144.阻む理由、その原因
朝日が鎧戸の隙間から頬へ差し、寝台へと沈んでいた体をもたげる。
日が昇ってまだ間も無いだろうが、三時間も眠れれば重畳。私としては眠りすぎな具合とも言える睡眠から目覚め、夜着から厚手の装束へと手早く着替えて行く。
北方を端とする竜人族独自のそれはデールやアオザイと呼ばれる民族衣装にも酷似しており、膝下まである丈の長い上着は腰辺りからスリットも入っている。そして、基本的に防寒を目的としている為、ズボンもかなり分厚く、ブーツに至っては脛宛てを上から紐で巻く程の重装備だ。
片手で着替えるのも随分と手慣れた物で、少し前からウミノの補助無しでも出来るようになった。
「……よし」
着替えを終え、代用している頑丈な鋼剣を腰帯へ差して髪を括ると、丁度扉がノックされる。
「御主人様、朝食の準備が整いましたのでお迎えに上がりました」
「ああ、私も今向かう所だった。今日の朝餉はなんだろうか?」
ウェスタリカへやって来てからもう一ヵ月が経ち、この国で神歴747年を迎えた。
亡命当初は一応母のお腹の中にいたので、出戻りと言って差し支えないだろうが、兎も角帰郷した私を出迎えたのは二つの感情だった。
一つは純粋な歓迎、一つは遠回しな疎み。
前者は四人の氏族長を除いて基本的には若い世代の連中であり、亡き王の子孫が帰って来た事を単にめでたい事だと思っている。後者は比較的老齢の氏族たちで、理由は話さねど私の帰郷をかなり面倒がっているようにも見えた。
「おはようございます、ルフレ」
「……おはようございます、御婆様」
それはかく言う私の祖母も例外では無く、あの初対面から一月が経とうとしている今でさえその態度は冷たい。ただ、その容姿がはいつだか読んだ童話に出てくる意地悪な継母か、もしくは任侠映画の中で煙管を吹かす姐御と言った感じであるのも相まって……反抗し辛いのだ。
朝食を摂る為にウィステリア家の住居(最近増築した)にある食堂へと赴けば、私より先に着席していたデボラ御婆様は一言だけ朝の挨拶を私にするのみ。基本的に、私が何かしない限り自分から話しかけてくる事は殆ど無い。
しかし、私が要らぬことを口走ったが最後、鬼のような形相で怒鳴りつけられる。
それも主にこの国の生活水準を底上げする類の――――食事情や鋳造鍛造に関する――――事ならば殊更凍えるような声と表情で却下されてしまうのだ。お陰で連れて来たエンデは住居こそこさえたものの、鉄が打てないまま遊ばせておく羽目になっている。
後は私について来た冒険者一行だが、これは単純な労働力の提供と引き換えに、ウェスタリカに定住する事が早い段階で決まった。一応、そう言った類の事は他の氏族長に便宜を図ってもらい、取り敢えずは誰かが食い逸れるような事態には陥っていない。
「とは言っても、毎日これだとなあ……」
私が手に持った芋の塊を見て、嘆息を漏らすのも致し方ないだろう。
何せこの国では、収穫した野菜や穀物はそのまま食べるという謎の文化があるのだ。それに従って一月も生野菜齧ってれば溜息の一つも出るわ。文化とは言いつつも半ば国の決まり事のようなものなので、調理しようとした時点で御婆様から大目玉を喰らう事になるし……。
「黙って召し上がりなさい、自然の恵みは自然のまま頂くのが正しい在り方なのです」
「……私としては美味しく頂いた方が野菜も嬉しいと思うんですけどね」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も」
この芋一つとっても、単純にふかしたり焼いたりするだけでも今より相当まともな食事になるだろう。というか、収穫したてだからいい物を、芽が出た奴まで丸かじりするから普通の人間ならお腹壊すぞ。
そんな魔種の胃袋の頑丈さに何とも言えない気持ちになりながらも、苦みの深い野草と芋を押し込んで食事を終える。
現状こんな感じだが、流石にこの環境に妥協して隠遁生活を送ろうとは思えない。せめて食事だけでもまともにしなければ、平穏な生活が送れようともいずれ不満が爆発する筈だ。いや、もう現在進行形で爆発寸前である。
あまり時間があるとも言い難い身の為、いい加減この状況をどうにかしなければなるまい。
そもそもなぜ、祖母はこうも私の行動に制限を掛けるのか。先ずは今一つ良く分からないその原因を知る事から始めよう。農業が良くて料理が駄目な理由、畜産が良くて鍛冶が駄目な理由を探すのだ。
木造二階建ての温もり溢れるウィステリア家を後にし、外に出ると丁度イェルド翁の後ろ姿が目に映った。数頭の仙牛を引き連れて朝の散歩をしているのか、かなり悠長な足取りで都の入り口――――南側にある門――――へと引き返して行っている。
「これは吉幾三も目じゃないな……」
テレビもラジオも無いのは当然として、田舎としてのポテンシャルを遺憾なく発揮するこの国はおまわりが毎日グルグルしなくとも平和だ。その点だけで言えばもう本当に満点花丸をあげたい。これであともう少しだけ文化的で、私が許せる最低限の生活水準を満たしていれば言う事無しなのだが……。
愚痴を溢したい気持ちを抑えて執務館へと赴けば、夜勤の警邏が欠伸の最中にやって来た私に慌てて姿勢を正す。
「お、おはようございますルフレ様! 昨晩は一切の異常なし、兵一同しっかりと警備、警邏しておりました!」
「うん、ご苦労。そろそろ交代の時間だろうし、朝勤の連中には私から言っておくからもう家に帰るといい」
「了解であります!」
そう言ったものの警備兵の若者は、私が館内に入るまでは姿勢を崩すことなく直立不動。姿が見えなくなってからようやく、入り口から離れて帰り支度を始めたようだ。
前述した通りこの国は平和なのだが、それに関わらず彼を見れば兵士たちが割と勤勉な方だというのが分かる。昼夜問わず警邏兵は国の内外を常に監視しているし、レオニスお抱えの戦士団の練度も他所の国と比較しても中々に高い。
元々戦闘民族の多い魔人種の、それも個人の武力で言えば最高峰に近しい魔王国の生き残りが上層部にいるのは、伊達ではないという訳か。
聞けば、あのマシラとシシドの二人も、相当な武人として名を馳せていたらしい。過去には二代目魔王とも一戦交え、敗北した事でウェスタリカの臣下に加わったと聞かされた時は驚いた。
彼らの全盛期が満一~三百歳として、二代目の君臨していた時代は八百年近い昔だ。そうすると今は千歳前後という事になるが、氏族長として未だに現役を退いていない以上はまだそれなりに戦えるという事になる。
魔王と対峙して生き残り、配下として認められるその力を見てみたい気もするので、機会があれば手合わせ願おうか。
「あれま、ルフレ様。こぎゃに朝早うに、どうしたんですかな?」
「おはよう、シシド」
「おはようごぜぇますよ、今日もいい天気で」
「冬期は過ぎたからな、そろそろ麦作の時期じゃないか?」
「ですねぇ」
噂をすればなんとやら、私より早く執務館に出勤していたシシドと軽い雑談を交わしながら廊下を歩く。
だが、麦作とは言っても収穫したそれは挽いて粉にするでもなく生食である。出来る事ならば強力粉に仕上げてパンを焼きたい所なのだが……、現状あの鬼婆がそれを許してくれるとも思えない。
「ふぁふぁふぁ! やはり馴染めませんかな、この国のしきたりにゃあ」
「いや、そんな事はない。ただ、農業に関する基盤が作られているのに何故と思っただけだ」
どうやってか私の考えを察したシシドは、鷹揚と笑い声を上げてそう言った。
年寄りと言うのは人の考えを読む特別な技術を持っているのだろうか? 前世でも祖父母には隠し事が余りできなかった記憶がある、正直に話せば親身になってくれる事から隠し事自体しなかったとも言えるが。
ここも、敢えて年長組の中で数少ない味方であるシシドへ素直に相談するのもありだろう。
「まあ、文明の在り方が不自然っちゅーのは、いい加減気付かれる頃合いじゃと思ってましたがねぇ」
「不自然なんてものじゃないだろう……ここまで高度な農作に関する技術が在りながら、それ以外はまるで意図して発展を阻んでいるような節すら見えるぞ」
「……ふむ、そこまで分かっておるんなら、もうお気付きなんじゃあねえですか? 国の老いぼれ連中が、あんた様のババアがあそこまで頑なな理由を」
「どういうことだ……?」
シシドは意味深な問いかけをしたが、私は今一つ理解出来ずに首を傾げる。
私を含めた外からの移住者に発達した外部の文化を持ち込ませないのは、確かに国の発展を阻んでいると言えるだろう。だが、もし仮に意図して阻んでいるとしても、私にはその理由が思いつかない。
「此方へ、付いてきませい。もう隠し通せるわけでもあるめえし、ワシが答えを教えましょうぞ」
会議に使用する堂と国庫の管理室以外、未だ足を踏み入れたことのない私を連れて老猪は執務館の東側へ向かった。
そうして行き止まりである角部屋も無視し、壁へと向き合うと、皺の刻まれた手の甲が壁を何度か規則的な調子で叩く。繰り返す事三度目に、壁に刻まれた魔法陣が浮き上がると、私にもそれが何なのかようやく理解できた。
これは音を鍵として姿を現す隠し部屋、ガーランド家の私室へ母が施したものとほぼ同じ術式だ。
ただ、手癖で書いたらしき隠匿の綴りや、前後に書かれた木性の概念抽出式は人類圏の魔法社会においても時代遅れとされる式である。几帳面かつ流行の術式を好んだ母と違って、何処か古めかしさを感じさせるこれは誰が組み上げたものなのだろうか?
「足元に気ぃ付けて、ちょっち暗いですから」
壁だったものはいつの間にやら間から姿を現した小部屋へと変貌し、そこから更に地下へと繋がっているようだ。
シシドの忠告通り気を付けて階段を下りて行けば、黴と土の匂いが鼻を刺す。凡そ衛生的とは言い難いが、全く人の手が入っていない訳でも無いらしい。埃の積もった石階段にはシシド以外の足跡が残っており、つい先日にも誰かが訪れた形跡が残っている。
「そういやルフレ様ってば、まーだバーム様とヒナタ様の墓前に行ってはなかったんですねぇ」
「一応墓参りはしたいと言ったんだがね、すげなく断られたよ」
「あの人らしいと言やそうじゃが、まあ……一家揃っての変わり者やけ。それに、きっとほんまは連れて行きたかったんやろう、あんた様がそげな御力見せてしまったもんで、ま……ぁ動転したんでしょうなあ」
「力、力……ねぇ」
レオニスと対峙した時点で祖母はあの場にいたらしいが、一列分森を消滅させたことに関してはノータッチだった。故に動転と言われても一切触れてこないのなら、その真意は測りかねる。墓参りに連れて行かない理由として妥当とも思えない。
祖母は……成長して帰って来た私を見た時、何を思ったのだろう。
「ほんれ、着きました。ちょいとお待ちを」
そんな他愛のない話をしている間にもシシドは私に答えを教えるべく、鉄で出来た戸を片手で押して扉を開く。
随分と重苦しい音と共に部屋への道が開かれれば、来訪者を迎え入れるように自然と燭台に火が灯った。意志の介在を感じさせないそれは、私にも始めて見る機構の魔法だ。
センサー式の照明なんて、魔法として機能させるには膨大な量の術式が必要だろう。それを可能にするのだから、この国の魔術は他の国にはない特異性があると言っていい。というか、これオーバーテクノロジーじゃないのか?
「さあて、これが答えですじゃ。分かりましたかな」
しかして、魔法に感動する私の意識はシシドの声に釣られ、部屋の中央へと向いた。
そこにあったのは一つの巨大な石碑と添えられた花。今だ枯れていないということは、つい最近摘み取られた物と見える。だが、真に重要なのは石碑自体、そこに刻まれた文字の羅列だった。
書き出しの部分から最下部まで目を走らせた私は、瞑目して静かに息を吐く。
「先代様、あなたの祖父、この国の国父様、つまりは魔王バーム・ウィステリアと、救国の英雄《灰の勇者》、ヒナタ様の慰霊碑でございまする」
「……ああ、ようやく墓前に手を合わせる事が出来るのか」
シシドがそう告げた時、私は亡き祖父の墓へとやってこれた感慨と共に、生じた問題の核を真に理解する事になった。




