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146.戦争屋

 咽返るような臓腑と火灰の臭いに眉を顰め、泥濘にブーツの底を取られながら歩く。


 大小問わず戦闘の後は、度々雨に見舞われるのが彼の中でのジンクスとなっていた。その足を引き摺りながらも、人ではない死肉の転がる地帯を抜ければ野営地では既に配給が始まっており、体中にこびり付く血の臭い以外に幾らかマシなスープの匂いが鼻腔を擽る。


 直前まで空腹などになりようが無い程胃から酸っぱい物が込み上げていたと言うのに、欲望に忠実な肉体は温かい食事を欲しているようだ。


「そろそろ潮時っすかねぇ」


 係から炊き出しを受け取り、手頃な天幕の下に腰を下ろして誰へとも知れずにぼやく。




 ……今よりおよそ百年程前、人類間の協定により戦争の火は殆ど消えた。


 争っていた国々は互いに小康状態へと突入し、国境沿いで小競り合いこそあるものの大きな戦端が開かれる事は最早無くなっている。故に戦争を生業とする傭兵の食い扶持は減り、仕事の取り合いは苛烈化していった。


 それはこの男の、カミルの所属する傭兵団も例外ではない。


 ダルメスト王国ヴァイカート荘出身の彼は、元来自由農地を持つ農奴夫妻の三男という立場だ。だが、長男は実家を継ぐとして、次男は宮廷書士の免状を取って地元で働くようになってしまった。


 荘園の農奴としてはそこそこ裕福な家庭とは言え、カミルには長兄のように責任感が強く先祖代々の土地を守る事も、次男のように頭脳に優れて宮勤め出来る程の器量も無い。お陰で進路は開拓地にて新たに土地を借り受けるか、チンピラ紛いの職業である冒険者及び傭兵になるかの二択のみ。


 どちらを取っても過酷である事に間違いないだろう。ならばせめて、と自由を求めて冒険者になったものの、ヤットウの嗜みすらないカミルに出来る事と言えば斥候と街中でのスリ程度。


 が、幸か不幸か生まれついての才能もあり、足が速く小回りの利くカミルにとってそれは天職とも言えた。そしてカミルには、命の危機に瀕する程の状況において、類まれなる豪運を発揮するのもまた才能の一つとしてあった。

 

 己の身の丈の三倍もあろうかと言う巨牛に追われた日には死を垣間見たが、出立の前、そうとも知らずに酒を奢った英雄級の冒険者に助けられた。


 全身から雷を放つ大狼の足元で気絶した時は、カミルを囮にしようと画した冒険者の死体に埋もれて生き残った。


 更に炎竜の棲み処と知れず踏み入った渓谷の半ばでは、それを遥かに凌駕する強さの剣客が彼の前へ先んじて転がり落ちて来た。


 どれもこれも運良く生き残ったとしか言いようが無いが、いつの間にやらカミルはどんな場面においても生還する運の良さで有名になってしまった。そして、彼に善くした者もその幸運の恩恵に与れるとして、北の民の中で幸運の象徴とされる《黒兎》の二つ名がつけられた。


 そんな時、間髪を入れずに《黒兎》の名声が《戦争屋》に届いたのは偶然ではないだろう。


「おう、ちゃんと飯は食ってるか、うさちゃんよ」


「ゲッツさん、ゲロ不味いっすけど、食わねえと動けねえっすからね」


「うわははは! 素直だなおい、だが俺もこのスープはクソ不味いと思ってる!」


 そう笑って対面に座るは、黒い額当てに伸ばし放題の黒髪を編込みにした蛇目の男。名をゴットフリートと言う。


 手ずから築き上げた傭兵団の頭目にして、元Sランク冒険者という彼はカミルの幸運に目を付けた。その結果として傭兵団《戦士たちの想跡(ヴァルハラ)》に引き抜かれ、覚えよく声を掛けて貰えているのだから大出世である。


 《戦士達の想跡(ヴァルハラ)》の構成人数はおよそ八十名弱。傭兵と言いながらも、受諾する依頼――――大規模な防衛戦や要人護衛など――――は冒険者としての仕事と大差ないだろう。


 ただ、政治的思想の絡む抗争が禁じられた冒険者とは違い、戦争にも赴くことだけが唯一の違いか。


 《戦争屋》という響きから忌避されがちだが、ゴットフリートは不特定勢力からの雇用以外で戦争に加担することも焚き付けもすることは無い。それは言い換えれば戦況の趨勢等は問題では無く、彼らが参戦するのは雇用主の懐具合の次第という事になる。


 お陰で度々小競り合いに一騎当千の英雄が出張り、敵国の斥候が全滅した等という話も度々サーガとして謳われている。


「ウチも大分でかくなってきたからな、そろそろ北側は目ぼしい仕事もねぇし、食い扶持探して南にでも下ろうかと話してたとこだ」


「北っすか、そういやなんか北東でスゲェデカイ捕り物があったらしいっすよ。なんでも魔人の冒険者が狂った国王の汚職を暴いたとか……なんて言いましたっけ、流れの商人が言ってたんすけど、ええと…………」


 カミルはその癖毛を指で巻きながら、記憶を探りに宙を睨む。そんな彼の背後から顔を出したのは、多少血や埃で汚れてはいるものの見事な金髪を持つ女性。


「灰の魔剣士」


「ああ、それ、それっす! いやあ、エリーザ姐さんは博識っすね!」


「アンタが忘れっぽいだけでしょう。それと、紙鳥(カミドリ)で"依頼主"から情報も幾つか貰えたわ」


 金髪の女性、エリーザは淡白な罵倒と共に懐から鳥の形に折られた紙を取り出した。


 尚、紙鳥とは主に冒険者組合や一部国家間の連絡に使用される伝書魔法である。


 特定(マーキング)した魔力へと文書自らが飛んで情報を届ける魔法であり、特殊な魔法紙を使用する為に系統や術式などは一般に秘匿されている。ただ、術式開発者にはかの賢者が携わっていたという逸話もあり、その信頼性は非常に高い。


「……本名ルフレ・ヴィ・メイア・エイブル=ウィステリア。半魔って話だけどこのミドルネーム……怪しいどころの話じゃないわね。多分どっかの令嬢よ、これ」


「となると依頼主も同様、そういう類のゴタゴタか。嫌だねぇ、政治家は。俺ぁどうも好きになれねぇ、邪魔だ、気に入らねぇだ、なんて理由だけでこういう事をする。消す側の身にもなって欲しいぜ全く」


「 二つ名は灰の魔剣士、その名の通り灰被りのような白い髪と、赤い瞳が特徴。冒険者としてはAランク、依頼の八割を単独達成。女、年齢は二十一。女冒険者にしては年増……っと、あと数年で行き遅れじゃない。使用武器種は……カタナ? 島国の珍しい玩具ね」


「おいおい、令嬢かと想いきや、年季で言えば中堅クラスだ。それにAランクっちゅーことは大体エリーザと同じだが、単独(ソロ)なのを考えると実力は上か……」


「いやいや、姐さんよりも強いって、そりゃないんじゃないっすか?」


 己の遥か高みにいる姉貴分の強さを信じて疑わないカミルはそう言うが、当人と頭目は頷くどころか眉を顰める。


「お前、一人で装甲黒犀アーマー・シュナイダー狩れるか?」


「そ、そんなの無理っす! アレは姐さんだってゲッツさんの補助無しじゃ倒せないんっすよ!?」


「恐らくこいつは狩れる、単独でAランクなのはそういう事だからな」


 それもその筈、ゴットフリートが小さく溢したその言葉こそが独りである事の異常性を示しているのだから。


 ランク査定というのはどれだけ組合の依頼を高水準で捌くかに掛かっている為、功績点に依頼達成人数は考慮されない。故に、複数人で徒党を組んだ方が仕組みとしては有利なのだ。それをしないというのはよっぽどの変わり者か強者である。


 更に言えば、組合の指定した討伐難度は一見雑に見えて明確に区分されており、難度Bの依頼をこなすにあたって、安定を図ろうとすればAランク冒険者二人相当の戦力規模が求められる。


 徒党である前提として位階はランク<難度、と符号が同じでも難度の方が一段階高いように設定されているのだ。つまり、難度Aの魔物を倒す場合、Aランク冒険者が一人いればいいという訳ではなく、その二倍の戦力差で以てかからなければ危険度は遥かに増す。


 実力と貢献度とはまた違う数値ではあるものの、これが冒険者界隈での一般常識。


 それに当て嵌めれば、エリーザは実に模範的なAランク冒険者相当の実力者と言えるだろう。彼女と同等の戦力が五人いれば炎竜はほぼ一方的に討伐でき、単騎でも難度B相手ならば殆ど苦戦を強いられることもなく勝利出来る。


「良くも悪くも器用貧乏だもんなぁ、お前」


「遊撃に支援、斥候から鍵開け、なんなら料理や洗濯まで出来るんだから万能って言いなさいよね、ボス。というか、化け物と人間を比べること自体間違ってるわ」


「お前、それ俺様を化物だって言いたいのか……? おっちゃん傷つくぞ……」


 間違っても一撃で敵の斥候部隊を殲滅するような頭のおかしい強さではなく、《戦争屋》の便利な《七つ道具》である彼女は、良識の範囲内で纏まった強さの持ち主なのだ。所持している《才職兼備》という、あらゆる分野において秀才で在れるスキルの恩恵は勿論多大だが。


「……ま、ウサチャンはまだ俺ら以外に高ランク冒険者は数える程しか見た事ねぇだろうが、エリ公の言う通り全員が全員腕っぷし自慢って訳でもねぇ。むしろ今やそっちの方が少数派だ、Aランクの殆どが純粋な自力よりも《スキル》の恩恵で成り上がったような奴ばっかだしな」


「はぇ~……そうなんっすねぇ」


 感嘆の声を漏らすカミルだが、その実自分にとってはAランクもSランクも天上人であり、その差は今一つ理解できていなかった。尚、凡夫にとってはどちらも桁外れに強い、そういう認識を抱く以外にないのもまた事実ではある。


 実際、細かな差異などはそれこそ当人たちにしか分からないものだろうから。


「で、またなんでぇそんなお人の情報を……ってさっき言ってたっすね」


「そう、()()()()()()だからだ」

 

 そう言って爬虫類のような目を獰猛に眇めるゴットフリートに、カミルは息を呑んだ。つまりは、次の仕事は灰の魔剣士の抹殺、英雄同士の殺し合い。それを理解して、首筋に氷でも当てられたような寒気に襲われる。


「個人窓口からの依頼よ、雇用主は名伏せだけど。前金も相当な額を支払ってくれたし、やっぱりどっかの国のお偉いさんか大きな商会かしらねぇ」


「気分が悪いが仕事となれば割り切るしかねぇな。金さえ積まれれば、どこの誰が相手だろうと戦争をするのが俺たちの主義だろう」


「それはご尤も。目標は一人でなんか楽そうだし、報酬も良いから私は異論無しよ。あー、この仕事終わったら欲しかった緋色魔晶のネックレッス買おっかなぁ」


 だが、彼らにとっては英雄殺しすらも、何でもない仕事の一つに過ぎない。


 カミルにはそれがとても恐ろしく感じられ、目の前で違う生き物の会話を見ているような気分にすら陥った。引き攣った表情を隠すようにすっかりと冷めてしまったスープを飲み干すと、そのまま逃げるように食器を手に席を立つ。


 戦争屋には長らく世話になってはいるが、何か嫌な予感がする。雷狼と鉢合わせた時と同じ、名状し難い不安のようなものが背筋を這い回る気がしてならなかった。


 故に、


「……そろそろ、潮時っすかねぇ」


 カミルは雨の上がった夜空の下、滑る泥に足を取られないように歩きながら、そう呟いた。







【公開情報】


 リギスト三方戦線


 大陸北部にてラグミニア公国、イァントス王国、エルメニア妖精連合共和国の三つ巴が、特別治外法権区域であるリギスト区を巡る小競り合いの俗称。


 神歴七百四十七年九月末、戦争屋の率いる傭兵団がイァントス勢力に雇用され部分的に参戦。拮抗していた勢力図が崩れ、ラグミニアは兵力の増員、最も被害を被ったエルメニア側が一時撤退し大幅にその干渉力を失う結果となった。結果リギスト区の真反対、ラグミニアが東側の牽制をする余裕が無くなった事で帝国は不穏な動きを見せ始めている。

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『創成の聖女-突然ですが異世界転生したら幼女だったので、ジョブシステムを極めて無双します-』
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[一言] 【ーー女、年齢は二十一。女冒険者にしては年増……っと、あと数年で行き遅れじゃないー】ーー ーー21歳から数年経てば行き遅れなのか…。ルフレさん…。あ、でも本人その気ないから関係ないかwww…
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