160.冴えた時間稼ぎのやり方
突然頭に大量の情報が流れ込んできたかと思えば、体の力が抜けて私はその場に膝を着いた。
「あ……れ……?」
処理しきれない情報の氾濫に、頭痛と耳鳴りの責苦が絶え間なく脳内を埋め尽くす。どうやっても力が入らず、項垂れるようにその場で体を丸め込むことしか出来ない。
「な……んだ? 一体何が……」
眼前からは私が動かなくなった事に困惑したゴットフリートの声が聞こえ、徐にこちらへと近づく足音が聞こえる。何か新しいスキルだとか《憤怒之業》の進化だとか言うが、そんな事今は気に掛けている暇は無いのだ。
有り体に言って拙い。
いや、本当冗談ではなく死ぬ。
殺される、やばいやばいやばい……!
勝ちを確信した瞬間に訳の分からない状況に陥って負けるってそれ、完全に私が悪役のご都合主義展開ではないか。多対一という絵面的には確かにそう見てもおかしく無かったけども、こんな結末はあんまりだろう。
「散々手こずらせやがって、今楽にしてやるよ」
「……終わり、なのか」
視線だけを上向ければ、直ぐ目の前でゴットフリートが私を見下ろしていた。
その肩は上下し、荒い息を吐きながら全身からは血と汗を滴らせている。
運命があちらに味方をしたというのは気に食わないが、ここまで続いた私の悪運も此処までということらしい。思えば、本当に死んでしまいかねないような状況は何度もあった。そんな時には、大抵私に有利な状況になるように事態が転がって行ったのだ。
炎竜の時はイミアと師匠、それに銀竜シルヴィア。
バエルの時はいきなり《憤怒之業》を取得した。
グラディンの時は……記憶を取り戻した事は余り関係ないかも分からないが、それでもやはり殺意という名の原動力は確かに憤怒の権能へと還元された。
因果律というものがあるのなら、彼らと対峙した場合には、私が生き残る方に天秤が傾く仕様だったのだろう。それが今回は相手側だっただけの話であり、何かが違えばまた結末も違ったのかもしれない。
「仲間の仇だ、死ね」
ゴットフリートはそう言うと、いよいよこちらへと手が伸びてくる。
頭上に感じるその掌が私の頭を掴めば、それだけで脳みそから脊髄までの悉くを破壊し尽くして死ぬだろう。内容物をぶち撒けて死ぬのは些かゾッとする、せめてひと思いにやってくれ。
そう願って瞑目したのだが、
「……あ?」
何か小さく硬い物がぶつかる音がして、男の動きが止まった。
その音に私も釣られてなんとか顔を上げれば、腕を振り上げた姿勢で立つ兎の魔人が視界に映る。どうやら先程音を鳴らしたのは落ちている瓦礫の破片で、彼はゴットフリートの後頭部にそれを投擲したらしい。
「ピート……?」
「……なんだ、オイ」
その耳は張り詰めたように立ち、カチカチと歯を鳴らしている。兎の感情表現はよく分からないが、恐怖していることだけは確かだ。
「そ、それ以上その御方に手をだすのは、許しませんよ……!」
「兎風情が、水差してんじゃねぇよオイ!」
「ヒィ!?」
私同様、あと一歩という所で邪魔された男は憤り、ピートを睨めつけて怒声を上げる。ただ、それでも尚退く様子の無い彼の姿に、私は罪悪感と小さな疑問を心の内に抱いた。
「よせ、庇うな、やめろ」
この国が襲われたのは十中八九私が原因だろう。
会話の全てを聞いたわけではないが、ゴットフリートは確かに私を探している素振りを見せていたのだ。彼らにもそれが分かっている、私が死ねば連中は残った住民に手出しをすることは無いことも恐らく理解している。
「その御方は……、この国の主。こ、国母を手に掛けるというのならば、その前に私が相手になりましょう……!」
「……待てピート、駄目だ。下がれ、殺されるぞ」
ピートは虚勢を張ってまでそう言い切り、精一杯目を釣り上げて睨む。
――――無様だな、守るべき民に逆に守られるとは
煩い、私だって好きで守られているんじゃあない。
これは私の問題で、私の責任だ。彼らが肩入れする理由はない、黙って見捨てていればいいものをどうして庇う? 結局それで不幸になるのは彼らだと言うのに、理解が出来ない。
「お断りします」
「……ッ! どうして――――」
「ここで貴女様を見殺しにすれば、私は二度も主を目の前で失った愚かな臣下になってしまう」
憤怒の権能が殆ど機能していないせいか、感情が乱れる。返す言葉に詰まって、覚悟を決めたようなピートの顔をただ見ることしか出来なかった。
違う、私はそんな事を望んではないのだ、己の目的の為にお前達を利用するような奴なんだ。
「駄目だやめろ……私は御祖父様じゃない、私は王なんかではない、お前が命を懸けて助けるような相手じゃない!」
「そういう所ですよ、やはり似ていらっしゃる」
「は……?」
「亡き先代も、貴方様と同じ事を言って犠牲になられた。それとお言葉ですが……命を懸けるに値するかどうかは、主君ではなく私達が決めることです」
心做しか微笑んでいたようにも見える彼は、ゴットフリートへ向き直ると何処からか一対のナイフを取り出した。そうして革の鞘から刀身を引き抜くと、器用にも二刀流の構えを取る。
「……さて、お相手が務まるかどうかはわかりませんが、嘗ては《首刈り》の二つ名を持ちしこの私めのお茶会の誘い、受けて頂けますかな?」
「ただの兎じゃねえってか? わーったよ、その度胸に免じてこの女諸共……てめぇもぶっ殺してやる」
ピートの挑発に乗ったのか、はたまた話にならないと判断して実力行使に出たのかは分からない。なれど、私から見てもピートの佇まいは単なる兎とは思えない程隙がなく、思った以上の実力を隠している事は見て取れる。
それでも尚、隔絶した差を感じる為、半端に強いせいで嬲り殺しに遭う事は確実だが……。
「――――今のは聞き捨てならないな、俺様の部下を二秒でどうするって?」
「三人……いや、四人いればどうでしょうか。十分くらいは余裕で行けそうですけどね」
「……俺も勘定に入ってるのか、ウルシュ」
そんな彼の横に並ぶように立ったのはライネスとウルシュ、そして牛頭族の長であるミノスだった。
ただ呆然と見ているだけだったのが、今頃になって出て来たらしい。ならばそのまま隠れていてくれればよかったものを、このままでは無駄に犠牲者が増えるだけだ。
「俺は俺が情けねぇ。主君が配下よりも前で戦ってるのに見てるだけとは、武人の名が泣くだろうによ」
「概ね同意だ、俺も考えが変わった。彼女、ルフレ様は仕えるに値する強者である」
武人的価値観で語る二人に対し、ウルシュはそれ以上に憎々しげな視線をゴットフリートに送る。
彼は割と打算や謀略に塗れた性格なので、従姪が殺されそうになって怒っているのと擁立させる王が消えるを嫌っている、の半々だろう。なにやら裏で私の政治思想を誘導しようとしていたし、台無しにされた怒りもある筈だ。
「これまでの僕ならきっとそうでしたね、ですが違います」
「……っ!?」
なにやら心を読まれたぞ。
この重要な局面で茶番かと言いたげな視線で見れば、ウルシュは己の手に胸を当てて瞑目する。
「正直に言ってルフレくんの力は想像を超えていました。力、そしてその覚悟はとても推し量れも、利用も出来ないような高みにあった。そんな人物の手綱を握ろうとしてた僕の烏滸がましさたるや……」
「いや……」
過大評価が過ぎると、思わずそう言いたくなった。が、今この状況でそんな話をしている場合でも無く、どうにかしてあの無謀な特攻を止めさせなければいけない。ウルシュの言う通り、十分は保つだろうがそれだけだ。
十分後にどうなっているかは、直に戦ってその実力を垣間見た私が一番良く分かっている。
「そうだ、今からでも遅くはない。あなたもウェスタリカへと降りましょう、今ならば死人も出ていませんし寛大な処置を受けられる筈です」
「冗談か?」
「本気ですよ、有能な人材は何時でも求めていますからね」
眉を顰めて訝しげにウルシュを見やるゴットフリートだが、今の言葉のせいか襲いかかってくる様子はない。私を背に、一定の距離を保ったまま四人の魔人と睨み合い続けている。
「こっちは三人殺られてんだ、今更和解とは行かねぇだろ。それに、そもそも俺はコイツを殺しに来たんだぜ」
「それも含めて温情を掛けてあげます、と言ってるんですが、頭悪いんですかね? あなた、今の話をちゃんと理解出来てますか?」
「なんだ、テメェ……? 回りくどい喧嘩の売り方してんじゃねえぞ、さっさとかかってこいや」
「僕らが止めなければあなたはうちの頭を獲るつもりでしょうし、言われなくとも分かっていますよ」
そんなやり取りを交わすも、ウルシュ達は依然動かないまま。何時でも戦えるぞ、と態度で示しつつもまるで戦う気が無いように……いや、本当に戦う気がないのか。
「時に、一つ気になっていたんですが……そこの部下さん達は大丈夫なんでしょうか?」
「あ――――」
ウルシュが眼鏡の縁を持ち上げ、そう告げた途端ゴットフリートの顔色が変わる。
それもその筈。辺りに散らばっていた傭兵団の面々の下半身が凍りつき、身動きの取れない状況にされていたのだ。
「す、すまねえボス……」
「クソッ……いつの間にこんな……」
私が殺した者を除いて最初に飛び出した三人と、いつの間にか広間の奥にいた八人。計十一人へとウルシュの足元から水の導線が伸び、途中から氷へと変化している。
「ジン氏と戦う際も僕らを人質に取ったあなたのことだ。かかってこいと言いながらも動かないのは、それなりの理由があると思いましたよ」
「……ッ」
「大方、部下に住民を襲わせて、己の有利な場作りをする腹積もりだったのでしょう」
「流石ウルシュ、小賢しいな」
魔法で言えば私もそれなりであると自負はあるが、あれ程に繊細な魔力の扱いは素直に驚く程度には凄い。魔力量が決して多くはないウルシュだからこそ、補助に特化した魔法の扱いを覚えたのだろう。
未だ動かせずにいる体のまま、見ていることしか出来ないのは歯痒いものの、これは形勢が変わったとはっきり分かる。
「さて、取引と行きましょう。あなたの部下を開放してほしくば、二度とルフレくんを狙わないと誓いなさい」
「……断れば?」
「今この場で殺します」
そう言って微笑むウルシュは、笑みを浮かべているにも関わらず底冷えするような寒気を放っていた。恐らくゴットフリートがこの持ち掛けを蹴れば、本当に殺す気である。あの人の良さそうな顔の下には、一体どれだけの顔を隠しているのか……。
「……駄目だ、その取引は破綻している」
「ほう……。 どの辺りが、でしょうか?」
「先ず、前提としてこれは対等じゃねぇ。こっちが握ってんのはてめぇらの頭、てめぇが握ってんのは俺の部下だ。この時点で駆け引きにすらならねぇ」
「ああ、確かに頭と手足では重みが違う、部下を犠牲にルフレくんを殺せばそちらの勝ちですね。これは僕とした事が不覚でした」
「それに、もし俺が承諾したとしても、その直後反故にしたら有利になるのはこっちだろ。そもそもてめぇらは俺を脅せる立場にねぇんだよ」
「成程成程、勉強になりますね。では……この場合、対等に取引をするならばどうすればいいのでしょう?」
細めた目の中で妖しく動く瞳孔がゴットフリートを見据え、まるで教えを請う生徒のように続きを促す。ああ……、もうこれは完全に手玉に取られている。既に五分近く経過したというのに、状況が殆ど動いていないのが良い証拠だ。
「それは……てめぇらがコイツを取り戻した上で、俺の部下を人質にすりゃ丁度いい頃合い――――」
「……うん、その手がありましたか」
その問答の直後、大分頭痛が治まって来て少しならば動けそうかという時。
「では――――そうさせて頂きますね」
突如として訪れた浮遊感を味わったかと思えば、次の瞬間には正面からゴットフリートを視界に収めていた。何やら後ろから体へと暖かい感触が伝わってきて、薔薇のような甘い香りが鼻腔を擽る。
「なっ……!?」
「……動くんじゃあ無いヨ、動いたら痛みも感じぬ間にその首を刎ねて見せるからネ」
「同上、動けば血液まで凍らせて、絶対零度の中で逝かせてあげます」
そんな状況の中、一対のレイピアが彼の男の首筋に添えられ、氷で生み出された長剣が腹部に押し付けられる。氷剣の切っ先からは霜が降り、幾ら規格外のタフネスを持つ男とは言え、放っておけば肉体が壊死する程の冷気が漂っていた。
「てめぇ……これを待ってやがったのか!」
「はて、僕はただあなたと取引をしようとしてただけなんだけどね。途中で邪魔が入るのもまた可能性の内だろう?」
尚、今の発言は全てが嘘である。
思わせぶりな発言とまるで此方が有利であるかのように演出し、時間を稼いだのはお前だろうに。
お陰でホメロスとフレイ、そして……。
「……無事? 怪我は? 痛い所ない?」
「まあ、大丈夫だ。とは言っても、暫くは動けそうに無いが……」
「……そ、良かった」
私を助けたメイビスに脇を抱えられ、形勢は完全に逆転した。先程ゴットフリート自らが言った……いや、それ以上の状況に変化し、虚仮威しでもなんでも無くこちらの有利が事実となる。
かくして、状況の好転に伴ってこちらの負け筋は潰えたわけであるが。
事態はもう一転。
「さて、どうする? まだ抵抗するなら……今度は七人を相手に戦ってみるかい?」
「クソが! こうなったらてめぇら諸共爆破して――――」
自棄になったのか、未だ隠している何かがあるのかはわからない。ただ、奴がそう叫んでホメロスとフレイが警戒を強めた瞬間、大地から黒曜石の鎖が飛び出してその両腕を雁字搦めにした。
「ぐっ……なんだこれ!?」
「そこまでです、決着は着きました。フレイ、ホメロス、二人共矛を収めなさい」
堅牢という言葉で表せない程に魔力の籠もったそれは、私でも本気を出さねば破壊出来ないだろう。故に、ゴットフリートがその拘束から抜け出せるわけもなく、追加で両足を縛り付けられて膝を着く。
「おばあさま!」
「な……カミル……?」
その声と共に現れたのはデボラであり、彼女の後ろには何故かヴァルハラの入墨を入れた青年の姿があった。




