149.マヨネーズはチートに含まれますか?
秘密を明かし明かされた翌日のこと。
「ふあぁ……」
私の隣を歩く同郷の青年は、夜神の寵愛がまだ後ろ髪を引いているようで大きな欠伸を一つ漏らした。夜更しの対価を支払わずに済む私と違って、ヒト種の彼は普通にしんどいのだろう。
とはいえ、今日は彼が寝不足ながらに付き合いたい類の事をする。
「よっしゃ、内政チート……やりますか!」
「おうともさ。美味しいものを沢山作り、そして食べる為に」
国民に提示する目に見えるメリット、"美食"。我々二人、異世界人であるからこそ使える知識を用いてそれらを生み出す。その為に向かうのが国の食料貯蔵庫の一つな訳だが、あの粗食からは想像も出来ない程にリフレイアの蔵は凄まじかった。
まず、四つの荘園から集められた穀物や野菜の他に砂糖黍、甘薯、乾燥させた葡萄やワイン、オリーブなども貯蔵されている。加えて、入って直ぐにある地下室には冷温貯蔵庫まで存在し、肉などの腐りやすい食糧はここで保存されているらしい。
壁一面が魔力を帯びた氷に覆われた様を見るに、誰かが定期的に魔法で凍らせているようにも見えたが果たして……。
「ご苦労」
入り口の兵士に畏まられつつ、幾許か気温と湿度も低い蔵の奥へと進んでいく。
今回用があるのは甘薯とキビ、それに果実の類だ。十分に熟した頃合いの林檎を籠へと放り込み、ついでに柑橘類と思われる果物と酒も幾つか拝借。出荷用ではないのでラベルは質素なものだが、なぐり書きされた製造年日は今から五十年程昔、結構なヴィンテージ物である。
粗食を基本とする為、あの事件が起きる以前に飲み食いされていた加工品は全てこの蔵に眠っていたのだろう。全くもって勿体無い限りだ、この如何にもな琥珀色をした発泡醸造酒もくすねてしまおうか。
「ところで、美味しいものって、一体何を作るつもりなんですか?」
「まだ秘密。因みにマヨネーズは塩さえ確保出来れば余裕だから一々取り上げない予定、とだけ言っておく」
「えっ、しないんですか!? マヨネーズ無双!」
逆に異世界人のアキトが今まで実行しなかったことに疑問を感じるが、それを尋ねると彼は遠い目をして溜息を吐いた。一体なんだというのだ。
「僕みたいな弱い人間が後ろ盾もなくそんなことしたら、多分大店の偉い人にボコボコにされて終わりでしたから……」
「あぁ……」
言われてみれば確かに、どの国においても市場は大店の商会が牛耳っている。そんな中で若造が一人調味料を販売し、あまつさえそれが人気になった日には碌なことにならないだろう。恐らくアイデアを盗まれる事は当然として、最悪物理的に消される可能性すらある。
おとなしく商会の傘下に入るだとか、商標は無いにせよ権益の譲渡と分割などやりようはあるだろうが……それではマヨネーズ無双とは言い難い。
「だから、僕はコツコツ頑張ってオーキッドのNo.2補佐にまで漕ぎ着けたんですよ! ここでルフレさんにマヨネーズを開発して貰い、うちが取引のお得意様になる為に!」
「いや、後半は絶対嘘だろ、私も別にマヨを作らないとは言ってないし……。そもそも、取引先はお前のところしか無いんだから、暫くは利益独り占め確定してるんだよ」
はじめのうちはアキト、もといオーキッド商会を通してこの国の特産品を他国と取引しつつ、人が流れてくるようになれば流通の販路を拡大する予定だ。故にその特産品となり得る物を作るのが目的だと、大事なことなので二度言っておこう。
「そうなると、そろそろバカラさん……師匠に連絡を入れないとですね。大口の取引とか、ましてや国を通した交易の販路を築くまでの権限は貰って来てないですし」
「お前の上司って言うと、あのフラスカのパーティーコーディネーターの亜人か。だが、それに関してもう少し待ってほしい。今度の演説……いや、政見放送みたいなものでどれくらい支持を得られるかで状況は変わるからな」
「へぇ……けどまあ、僕は信じてますからね?」
そう言って屈託のない純朴な微笑を湛える彼に、私は思わず呆けたように押し黙る。
邪推せずとも、彼が抱いている親しみは確かにに友愛だ。ともすると、他の誰よりも私に近しい事情を持つ同郷の友人かもしれない。アザリアは年齢が離れすぎているし、そういう面でも私と対等な友人はアキト一人ということになる。
「……分かってるよ」
それ故に、なんだか照れ臭くなって、外方を向いて返事をしてしまった。頬に熱が集まっていたのは気付かれていないだろうか、もし見透かされていたら余計に恥ずかしいな。
「さっさと必要なものを持って出よう、時間はあまりないんだ」
「そうですね、ところで顔赤――――」
「うるさい」
取り敢えず右の頬を一発打っておいた。
***
食材を手にした私達が次に訪れたのは、この国で唯一の鍛冶工房。
二十年前は常に炉に火が入り、少ないながらに腕のいい職人が鉄を打っていた。なれど、国父の死と共に工業の発展は禁止され、つい先日までは只の廃屋として佇むのみ。そんな街の端にある工房は、職人と王の帰還により文字通り熱気を取り戻している。
鍛冶神を祀る神棚を玄関の横に据えた工房へと入れば、重厚な金属音が耳朶を打つ。冬場故に外からもわかる程に熱を持った室内は、より一層へばりつくような湿気と暑さが籠もっていた。
「おう、来たか盟主サマ!」
「精が出るな」
ドアに掛けられた鐘の音を聞いて、部屋の奥から姿を現したドワーフの鍛冶師と挨拶を交わす。
「頼んでた物は出来ているか?」
「勿論だとも、あんたの頼みなら他の何に置いても優先するに決まってんぜ」
つい先日、ようやく祖母を説き伏せる形で工房の使用許可が下りた為、早速エンデには幾つかの仕事を頼んでおいた。今日はその成果物を受け取りに立ち寄ったのだが、本題を切り出すより先に工房の奥から半裸の偉丈夫が顔を覗かせる。
「おいジジイ、これは何処へ運べば……って、なんだお前ら、来てたのか」
「あれ、ジンさん? 最近見ないと思ったら、こんな所にいたんですね」
着物にも似た寛衣型の服の上だけを脱ぎ、その肩へ鋼材の詰まった木箱を担ぐ姿はなんというか……。奴隷時代もそうだが、やけに肉体労働の似合う男だこと。まあ、何を隠そう、ジンをエンデの工房で働かせるように言ったのは私だが。
「ここには冒険者組合の支部が無いからな。遊ばせているならって、そこのチビに工房を宛行われた」
「へぇ……、一部の冒険者と同じように、てっきりミシリアまで戻ったかと思いましたよ」
「そりゃ、元々仕事で訪れただけの奴は出ていくだろうな。俺は一応理由があってここに留まってんだ、流されて付いてきた奴らとは違うんだ」
「ガハハッ、なんにせよ人手は幾らあっても足りねぇ! どうだルフレ様、気合の入った奴を幾らか寄越してくれても構わねぇんだぜ?」
「まあ、そのうちおいおいな」
そうは言うが、私とて誰がどんな役職に適しているのか把握しきれていない。円滑な国の運営の為に有能な人材は適材適所していく為にも、今回の内政チート第一弾を成功させなければならないのだ。
「それで、頼まれていた品だが……こりゃ一体何に使うんでぇ? ドワーフの十八番つったら刻印魔法だろうけどよ、こんなよくわかんねぇ回転するだけの機構は初めて作ったぞ」
「砂糖を作るのに使うんだ。ただ、これだけだと粗糖までの精製が限界だろうがな」
エンデが棚から取り出した、鍋の中にもう一つ小型の鍋がマトリョーシカした道具――――即ち遠心分離機。風の魔法術式を直接刻印することにより、魔力を流すだけで動作してくれる魔道具である。
「ほう……糖つったら薬とか馬鹿高え嗜好品に使われるあれだろ。これで作れるとは驚きだな……」
そのような高級品を作れる魔道具と聞いて、エンデは感心を惹かれたようにまじまじと自分の成果物を見つめた。
彼の言う通り、貴族や小金持ちの間では甘味の材料にも用いられる。
その他、砂糖は蜂蜜と並び、この時代でも貴重な血糖値を上げる薬として重宝されているのだ。尚、秤に載せた砂糖と、同じ重さの金で取引される地域も存在する程にその価値は高い。
安定した精製方法を確立出来ていないのが、値段を釣り上げている原因となっているのだろう。が、生憎と私はキビから砂糖を作る工程を全て知っている。なんなら黒糖も三温糖も自作したことがある程なので、無問題。
「さて、段取りよく行こう。エンデ、水場を貸してもらえるか?」




