137.ネーアスティラト
私達の辿って来た月下の森に隣接するのは旧ウェスタリカ魔王国。
現在は単なるウェスタリカと呼ばれる国の辺境の農耕地帯である。ここを含めてウェスタリカでは一般的な封建制度とは違った支配体系を確立しており、領主の生活は農奴からの貢納にのみよって成り立っているらしい。
大陸南西に位置するこの土地は比較的温暖で通年で見ても日照時間が長い為、トウモロコシや南瓜、キビ、紫芋などの陽性植物に始まり、糖度の低い瓜科の果実なども栽培されている。
その代わりとして麦などの作物が一切見当たらないのは不穏である。
中耕作物を育てているのかもしれないが、馬車の窓から見えた作物は背が高く飼料に用いられる根菜類では無さそうなのが何とも言えない……。
もしかするとこの国では主食として小麦の栽培は行っていないのだろうか?
気候や酸性土壌の関係上、小麦の作農に適さない為にライ麦や芋に絞っている国はあるし、ここもその可能性があるだろう。まあ、私的には焼きたての白パンが米の次に大好きなので、出来れば麦作をしていて欲しいというのが本音である。
ともあれ、私たちはそんな南方諸国の例に漏れず、牧歌的な雰囲気漂うネーアスティラト荘の領主の住まう館へと連れて来られたのだった。
「あ、どうも。遠路はるばるようこそ、わたくしがこの領地の経営を任されている代官のピートです。どうぞよろしく」
客間や応接間というには些か質素の過ぎる部屋にて私を出迎えたのは、兎の頭部から人の体を生やしたような魔人の男性。体格はほぼ人間の半分程度だが、脚部の逆関節や体毛などはまんま兎なのでジンや私なんかは二度見してしまった。
「おやおや懐かしい顔だネ、まさかキミがここの代官になってるなんテ」
「あ、その声はホメロスですね、相変わらず訛りが酷い。しかし四十年ぶりですか? いやあ懐かしい、『こんなクソ田舎二度と帰ってくるもんカ』って言って、出て行ったっきりでしたっけ」
「……それは昔の話だろウ」
「それで、外の世界は一体どれ程の都会だったか聞いても?」
「そりゃア、こんな畑と家畜しかないような場所と比較するのも憚られる程サ。キミも領地の運営なんてせずに、閉鎖的な国から外に出て見聞を広めるといいヨ」
淡々としたお喋りな兎とホメロスは旧知の間柄のようで、彼らは毒にも近い二人にしか機微の分からないやり取りを幾つか交わす。それを生暖かく見守っていれば、彼にしては珍しく恥ずかしさの混じる表情で私へとピートの視線を動かした。
「ええ、そちらの方については既に聞き及んでいるので、言わんとしていることは大体察していますよ。はい」
そう言って、あまり感情の変化を読み取れないつぶらな瞳が私を見つめる。
「あなたがフレイ様に似ているのは私の気のせいでは無いのでしょう、然らばあの竜印も本物と信じることが出来る」
レオや戦士団と比べればこの人、いや兎は話が通じるのだろう。が、それでも――――
「けれど、わたくしは全てを知る訳じゃない。判断する権限を持ち合わせてもいないのです」
彼はそう言って首を横に振った。
まあ、さして驚きも落胆も無いから、別にここで彼にどうこう言うつもりもない。こうして領地に招き入れて貰っただけでも十分だし、自らの足で国の中枢まで行けば後は何とかなるだろう。
「確認が取れるまで貴女様は単なる客人として扱いますが、どうかご勘弁の程を。せめて今夜はここにお泊りになってください、お連れの方々も戦士団の詰め所をお貸ししましょう」
「問題ありません。むしろここまでして頂いて有難い限りです」
「そう言って頂けてこちらも助かりますよ、ええ。それともう一つ、非公式な場ではありますがわたくしは貴女様ウィステリア家の、ルフレ様のご帰還を心よりお慶び申し上げます」
長い耳を折って深々と頭を下げるピートに、私は一度ホメロスやメイビスたちと顔を見合わせる。それからどう返答するか少し逡巡したのち、一言「ありがとう」とだけ返した。
それは初めて訪れた場所だというのに帰るべき場所として在ってくれたこと、ピートがこうして迎え入れてくれたことに対して。彼の言葉はここが私の故郷であるのだと、しっかりと実感するには十分過ぎたのだ。
あれだけ楽観視しているつもりだったのが、やはり拒絶された時のことを恐れていたらしい。
「良かったですネ、もしアイツがアナタを認めなかったラ、ワタシは故郷を滅茶苦茶にしてまた出奔する所だっタ」
「冗談でも嬉しいよ、家出を撤回して一緒に付いて来てくれたのもな」
「だからそれは昔の話だト……」
口をへの字にするホメロスに、分かってますよと言わんばかりの視線を送れば、益々不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。まあ、彼の家出云々の話は追々聞くとして、今確認しておかなければいけない事を聞こう。
「それでピート氏、先程から話題に出ているフレイという人物は一体誰なんでしょうか?」
「あ、わたくしに対しては敬語を使わないでください。ええ、それでフレイ様についてですね、あの方は十二氏族の中でも特に力の強い四家の者――――竜人族です」
「つまり私の親戚か」
「あ、はい。分家ではありますが、ええ、貴女様が戻られるまで宗家は滅んだものとして扱われておりました故、実質的な次期当主として有名ですね、はい」
やはりというかなんというか、白竜人の生き残りは私のルーツであるこの国に隠れ住んでいたらしい。父が命を懸けて東方諸国との不可侵を結んだ為にその事実を知る者は少なく、宗家……つまり祖父が死んだ時点で滅んだと思われたのだろう。
「ただでさえ希少な白竜人です、ええ。この国に住まうのもフレイ様とその父上様、後は貴女様のご祖母様のみなのでございます」
「それって、私が戻った事でお家騒動とかに発展はしないよな……?」
「問題無いかと、ええ。権力をもつ一族とはいえ、あの方たちはそういった物に対して欲がありませんので」
折角分家が権力を握る事が出来ていた所に、私が戻って来たことで疎まれる可能性は大いにある。多分私のしようとしている事は分家の頭を抑える行為と同義だし……ピートは問題ないというが、後ろから刺されたりする展開は勘弁願いたいが。
第一印象だけは悪くならないように、笑顔の練習でもしておこうかな。
***
ピートの常駐する執務館――――少々大きめのログハウスとも言う――――にて、私へ宛がわれた部屋はなんとも言えない趣の深い一室だった。有り体に言えばベッドと机しかない山小屋、気取った言い方をするならば小学生の時に作った秘密基地のような雰囲気を感じる。
常々田舎だとは思っていたが、客室でこれとは最早文明どころの話ではない。猟師の使う炭焼きの小屋の方がまだもう少し居心地はいいぞ。
それでも寝泊まりする場所を提供して貰っている身分で、そんな文句を言うのも詮無い事だろう。ピートによればここから馬で数時間の首都に私の親戚は居るらしいし、長居せずに直ぐ発てばいいだけのことだ。
ついては、冒険者たちは長旅の慰労も兼ねて一週間程度ここに滞在させるとして、都へは身軽な面子だけで向かう事にする。
「ふぃい~……」
私もそれまでの間何が出来るというわけでも無し、長旅で疲れた体を休めるべくベッドへと倒れ込んだ。藁を布袋に詰めた簡素なものだが、戦闘があったのも含めて程よく足が痛かったのでこんなものでも心地良い。
ブーツと上着を脱ぎ捨てて身軽になると、その拍子にポケットから青く澄んだ石が転び出た。
これは確か白蟲を討伐した時に得た魔石で、つい先程悪魔が取り憑いた曰く付きと言っても過言ではない代物だ。外套に適当に突っ込んであったのだが、いつの間にか元の乳白色から透き通るような灰色へと変化している。
「グアハハハ!! 我、参上!!」
そしてそんな声と共に、金属器を擦ると出てくる魔人の如く黒霧を纏って魔石から現れるダンテ。その長ったらしい登場演出を、私は胡坐の上に枕を抱えて黙って見守る。一々小物臭いのはやはりこいつの特徴なのだろうか、次からはstartボタンでスキップできたりしないかな。
「貴様の周囲は魔力に満ちておる故、意外と早く復活できたぞッ!」
「ほう……というかお前、なんか前と外見違うな? もっと黒かっただろう」
今、私の目の前で浮いている悪魔は以前見た姿とは違い、長い黒髪を後ろへ流した褐色の偉丈夫の姿をしていた。額には宝石のようなものが埋まっており、上半身は幾つもの装飾具と取ってつけたようなベストのみ。
「グハハ!! これが魔力を取り戻した本来の我の姿なのだ、とはいえまだ受肉出来ていない故に数分と持たぬがな!」
「いや、駄目じゃないのかそれ……」
何故それでイキったのか、やはり外見が変わろうともなんだか残念な奴だった。最早デーモンじゃなくて駄ーモンと呼びたい位である。それで、そんな駄ーモンさんに私は尋ねたい事があった訳だが、
「まあ待てルフレよ、貴様の言いたい事は分かるぞ。だがその話をする前にな、我と契約を結ばんか?」
「契約だと?」
私が口を開くより先にダンテはそんな提案を寄越して来た。
「そう、契約だ。貴様の魔力は我の想像を遥かに超えて強大であるから、契約さえすれば受肉せずとも実体で顕現が出来るだろう。それに貴様も我の力を借り受ける事も出来る、絶大なる悪魔の力があれば何でもできるぞ?」
「お断りします、間に合ってます」
「なぬっ!?」
契約なら既にメイビスと魔女契約を交わしているのだ、それに重ねて悪魔契約なんてする必要性はないだろう。そもそも別に逼迫しているわけでも無し、こんな胡散臭いおっさんと契約なんてしたくないし。
「な、何故だ!? わ、我は泣く子も堕する地獄の大公爵だぞ……それをきっぱりハッキリと断り寄ってからに……」
「だから、それが胡散臭いんだと言っているだろう。なんだ地獄の大公爵って、痛いわ! ことファンタジーなこの世界においても痛い! 灰の魔剣士の五億倍痛いんじゃ‼」
思わず声を荒げてしまったが、このおっさんのセンスはそれ程理解し難いものだった。拗らせた中学生が考えたような二つ名のある私から見ても、地獄の大公爵を自称するのは痛々しくて仕方が無い。
「な、な……かっこいいであろうがッ!! "地獄"の、大公爵であるぞ!? ただの公爵では無く、地獄、の、大、公爵であるぞッ!?!? 大が付くのだぞ、しかも地獄だぞ‼」
「……どこがだ、悪魔族の美的感覚は壊滅的過ぎる」
なんかもう、不毛だ。絶対的に相容れない何かを感じたし、そも悪魔と私の価値観が同じな訳無いと分かっていた筈なのに言い争ってしまった事に対して虚無感を感じる。
「ともかく、お前とは契約をする気は無い」
「ちぇ、けちんぼめ」
私の宣言にダンテは姿を元の黒い影へと戻すと、不服そうに口を尖らせてそっぽを向いた。少し可哀そうな気もするがこんなのでも悪魔は悪魔、不用意に契約など交わすわけには行かないのだ。