150.スイーツへの情熱
砂糖――――所謂グラニュー糖や上白糖と呼ばれる段階の物――――を作るのには、幾つか必要な工程がある。不純物を取り除き、煮詰めて糖蜜を分離して更に細かい不純物を洗い出し……と、作業工程を上げればキリがないが、私が今回行うのはその半分にも満たない。
「ぶっちゃけ、私の場合は魔法ありきだから少し狡いが、"粗糖"の量産は意外と簡単だったりする」
工房の裏手にある水場兼台所へと場所を移した私はそう言うと、エンデ達が見守る中で砂糖精製の実践を始めた。
実際工程は簡単で、キビの中から取り出した茎を乱切りにし、汁を絞り出したら大雑把に濾す。それから不純物を沈殿、液体を分離させてその後に煮詰めて結晶化。最後に遠心分離機に掛けて結晶と糖蜜を別ければ粗糖の出来上がりだ。
不純物を沈殿させる際に、魔法で液体を上層に押し上げるように操作したり、煮詰める際も風魔法の応用で真空状態を作って沸点を下げたり。と、一部魔法も使っているが、道具を使っても再現は可能である。
ここまでで一時間と少し、結晶化させる糖の量が少ないので然程時間も掛かっていない。
「おおぅ……手際がいいとは思ったが、もう出来ちまったのか……」
「これが砂糖……、なんか本当に砂みてえだな」
清潔な布の上へ小さく積もる粗糖の山を見て、鍛冶師と強面の男二人はなんとも言えない表情をする。対して同郷の彼はと言えば、濾したキビの残りを集めて勿体ないとぼやいていた。まあ、あれにもまだ使い道があるのだし、彼にあげてしまってもいいか。
「一口、舐めて見るか?」
「い、いいのかよ……? これって凄い高い物なんだろ?」
ジンはそう言って怯えたように私を見るが、確かに味見に指で掬った分だけでも同じ重さの金が財布から飛んでいく。恐々とするのはよく理解できるし、古代中世において胡椒の取引をしていたヨーロッパの商人も、恐らくこんな気持ちだったのだろう。
ただ、
「ほらほら、百聞は一食に如かずとも言うだろう。ここいらで砂糖の味くらい知っていて貰わなければ私が困るぞ」
「わ、分かったよ……、食えばいいんだろ、食えば……後で金とか請求すんなよ?」
「しないしない、私をなんだと思ってるんだお前は」
現地人である彼らに実食して貰わなければ困るのだ。
私は以前アイスクリームづくりの際に粗糖を一度口にしてはいるが、やはり設備の整っていない状態では品質の良い物は作れなかった。されど、それを使った甘味は子どもたちに人気だったことから、この世界で生まれた人間の味覚を基準にするのが最も適切。
彼らが満足行くものであれば、取り敢えず及第点なのである。
「あっ………っま!? なんだこれ、滅茶苦茶甘い!! そして美味い!」
「だがしつこく無く、スッキリとした甘さだ。それに心做しか活力も漲ってくる気がするぞ」
よしよし、活力はよく分からないにしても、どうやら十二分に通用する出来のようだ。これならばすぐに次の段階へ移行すると同時に、量産を開始しても問題なかろう。
「ウミノ、いるか?」
「はい、ここに」
私が呼べば、ハーフエルフの隠密メイドが死角になっている部屋の隅から現れた。
"そこに居る"という認識自体を無いものとしているが、実は彼女は常に私の傍らにいる。が、逆に私は彼女が何処に居るのかを把握はしていない。恐ろしい事に、今まで呼んで出てこなかった試しが無いので、就寝中や入浴中も見られている可能性があるのだ。
尚、それを一度遠回しに尋ねてみた所、返事がなかった。
「今の作業を行える人材を何人か集めて欲しいが、出来るか? ウルシュやライネスを頼ってもいい」
「問題ありません、私一人で遂行可能です」
そして、彼女は私からの頼まれ事であれば、他人の手を借りようとしない節がある。一人で大抵そつなくこなしてしまうのは凄いが、もしかすると人と仕事をすることを嫌っているのかも知れない。
「蛇人族と翼人族と羊人族の三氏族には伝手がありますので、三時間もあれば連れて来れるでしょう」
「まあ、急ぐのも程々にな。何なら明日でも構わない」
「御意に」
彼女はそう言って一度頭を下げると、再び姿を消した。
ああは言ったが、彼女は恐らく本当に三時間で連れてくるのだろう。私はそれまでに別の物の仕込みを済ませてしまおう。本命は甘味だがこれもまた、人間と魔人の橋渡しに必要な物なのだから。
***
三時間後、宣言通りにウミノは数人の女性を連れて戻って来た。
因みにエンデらは入れ違いで仕事に戻り、この場にいるのはアキトを除いて十人近い複数の種族の女子のみ。
そして、何をどう話したのかは知らないが、全員が納得しているわけではないらしい。顔合わせの時点で、私に向けている感情が各々違う事にはすぐに気付くことが出来た。中にはあまり快く思っていないような、敵愾心とも捉えられる視線もある。
「ねぇ~ウミノぉ、帰ってきて挨拶も無しかと思ったら、急に顔出して付いてこいってどういう事よ? あーしらも暇じゃないんですけどぉ?」
「あなた方には今からこの方のお手伝いをしていただきます」
声の主は、艶のある翡翠の髪をした妖しげな色香の持ち主。なれど、その腰から下は見事に蛇であり、口からは度々先の割れた舌が覗いている。そしてその口調、典型的なギャルであった。
「はぁ? なんでよ? あーし、お昼までママと春に植える種籾の選別しなきゃだし、午後はお婆ちゃんと散歩行くって約束してんのぉ」
「いい子かオイ。そうじゃねーだろアテネ、問題はそのお手伝いしてやる野郎だっつーの」
家族孝行の蛇人族、アテネを叱咤するように声を上げたのは背中から翼を生やした少女。毛先が白みがかった褐色の髪を手で払い、不遜にも私を指差す様はなんとも堂に入った仕草で思わず感心してしまう。
「スオウちゃんの言う通り……その人は、なんか……この国を滅茶苦茶にするかもって……噂してて……」
そして、癖の強い髪質をした少女がスオウに同調するように、控えめな声でそう述べた。はっきりとしない物言いながら、ウミノの顔を顰めさせるのには十分だったようで、彼女は些か機嫌の悪そうな表情で羊人族と翼人族の二人を睨みつける。
「口を慎みなさい、この方を誰と心得ますか」
「魔王でも純粋な魔人でもない中途半端野郎だろってーの。言っとくがアタシはこんなジジイの七光りみたいな奴には従う気はねーからな」
成程、痛いところを突いてくるな。
魔王の血族であって魔王ではない微妙な立場にいると、国の成り立ちからしてそういう事を言い出す輩はいるだろうとは思っていた。早い話、いくら私が血族だろうと、今この瞬間に魔神が新しい魔王を選定してしまえば国の支配権はそちらに移るのだ。
いやね、私としては人間と争わずに、国を発展させつつ平和に暮らせればそれで問題はないんですよ。ならば、魔王が生まれたとて、それさえ約束して貰えれば別に玉座に固執しないわけで。むしろ面倒くさい政治のアレコレをやってくれるなら大歓迎である。
そうしたらもう、私は先代魔王の子孫として隠居させて貰おう。
「うん、私の事は知っている者も居るだろうが、改めてルフレ・ウィステリアだ。一応この国の最高権力者に当たる……と、その事に関してお互い言いたいことは色々とあると思う。しかし、今は取り敢えずこれを見てくれ」
「べっつに自己紹介とかいらないんですけどー……、ってなにこれ?! 」
「湯気……じゃなくて冷気?」
私の自己紹介と共に取り出されたそれを、彼女を含めた全員が驚いたように凝視する。
氷の結晶をまぶしたような粗い表面に、やや褐色を帯びたシャーベットが溶けかかった底の部分。冷気を纏い、鼻腔を擽る甘いバニラの香りがなんとも言えない清涼感を与えてくれるこれは、まさしくアイスクリームであった。
「ん、味も悪くない」
行儀が悪いが指で掬って味を確かめれば、前世のそれには遠く及ばないものの、素材本来の甘みとアイスとしての食感はしっかりと出ている。ふふ……異世界で改めて甘味の再現が出来た事は、なんとも僥倖と言わざる得ないな。
顔には出ていないだろうが、思わず尻尾が左右に揺れてしまう。
「あ、やっぱり美味しいんですね」
「……なんで今尻尾見て言った?」
「えっと、ルフレさんの喜怒哀楽は大体尻尾の動きで分かるってメイビスさんが……」
そして、そんな感情の機微はメイビスどころかアキトにまで見透かされていたらしい。
いや待て……、もしかして昔からエイジスやイミアを始め、良く核心を突く言葉を掛けられる事が多かったのはこれが原因だったのか!? こちらとしては顔にも声にも出していない筈だったのが、なんと尻尾に出ていたとは気付かなんだ……。
「ま、まあ……それはそれとして……取り敢えず一人一食あるから、食べてみてくれ給えよ……」
少し顔を引き攣らせた私がそう言うと、彼女たちの視線が机に置かれた同じ皿へと移る。
各々微妙な顔をしてはいるが、先にこちらが口にした事で大分ハードルは下がっているらしい。しかして、最も好奇心の強いのだろう、スオウと呼ばれた翼人の少女が皿と匙を手に取り、一口分を掬って口へと運んだ。
「んひゅっ?! ふへはいっ!」
めいいっぱいに眼を見開き、雪を踏むような小気味良い咀嚼音を立てるスオウの顔は驚きに紅潮している。
暫くして飲み込むと、続けて無言でもう一口を放り込んだ。次は単純に冷たさと甘さからか、瞳を細めてじっくりと味わうようにアイスを舌で転がしているようだった。
「えっ、ちょ、どうなの!? なんか言いなって! スオウ!?」
「ん!」
勇気ある彼女に感想を求める取り巻きは、匙を口に含んだまま放たれた一言と共に差し出されるアイスの皿を受け取って沈黙。誰かがおずおずと半溶けになったそれを持ち上げたことで、全員がほぼ同時に匙へと食い付いた。
その結果は皆似たような反応を示し、カップ一杯分のバニラアイスを食べきるまで無言に。暫しそのような間を経た後に、スオウが大きく息を吐いて顔を上げる。
「はぁ……悔しいけど、美味かった。こんな不思議な食感の甘い物は食べた事が無い」
「だろう?」
なにせ、まだこの世界には無い食物なのだから。
「今はまだ試作の段階だが、本格的な設備が整えば本場と変わらない味を再現出来るだろう。そうすれば氷菓子だけでなく、他の物も作れる筈だ」
「……えっ、ちょっと待って! 試作って、まだ上があるっていうの……!? それに、他のお菓子って……」
予想通り本物への食い付きを見せた彼女らに、私は内心ほくそ笑む。魔法に感けて科学方面の技術がお粗末なお陰か、調理の幅も現世の中世初期よりも狭いことへ目をつけたのはやはり正解だった。
「当然それを完成させるには色々と必要な物もある、原料を作るための肥沃な土地、労働力、そしてなにより熱意が大事だ」
「……なっ、物で人を釣ろうって算段か!」
「で、でもでも……この国は一杯畑あるし、みんな大抵暇だし、これ美味しいし……」
「か、甘言だ! そうやって丸め込んで、この国を支配するつもりだろ!」
やいのやいのと彼女らは騒がしいものの、殆どが手に持った空の皿と私の顔へ視線を何度も往復させている。その心が揺れている事は、誰の目にも明らかだった。ならばと、とどめの一撃と言わんばかりに、私はウミノから受け取った金属容器に詰めたアイスの残りを見せびらかす。
「協力を約束してくれた者には、ここにある残り全てのアイスをやろう」
「「「……っ!!」」」
その一言に女子軍団はどよめき、どうするか仲間内で相談する者が段々と増えていく。中には、挙手しようとする一人をなんとか抑え込んでいるグループまで出てくる始末だ。
が、
「……や、やる。私、やる……ります!」
「あっ! ずるいってスオウ! あーしも、あーしもやるってぇ!」
「わっ、わたしもやります!」
その中で最も早く行動したのは、最初にアイスを口にしたスオウだった。
続いて抜け駆けした彼女の後を追うように彼女と親しい蛇人と羊人の二人が挙手すれば、後はもう競うように全員がこぞって手を挙げ始めた。いやはや、この作戦がここまでうまくいくとは、考えた我ながら恐ろしい。
何が恐ろしいかって、女子の甘味に対する情熱がだよ。
「ここまで積極的にに協力を取り付けさせるとは、流石ご主人様です。私、感服いたしました」
「そ、そうだろう?」
「……絶対偶然ですよね、これ」
かくして、結局の所集まった総勢十二人の女子全員が、私の甘味づくりの共犯……もとい協力者として味方になったのだった。




