15.逃げない意志
『ガゥァアアアアア!!』
炎竜が一際大きな咆哮を上げ、残った三人へ突進する。
俺はそれを見た瞬間、ふくらはぎの筋肉が全て千切れてしまうんじゃないかと言う位に全力で地面を蹴った。
「あ、あ……ああああああああ!!!」
だが、迫る炎竜を前にした衛兵たちはただ悲鳴を上げる事しか出来ない。へたり込み、這いずって逃げようとしている。その光景に歯噛みしながら、俺はただひたすらに間に合えと思いながら走った。
全速力で炎竜を追い越して側面を取ると、《識見深謀》を発動しながら足元にあった石を投げる。
「私が相手だ!! 無視するな、この鈍間野郎がっ!!」
目論み通り鼻先に当たって跳ねた石と俺の叫びにと動きを止め、炎竜は此方へ視線を向き変えた。
『グルゥアアアアアアア!!!!』
そして一瞬で瞳孔が収縮し、憤怒の叫びを上げた。
凄まじい風圧と熱波に、衛兵たちは吹き飛ばされ、俺も立っているのがやっとの状態。
「……そうだ! 私がお前に傷を付けた! こんな雑魚共を相手にするよりもよっぽどいいだろ!」
しかし、それでも挑発はやめない。
炎竜は私に対して激昂していると、その事実を証明するように煮え滾る業火の眼差しが俺を見据えた。またも大きく息を吸いこみ、火炎袋が空気によってどんどん膨張していく。
俺を目掛けてブレスを吐く気らしい。
「こっちだ!」
熱風でカラカラに乾いた喉から精一杯の声で叫ぶ。
俺の体はただでさえ熱に弱いのだ。もう唇も乾燥しきってひび割れ、全身が水分を求めている。ああ……喉が渇いた、空調の効いた部屋でアイスを食べて寝てしまいたい。
一歩を踏み出す度に鉛のような重みが太股にのしかかってくる。
「っ」
俺だけを狙った極小範囲のブレスを避け、炎竜の周りを走り回る。
未来視を有さないものの、既に《識見深謀》は途切れることなく使用を続けていた。ガンガンと痛む頭に鞭打ち、掠る事すら許されない死の業火を回避し続ける。
しかし、元より限界に近い俺の体力がとうとう底を突く。
視界が大きく揺れると、真っ白になった後に足が縺れた。
「あ、やば――――」
無意識にそんな言葉を呟いた時には、既に俺を包み込むような炎の壁が迫っていた。
「うそ……だ」
今度こそ、俺は本当の意味で死んでしまうのだろうか。流石に二度目の転生が許されるほど俺に甘いとも思えない。折角異世界転生して、これからだと言う所だったのに。世界ってのはいつも気紛れで理不尽だ。
だが、そんな時。俺の頭に鈴の鳴るような声が響いた。少女のような、どこかで聞いたことがあるような声だ。
《駄目よ》
誰だろうか、死の淵に立ってとうとう幻聴が聞こえてしまったのか?
《まだ、諦めちゃ駄目よ》
しかし……何を言ってるんだ? こんな絶望的な状況じゃ、もうどう足掻いたって意味がないだろ。
《貴女が諦めたら、私達のやったこと全部が無駄になっちゃうわ》
お前がやった事?
一体何のことだ、というかそもそもお前は誰なんだ。勝手に俺が諦めただのなんだのと言うのはやめてくれ。これは合理的判断に基づいた結論――――不可避の死、それが答えだろう。
《ちょっと死んじゃうくらいで諦めてはいけないわ。それに、貴女の力はそんな逆境を覆す為にあるのよ》
この声の主が言っている事がわからない。これがもし俺のひとり言なら救いようが無いが。
《こんなところまで落ちても、それでも前を向いて生きているのなら、此処で諦めてはきっとまた後悔してしまうもの》
ああ、後悔か。記憶が戻った直後には、そんな事も言ったっけか。それでも、満点ではないにしろ及第点までは頑張っただろう。短い期間であろうとも、俺にしては真面目に頑張った、うん。
ヒキニートが浮浪児から冒険者の小間使いになって凶悪なドラゴンに殺される。……そうだ、あの衛兵たちも守れた。十分じゃないか、死ぬ間際に人命救助で死ねるのなら二度も善行を積んだことになる。
俺、此処で死んでも、もしかしたら天国に行けるかもしれないな。
無駄に思考に没頭する為、スキルで知覚能力を限界まで上げ、ブレスが迫るまでの時間を相対的に引き延ばしていたがそれももう終わり。
既に全方位を覆い尽くし、炎の壁から逃げる術はない。長いようで短かった俺の人生二回目、存外悪いものじゃなかった。せめて、エイジスやイミアたちが無事でいられるように祈っておこう。
俺はゆっくりと目を伏せ、《識見深謀》を解除する。
炎が爆ぜ狂う音が戻り、そして同時に急激な熱に全身が晒される――――
「――――有するは時の境界、我求めしは悪意の断絶。古き王、叡智ある守り手の抱擁よ、彼の者から一切の苦痛を遠ざけよ。《天壁》!」
事は無かった。
脳内で聞こえた声とは随分違う。
凛とした気高さを感じさせる声音がそう叫ぶと、俺の周囲を白金の淡い壁が包んだ。そして、炎はその壁を避けるように逸れていく。俺の眼前から急激に死が遠ざかり、生きている事の証明のように心臓の鼓動が身体を叩いた。
「これは……」
『グルルルル……』
いや、本当になんなんだろうか。
この壁といい、さっきの声といい。俺は夢でも見てるのか? そう、困惑しながら声のした方を向くと、そこには腰まで伸びた長い茶髪を靡かせた一人の少女の姿が。
「間に合いましたか、間一髪でしたね」
「……イミア」
俺がそう呟くや否や、イミアはこちらへ駆け寄って来る。そして、一度ジッと顔を見つめたかと思うと俺の手をギュッと握った。
「え? おい、イミア?」
「申し訳ありません、あともう一瞬でも遅ければと思ったら……私の恩人が死んでしまわなくて本当に良かった……」
心底安堵した様子でそう言い、今度は優しい光の粒が彼女の手を伝って俺へ広がる。
「これでもう大丈夫です。さあ、立って」
「あ、ああ」
直前まで感じていた倦怠感も痛みも全てが消え去り、イミアに促されて立ち上がる。ああ、そうか……俺は彼女に命を救われたのか。
そっか、そうなのか。
「イミア」
「なんでしょう?」
「ありがとう、お前は俺の命の恩人だよ」
「……ッ!」
俺が珍しく笑みを浮かべてそう言うと、イミアは絶句した。
変な事を言ったつもりは無いのだが、もしかすると笑い方がぎこちなかったのかもしれない。いや、普段笑う事なんて滅多になかったから……。
「どうした?」
「い、いえ……なんでもないです」
「そうか、ならそれよりも炎竜を――――」
俺がイミアから炎竜へ視線を動かすと、蹂躙した筈の虫が死んでいない事に酷く苛立っている様子が見て取れた。
『グルゥアア!!』
恐らくはもう一度、先程得る筈だった結果を求めて、先程のブレスを放とうとしたのだろう。
しかし、
「たった一人で炎竜を相手取った事は褒めてやる」
『ギ――――』
大きく開かれた顎門は直後に炎竜の絶叫と共に明後日の方向へ向けられる。赤熱した鮮血と大樹の如き巨腕が宙を舞い、燃え盛る大地に赤い雨を降らせた。
「が、無茶は感心せんな。このバカタレのチビ助」
『ギシャアアアア!?!?!!』
それを為したのは大振りな青龍刀を肩に担ぎ、俺達と炎竜との間に立つ男。
エイジス・フォン・ヴァージェンだ。
しかも、俺がやっとの想いで鱗を一枚剥いだというのに、たった一撃で炎竜の腕を両断してしまった。
「お前が飛び出してった後、知らねえ嬢ちゃんが来たかと思えば、今度は炎竜が出たと聞かされて耳を疑ったぞ」
「……色々あったんだよ」
「色々、ね。まあ今はいい、それよりもアイツを何とかするぞ」
前を向いたままそう言った為、彼がどんな表情をしていたかは分からない。だが、俺はエイジスがどこか嬉しそうな顔をしている気がした。
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