118.朝ゴン
じわじわと体を締め上げて行くような、鈍くて滲むような痛みと快楽に苛まれていた。それは例えるならば鋭く尖ったナイフの切っ先ではなく、蠱惑的なルージュの唇に隠された酷く甘い毒のようで、誘蛾灯へ魅かれた私にとっては抗いがたいものでもあった。
「……ッ、う、あ……ふぅ」
柔らかな細い髪が首筋を擽る度、曲線を描く金糸の睫毛が触れ合う度に、ジクジクと心臓から得体も知れぬ何かが流れ出て、滔々と伝い滴る。
「や……ぁ」
熱に浮かされたような声で彼女の名前を呼べば、その丸く削り上げられた珠玉のコバルトブルーの中で星が瞬き、より一層と心身は快楽の疼きに呑まれて沈み込んでいく。拒絶と受容が綯交ぜになってしまい、倫理的思考などは指先から耳の奥までを蕩けるような甘い蜜に染められたせいで、半ば放棄されていた。
しっとりと触れ合う白くきめ細かな肌の感触と、何も遮る物の無い肢体同士、密着した部分へと迸る熱は次第に増していき、貪るように互いが互いを求めあう。弦月に照らされて映る愛した少女の姿は、まるで神話の一幕のような厳かで静謐な気配さえ漂わせているというのに、どうしようもなく劣情を誘う艶めかしさを隠しきれていない。
「ふ……ぅ、まだ始まったばっかり、もう少し耐えて」
「もっ……むり、これ以上は、やっ、だめっ……んぅ!」
彼女は私の体へ跨ると、その細腕で強引にベッドのシーツへ据え付け、音を上げる口を塞ぐようにしてキスをした。
拒むように奥へと引っ込めていた舌を器用に探り当てると、そのまま絡ませて柔らかな肉が敏感な部分を沿うように撫ぜる。生理現象的に眦から、肌から、再現無く滲み落ちる宝石のような透明の雫が二人の境界を曖昧にして、一つに溶け合ってしまったような錯覚すら起こさせた。
尚も嫌だ嫌だと、心は抵抗している筈なのに次第に体が絆され、終いには心の大切な場所さえも明け渡してしまいそうになる程、ぐちゃぐちゃに蕩けさせられてしまう。彼女のキスには文字通り魔法のような何かが宿っていて、それが私から考える力を奪っているとしか考えられない。
「あ……もう駄目、無理、無理無理無理ぃ、うぅ……あっ……!?」
滲む視界の先で柔らかい甘い何かが離れて行くのを感じながら、新鮮な酸素を取り込もうと息を荒くしている所、不意打ちのように首筋へ一際強い快感と痛みが襲い来た。それと同時に、段々と視界の端が暗くなっていき、ゆっくりと意識が闇に溶けて行く。
そして最後にもう一度、額と頬へ落とされたキスの感触を感じながら、私は抵抗もままならないままに深い眠りへ落ちた。
「やりすぎだから、ごめんなさいは?」
「……ごめんなさい」
翌日。
既に陽が一番高い所まで昇りきった時刻にようやく目の覚めた私は、隣で猫のように丸まって眠るメイビスを叩き起こし、脳天に二発程拳骨を食らわせた。尚、現在彼女も私も一糸まとわぬ生まれたままの姿を晒しているが、別に事後とか朝チュンとかではない。
「私の魔力殆ど持っていきやがって……これいつ回復するんだ?」
「量と質、兼ね備えてて最高だった」
「いやね、感想は聞いてないから」
昨夜のアレは、前回も酷い目に遭った魔力供給の光景である。
少々興が乗ったメイビスが、根こそぎ私の魔力を奪って行ってしまったが為に意識がブラックアウト。目が覚めたらもうお昼前で、しかも吸われた魔力が全然回復してないのだから怒るのも当然の事だろう。
曰く、私の保有魔力は潜在している物を含めると相当な量らしく、ゆうに一般的な魔法使い千人分はあるらしい。そしてここの所消耗する場面も無かった筈なのに、その上で全部持って行ったメイビスの魔力量は私の倍以上という事になる。
「……肉体を細胞じゃなく魔力で維持しているとか、本当に魔女なんだな」
魔女及び他の寿命の存在しない生命体と言うのは、細胞や遺伝子情報の損耗によって肉体が劣化する事が無い代わりに、魔力でその存在を維持しているらしい。人間が外部から栄養素を取り込まないと生きられないのと同様に、彼らは魔力が無ければ死んでしまうのだ。
自我の無い木々や大地、大気などから取り込んだり、体内の魔石が生成したりと、最低限生活する分には基本的に問題ないが。
因みに彼女の自称する《魔女》とは、後天的に魔人種と同じ場所へ到達した人間の事を指す。闇魔法が使えれば職業魔女は名乗れるが、そこから種族魔女に至るのはほんの一握りなのだと。
だから"本物"であるメイビスには寿命が無いし、心臓には私同様魔石がくっ付いているのだ。
ただ、これから毎週こんな目に遭わされるのだとしたら、私の身が持たん。魔力的にも貞操的にも……。
「……んふ、思い出したらまた昂って来た」
淡く潤んだ瞳を細め、小さく舌なめずりする彼女の姿は前日の行為を想起させて、私の腰から背中にかけて痺れのような疼きが走る。いや……なんとも性質の悪いことに、彼女との魔力供給は抗い難い程に気持ちがいいのだ。
身を委ねて唇を重ねると頭が真っ白になって、全て差し出してしまいそうになる。
しかし、何故快感が伴うのだろう……。あれか? 蚊が血を吸うときに出す唾液にある麻酔成分みたいなものなのか? だとしたら彼女は魔女では無く夢魔に転職した方がいいのかもしれない。
「今度は、もっと気持ちいいこと、する?」
「昼間から何を言っとるんだお前は」
そして、メイビスがさりげなくなんだか貞淑に差し障りそうな事を言いだしたので、慌ててベッドから抜け出して服を着る。あ、そう言えばウミノには昨日部屋に近づかないように言い含めてあったんだっけ。腕一本だと着替えが中々に難しい。
「手伝う?」
「駄目、絶対余計な事するだろ」
「む、しないもん。精々お尻とか胸とか触るだけ」
「やっ……ん、めろお前コラおいコラ‼ 尻を揉むな馬鹿‼」
私がそう言ってすげなく断ると、伸ばされた手が臀部をやわやわと揉み込む。
「ぎにゃっ……!」
そんなセクハラに対して反射的に振り下ろされた手刀が脳天を捉え、メイビスが頭を抱えてもんどりを打つ。ったくこのエロ魔女め……、気を許した途端これだよ。次やったら白目剥くまで電流を流してやる。
「うう……暴力反対」
「自業自得だ、あとお前も早く服着ろ」
メイビスは涙目のまま暫く私を睨んでいたが、ようやく観念したのか立ち上がる。その直後、一瞬彼女の周囲の空間が歪んだかと思うと、いつも着ているポンチョローブとワンピースをいつの間にか着込んでいた。
どうやら空間魔法で服だけ持って来たらしい、なんとも便利なものである。
少々苦戦しつつも着替えを済ませると測ったようなタイミングで扉がノックされ、ウミノとアンネがそれぞれの主君へ朝のお出迎えに来た。一応説明しておくと、先日の一件でアンネも釈放と引き換えに暗部の解雇通知を頂いていたので、晴れてメイビスの配下に出戻りしている。
この国の黒い部分を色々知っているので、影によってアンネは常時監視されていたりするが。
ただ、それは建前であり、間接的に私の動向を探っているという説は拭いきれない。因みにそれを私に進言したウミノは、影に対して相当牽制を仕掛けているようで、奴さん先日から動き辛そうにしていた。
「朝食のお時間は御欠席なされたので、目が覚めましたら軽食をとアマリア陛下から承っております」
部屋へ運び込まれたワゴンから肉をパンで挟んだもの――――ここでは便宜上サンドイッチと呼称する――――を渡される。人類圏共通言語の《リシア語》はドイツ語に類似しているので、実際のスペルで表記すると若干名称が違ってくるのだ。
そんなどうでもいい事に気を回しているうちに、気付いたら膝の上にナプキンを広げられ、あっという間に食事の準備が整っていた。やっぱうちのメイド有能過ぎる、これに慣れたらもう一人で生活出来ないかもしれない……。
「では、食事をしながらですが、昨夜と今朝の報告を致します」
「うむ」
香草と果実ベースに作られたタレの程よい甘さに舌鼓を打ちつつ、相槌も打つ。なんかこれラップっぽいね、YOYO。
「まず、組合へ向かったジン氏からの報告では、ミシリアへの積み荷の運搬と、道中に出現した魔物の退治依頼を受注したと」
ええと……ミシリアと言えば、確かあのプロポーズして来た王子様のいる国だっけか。
牧歌的でのんびりとした国で、数十年前の戦の折にフラスカの属国になった小国である。一度遊びに行きたいとは思っていたので、観光がてらに依頼をこなすとしよう。なんでもミシリアの特産品には、とんでもなく美味しいチーズがあるという話だし。
「あれ……? というかウェスタリカって、南西にあるんじゃなかったっけ?」
「はい。ミシリアを経由した後、レイソノとの国境線沿いに南下し、月下の森へと進入する予定でございます」
「あ、じゃあミシリアにはどうせ寄る事になるんだな」
大体大雑把に横長の六角形になっているキリシア大陸の中で、南西にあると言われるウェスタリカへ向かうルートは三つある。
一つは今述べた月下の森から入るルート。これは《夜神ダイアナ》に祝福された領域と呼ばれる森林地帯を通過するらしく、安全度は若干低い。
夜神とは《伍神教》という宗教の中で最も危険度の高い神と称される存在で、彼の領域では夜の眷属が徘徊している為に通過する際のルールを知っていないと大変なことになるのだ。
「一度ギュリウスまで迂回する事も考えましたが、ホメロス氏とジェイド氏はあの森の通過方法を熟知しておりましたので」
ただ、安全度が低いだけで危険度がそう高い訳では無く、ルールさえ知っていれば安全かつ最短でウェスタリカへ向かう事が出来る。
ギュリウス迂回ルートと三つ目のルートは森を通らなくて済むが、かなり遠回りする羽目になって、リスクマネジメント的観点から見ればどれもどっこいどっこい。なら一番近い道を使用した方が、予期せぬ問題に見舞われる可能性は低く済むだろう。
「経路の確認のついでに、現状のウェスタリカの情勢について報告致しますね」
「ふぁい」
「私がリーシャ様たちと共にあの国を出たのは二十年以上前の事で、当時は小国と言えどほぼ大規模な村程度の大きさでした」
なるほど、まあ外交とかも出来なかっただろうし、説明によれば国と言うよりかは部族的な非市場経済形態に近しい形を取っていたらしい。
「それでなのですが、現在ウェスタリカの情勢は不明でありまして……直近でその動向が把握できたのも五年前に行った作物の取引の時のみらしく……」
「えぇ……」
つまりなにも分かりませんでしたって事?
「お恥ずかしながら、祖国がどうなっているかは行ってみないと分からないかと……」
「さいですか……」
なんだか拍子抜けな報告だったが、ウミノでもこういう事があるんだなと、何となく安心したこともまた事実。常に完璧でいられても主人として威厳が保てないので、これからも彼女にはちょくちょく凡ミスをして欲しいと思ったり思わなかったり。
というわけで開幕作者の趣味全開でした。運営に怒られない程度にプロットの隙を縫ってイチャイチャさせたい、因みに特定の誰かとくっつくとかは今のところ無いです。