165.新たな一歩
私がウェスタリカの王になってから一ヶ月余り、国は順調に発展を遂げていた。
ドワーフの指導もあったとは言え、有り余る体力とモチベーションで技術を吸収して行った建築班により、既に一端の街と呼べる程度には整備されている。適切な場所へ適切な労働力を割り振った事も大きく、首都は以前とは見違える程の活気に溢れていた。
寧ろ三代目の残した建築技術だけ見れば、他の国よりも発展していると言えるだろう。
加えて民家だけでは無く、正式にこの国の特産品に据える砂糖の生産工場も造った。現状は人の手で作業を行っているが、これもそのうち魔道具で全自動化するという目標がある。まだまだエンデには働いて貰わねばならない。
農耕に関して私が言うことはなく、ピートが全部取り仕切っているが問題なし。元々食糧だけは潤沢にあり、寧ろ供給に対して需要が少なすぎる程である。この国の総人口が約八千人だが、その二倍人口が増えても困窮することはない。
急激に発展を遂げたことで色々と問題も起きたが、そこは再編成された軍部の仕事。
ウェスタリカ軍第一軍団から第三軍団の兵士たちが日替わりで王都を警邏するお陰か、大きな揉め事も無く市井の秩序は保たれている。
この軍団という呼称は魔王軍健在時の物を流用しており、間違っても私が決めたわけではない。いや、確かにちょっとロマンは感じたが、こういうのは過去の文化を踏襲するのが大事であってだね……。
因みに第一軍団は獣魔を中心に構成された『金獣戦隊』、ライネスが軍団長として統括している。規模としては最も多い千人、近接戦闘に長けたタイガなども此処に所属する軍の要だ。
次いで第二軍団『青魔導騎士隊』は魔術士の集団。自ら立候補したフレイを軍団長に据えた為、水氷の魔術に肖って青と名付けた。数は凡そ三百と第一軍団の十分の一だが、中遠距離攻撃を主体とするこの軍団は殲滅力の高さなら恐らく一番であろう。
第三軍団は『戦士たちの想跡』を解体して再編した『黒塵遊撃隊』、と言ってもメンツはほぼそのまま。多少入れ替えがあったのは確かながら、基本的には元傭兵というフットワークの軽さを残して諜報や斥候、遊撃としての役割を担わせる事にした。
それに加え、ゲッツ達は戦力の半分程を国外に置いたままらしく、彼らには暗部と共同で情報収集と拠点作成に勤しんで貰う事にした。これで今後国外で活動する時に色々と捗る筈だ。
ウェスタリカ組はと言えば、一ヶ月経った今は敵対していたのも過去の話。この国の人々に馴染みきって、今では普通に挨拶を交わす仲となっている。驚くほど適応力が凄まじいが、仲良くやっているのならそれでいいだろう。
もう一つ特筆すべき変化として、冒険者組合支部がこの国にも開設された。
これに関してはアルトロンドを出立するより以前から、ぼんやりとだが計画していることをギルマスへ告げていた。その甲斐あってか仮設ではあるものの支部ができ、組合職員が派遣されている。
そして支部の開設に伴って街道の整備も同時並行的に作業が進められ、少ないながらに中央から西へと流れてくる冒険者がこの国に滞在するようになっていた。しかし、今はまだ私に付いてやって来た冒険者やゲッツの部下が流した噂を聞いて、度胸試しの面白半分でやって来た者ばかりというのが現状ではある。
まあ、ともあれこれで外部との繋がりが出来始めた。
後は国交の樹立に関する話を纏める為に、フラスカ使節団の到着を待つのみという状況であったのだが……。
「――――来たわよ!!」
「……あの」
仮にも官邸と呼称を改めた国の中枢機関であるこの場へ、なんとも不遜な態度で扉を押し開いて現れたのは真紅の髪を持つ少女だった。私の知り合いでこんな事をするのは一人しかいない……そう、アザリアです。
「ルフレ! 久しぶりね!」
「ああ……とは言っても、まだ三ヶ月しか経ってないけど」
あの女王、何をトチ狂ったか外交官として実の娘を派遣した挙げ句、その全権を現場に預けていたのだ。それを手紙で確認した時には私も思わず二度見して、それから「何かの間違いではないか?」という旨の手紙を送り返す始末である。
ただ、実際こうして国を訪れたのはアザリアであり、扉の外にはフラスカ王家の紋章が刻まれた馬車が幾つも停まっている。
住民たちがそれをもの珍しげに見ているが、待機している彼らも大国の中で指折りの名家や技術者の家系から派遣されて来たのだ。使節団に選定したのはアマリアだったとしても、不用意な対応は拙い事になりかねない。
「と、取り敢えず全員中へ案内しよう……付いてきてくれ」
「分かったわ、行くわよ貴方達!」
官邸の使用人だけは御祖母様が一応礼儀作法の教育をしている、滅多なことでは問題にはならない筈だろう。
そんな杞憂に思考を持っていかれている間にも、呼びかけに応じて配下であろう貴族と技術者たちが官邸へと入ってくる。しかして、ふと見覚えのある顔が現れたかと思えば、その彼は私の目の前で恭しく跪いて見せた。
「お久しゅうございます、ルフレ嬢――――いや、今は陛下ですね。私の名はエイベル・フォン・メルティアに御座います、覚えておられますでしょうか?」
「お前程の美男を忘れられる者がいるのか、私としてはそちらのほうが疑問だがな。勿論覚えているよ、王都での会食以来だな」
久しぶりの再会にエイベルはそう言うと、私の手を取って口づけを落とす。
いや……そう自然にキスされると此方としてもどうリアクションしていいか分からないし、相変わらずの傾国ムーブにこっちが照れてしまう。元々キスの文化があるのは知っていたが、以前と違って男をはっきり異性として認識している今は勝手が違うのだ。
全然フラグとかではなくて、単純に異性に耐性が為さすぎるが故の羞恥だけどな!
「あの時は私が貴女を呼びつけましたが、まさかこうして立場が逆になるとは……中々どうして運命と言うのは不思議なものです」
「ところで治安維持局はどうした? 此処にいると言うことは、クビにでもなったか?」
「そちらはもう後任へ全て任せていましてね、女王陛下たっての指名で今回使節団の責任者として馳せ参じました」
「ははぁん……やはりあっちはお飾りの全権大使か」
そう言ってアザリアを横目に小声で呟けば、エイベルは苦笑しながらも確かに頷いた。
一応は彼女が交渉の席に立つものの、実際に最終的な決定を下すのはエイベルだろう。彼女が我儘を言い出せば拒否権は無いだろうが、あの女王ならそこまで織り込み済みの筈。
私が無茶な条件を持ち出さない事を前提に、丁度いい勉強の場としてアザリアを送り出したということだ。
「……そういう事なら、あの世間知らずに色々吹っ掛けてもいいんだぞ? 此方としても大国を手玉に取るのは些かの興味がある」
「あのお転婆姫の手綱を私が握っていると言う事もお忘れなく。それを踏まえて、出来る限り常識の範疇でお話を進めて頂きたいですね」
「冗談だ」
「ははは」
なんて笑いあうものの、エイベルの目は本気だった。幾ら個人的な交友があってもこと国に関する話ならば別と、そう言わんばかりである。これはこの国の主として、私も気を引き締めて掛からねば。
***
「こ、これは一体!?」
技術者だけならず貴族までもが口々にそんな言葉を漏らし見つめるのは、一面をガラス張りにした壁だ。
「こんな構造にしては建造物としての耐久性の確保が……いや、柱に何か別の素材を使用しているのか……?」
「支柱や格子の並びも何か意味がありそうだな」
「この床を見てみろ、全く見たことのない材質で出来ているぞ!」
次点でコンクリートを使用した壁や床、さながら現代の会議室のような様相をした部屋に興味津々である。
地球においても全面に煉瓦を用いた中世建築様式から、より高度な近代建築に変遷したのは産業革命以降。ドイツのとある有名な学校――――合理主義的芸術、モダニズム建築を推進していた――――が有名だが、その話は長くなるので割愛しよう。
興奮している技術者諸君も一旦落ち着かせ、着席して貰うと次に出てくるのはお茶とお茶菓子なわけだが……。
前提としてこの世界の文明レベルが中世と言っても国によって差がある上、平均的に見れば精々六世紀から八世紀の周辺レベルである。故に諸侯の間でもお茶請けというのは、小麦へ干した果物を練り込んで焼いた物や、塩の効いたビスケット風のお菓子が一般的だ。
「ル、ルフレ陛下……無知を晒すようで恥ずかしいのですが、この白い食べ物はなんでしょうか? なにやら甘い香りがしますが……」
貴族の一人がそう言って、女給に運ばれてきた『三角形のスポンジへ生クリームをたっぷりと塗った』食べ物を指差す。他の皆も初めて見る為に少々身構えてはいるが、そこまで私の想像通り。
「これは"ケーキ"と言う甘味だ、紅茶に非常に合うので是非食してみてくれ」
「け、けぇき……ですか? 生地が非常に柔らかいですね、それにこの塗られたクリームは……なんともきめ細かい」
ルヴィスでは新鮮な林檎をパイ生地に乗せた物もあったが、私が監修再現したこの『冬苺のショートケーキ』はそんな代物とはレベルが違う。運ばれてきた瞬間から驚いて、おっかなびっくりフォークで突くのも当たり前だ。
「んんっ!?」
しかして、その甘い香りの誘惑に耐えきれず最初に口へと運んだ一人が、目を見開いて声を上げる。
「なんと、舌触りのいい柔らかさと上品な甘さか! 美味い、これほどに甘く美味な物は生まれて初めて食べたぞ!」
「……本当だ! なんだこれは、甘いソースが口の中で溶けて無くなる! 生地も香ばしく後引くな!」
「この上へ乗せられた果実との酸味の調和も素晴らしい、おお……ついつい手が伸びてしまう……」
そんな少々べた褒めが過ぎる程の感想を頂き、喜んでいるのは私だけではない。入り口付近で立っている祖母と、給仕をしているミイもにんまりと笑みを浮かべて此方を見ていた。
というのも、あの事件以来『貴女は放っておくと何を仕出かすか分からない。止めても無駄なら、もういっそ全面的に協力した方がマシです』などと言いながら、積極的に私に協力してくれるようになったのだ。
祖母はどうやら祖父が健在の間は自ら厨房を仕切る女料理人だったようで、それから私の発案したレシピを再現するべく日夜腕を振るっている。しかもスキルを持っている私より料理が上手いし美味い。
このケーキも彼女が私のおぼろげな記憶から苦心して再現し、相当なクオリティアップを図った一品だ。
「こ、これは材料に何を使っているのですかな!?」
「ならば我が国へ卸せるのかどうかも是非教えて頂きたい!」
「まあ待て、焦らずとも今からその話をする所だ」
やはり貴族たちはこの真新しく珍しい餌に食い付いた。
彼らはこのケーキ一つだけでウェスタリカがフラスカへもたらす利益を理解しており、既に貿易に関してはすこぶる前のめりになっていると言っていい。後はこのまま上手く交渉へ持ち込むだけだろう。
「ねえルフレ、これっておかわり無いのかしら?」
「……フラン、持って来てやれ」
尚、相手方のトップは些か緊張感が足りていないようにも感じはするのだが……。
「ゴホンッ……さて、それでは次は我が国の技術を紹介しよう」
お次は本題、フラスカと意味のある国交を結ぶためにも"彼"には頑張ってもらわねば。