120.蛇神・一
さて、美味なるスライムと阿鼻叫喚の腹下し地獄から数日。
ここまで特にタイムロスも無く順調に来ているが、一つの問題が浮上した。それというのが、
「……暇だ」
そう、暇なのである。
如何せん贅沢な悩みというは重々承知の上で申させて頂こう。馬車の旅で楽しいのは最初の数日だけ、それから先は本当に変わり映えのしない風景を眺めて過ごさなければならないのだ。
私たちは馬の体力を鑑みるのと、次に訪れる予定の村との距離も逆算して一日の移動距離を決定している。なのでどれだけ心が急いても実際に進む速度も距離も変わらない訳で、その間をずっと馬車の上で過ごすことになると必然、暇になる。
一応魔法の訓練とか、ラフィと戯れたり、メイビスのセクハラに対してお説教したりとなんだかんだあるにはあるが……。
「やっぱり暇だよなぁ……」
「……お嬢、だらしないですぜ」
御者台でだるだるんに弛んだ姿勢のままそう溢すと、冒険者にしては珍しく馬丁や御者の覚えがあるフェリクスに横から窘めの言葉が掛けられる。コイツはアレだ、ラフィが来た時に他の奴隷に道を開けるように呼び掛けた奴だ。
褐色に近い深い緑の肌と尖った耳、両親ともに別種の魔人のハーフらしいが、詳しくは知らないらしい。
ただ、顔立ちはヒト寄りの男前なのを考えると、ジェイドと同じ人魔族の血が混じっていそうだとは思う。魔種というのは大概顔まで人外だから、こうして人間と殆ど違わない造形をしているのは結構珍しかったりする。
「まあ、こうも何もないと確かに弛むのも分かりやすがねぇ……」
「だろ? 魔物の襲撃とか一回くらいあると思ったんだけど、無いし」
「いやあ、そりゃ多分お嬢のせいですぜ。そんだけやばそうな魔力持ってる奴に襲い掛かる猛者は、この辺にはいませんて」
なんだその言い方は、それだと私がヤバイ奴みたいじゃないか。
それにしても、北や東の方には三メートルを超える怪鳥とか虎なんかがいたのだけど、この辺りは比較的平和なのだろうか。そろそろ何かしら狩っておかないと身体が鈍って……いや、ガル爺のお陰かそれは無いな。うん。
私は今、単純に暇つぶしに狩りがしたいのだ。
これだけ沢山の冒険者がいるのだから、彼らとも連携の練習をしておきたいし。次の村に着く前に一度森で軽くボアやドァド――――飛べない鳥の魔物――――でも狩ろう。
と、内心でそんな計画を立てていた所、良くない臭いが道の先から漂って来た。
「お嬢、なんか臭うで。こりゃ火と、血の臭いやな……」
ガル爺の言う通り何かが燃える臭いと金気、それに加えて複数の人間の皮脂と汗、何処かで嗅いだことのある香の匂いまでする。人数は定かではないが、誰かが襲われているのは間違いない。
「魔物か……? いや、それにしては人の気配が多い……」
原因を確かめるまで動くな、とウミノへ馬車を停めるように指示を送った直後、丁度視界の先にある小さな林から人が飛び出した。
服にも顔にもべったりと血糊の付いた若い男で、その背後から黒い装束を纏った集団が追いかけて来ている。男のその腕には小さな少女が抱えられており、見れば美事な刺繍入りの服を着込んでいた。
さて、この場において第三者である私たちが介入するのなら、どちらが悪党かどうかは一先ず置いておくとしよう。
「メイビス」
「ん」
私が名前を呼べば、彼女はすぐに反応を示して姿を現し、その直後には既に行動を起こし終えた後。
「ひぎゃっ……!?」
空間魔法による位相の交換により停まった馬車の足元へ落下、尻餅をつく青年は何が起こったのか分からないと言った悲鳴を上げた。ただ、危機を脱した事だけを察したのか、荒い息を吐くだけで錯乱した様子は見られない。
そして、あとは眼前に迫る良く分からない集団だが……
「飛んで火にいる夏の虫とはまさにこの事か……」
『『ヒャッハーーー!!! 敵襲だァ!!』』
我先にと馬車から飛び出した冒険者たちがその進路を塞ぎ、一人、また一人と叩きのめして行っている。流石熟練の冒険者、数分もしないうちに謎の集団を全員地に伏すと、彼らは非常に満足した表情で馬車へと戻って来た。
「お嬢、なんだか良く分からんが怪しいからブッ飛ばしてきやした!」
「うん、結果的に良かったんだけど、次からはもうちょっと待とうね?」
捕まえたのは七人、全員が簡素ながらに武装しているのを見るに、村規模の自警団か衛兵か。
戦闘力に関してはうちの連中を相手に話にならない程度、すると何故そんな人々が青年と少女を血眼で追いかけていたのかという話になる。
「それで、これはどういう状況なんだろうな」
「俺に聞くなよ……」
ジンに肩を竦められながら捕まえた人々の前までやってくれば、全員が何処かしらに真っ青な打撲痕を付けて横たわっていた。これはまた手酷くやったな……、殺さないだけまだ良かったとも考えられるが。
アイツらが先走ったせいで正当防衛がまかり通るか怪しいラインだけど、取り敢えず話を聞いてみよう。
「お、お前ら何者だっ!? 何故その男を助ける!」
若くて血の気が多いのか、捕らえられた中にいた一人の男が近づく私に食って掛かる。
「お前たちこそなんだ? 街道のど真ん中で堂々と人殺しをしようとしてたら、止めに入るのは当たり前だ」
「そ、それは……あいつが"巫女"を連れて逃げたから……」
「馬鹿野郎! 余所者にその事を口にするなっ!」
彼は言葉に詰まりながらも少女を視線で示すと意味深な言葉を口走り、それを聞いていた壮年の男性に怒鳴りつけられた。状況は良く分からないが、ともかく彼らが追っていたのは青年に抱かれたあの子らしい。
パッと見は特に目立った特徴の無い素朴な少女だが、強いて上げるとすれば"黒髪"である事か。
そして、追っていたのが青年でなく少女と分かれば、次の疑問が浮かび上がってくる。
「子供を大勢の大人が武器を持って追い回すって、ちょっとおかしくねえか?」
「あんたらには関係のない事だ、いいからその娘を此方に渡してくれ」
「いや、だから何で追いかけてんのかって理由は話してくんねぇと、こっちとしても引き渡すのはなぁ……」
理由は言えない、けど少女は引き渡せ。
尚もその一点張りの男達に、ジンは困ったような声を上げる。相手が武装しており、少女に対して危害を加える悪人という可能性が拭いきれない以上、すぐに決めかねるのは当然だろう。
ならばと、追われていた青年に視線を向ければ――――彼は少女を庇うように抱きしめて――――やや経ってからようやく口を開いた。
「い、生贄……なんだ。蛇神さまの」
紫色に震えた唇を震わせ、耐えがたい苦痛に耐えるように強く目を瞑る。たったそれだけでもこの少女への並々ならぬ感情は伝わってくるが、それはともかくとして……やっぱり聞かなきゃよかったかもしれない。絶対面倒臭い奴じゃんこれ。
「ま、毎年……疫病を防いで貰う代わりに村から女子供を一人蛇神様に捧げないといけない決まりになってるんだ……」
そして聞いてもいないのに詳細を話し始める辺り、これもう絶対確信犯だ。
生贄の女の子を助ける為に『どうやっても私たちを巻き込んでやる』という気持ちがビシビシと伝わってくる。伝わって来なくていいけどね。
「けど、村の子供はもう俺の妹しかいなくて……‼」
「妹可愛さにお前は決まりを破るというのか! あまつさえ部外者にこの事を話して、今年の生贄がいなければ村はどうなる!?」
私たちを間に挟んでそんなやり取りが交わされ、どうしたらいいのかと、指示を仰ぐためにこちらを見る冒険者たち。
実際、人身御供の風習のある村々はそれなりに存在する。それに対し、余所者である私が口出しすること自体がお門違いなので、ここで最も利口な選択はとっとと青年ごと巫女の娘を引き渡す事だろう。
ただ、心情的にはそうもいかないのが感情のある生き物の辛いところ。
加えて、私は今超絶に暇を持て余していた。それこそ面倒事に対して自分から首を突っ込みに行ってしまう程に。ともすればこの問題に対して最善策を提示する必要も無い。
「よし、その蛇神に会いに行こう」
「……へっ?」
かくして、キャラバンは巻き込まれに行ったともいえる問題の為、本来寄る予定の無い村へと向かう事となった。
【公開情報】
《人身御供》《神を僭称するモノ》
神々の実存する世界において、彼らへと送られる貢ぎ物である生贄とはまた日常的な物でもあった。ただ、必ずしも人間が崇める存在が本物である証拠も、神を僭称しているだけの悍ましい別の『ナニカ』ではないという保証はない。もしも自身やその周囲で生贄を求めるそれらが後者だった場合、相応の力を持つ者に討滅を願った場合以外では手を出すべきではないだろう。大抵の場合において、奴らは我々の知り得ない別の何処かからやって来た理解不能の存在なのだから。




