123.蛇神・四
野営地点に戻って来た私たちを、篝火を囲んで酒盛りをしていた冒険者たちが出迎える。
『あ、お嬢たち戻って来たぞ。全員確認、手には……魔石か?』
『神相手に無傷の生還、分かってたがやっぱおっかねぇ……』
『……けどあの顔、全然満足してませんって感じだな』
『ったりめえだろ、あの戦闘狂に釣り合う魔物なんてこの辺にゃいねえ』
さて、私が倒したはんぺんミミズもとい野鼠喰陀蛇は、なんと白蟲と呼ばれる元は討伐難度Cの魔物だった。
かなりの変異種であったものの、ガル爺から習った隻腕流を試した所、棒立ちでやられるという不甲斐なさを見せつけられた。ただ……恐らくは自らを脅かす敵もいなかったせいで、危機感が希薄だったのだろう。
そうでなければ、あれほどに頭の可笑しい変質を遂げた魔種が剣一本にやられるとは考え難い。
「……気持ち悪かった。ルフレ、今日は一緒に寝よう」
「確かに、ありゃちょっと夢に出そうだな……」
「ふ、不甲斐ないですね。あ、あの程度の存在に恐怖心を抱くなど御主人様の配下失格ですよ…………因みに私は全然怖くありませんでしたからね」
尚、観戦していた面子は口を揃えて、陀蛇に対する嫌悪感と恐怖心を漏らしている。
強さとは違うベクトルでの恐怖心を語る彼女らを見ていると、前世で言う所の怪異を――――神性を失った神――――語るときにはあれと似た外見の存在も時折挙げられたのを思い出す。
因みに私が特にお気に入りだったのは、夜の学校を上半身だけで走り回る少女某だ。
忘れ物の多かった私はあの話を聞いて以来、下校する前に必ず持ち物のチェックをする癖が付いた。今となっては『早く寝ないと鬼が来て食っちまう』的なニュアンスだったのだろうと、恐怖心よりも懐かしさが先に来ているが。
「おや……旅の御方。やはり祠へ行くのはおやめになったのですか?」
「いや――――」
郷愁に想いを馳せていた私の背後からした声に振り向けば、そこには村長と幾人かの村民が立っていた。彼らは私が祠へ行くのを断念したのかと、安堵したような表情でこちらを見やる。
が、手に持った大ぶりな魔石を翳すと一気に顔色を変えた。
「ちゃんと行って戻って来た。これが証拠だ、何なら今から祠まで行って確認してきてもいいぞ?」
「そ、それは……! まさか本当に、蛇神様を!?」
驚愕に彩られた彼らの表情は、一様に信じ難さと期待の入り混じったもので、村長に至っては震えすぎて縦揺れしている始末である。
……あ、いや待って。
私、罰当たりとか言われる可能性を考慮していなかったんだけども。今更になって怒られたらどうしようと言った考えが湧いて出てくる。
最悪逃げればいいかもだが……短慮が過ぎると自省したばかりでこれはもう、阿保としか言いようが無い。勝手に人ん家の祀る神様をぶっ殺す奴が何処に居るというのだ。
祟り神と言えど、彼らにとっては立派な信仰の対象だろうに。
「……ば」
「ば?」
私の悪い想像を的中させるように村長は尚も縦ノリで震える唇から、しわがれた声がその一文字を絞り出す。
「ば……」
これは頭文字的に、ワンチャンあり得る。そんな不安が胸中を過り、私はいつでも逃げ出せるように膝を曲げた。
「ば……」
「ば?」
「ば…………」
「ば……?」
「ば……ばんざーーーいッ!! 万歳!! これでもう、誰も死なずに済むぞい!!」
「……へっ?」
散々溜めに溜めた最後に思い切り万歳と、そう叫んだ村長と、完全に逃げる気満々だった私。そして、村長の後ろでは涙ぐみながら喜び合う村民たちの姿が。
「もう、我々は同胞を失わずに済むのですな……なんとお礼を申し上げたらいいか……儂は、儂は……」
「えっと、勝手に神様殺した事、怒っては……いない感じ?」
「滅相も無い!! いつ終わるやもしれない、この苦しみに終止符を打った貴女様へ恩を感じることあれど怒るなどと……‼」
どうやら、私の考えは杞憂だったようだ。
蛇神を畏れ、そして人身御供という風習に強い悲しみを抱いてたのはあのアルフという青年だけでは無かった。口では敬うようなことを言っていた村長すらもが、こうして諸手を上げているのだから、恐らく今までは無心で苦痛を耐え忍んでいただけなのだろう。
「貴女はわが村の恩人、どうかお礼をさせてくださいませ……‼」
「別にそういうのはいいよ。この魔石もあげるから、売って村の再興資金にでもしてくれ」
「で、ですが……恩人にそのようなことは……」
「なら、お前は私にこの貧村から搾取しろと? それこそ、人間くらいしか差し出すものがないように見えるけど……?」
「た、確かに仰る通りで……」
私がそう言ってわざとらしく村を見渡せば、痛い所を突かれたように村長は縮こまる。
こういった連中は、受けた恩に対して過剰なまでに礼をしたがるが、私的には特に求めていないので強めに突き放す事にしていた。イミアの時も、割と強引に突っぱねたしなあ。あれは結局最後まで引かなかった癖に、私が押したら逃げられたけど。
「それでもせめて、その魔石だけでも……持っていてくだされ……」
「……食い下がるなぁ」
村長、思いのほか押しが強い。別に魔石自体はあげてもあげなくてもいいんだが、この村の衰退具合を見るに立て直すには纏まった金が必要な筈だ。
「じゃあ、私がこの魔石をあんたらから金貨十枚で買う。そしたら文句は無いだろう」
「なんと……!? 邪神を討滅しただけでなく、そのような施しまでを……。貴女は聖女か、まるで女神のような御方だ……」
「大仰が過ぎる、売るか、売らないか早く決めてくれ」
「……貴女様がそう言うのならば、我々は従いましょう」
よりにもよって私を聖女と呼んだ事でか、自分でも意外な程に冷たさを帯びた声が口から転び出る。それに観念したように柳木のような体を折り曲げる村長は、私が荷物袋から取り出した麻袋を恭しく受け取った。
「それで……その、このようなことが出来る貴女様はさぞ名のある御方だと思われるのですが、無知な我々めにその名を教えては頂けませんでしょうか……?」
金貨十枚という、農奴の感性で言えば易々と年収の数倍に及ぶその大金を出せる事にか。はたまた、蛇神――――正体は単なる魔物――――を単騎討伐出来る力に対してかは不明だが、そう尋ねられては答えないわけには行かない。
それにしてもしかし……まるで自分が水戸光圀公にでもなったような気分で、改めて客観的に見ると若干痛々しいな。いや……改めなくても、今日の私はちょっと中二病罹患者と言っても差し支えない程に痛い女と化しているぞ。
史実かどうかは別として『身分を隠した高貴な存在が悪を成敗する』とは、なんとも王道を踏襲した稚拙な展開である。いっそ蛇神の死体を引き摺って帰って来て、ドン引きさせた方が良かっただろうか?
それもそれで、心の中に住まう十四歳の私が奇声を上げてのたうち回りそうだ。
「……ルフレ・ウィステリアだ」
「ルフレ様、我らをお救いなさった偉大なる御方の名前、しかとこの老骨に刻み込みましたぞ」
刻み込まなくてもいいし、なんなら痴呆でとっとと忘れてくれても構わない。私としては今日のこの出来事が、その内黒歴史になるような気がしてならないのだ。というか、既にちょっと心に来始めている。
もう本当にドヤ顔で「殺す」なんて口走った数時間前の自分を殺したい……。
こういうのはノリノリでやらなければ羞恥心に殺されるわけで、鉱山での一戦の時は本当に色々と感情の交々があって助かっていたのだと思い知らされる。あれを素面でやってたら、勝っていようが今頃悶死していただろう事は確実だ。
「……ルフレ? 顔赤い、熱?」
「や、ちょっと疲れたみたいだ。そろそろ休ませて貰ってもいいかな」
「なんと、蛇神様との戦いの後だというのに、無理に引き留めてしまっていたようで申し訳ございませぬ……。ごゆっくりとお休みなさいませ」
私はそう言うと、挨拶もそこそこにして、逃げるように自分の馬車へと走る。
しかし……なんだか自我が統合されてからというものの、こう言った感情の波に戸惑う事が増えたような気がしないでもない。以前ならば中二的な意味での羞恥心は、殆ど母の子宮に置き忘れてきたも同然だったのだけども。
そう内心で独り言ち、私は馬車の扉を開いて座席へと倒れ込んだ。
柔らかいクッションとスプリングの効いた程よい反発に頬を押され、暫く無心で呼吸をする事だけを意識していれば……睡魔がゆっくりと顔を覗かせる。
魔人の肉体が特別なのか年を追うごとに――――最近では二時間も眠ればその後三十時間は不眠不休で活動できるものの、それでも眠らなければいけない事に変わりは無い。現実と夢の境目が曖昧になる頃には、自らの意志とは関係なく眠りに誘われ落ちて行く。
だが、
『ヒカル――――』
逢魔が時の中でその名を呼ぶ、酷く懐かしい声に引っ張られるようにして意識は私の手元へ戻って来た。
「……ッ」
自信のなさを表すかのように目元を覆う黒い髪と、そこから覗く優し気な眼。とうに忘れた筈の埋もれた記憶の中から、彼の声は鮮明に私へと呼びかけた。趣味に対して少々度の過ぎる熱量を注ぎ、或る時には私すらもそれへ巻き込んでオタクへと転職させた旧友の声が。
『私』では無く『俺』の記憶も、あの時に覚醒を促されたのだろうか。
忘れ難き、それでいて想い出したくない記憶の数々は鋭利な刃物よりも深く私の心を抉り、痛みでジクジクと熱を孕ませていく。
「……もし、お前がこの世界を知ったら、死ぬ程喜ぶのかな」
根っからのオタクである彼は、恐らく本当に異世界があるなどと知れば狂喜乱舞して暫く興奮の渦に呑まれて話も聞かなくなるだろう。もし、転生していればの話だが、ハードモード好きなあいつには丁度いい難易度だし。
ただ、そんなIFの話なんてもの、考えても詮無い事には違いない。
そうして、久しぶりに前世の想い出を掘り返したせいか、その夜は結局一睡も出来なかった。
【公開情報】中二病とは、此処ではない別の世界線における学舎の中等部及び成人前に見られる、背伸びしがちな言動を指す言葉。転じて、精神的な成長が中途段階の青少年による都合のいい空想や嗜好などを揶揄した俗語である。(一部W■■i■■di■から引用)