閑話.ただ、面白いからに他ならない
矛盾と伏線が幾つか、短めの回に詰めてみました。
「それで、また失敗?」
白の大理石で模られた空間の中、まだ若い青年の声が空気を震わせた。
まるで全てを一つの石材から切り出したような部屋の中、モノリスの如く中央に座する石机は複雑で荘厳なマーブル模様を浮かべる表面を輝かせ、そこが神聖不可侵の場である事を黙して伝えている。
声の主は神の領域に等しいこの場において似つかわしくない気の抜けた声音を漏らしたものの、部屋に劣らずとも他が霞んでしまう程の威容を静かに椅子へと落ち着けていた。
耳の真ん中あたりで切り揃えられた黒髪の中は薄っすらと高貴な金が混じり、金銀混眼の瞳へと影を落とす睫毛は女性を思わせるほど長い。端整な顔立ちの下に伸びるしなやかで細身の肢体は、その肉体の美に不釣り合いな程みすぼらしい外套に覆われている。
男性とも、女性ともつかない曖昧さを宿すその面貌。全てを見透かすかのような双眸を細めて口の端を吊り上げる様は、無邪気なように見えて、実際は人間の理解の及ばない領域にて思案に耽る面持ちであった。
仮にこの場では彼とする、この荘厳なる人物の名はアースラ・ヒュムノベルク・ヴィ・ハイド=サマアウッド。イグロス神聖王国の始祖にして、アース教の唯一神。神代の砌、地上に降り立った神の一柱であり、およそ八百年と言う時勢の全てにおいてイグロスを裏で導いて来たもう一人の為政者である。
創造神の名に違わず、生命"以外"の全てを生み出す権能を持ち、一夜の内に城を築いた神話は現在も語り継がれている。そして、かく言うこの、神の佇む空間こそが前述した《神域アース・カテドラル》であり、他にも《アリシア大聖堂》含む国の重要施設の殆どは神の手によって生み出された聖域なのだ。
ただし、アースラの存在は国民は疎か、枢機卿より下の信徒にすら明らかにされておらず、人間でこの現つ神を知るものは両手の指で数えて事足りる程。
逆に言えば、人ならざるもの――――そう、魔女や聖人などにとって神というのは当たり前の存在であった。
「ま、俺は何となくどうなるか分かってたけど」
「いや~、見事裏切り者にしてやられたって言うか、なんかすっごいヤバイのがいたんだよねぇ」
「でも今回はそこそこ楽しめたし、余興としては良かったんじゃない?」
今もアースラの向かいに座り、軽薄な口調で神と答弁を交わす者もまた人外。
彼女の名はミネルヴァ・ツヴァイ=メイガスト。イグロス神聖王国にて神敵とされる筈の魔女だが、表向きの素性は枢機卿の一人であり、他国においては民間軍事商会の会長を務めるその正体こそが神の尖兵。アースラの手駒として、彼を楽しませる為だけに動乱を画策する死の商会主だ。
彼らの会話はまるで喫茶店で茶でもしているような軽さであるが、ミネルヴァもまた、神に対してその物言いが許される程の力を持っているが故である。
「白い方の竜人族だったんだけど、滅茶苦茶強いのなんのって! グラディンもボコボコにされたし、あれは今代の七聖人クラスじゃ歯が立たないよ」
「あ、それ多分教皇がぼやいてた奴と一緒だな。バエルもそいつ殺されたんじゃなかったっけ?」
アースラは手で弄んでいた服の裾を離すと、そう言って得心の行ったように柏手を打つ。
「それで、神様はどうしたい? このまま放って置いたら面倒じゃない? 消しに行く? 私が消しに行こうか?」
「いんや、放って置いて問題ないだろ。ゲームって言うのは一方的に勝つのはつまらないからな、歯応えのあるボスを倒してクリアした方が達成感があるってもんだし。じわじわ追い詰めて行った方がいい」
「けれど――――窮鼠猫を嚙む、だったかい? キミ、天上の慣用句にそんなのがあるって言ってなかったさね?」
そんな、余裕綽々と取れる発言に対して反論を呈したのは、涼やかな良く通る女性の声。
声の主はいつの間にか増えていた椅子に深く腰かけ、陶製の茶碗から立ち昇る湯気を瞑目して堪能していた。頭を揺らす度にはらはらと耳から零れ落ちる絹のような銀糸と、伏気味の瞼の間から覗く海よりも深い藍を湛えた瞳は、正しく至高の美と言っていい。
「ルースの奴が躍起になってるから、お前が教皇に命令された体を繕って消しにいってもいいんだぜ? なあエルヴィラ」
「アタシが、自分より弱い奴に命令されるのが嫌いな事をあんたも知っているだろうに。たかだか二十年数年生きただけの小僧に顎で使われるのは御免さね」
「そう言うな。あいつが表向き一番偉いって言うのは事実だし、多少のぼせ上がったガキのままごとくらい付き合ってやれよ」
不機嫌さを隠すことなくカップを傾けて紅茶を含む姿に苦笑を漏らしつつされたアースラの提案は、その態度で以てすげなく切り捨てられた。
尤も、アースラ自身が命じれば如何に魔女と言えどそれに従わなければいけないのは、この場にいる二人ともが理解している。つまりは、言ってしまえばこれもただの言葉遊びの一環であり、暇を持て余した不死者たちの時間つぶしに他ならない。
「そう言えばグラディンはどうなった? 大分手酷くやられたって聞いたが」
「ありゃ殆ど死んでるさね、回復してもきっと使い物にならないし、それなら新しいのを作ればいいさね」
「ただ、《暴食》は手元に"因子"しかないからな……今ので出力不足となると原物が欲しい所だ」
「とは言っても、今の《暴食》の所有者って見つかって無いんでしょ? 私らが原物持ってるのって《強欲》と《色欲》だけだし。バエルも《傲慢》持ったままどっか行っちゃったからなぁ」
思案気に目を伏せるミネルヴァと、それを面白そうに見つめるアースラ。悩むというよりも、何をして遊ぶか相談していると表現した方がいいその雰囲気の中、エルヴィラはポットからお茶を注ぎながらに嘆息を漏らした。
「ギュリウス」
「ほう、闘神の国か。エルヴィラはそこに何かがあると?」
「伍神教の一柱、《闘神》イェーガーは霊道教において豊穣と震撼を司る《大地の精霊王》ガイアとしての顔も持っているさね」
「豊穣、つまり恵転じて罪となす《暴食》縁の地というわけか」
「あくまで言い伝えさね、最初の所有者があそこの王だからというだけで確証も無い」
エルヴィラの言葉に満足気に頷くアースラは、その妖しげな瞳を歪めてほくそ笑む。恐らく彼女が何を言おうが、この神は笑っていたのだろう。
「真偽なんてのはどうでもいい、俺が動く理由はたった一つだけ――――」
悠久の時を過ごして来た神は退屈を嫌い、刹那的な享楽に興じる。
それこそ人間の何倍もの時を生きたアースラは、損得で物事を考える等といったことをとうの昔に忘却してしまっていた。この神が自らの住処に据えた重い腰を上げる時、それは単に抱いた好奇心から、暇が潰せるから、そして、
「ただ、面白いからに他ならない」
創造神アースラ。
その存在の本質は、面白おかしく毎日を過ごす為だけに、他者の被る不利益などを鑑みない快楽主義者であった。
【公開情報】
《霊道教》
火・水・土・風の四大元素を司る四柱の精霊王を信仰する宗教団体。火の精霊王は北のラグミニアに、水の精霊王は東のヒノモトに、土の精霊王は西のギュリウスに、風の精霊王は南のデミヒュムストリアに存在するとされ、地方により主として崇める精霊王は異なるものの、信徒全員が四柱全てを信仰している。
《伍神教》
魔神ゼニスもしくは、ゼニスと同一視される亜神レティスを主神とし、主な信徒は魔人種と亜人種、商人や一部の人間種も信徒に存在する霊道教と並んで信徒の多い宗教。闘神イェーガー、夜神ダイアナ、太陽神レグルス、福神アレキセデクなども主神に連なる神々と定義され、それらの神も同様に信仰しても良い事になっている。宗教にありがちな教会組織は存在せず、道祖神信仰に近しい形態をとっており、一応はアース教で言う教皇と同じ立場に魔王および亜皇が位置している。




