言おうが結局話を聞かずに行っただろう。それにライネスに任せてあるから大丈夫だ、最悪でも死にはしないよ」
「ねえ」
この場にいるのはゲイル達『風竜の牙』三人とそれぞれ二人、三人組のパーティの三つに加えて残った六名の兵士のみ。
アザリアも合わせれば都合十七名、勇者がいることを考えれば……
「いや待て、リリエがいたのに苦戦してたのは……どういうことだ?」
「ねえってば」
仮にも勇者である彼女が戦闘に参加していたのなら、あそこまで拮抗した戦いになるのはおかしい。普通に考えて常人の遥か上を行く能力を持つ者がゴブリン程度に苦戦するなどは、ちょっと考えたくない可能性だ。
「おい、リリエ?」
「うっ……!」
「ルフレ? 聞いてる?」
丁度私から遠ざかるようにして背を向けていたリリエへ声を掛ければ、彼女は肩を跳ね上げてその足を止めた。そうして油を挿し忘れた機械のように顔がゆっくりと此方を向き、引き攣った笑みを浮かべて首を傾げる。その表情は何かやましいことがあると自白しているようなものだし、やはり何か隠しているようだ。
と、
「ちょっと! 私の話を聞きなさいってば!!」
その隠し事を問い詰めようとした瞬間、眼下から激しい怒気を纏った声が耳朶を揺すった。
「あ……え? ああ、悪い、すっかり忘れてた」
視線を下へ向ければ、其処には頬どころか耳まで真っ赤に染めたアザリアが私の両腕に抱えられている。そう言えばお姫様抱っこをしたまま降ろすのを忘れていた。
「全く、レディはもっと優しく扱いなさいよね! 馬鹿!」
優しく地面へ降ろして立たせれば、頬を膨らませて外方を向かれてしまう。
「悪かったって、後でケーキ食べさせてやるから機嫌を直してくれ」
「ほんと……? 約束よ! 破ったら今度こそただじゃおかないんだから!」
怒らせてしまったことは申し訳ないとは思うが、アザリアのご機嫌取りは後だ。改めてリリエの方を向けば、何処かへ行ってはいないものの大量に汗を掻いて目だけを此方から逸らしていた。
「なあ、リリエ……」
「は、はひっ!? ごめんなさいっ!」
「……別に怒ってるわけではないんだ、ただ少し気になっただけで」
咄嗟にそう謝って俯き、私の様子を伺う姿はまるで叱られた子供のよう。
こうも動転する程の事情があるのだろう、それを話してくれなければ謝られても困るだけだ。偶々体調が悪いだとか、冒険者達に遠慮していたとかそういう事ならばそもそも咎めるつもりも無い。
「そ、そうでありますか……?」
「勇者であればゴブリン程度容易く屠れると思っていたが、何か問題があったのか聞きたいだけなんだよ」
「あうっ……」
しかし、私の言葉を受けたリリエは何故か顔を顰めて一歩後退ると、どんよりとしたオーラを放ちながら人差し指同士を弄びながら再び顔を下へ向けてしまった。
「……別に、出来ない事は無いでありますが……ちょっと……」
そうして口籠りながら、言い訳というよりも話したく無い事を隠しているような口ぶりで呟く。これはなんだか……私が彼女を責め立てているような感じになって来たな。そんなつもりは無いのだが、どちらかと言えばリリエが非常に怯えているのが原因だろう。
「いや、言いたく無いのなら別に無理して言う必要は――――」
「……っ! 陛下、後ろ!」
すっかり弱ってしまった私は話を切り上げようとした矢先、その言葉を遮るように兵士の一人が背後を指して叫ぶ。
「杞憂が杞憂で終わらないのは最早平常運転か……」
――――先程の嫌な予感は的中し、私の背後に立つ巨木の……その枝へと固定されている丸太が支えを失って此方へ迫ってきていた。
要は丸太の破城槌であろう。遥か頭上でせせら笑うゴブリンによって起動され、この付近を纏めて叩き潰そうとしている。ライネスたちの方へ魔力感知を広げていたのが裏目に出たか、それでも後手で対処可能だと判断した私の怠慢かも知れない。
慣性に従って振り子のように勢いを付けて迫るそれを見て、既に破城槌の範囲内にいる全員が地面へ伏せている。
「なっ……!? 弓兵だと!?」
加えて、それを狙ってか伏兵として潜んでいた弓を持ったゴブリンが突如として現れた。
前方からは巨大な丸太の罠、両側面からは弓をつがえたゴブリンたち。どう考えても状況は最悪、流石に私が動こうかと魔力を集中させたのだが――――
「舞えよ胡蝶、緋想、火産たる神霊の昏火や、十天一門炎暁朱雀、神威の一閃、神鉄流奥義緋行――――《斬鉄剣 灼》」
――――それよりも先に、私の眼前で緋色の胡蝶が舞った。
赤い一筋の軌跡は中心から一部の歪みもなく二つに切り裂かれた破城槌をなぞり、残心する勇者の剣先に続いている。
そして空中分解したそれがゴブリンの放った矢を受け止め、その射線を塞ぐように鈍い振動を鳴らしながら地面へと沈み込んだ。
どうやらリリエが、完全に完璧なタイミングで完璧にあの巨大な丸太を切って見せ、更には計算し尽くしたように側面からの攻撃をも防いで見せたらしい。
「……やはり本物だな」
先程全く活躍していなかったせいでその力を少し疑っていたが、これならば勇者と名乗るには充分過ぎる程の力であろう。
あの口上は単なる格好つけではなく、れっきとした詠唱。それも武器に属性を付与するような高度な魔法であり、彼女は火を纏った剣で以てあの巨木を切ったのだ。
「属性付与……私だって自分の体以外にはまだ安定しないというのに、これが勇者の力か」
私の得意な雷属性を身に纏う《天走電》も、未だ完璧に属性を付与する事は叶っていない。半端な詠唱では金属との反発が起きてしまうので、容易に実戦で使用出来ないのが現状である。そう考えると魔法付与の一点に置いては、確実に彼女の方が上であろう。
「ギ……ッ」
彼女はそのまま九十度方向転換を図り、ゴブリンの弓兵へ走り出す。
慌てた敵が再度矢をつがえてリリエへと撃ち放つが、その悉くを剣で叩き、斬り払って寄せ付けない。凄まじい速度で地を蹴り、巨木の枝から枝へ飛び移る様に他の冒険者たちは呆然と見上げている。
「はぁっ!」
しかして、瞬く間にゴブリンへ接近すると、リリエは奴らの手に持った弓の弦を斬り飛ばした。その後、短剣に持ち替えて襲いかかってきたゴブリン達を、剣の柄で突いて気絶させていく。
心做しかその表情に苦悶が伺えるのは、私の気のせいだろうか。
ともあれ片面のゴブリンたちは完全に無力化された。もう一方の高所から撃ち下ろしていた奴らも、流石にこれ以上この場に留まるのは危険と判断したのか姿を消している。
「さて……と、此方側は片付いた事だし今度は私達から出向こうか。あちらさんもお待ちかねだろう」
「えっ、ここでライネスさん達を待つんじゃないんすか?」
私がライネス達の向かった方角へ歩きだすと、未だ動けない冒険者の一党の中から、ゲイルだけがそう言いながら小走りで後を追ってきた。
「あいつらは帰ってこないよ、今頃は敵に捕まってたりするんじゃないかな」
「はっ!? まじすかっ……!?」
「人質を取るだけ賢いのだし、心配せずとも多分全員無事だ」
私とてバカラから聞いた情報だけで此処へやって来たわけではない。
冒険者組合にて北の森を通過してやって来た冒険者からの話や、ギュリウスへ向かった商人からの情報を暗部を通して手に入れている。
それらの情報によればゴブリン達は通りがかった旅人を襲い、装備品や荷物を強奪していくと言う。無抵抗であれば殺される事はなく、自ら荷物を差し出せば何も危害を加えられる事が無い者もいたらしい。つまり、この事から分かるのは、相手がある程度人間の道徳観念を理解しているということ。
私達の事は割と本気で殺しに来たようだが、無力化したライネスらをその場で即殺する程短慮でもない筈だ。
「ま、私見だが、連中のボスは話が通じる相手という事だよ。それならば交渉を一考する余地はある」
そもそも今回調査隊をごく少数に限定したのは、話の通じる相手だった場合を想定している故。三桁規模の大人数で押しかければ、滅ぼしに来たと勘違いされるだろう。逆に戦力差を理解して降伏したり、逆上させる可能性はあったが……。
「あ、このゴブリン達はどうするでありますか?」
「適当に縛って連れて行こう。敢えて殺さなかったのはいい判断だったな、交渉の材料に使える」
「えへへ……お手柄でありましたか、お役に立てて嬉しいであります!」
結果的に、リリエがゴブリンを一匹も殺さずにいてくれたお陰で、此方もそういう姿勢にあることを敵方へ伝えられる。
照れたように頬を赤くしてにやけるリリエがゴブリンを縛り上げて行き、都合十二匹の気絶した子鬼の山を築いた。これをどうやって連れて行くかが問題だと私が思案していると、彼女はそのまま一つに纏め結んだそれを担ぎ上げる。
「はい、じゃあ行くであります!」
「そ、そうだな……急ごうか……」
常人離れした膂力に思わず一瞬顔が引き攣ったが、私も似たような事をした覚えがあるので何も言わない。こういう異常さというのは、客観的に見る機会が無いと分からないものだな……。
私も自分の行動が周囲にどう捉えられるか考えるべきかと、心の中で自省するのだった。