131.月下の森
メイビス曰く、謎の人影は襲撃して来た後、こちらが気付くや否や森の奥へと消えて行ったと言う。
その方向は奇しくも私達の行き先と同じ月下の森、恐らくは森の中に私達を襲撃した連中の拠点があるに違いない。
「って、アキトが言ってた」
「無くても僕の責任じゃありませんからね……」
というわけで、その襲撃者が残した痕跡を手掛かりにいよいよ森の中へ入ろうとしていた。因みに早朝から念入りに準備をしていたら昼前になってしまったが、ぶっちゃけ昼夜の概念は今から向かう場所では機能しない。
まず、森は殆ど未開拓に等しい程鬱蒼と茂っており夜も同然の暗さである事が第一にある。
辛うじて先達が通ったであろう道を見つけて切り拓き、草木を刃物で払いながらゆっくりと歩を進めていくしかないのだ。しかも、段々と陰りを増す森の中であっても、松明やカンテラなどの火を消しておく必要がある。
「うお……」
「フフ、初見だと驚くよネ、さっきまでお昼だったのにっテ」
先頭の私達が木々の密度が高い入り口付近を抜けると少し視界と空が開けて、黄昏の橙に光る陽が木洩れ日となって降り注いでいた。
先程までは時間的に正午を過ぎた辺りだった筈なのに、急に夕暮れの光景が映し出され事に私以外もかなり困惑している。後ろを振り返れば夕焼けの空が遠くまで続いていて、まるで最初から日暮れ前だったかのような錯覚すら陥ってしまいそうだ。
「これが《月下の森》、永遠に明けない夜の神の領域サ」
「ここはまだ入り口の黄昏の林道だ、奥に行きゃ昼間だっつーのに本当に夜になっちまうぜ」
矛盾を孕んだエンデの言葉が、本当なのだと思ってしまった私の脳みそはバグったのだろうか。
一歩、また一歩足を前に踏み出す度に闇は深くなっていき、ややもすると黄昏は何層にも重なるグラデーションのように、夜闇へと完全に切り替わっていった。ただ、それは暗く悍ましい闇では無く、夜の祝福を受けた神秘的な光景に他ならない。
「見てルフレ。凄い、夜が広がってる」
「はわぁ……綺麗です、ごしゅじん」
濃紺の空を埋め尽くさんばかりに星々が煌めき、この世界では二つある月が寄り添うように淡い光彩を放っている。
いつの間にか背の高い木々は見当たらなくなっており、この世の暗翳を照らす星に手が届きそうな程、夜は私たちのすぐ傍にあった。否、幻想的な夜が私たちを迎え入れてくれたのだ。
流星群が瞬くと後列から歓声が上がり、月明かりに照らされたキャラバンは皆空を見上げながら森を進んでいく。永遠に明けない夜の森とは不思議な空間だが、私はそんな世界の美しさに心奪われていた。
今まで生きるのに必死で、碌に空なんて見上げなかったのが勿体ないとすら思える程に。
「昔、この森の事を親父が話してくれたんだが……聞くのと実際に目にするのとは全然違うんだな……本当に凄えや」
「なんか僕、涙出てきましたよ……生きててよかったぁ」
旅をするというのはこんな神秘に溢れた絶景を見つける為でもあるのかな。少なくともいま私は世界を巡ってこの森のような景色を見たいと思えていたし、きっと皆も同じ気持ちに違いない。
皆とこの景色を見れただけでも、ここまで必死に歩いて来たことが報われたような気がする。
「ご満悦のようだネ。ワタシもこの景色は四十年ぶりだから、少し感慨深くはあるヨ」
「おうおう!! 感動の共有っつーのは、心のある種族たちの特権だからな!」
いつか、イミアにもこの景色を見せてあげたい。そして一緒に綺麗だと言って笑って、永い永い夜を過ごせたらどれだけいいか。
……そのためにも、私は目下の障害を排除しなければいけない。
「魔力感知には引っ掛かってはいないが、匂いはこっちに続いてる」
「です、私も嗅ぎ取りました」
「やはリ、森の中に拠点があると見ていいですネ」
道に微かに残る線香のような香りは、真っすぐに森の奥へと続いている。このまま道なりに行けばいずれどこかで痕跡が途絶えるか、奴らと出くわすだろう。私たちの向かう方向と同じというのは、少し気掛かりではあるが……。
「それにしても、ルフレさんの嗅覚って犬並みなんですね……」
「いや、私のはスキルありきだからなあ。素で嗅ぎ取ったラフィの方が凄いよ」
「……僕からすればどっちも凄いですけど」
普段の私の嗅覚は人より少し感覚が鋭い程度で、今は嗅覚と魔力感知に全振りしているから狼人のラフィと張り合えているだけだ。
ただ……匂いを頼りに森の中を進んでいけば自然と獣道を辿っている事から、そもそも敵方は自分の行方を隠すつもりは無かったらしい。これでは匂いを辿らずとも森での狩りを得意とする者たちなら幾らでも追う事が出来る。
「うン、ここからは何人か狩人に先行させようカ。ラフィちゃんもワタシと来てくれるかナ?」
私の考えを口に出さずとも読み取ったホメロスが、そう言って数人の斥候を引き連れて森の中へ消えて行く。小柄で俊敏な小人族や森林での活動を主にする獣人系の亜人が主となっているので、木々を音も無く飛び移る彼らを感知するのは普通の人間ならばまず不可能なレベルだろう。
更に中央の馬車隊を囲むようにして展開してくれているお陰で、もし襲撃されたとしても直ぐに態勢を崩される心配もない。
そうして進む事暫く、私の魔力感知に何かが引っ掛かった。
同時に前方からゆっくりと規則的に何かを叩く音が響くが、これは斥候が何かを発見した合図だ。早打ちではないのを考えると、敵対者ではない筈。
「止まれ」
一応行軍を止め、徒歩と同じ速度で接近する何者かを待ち構えると、彼らは数分も立たずに木々の間から姿を現した。
「ど……も」
その、およそ六人の集団の先頭に立つ人物? はそう言って、仰々しく頭を下げる。
彼らは黒々とした細く非常に長い四肢を持ち、頭部からは青白い炎が照っていた。まるで煤けた枝を組み合わせて作った人形にも見え、この世の物でない事は自明の理。
「ひ……あげます」
「あ、どうも」
一体何処から声を発しているのか不気味極まりないものの、態度としては至極丁寧で、理性的にこちらへ対して語りかけているのがまた……。私も事前に話を聞かされていなければ直ぐにでも抜剣して、戦闘態勢を取っていただろう。
彼らは《夜神ダイアナ》の配下である《夜の眷属》。
女性神であるダイアナの領域を守る存在であり、夜の安寧を守る賢人たちでもある。そしてここで言う夜の安寧と言うのが、火にまつわるものの管理。
この月下の森のルールとして灯していいのは、彼らから受け取った神聖なる青い炎のみであり、それ以外の炎を神は認めないのだ。その為に、予めすべての光源を消しておく必要があったんですね。
「はい……ひ、です」
目測でおよそ二メートル近い長躯を屈め、炎の揺らめく頭部が差し出される。私はそれに油を塗った松明をあてがって火継ぎを行い、他の冒険者達の持つ松明へとどんどん継いでいく……。
「なんだこれ、全然熱さを感じねえぞ……?」
「もり、もえるとたいへん……」
「あっ、そっか、そうだよなぁ。変な事聞いてごめんな」
不思議と熱の感じられない炎を前に訝しむ冒険者の一人に、何故かしょんぼりとした声音で答える夜の眷属。
森が燃えた時の事でも想像したのだろうか? なんにせよ今の一言で害のない連中だというのは、冒険者の面々にも伝わったようだ。実際、夜の眷属は夜と彼らに敬意を払い、不用意な火の取り扱いさえしなければとても友好的である。
「尚、このルールを破った者がどうなるかは……」
「そもそモ、破った者が生きて帰った事が無いから、彼らが一体どうなったのか誰も知らないんだけどネ……」
「ひぇぇ……!!」
背後からぬらりと現れて、脅すようにそう言ったホメロスに、アキトが悲鳴のような声を上げて身震いをした。
多分彼の言う通りルール違反をした奴らは、今頃お喋りが出来ない体にされて土の中でオヤスミナサイしてるんだろう。……私たちはそうならないよう、火の用心はしっかりとしなければいけないな。
「きをつけて……ねっ」
夜の眷属は火を渡し終えるとそう言って、森の中へ戻っていった。
また、森を彷徨う旅人に火を分け与えるか、咎人に罪を与えに行くのだろうか。ともかく、私達も光源を手に入れた事でより追跡も捗る筈だ、このまま一気に距離を詰めてしまおう。
再び行進を再会すると、眷属のやって来た方向から強い匂いが漂ってくるのが分かる。
「むむ、ごしゅじん、近いです」
「ウチもなんとなく変な匂いするのは分かる……不思議な匂いやわぁ」
「せやな、東方の行商が売ってた香と同じ匂いがしよるわ」
匂いが強まったお陰でラフィだけでなく、アカネやガル爺も感じ取ったようだ。それはかなり近づいている証拠ではあるが、
「……感知出来ない」
とうとう最も匂いの強い思われる場所までやって来たというのに、森のど真ん中で突然途絶えてしまっている。斥候たちも目に見える痕跡が途絶えたことで私の指示待ちとなっているし、これは一体どういうことなのか。
探索に関しては一家言あると自負する私も、流石にこうなってはお手上げだ。
しかしてどうしたもんかと頭を捻っていると、メイビスが無言でその空間に躍り出る。彼女はジッと足元を見つめると、一瞬考える仕草を挟んだ後にアキトへ手招きをした。
「アレ、しろ」
「えぇ……指示語じゃん……」
「早く」
「あ……っはい!! 今すぐに‼」
アキトが不憫に思える程不遜な物言いをするメイビスを眺めていたら、今度は言われた当人がしゃがみこんで地面を叩いたり目を凝らしたりして何かを探す素振りを見せ。
「ありました!」
「やっぱり、ルフレの家で一度見た」
「……ああ、隠匿魔法か!!」
そして、彼女の言葉によりようやく思い至って私がそう言うと同時、メイビスの足元から淡く光る魔法陣が浮かび上がる。その術式には《隠蔽》《同質化》《魔力駆動》の三つが構築されており、間もなくして黒い魔力がそれを破壊し――――隠された階段が姿を現した。




