161.不幸中の幸い
事態は二転三転、好転へ向かっている事は間違いないが、状況が飲み込めない。
「おい、カミルどういうことだ!? 何故そのババアと一緒にいやがる!?」
「ゲッツさん、すいません……でもこうでもしないとあんたが死ぬって言われて……」
カミルと呼ばれた青年はゲッツ……ゴットフリートに対して、酷く申し訳なさそうな表情で頭を下げる。その態度は単に裏切ったような雰囲気ではない、加えてデボラ御祖母様と共に現れたのを見るに何か事情があるのだろう。
ただ、縛られている当人はかなり困惑しているらしく、信じられないものを見るような目をカミルへと向けていた。
「黙らっしゃい!!」
「ッ!?」
そんな情けない程に狼狽し、のたうち回る男へデボラが一喝。思わず肩を竦めてしまうような声音が、この場の空気を震わせる。
なんかこれ、私が怒られている訳でもないのに自然と怖くなってしまう。前世で母や祖母が悪戯をした妹を叱っているとき、自分も一緒に怒られているような気分になったのを思い出す……。
「あんたがうちの孫を狙った張本人さね? 本当に家族に対してとんでもない事をしくさってからに……! あたしゃもう怒髪天どころか怒りが空の果てまで行っちまった気分だよ!」
「えっ、あ……こ、これは依頼されて……いや、違う、違くはないんだけどよ、別に本意というわけじゃねえというか……」
「言い訳無用! 如何なる理由があろうと、あたしの大事な孫娘に対して行った事は許されないからねッ!」
「…………」
何時もの凛とした老齢の女性という印象から、烈火の如く怒りを燃やすお婆ちゃんになってしまった。お陰でゴットフリートは可哀想なくらいに縮み上がり、最早抵抗することもなく口を噤んでいる。
ただ、その口から溢れた言葉の中で、祖母が私をどう思っているのかが少し知れてしまった。本音とは意外な所で転び出るらしいし、悪い気どころかかなり嬉しい。
「あの人、姪孫のフレイを除いたら直系の初孫がキミだったからね。本当は死ぬほど甘やかしたいと思ってたんだよ」
「へぇ……」
「当時リーシャが懐妊した時もそりゃもう大騒ぎでねぇ」
感慨深げにそう言ったウルシュの言葉に、思わず口元が綻ぶ。
尚もゴットフリートは祖母に凄まじい勢いで説教を喰らっているので、暫くはこうして傍観していても問題はなかろう。折角だから他の話も無いのかと視線でせびれば、彼も微笑んで苦笑を漏らした。
「本当は、この国に居てもらいたかったらしいんだ。バーム様が僕らを守った事で、何も国外へ逃げる事はないだろうって」
「アルトロンドの裏で動いていた連中については、知らなかったのか?」
「勿論知っていたさ、だからキミのお父さん……ヒナタくんはリーシャを逃して人柱になった。けどね、親の、祖母の立場としては、やっぱり近くに居てほしかったんじゃないかな。あの時のデボラ様は、無事に産まれたキミを取り上げるんだって凄い張り切ってたから」
やむを得なしに妊娠した状態で国元を離れ、孫娘を抱くこと無く今まで過ごしてきた……と。
私とて事情が事情な為、そんな母や父の決断に対して何か言えるわけでもない。しかし、祖母の気持ちも理解出来るような気がする。娘が命を狙われ、あまつさえお腹に子供を抱えたまま自分の目の届かない所へ行ってしまうのだ。
どれだけ不安だったのか推し量ることしか出来ないが、相当苦しんだ筈だろう。
「だから、キミが帰ってきた時にあれだけの力を見せた事で、逆に怖くなってしまった。また、同じ悲劇を繰り返して家族を失うのでは、とそう仰ってたよ」
「反対した本当の理由は……そうか」
親の心子知らずとはよく言ったものだ。
私が半端な覚悟と自信で動いていた裏では、それを公に否定することも出来ず悩んでいた保護者がいたのだから。私がする事で周囲の人々がどう受け止めるか、もう少し考慮するべきだった。
「ただ、方向性は違えど、ピートや僕、他の長達の思ってる事はデボラ様と殆ど同じさ」
「――――」
「もし、今回の襲撃に責任を感じているならお門違いだよ。僕らはキミが悪いとか、邪魔だとかそんな事はこれっぽっちも考えていない。大事な大事な先王の孫で、僕にとっては可愛い姪で、民にとっては一人しかいない主君なんだから」
なんだか、私の言いたいことを全て抑え込まれた上で、相手の言い分だけ全部聞いてしまったような気がする。
「私にとっては大事な契約者、代わりなんていない」
「そっか……」
「……お前が勝手に死なれると、俺の成り上がり計画が頓挫するからな。滅多なことじゃ死なせねえぞ。つーか痛ってぇ……お前より先に俺のほうが死にそうだ」
いつの間にかメイビスと、満身創痍ながらに歩いてきたジンにまでそう言われ、言葉に詰まってしまう。後ろを向けば沢山の民が居て、前を向けば私を助ける為にやって来た仲間がいる。
どうにも、やはり私というのはつくづく仲間に恵まれているらしい。
今までの悪運の良さも誰かに助けられる事が殆どで、今回も結局その天秤はこちらへと傾いた。もし私があの忌まわしき出来事の後、誰とも関わり合いにならなかったのなら、この光景は無かっただろう。
「……分かった、なら私も自分の仕事はしないとな」
誰へとも知れずそんな言葉を呟き、未だ万全とは言えない体に鞭打って立ち上がる。
そのまま歩き出そうとすればメイビスが肩を貸してくれ、徐にゴットフリート達の方へと向かった。あちらも私に気付いたのか、バツの悪そうな顔で若干俯いている。そして、流石に祖母もこれ以上説教をする気もないらしく、私に会話の権利を譲ってくれた。
「お前たちは負けた」
「……わかってらぁ。煮るなり焼くなり好きにしろ……って言いたいところだが、どうにか部下だけは見逃しちゃくれねぇか? 今後此処へ手出しはさせねぇからよ、頼むわ」
彼が縛られたまま頭を下げてそう言えば、既に捕縛された傭兵団の面々がざわめき出す。
それはそうだろう、自分たちの上司が責任を取って部下を生かそうとしているのだ。彼と部下の関係は、単なる仕事だけの物では無い事はこれだけでよく分かる。恐らく相当慕われていたのだろう。
「断る」
「……なっ!? おい、頼むぜ! 今回の仕事を受けたのは俺の独断だ、アイツらはなんにも知らなかったんだよ!」
「そんな事は知らない、別にお前の独断だろうが違かろうが大した差異ではないからな」
ゴットフリートはそんな私の宣告に絶句し、絶望したような表情で視線を彷徨わせる。
いや……少し意地悪が過ぎたか、辛酸を嘗めさせられたので仕返しをしたかったのだがこれ以上は止めておこう。意味もなく心象を悪くすることもないだろうし、現状敵対してる身で何をとは思うが。
「お前ら《戦士たちの想跡》全員、私の軍門に降れ。そうしたら今回の件は不問、誰も罪に問わないでやろう」
「…………は?」
「聞こえなかったか? これは提案だ、誰も死なせたくなければこの国へ来い」
「てめ……、あんた馬鹿か? 今さっきまで命を狙ってた奴らだぜ? それを首輪付きにしようって?」
今度は心底困惑した表情で此方を見上げ、あまつさえこの発言。
いや、気持ちはわからんでもないが、本当に譲歩に譲歩して今私はこの話をしているのだ。彼らも特に個人的な恨みで襲ってきたわけではなく、誰かに依頼されて来ただけ。ならばここで無為に怨嗟を広げる事はしたくない。
私も色々と吹っ切れて、彼らに対してもう怒ってはいないし。
「今回の件、俺らに大義があるとは言えねぇ。が、あんたは俺の部下を三人殺した……そんな相手に飼われるなんざ――――」
「ああッ! そう、その事に関してゲッツさんに伝えたいことがあったんす! さっきはこのババ……ご婦人に邪魔されて言えなかったんっすけど!」
随分と仲間思いなことだが、戦場で仲間が死ぬことなど日常茶飯事だろうに。もしかするとゴットフリートが強すぎて、そもそも部下が危険な目に遭う機会はあまりなかったのかも知れないが……それよりもだ。
「ちょっと待っててくださいっす!」
慌てた様子で声を上げたカミル青年は何かを思い出したように飛び跳ねると、一度走って森の中へと入っていく。彼は相当に足が速いようで、直ぐにその姿は見えなくなる。一体なんだと首を傾げる一同だが、ものの数分もしない内に再び木々の合間からカミルが顔を出した。
しかして、
「お!?」
「これは……!」
彼に引き摺られて姿を現したのは、同じ傭兵の男性。
それは確かに私が自らの手で殺した筈の、部隊長と呼ばれた男だ。更に二度三度森の中へと消えれば、次いで二人の傭兵が担ぎ出される。その一方は女性の傭兵で、もう一方は巨漢の男性。
空間魔法を付与した火の魔法で跡形もなく消滅したと思っていたが、全員が五体満足で生きている。どころか、私の金属性魔法まで解除され、傷の手当まで施されていた。
「これは、どういうこった!? リーゲルト、ランス、ガイ! おめぇら生きてやがったのか!」
「ん……あれ、ボス? 俺達は一体、ここは……」
「確か凄い魔法で焼かれて死ぬ―って所で、記憶が途絶えて……ってうわあ!?」
「ゲッツさん!? なんで縛られて……、というかこの状況なんですか!?」
意識を取り戻した三者は、それこそ三様の反応を示しながら起き上がる。尚、ランスと呼ばれた女傭兵だけは、唯一私を見て顔を引き攣らせた。少し心外だが、あの時はかなり精神を汚染されていた為、怖い思いをさせたという自覚はある。
「……カミル、お前どうやって三人を助けた?」
「それが、三人とも森の中でぶっ倒れてたんっすよ。別行動中の姐さんを探しに行った時、偶然見つけたんっす。あ、因みに姐さんも無事だったっすよ、なんか狼人の子供に縛られてましたけど……」
「いや、よくわかんねえが……じゃあ、あの時殺されたと思ったのは俺の早とちりだったってことかよ!?」
ゴットフリートの反応も尤もで、私はあの時勘違いでもなんでもなく致死性の魔法を放った。その証拠に魔力感知からは反応が消え失せたのだが、カミルの顔も嘘を吐いているようには見えない。
つまり、殺す気で放った私……もとい憤怒の攻撃はすかされ、その上で謎力によって三人は森へ飛ばされた事になる。
なんとも随分と理屈の通らない説明だ。
これならば、誰かが颯爽とあの場から彼らを攫って助けたと言われた方がまだ現実味があるだろう。いや、本当に第三者が関与している可能性が無いとは言い切れない、その行いになんの目的があるのかは不明だが。
「さて、いよいよコレで仕事以外に争う理由が無くなった訳だが、どうする」
「俺らが提案を承諾したとして、裏切らねぇ保証はあると思ってんのか?」
「無いな、裏切るかどうかはお前ら次第だろう。ただ……もし仮にそうなったとしたら、次は部下が三人死ぬ所では済まない事を覚えておけ」
私がそう忠告すると彼も理解したようで、顔を青褪めさせて唇を噛んだ。
本当にゴットフリートが歯向かった場合は最早出来るかどうかではなく、彼らを皆殺しにする以外に選ぶ道がない。故に、私はそうでない道を選んで欲しいと願う。打算もあるがそれ以上に助かった命を自ら捨てる道を選んでほしくなかった。
「……分かった、その提案を呑む。今から俺たち《戦士たちの想跡》はてめぇ……あんたの配下となろう」
「交渉成立だな。ウェスタリカへようこそ、傭兵諸君」
今後彼らが如何なる選択をするかは分からないが、願わくば敵対せずに同じ道を歩めることを切に祈ろう。




