121.蛇神・二
事情を聞いて蛇神と会う事を決めた私は、捕まえた村人と青年の案内で村へとやって来ていた。
道中、巫女で生贄の少女が目を覚ましたのでまた一悶着あったが、なんとか無事に到着。場所的にも進路上から然程逸れていないので、ちょっとした寄り道の範疇を逸脱はしていないだろう。
そして現在は話を聞く為に彼らの村……ヤソ村とその周辺で野営をしている。因みに村の中へ入ったのは私とメイビス、それからウミノやジンと言った主要面子のみ。ちょっとした我儘で首を突っ込んだので、冒険者の彼らを渦中に巻き込む事もない。
「ようこそ、ヤソ村へ」
「お気遣いは無用で、あなたがここの村長だな?」
村長宅にて差し出された茶を受け取り、そう言うと、眼前に座る枯木のような老齢の男性は鷹揚に頷いた。
村長の背後に控える、昼間捕らえた連中は今なお納得行かない様子で私を見ているが、ここまで連れて来たという事は一応何かしら期待しての事なのだと思われる。
「して、何故このような辺鄙な村へ……貴女のような高貴な女性がやって来たのでしょう?」
「えっと……成り行きで生贄の娘を助けてしまって、蛇神の話を聞いて興味が湧いたんだ」
「なんと、アルフの奴め……他所の御方にそのような話を」
私の返事に対して思う所があるのか、村長は呆れたように小言を溢した。
この手の話は人身御供の風習が廃れて久しい都会では忌避されがちな為、村だけの秘密とされることも多い。それ故に決まりを破ったあの青年の行動で、この村がどうなるかを憂慮しているのだろう。
「ですが、事情を知られたからには……お客人、お話致しましょう」
そう言って語られ始めたのは、村に伝わる神の話。
――――野鼠喰陀蛇
それが彼らが正式に呼ぶ蛇神の名前らしい。
なんでも供物と引き換えに、穀物を駄目にする鼠を食べてくれるとかで、その名で呼ばれるようになったとか。しかし、外見的特徴は一切分からないらしく、ただ蛇の神とだけ村には伝わっている。
住んでいるのは森の奥深くで、人の住む領域まで現れる事は絶対にない。年に一度だけ、生贄として捧げられる少女を受け取る為に、村と住処との中間にある祠へ訪れるようだ。その際も生贄は祠へと一人で赴く為に、実際に神を目にしたのは彼女たちだけ。道理で外見の伝聞が無いわけである。
これらの伝承は村長の前の代――――およそ六十年程前――――から伝えられており年々減り続ける女性と子供に、とうとう今年であの少女が村で最後の贄となってしまった。一度男児を代わりに送った年があったが、その年は酷い凶作と病害に見舞われたという。
ただ……それを聞いてまず初めに思ったのは、生贄を送らない事で病魔を撒き散らすという事は蛇神自体が何かしらの厄災なのではないのかという事。便宜上邪神と呼んだ方が差し支えないかもしれない。
話によれば蛇神は突然現れて、あちらから生贄を要求して来たようだし。
口伝で詳細なことも分からないままに続けて来た風習のようだが、聞いていた側としては何か引っかかる所があるのだ。
「蛇神は、本当にこの村の守り神なのか……?」
「何を突然、蛇神様は六十年に渡って我々を守護し続けて来ました。故にそのような疑いを抱くことすら不敬なのです」
とは言ってもなあ……生贄要求してる時点で私にとっては禄でもない存在なんだけども。生まれた時から、当たり前の事として過ごして来た彼らにこんな事を言っても無駄だろうか。
「……違う、畏れているだけだ」
そんな私の考えを読むかのように、背後で声がした。
振り返ってみれば、先程アルフと呼ばれた青年――――あちこちに包帯を巻かれた姿で――――が部屋の入口に立っている。傍らにはやはりあの少女がくっ付いており、青年の後ろから顔だけを此方へと出すようにして隠れていた。
「みんな、蛇神を畏れて何も出来ないだけだ。この村を捨てるという決心も出来ないまま!」
「アルフ、滅多なことを口にするでない。わしらがこの村を捨てて何処へ行くというのじゃ」
「けど、このままでいても女も子供も殆どいない。来年はどうする気なんだよ、村長‼」
また私を挟んで口論がされるが、今回は村長が口を噤んだために両耳を塞ぐ必要はなく。両者は居心地悪そうに暫く睨み合った後に、村長の方が嘆息と共に居住まいを崩した。
「分かっておる、そんな事くらい……儂だって分かっておるよ」
沈痛な面持ちで言葉一つ一つに疲労感を滲ませてそう言った村長に、場の空気までが重く沈み込む。そして、そんな状況でおずおずと手を挙げた私に視線が注目し、隣に胡坐を掻くジンはいやな予感がするとでも言わんばかりに目を眇めた。
まあ当然その嫌な予感は的中する羽目になるのだが、
「あの、その蛇神に今から会いに行くのって駄目かな?」
予め何を仕出かすか分かっていたお陰で溜息を吐くだけの身内と、あんぐりと口を開けて驚愕を露わにする村民との反応の差が凄い。一応最初に言ったんだけどね、蛇神に会いに行くって。
「なりませぬ、そんな事をすればお客人……あなたが生贄と見なされてしまう」
「…………別にいいじゃんか、そしたらミユは助かるんだろ?」
「アルフ!!」
「……ルフレ、本気?」
賛成票一、反対多数。
唯一彼だけは巫女の少女が助かるのなら、部外者を生贄に捧げても構わないという腹積もりのようだ。こちらが激怒しても仕方のない程に明け透けな台詞だが、この場においては都合がいいに他ならない。それに、生贄になる等と私は一言も言っていないし。
「大丈夫、ちょっと気になる事があるだけだから。パッと行ってパッと帰ってくるよ」
「それが心配って言ってんだけど?」
ただ、ちょっとキツめの語気で食い気味に反論されれば、此方としても本意を伝えざるを得ない。私はジンとメイビスに手招きで耳を寄せるように伝えると、他の連中に聞こえないように声量をやや抑えて言葉を紡ぐ。
「恐らく、蛇神は本物の神じゃないだろう。魔物か、変質した精霊の類の筈だ」
「……だとして、それをどうするって言うんだよ」
「殺す」
その一言を聞いたジンは強面に似合わない程目を瞬かせると、口の動きだけで本気か否かを問うて来た。
答えは是。相手が本物でないとするならば、殺せる。無論神であっても相手が実体を持つ以上、一時的に消滅させる手段なんかは神代の書物に幾らでも書かれているようだが。蛇神がそれ以下とするならば今の私で十二分に相手は務まる筈だ。
「にしても、なんでそんなあぶねぇ事に首を突っ込むんだよお前は……」
「同感、今回は避けられた事の筈」
尚、かような言い草で呆れられているが、私が蛇神討伐を決心した理由は単純である。単に一度それらの類の敵性生物と、相対しておきたかったという気持ちが強かったから。
神を僭称する化け物程度を倒せないまま、本物の神殺しを為す事などは不可能。
今後の事を考えれば今の内に経験値を積んでおくのも悪くないだろうし、何より――――
「暇を持て余す私の前にのこのこ現れたのが悪い」
――――私は英雄願望持ちの冒険者筆頭なのだ。こんなにわくわくするシチュエーションで、態々見て見ぬふりをしなければいけない道理はない。
それに常々疑問でもあった。
何故寓話や逸話において、結局諸悪の根源が滅されないまま後味の悪い終わり方をする物語が多いのかと。語り部が何もかも取り返しのつかない事になった後において紡ぐ後日譚の、虚しさたるや。そんな事をするぐらいなら、私が手ずからトロルだろうが呪いの人形だろうがボコボコにしてやろうかと幼心に何度思った事か。
「ミユだっけか、これでもうお前が生贄にならなくて済むからな」
「おねえちゃんが、巫女のかわりになるの……?」
「そうだ、ちょっと悪い神様をやっつけてくる」
ミユと呼ばれた少女にそう笑いかければ、彼女はリスのような瞳を瞬かせて首を傾げる。年で言えばまだ七歳かその辺りか、こんな小さな子供の未来を奪う神なら別に私が殺してしまっても構わないだろう。
「ああ、やっぱりそういうこったろうと思ったぜ……」
「……本当にお人好し。自己犠牲が過ぎる。馬鹿ともいう」
外野が何やら喧しいが、私は自らが危ない目に遭うのを多少許容しているだけで、死ぬような思いをしてまで赤の他人を助けようなんて思ってはいない。今回はその許容範囲内で動いた結果、彼女を助けるだけなのだ。
「……そこまで言うのなら好きにしなされ。ですが、儂らは一度止めました故に後から逆恨みなどはせんでください」
「勿論。じゃあ行くぞメイビス、ジン」
「えっ、俺らも行くの……??」
♢
――――さテ、時は丁度日付の変わる前後、月は無く、漆黒の緞帳が世界を閉ざした夜の事。舞台はキリシアの西南、かつては夜の眷属跋扈するミシリアの辺境にございまして。
――――神と謳われた存在に相対するは超新星の如く現れた英傑。世闇に煌めく白銀の髪を靡かせ、稲光の如く駆けるは可憐なる女剣士、その者の名をルフレ・ウィステリア。高貴なる魔王の血族たるその身は、横暴極まりない悪漢を果敢に切り伏せる武芸者でもあります。
――――今宵語りますのは、身芯をも凍えさせるような冷たき化生の討滅に参った灰の魔剣士の物語。果たして我らが英傑は、その赤い瞳に暁を迎え入れることが出来るのでしょうか。




