143.疎み
何が、とは言わないが、少しばかり規模を間違えた。
所謂軽銀と呼ばれる元素を化合物と反応させた時に起こる熱と、抽出された金属と硫黄を接いで発生させた爆発を魔力障壁の内側で連鎖的に起こす、独自の魔法術式を構築したまでは良かったのだが……。
如何せん初めての実践だった為に、座標指定式にいらない数値が少し残っていたらしい。立体的な直交座標にしてyは正常な数値であり、恐らくは残るxとzの桁を間違えたと思われる。
本来は縦に長く爆発が伸び、ある一点のみを局所的に爆破する魔法として開発したのだ。断じて火力アップアイテムを取ったボンバーマンみたいな挙動をするようにした覚えはない。これはこれで使いどころはあるが、味方への被弾を考えればかなり限定された用途での運用になるだろうな……。
まあ、世に蔓延る『威力ばかり高くて使い勝手の悪い魔法』はこうして生まれてくるという事を知れたのだ。今後、魔法は実験してから用いることを深く肝に銘じておこう。
表面上は、全て予定通りだったかのような涼しい顔をしているんですけどね。
森を焼いたのとライネスが平伏したのも含めて、望外な結果と言える。
むしろ、あれだけの魔法を見せつけたから認めざるを得なかった可能性は高い、いつもの結果オーライと言う奴だ。私という奴は毎度行きあたりばったりで恥ずかしくないのだろうか。
「いや、恥ずかしいわ……普通にドン引きしてるじゃん……」
見れば、引き攣った笑みを浮かべたまま硬直している親戚のおじさんと従姉に、氏族長の二人は余りの衝撃に逝ったのではないかと思う程呆けた表情で森の方を向いていた。私だって自分でやっておいて未だに心臓が跳ねているのだ、第三者がギョッとするのも当たり前である。
「さ、三途の川やぁ!」
「あきませんよ! それ渡ったらあかんやつですよ!」
何が見えているのか、両手を伸ばして歩き出そうとするマシラ翁の後頭部を猿人の若者が良い音を立てて叩く。仏教思想がこの世界にもあるのも驚きだが、そうやって正気に戻すのはまた原典が違うので拙いぞ。
「また派手にやりましたネ、これではもう誰も逆らえませんシ……やはり武力で支配する方向にしたのですカ?」
「……結果は兎も角として、出来るだけ穏健でいる心積もりなんだけどね」
出迎えたホメロスにそんな事を言われてしまい、益々彼らからの心証が変な物になっているような気がしてならない。
そもそも私は覇道とかの類の物に興味は無く、単に誰にも邪魔されずに平穏無事と暮らせる基盤を作りたいだけと何度も言っているだろうに……。まあ、その過程で火の粉が降りかかるのならば、全霊を以て一切を払う覚悟もあるが。
どだい、イグロス神聖王国なんていう至極面倒臭い国に目を付けられている以上、何事も無く……なんて不可能なのは知っているのだ。危ない目に遭うのは私だけで充分、私の庇護する人々に危害が及ばなければその他一切はどうだっていい。
それに、この国の規模であれば私の力で自衛もまかり通る筈である。
「勿論王族としての責務は果たすつもりだけども、それは別に王にならなくとも出来るだろう」
「成程、支配者ではなく一人の為政家としてあるト」
「概ねはな」
私は民主政治の方が好きだ、王権神授が発端のこの国であってもそれは変わらない。
「これでアナタ様の力は認められたわけですシ、そういうわけには行かないかもしれませんがネ」
「出来れば遠慮したいな……」
私がそう言って肩を竦めると、蟲人の詩人は満更でも無さそうにクツクツと笑った。
元来私という生き物は善人とは程遠い所にある。
自分より劣っている者を見下して嫌味に哀れむ事もあれば、鬱憤晴らしの為に他者を殴りつける事だってままある。どちらかと言えば内心で劣等感を抱きつつも無駄に自尊心も高い、面倒臭い奴なのだ。
他者の力を借りて驕らないようにと気を付けているのも前科があるからだし。本質の部分が腐っている奴が王の器なわけが無いだろう――――
「――――その通り、最早ウィステリア本家の復権は許されることでは無いのです」
と、思わぬところからの返答に私が背後を向けば、そこには一人の老いた竜人族が立っていた。
ここにはいない母がもう少し歳を取れば丁度瓜二つだなんて考えが頭を過り、彼女の正体を語られずとも私は悟る。
「私の名はデボラ・ヴィ・メイア・メイブル=ウィステリア。ウェスタリカ氏族たちの長。そして、あなたの祖母でございます」
私の祖母――――デボラは厳格なる佇まいでそう述べ、おおよそ帰郷した孫娘に向けるべきではない剣呑な双眸を此方へと向けた。
「昨日は所用にて家を離れておりました故、この目で確かめるまではと思っていましたが……事実でしたか」
どうやら血の繋がった祖母であるのに、歓迎されてはいないらしい。
その理由も定かでは無いが、前世では割と祖父母に可愛がられていた身としてはちょっと泣きそう。私だって人並みの感性の持ち主なので、お帰りなさいの一言も無しだとそりゃ寂しいんですよ。帰って来たのが娘では無く孫だったのがいけなかったのだろうか?
「御婆様、初めまして。それで……私は竜人の氏族へは迎え入れられないのでしょうか?」
「無論、血族であるあなたはウィステリア家の一員として認めます。が、王として立つ事は、この国の大長である私が許可致しません」
最後の部分を強調するようにはっきりと言葉を区切って告げられた言葉に、先程まで歓迎の雰囲気だった氏族長たちの表情も陰る。
氏族としては認めるが、王の擁立は禁ずる。
そこになんの違いがあるのか分からないが、どうやら御婆様はウィステリア本家の復権は望んでいないらしい。まあ、私も別に望んでなかったからいいけども、歓迎ムードではないのだけが気に掛かるのだ。
「ひいては、外界からの知識を用いた物などの殆どは此方で預かりとさせていただきますから、そのつもりでいらっしゃるように」
「えっ」
「それと、あなたが外で一体どんな大……どのような暮らしをしていたかは知りませんが、この国にはこの国の掟があるので、それだけは守るようにして頂きます」
「えぇ……」
言い方は遠回しだが、この国へ手を入れる事は許さないと先んじて言われてしまった。
親戚とはいえ、二十年以上国を離れていた者に内政の干渉はさせてくれないようだ。この険悪な視線の理由も恐らく、私が政治に関与して欲しくないという気持ちからだろう。別に誰かの権益を脅かすようなことをするつもりはないんだけどなあ……。
「掟を破るという事は、あなたに関わる様々な者に迷惑を被るという事。それをゆめゆめお忘れなく」
「……」
「返事は?」
「あっ、はい」
どういう事だ、とフレイとウルシュへ視線で訴えかけたら目を逸らされてしまった。
昨日あれだけ「王様は何するのも自由だよ!」みたいな事を言ってたのは何処の誰だったっけか、これでは話が違う。私より上の権限持ってる肉親がいるのなら、先に教えておいて欲しかったな。
「それとライネス、上位の立場の者に対して無礼を働いたあなたには暫く謹慎処分を課しますからね」
「……っ! デボラ様、そりゃないぜ! 俺ぁちょっとばかしあの方の実力をだなあ……」
「言い訳無用。その驕った自尊心共々、暫く頭を冷やしなさい」
そして祖母はついでと言わんばかりにライネスを一喝、私の巻き添えのような形でお仕置きされてしまった。少し可哀そうだがまあ、元はあちらが喧嘩を売って来たので私が気にすることもない。
「用件はそれだけです、掟の詳しい事はそこのフレイとウルシュに聞きなさい」
そう言い含めると、彼女は踵を返してウィステリア邸のある方向へと歩きはじめる。
いやいや、事もなげとは言っても、一応王族の帰還という大きめのイベントをこうもあっさり終わらせますか。もう少し、長い間頑張って来た孫娘に何か一言くらいあってもいいんじゃあないですかね。
「ああ、一つ言い忘れていました」
「……!」
「ウチの門限は日暮れまでですから、それまでに帰って来なければ夕飯は出て来ませんからね」
「……」
「返事は?」
「……はい」
……どうしてだろう、その時私の目には、懐かしき前世の母の顔が祖母に重なって見えた。