152.フランシス・ロッテンフライ
魔王の復活。
潰れた箇所を予想して読むのならば、神歴747年に魔王が"復活"すると書かれている。何故予言じみた言葉を残したのかは分からない、そもそもこれは誰に宛てた言葉なのか。この本の持ち主の虚言で真実とも限らない。
普通の感性の持ち主ならば一笑に付すだろう。
だが、私にはなんとなく、焦燥の中で走り書かれたであろうこの警告が嘘だとは思えなかった。
誕生ではなく、復活。それ即ち過去に君臨した魔王のうちの誰かが、現世に降臨するということ。四人、うち二人は曲がりなりにも人類の大敵を務めたラスボスである。もし仮に己の勘が正しく、真実であるとするならば色々と拙い。
「かと言って、どうも出来なくない?」
「対処法とか書いてありませんしねぇ、恐怖の大王並のふんわり感ですよこれ」
拙いのだが……、現状月並みな予言以外になんの情報も手元には無いのだ。
これに具体的な指示が加わっていれば、私ももう少し慌てて事前にどうこうしようとか思っただろう。ただ、不明瞭な状況で何をしろと言うのか、正直に言って能動的な対処を望まれる方が困る。
「じゃ、保留で。いらぬ不安を広げないように伝えるのは一部の者だけにしよう」
「まあ……それしかないですよね」
考えても詮無いことは、そもそも真剣に憂慮すること自体が徒労なのだ。唯一地下室で研究をしていた女との関連性が見受けられるが、そこは私がここへ来る以前より調査中故に経過を待つしか無い。
それよりか、早くフラスカとアルトロンドとの国交を繋ぐことに尽力するべきだろう。
私は謎の予言日記を机の隅へ退けつつ、それのお陰で後回しになっていた手紙の片割れを開いた。紋章の捺された封蝋――――フラスカ王家の象徴である不死鳥――――を剥がして紐解き、丸めた羊皮紙を両手で広げるようにして持つ。
赦免状の筆跡と同じ文字からすると、やはりアマリア女王の直筆らしい。冒頭からやや堅苦しい時節の挨拶で始まり、今までの事件に関する事への幾つかの謝罪と感謝の言葉が並んでいた。
「まあ、国交を結ぶ件については概ね同意と捉えていいだろう」
「あの女王様はなんだかんだルフレさんの事は信用しているでしょうしね」
そこから王族が軽率に他国へ頼ることに関して遠回しなお叱りの言葉が若干あったが、国交に関しては拒否どころか予想していたようである。既に派遣する使節団を設立しているとはっきりと書かれていた。
いや、やっぱあの人未来予知のスキル持ってるわ。
使節団に関してはこちらの受け入れ態勢が整い次第出発して貰うとして、まずは国交を結ぶにあたって提供出来る利を明確にするべきだ。
それもその筈、現状相手の二国がうちと国交及び外交の関係になった場合のメリットは殆ど存在しない。デメリットで言えば、魔人の国と友誼を結ぶ事は人類への離反と捉えられる可能性があるということか。
種族的な意味合いでは中立国であるフラスカに限ってそうはならないとは思うが、アルトロンドは過去の勇者排出率から見ても国民の魔種への心象はよろしくないだろう。
経済的な部分で権益を得られる……例えば今私が計画している砂糖の量産化に伴って、輸出と関税の優遇。その他、国交を結ぶことで見返りを得られるようにしなければ、保守派にとっての英雄である勇者の娘とて早々後ろ盾を得られる筈もない。
「同意とは言え、こちらが一方的に寄りかかるような形にはしたくない……とすると、やはり価値を作るしかないな」
「特産品の目処は付いてますし、それだけで十分行けるんじゃありませんか?」
アキトの言うように、現代知識で再現した調味料などに喰い付く事を前提に動けば問題はないかも知れないだろう。しかし、更に先を見据えるのならば、もう一つ大きな交渉の切り札があってもいいのだ。
「なにか、即決させるような要素が欲しい。国交を結んでおけば後々メリットになるような、何かが……」
そう思いつつも、アルトロンド側の手紙を開封した私は一旦斜め読みをするという癖で文書に目を通したのだが、意外な内容に思わず二度見。無言でアキトへ渡した所、彼も目を丸くして確認するように此方を見た。
そこに書かれていたのは『塔に幽閉、監視していた筈の王が唐突に変死した』『アルグリア統一帝国がアルトロンドとの国境線沿いにおいて大規模な軍事演習を行っている』という事実。両方において無視できない内容であり、特に後者は世界情勢を揺るがしかねない事柄だ。
「王の急死と帝国のキナ臭い動き……前者は十中八九、連中の仕業だろう。ただ、後者は可能性こそ感じていたが、まさかここまで動きが早いとは思わなかったな……」
「タイミングがタイミングですからねぇ、なーんか怪しいですよこれ」
前王政の崩御に伴った元王太子による新体制の確立は完璧とは言えず、アルトロンドの国内情勢は未だ不安定である。それを狙って帝国が戦争に向けて動き出したというのならば、東側は今かなり拙い状況にあると言えるだろう。
万が一にアルグリア帝国が侵略戦争でも起こそうものならば、今のアルトロンドでは恐らく太刀打ちできない。獅子身中の虫と思いきや、皮肉にも軍事力の一点だけ見た場合は聖国の暗躍していた時期の方が高いのがまた……。
いや、結局国が荒れている原因を考えるとやはり、聖国が悪いな。
「怪しいと言えば、そんな状況で国交を結ぶとなるとそういう意味に捉えられる可能性があるかぁ……。かなり距離はあるが、ウチが戦争に加担すれば恐らく形勢も変わるだろうし」
「でも、いっそ結んでしまっても良いんじゃないですか? アルトロンドの同盟として意思表示をするだけでも戦争抑止には繋がりますし、あちらに貸しを一つ作れますよ」
現状で弱っている所に付け込むようで気が引けるが、彼の意見は一考の余地はある。
そもそも、父の故郷が戦火に晒されるのもあれだし、アルグリア帝国とは現状で一番接点が薄い。帝国を恐れて静観するよりかは、アルトロンドの好感度を稼ぎに行ったほうが得策だろう。ただ、その場合派兵する人員をどうするかという問題も出てくるが……。
もう、なんか問題は色々と出て来るのに対して、それ以前の場所で足止めを食らっているのがキツい。
別に支持率アップ作戦程度、失敗したらしたでリカバリーが効くからと緩く構えていたというのになぁ。これを成功させなければ二進も三進もいかず、他の殆どの事柄に手が付かない状況に陥るとは思わなんだ。
「また保留案件、取り敢えずアルトロンドの内情と帝国の動きに気を配るように言い含めて終わりかなぁ」
「気を配る?」
「ああ……、アキトにはまだ言ってなかったか。丁度いい機会だし紹介しておこう」
不思議がる彼の顔を見ながら、私は何もない空間に向かって手招きをした。
が、言ってなかったも何も、そもそも安易に口に出すことも出来ない者たちなので、紹介するのはこれで二人目である。
「え……う、わっ!?」
手招き後、数秒の間を開けてから家具をすり抜けるようにして現れたのは一人の少女。薄茶色の髪に切れ長の黒い瞳を持つ無愛想な美少女は、上半身こそ人と同じ形状をしているが、その腰から下は百足に類似した節足動物そのものだった。
「お初お目にかかります、アキト様」
「あ、ど、どうも……」
「彼女はフラン、この国を影で支える暗部の一人だ」
クラシカルなメイド服を着こなした少女は優雅にカーテシーを披露し、アキトはおずおずとそれに返事を返す。当然ながら家具の隙間から現れた彼女が普通な訳無く、この女中としての振る舞いは表の姿。彼女こと『フランシス・ロッテンフライ』は、この国が誇る諜報部隊の一員だ。
「そもそも、ロッテンフライ家というのが前王……私の祖父に重用されていた隠密の家系らしい。フランはそこの現当主の娘で、今は唯一私が直属で動かせる部署だったりもする」
「我がロッテンフライ家はウィステリア家に永劫の忠誠を誓いました。その末子であるルフレ様の命とあらば、何に替えても遂行する所存でございます」
尚、フランは察しの通りホメロスの姉であり、他に二人の妹と両親祖母、分家の叔父叔母なども例外なく暗部の関係者。家系外の同族を合わせれば、百を超える最も数の多い氏族でもある。
彼らは忠義が重いのが少し困る程度で、有能さは国随一だ。
「旧態……つまりルフレ様ご帰還以前は、ほぼ暗部は機能しておりませんでしたが、現在は再び各国へ送り込んでいた諜報員を通し、情報を得ている最中でございます。因みに兄も家出していたとは言え、度々外の情勢については報告を頂いておりました」
「気を配る、の答えはそういう意味ですか……」
説明の通り、ホメロスも実は吟遊詩人の皮を被った諜報員だったらしい。尤もらしい言い訳として家からの逐電を採用し、Aランク冒険者として世界を周り密かにロッテンフライ家へと情報を流していたという。
いや、実家の事を話す時に凄い嫌そうな顔をしていた彼の事だから、家出も割と本気だったかも知れないけど。
話を戻すと、蟲人族はその種族特性が極めて特異で、下位種族の魔蟲を操る者や同族同士で思念を相互に送ることの出来る者がいる。そういった能力を利用し、遠く離れたこの地へ迅速に情報を送り届ける事が出来るのだ。
それが出来ずとも隠密に適した肉体的形状の持ち主は多い為、正しく彼らは諜報の申し子と言えるだろう。
既に今頃はアルトロンドに常駐している暗部の配下へ、国勢を監視しつつ逐一報告を行うように指示が送られている筈だ。
「そして、ここまで言ったからには他言は……」
「……無用ですよね、もう分かってますよ! というか、一応僕は部外者なんですから軽率にこういう国の大事な話に巻き込まないでくれますぅ!?」
「あ……えっと……ごめん、な。信用出来るアキトならいいかなって思ってさ、話したんだけど……迷惑だったか」
「いや別に全然構いませんけど!? あんまり軽々しく他人を信用したら危ないって言いたかっただけですし……だから、そんな悲しそうな顔しないでくださいよ!」
成程、チョロいな。
根が善人の彼は扱いやすくて非常に助かる。この調子で色々と巻き込んで、その内商会を辞めさせて此方側に付いて貰うのもありに思えてきた。宰相のポジションとか用意したら、きっと私の予想以上に色々と働いてくれることだろう。
「ちょっと、ルフレさん……? そんなに落ち込んでるんですか!? 嘘ですって、相談にはちゃんと乗りますから、元気出してください!」
「……ん、分かった。ありがとう」
だが、そんな思惑などつゆ知らず、アキトは落ち込む……ふりをしている私を宥め続けるのだった。




