110.ただいま
「余裕だった」
「そうみたいだな」
メイビスは表情に表さないものの、むふーと鼻を鳴らす程自慢気な様子で一階へ降りた私を迎える。後ろではギルマス二人が呆然と立ち尽くしているが、気持ちは分からんでもないので敢えて触れないでおくのが優しさというものだろう。
それと、私たちの後続として降りて来た他の冒険者も、彼女に話しかけたくて仕方なさそうにしている。あくまでしているだけで、文字通り睨みを利かせているジンの前に一人とて声を上げる輩はいないが。私が彼らの立場だったとしても、迂闊に話しかけるような真似はしないだろう。
なにせこのギルドにいる中で最もランクの高い三人が、今しがた試験で飛び級した新人を取り囲んでいると言う絵面だ。そこへ混じる事が出来る冒険者は途轍もないコミュ力の持ち主か、相当な馬鹿の二択である。
「ご……っほん、何はともあれ、メイビス・メリッサハーツ、試験合格おめでとう」
「これで褒められるなんて、人間の程度が知れる」
ようやく我に返った眼鏡がメイビスへそう言うと、明け透けで冷たい声音が返って来た。そんな、心底どうでもよいという感情がありありと伝わって、二人とも苦笑いをしている。
全く、折角褒められてるのだから素直に受け取っておけばいいのに……。
「で、では後程窓口で冒険者証を発行してください。我々は今から王城へ向かいますので、これで失礼」
そうして一言二言交わしたのちに、バルダザール氏と眼鏡(結局名前が分からなかった)が演習場から退出し、後を追うように出て行く冒険者達を見送った。
「……ん」
「ん?」
「……んっ」
私はと言えば、メイビスが謎のアピールをしつつ目の前で通せんぼをしているので、どうしたものかと思案中である。さて、これは一体なんのサインか、まるでペットと意思疎通を図ろうとしている飼い主のような気分だ。
「んっ~」
取り敢えずほっぺたをつついたりもちもちしてみたりするが、これは違うらしい。嫌がる様子は見せないものの、目でそう訴えかけられている。
「……んぅ」
顎の下を掻いてやると、気持ち良さげに目を細めるも正解ではないようだ。
「ん、それでいい」
結局正解は『頭を撫でてあげる』で、その櫛通りの良さそうな柔らかい髪を撫でると、メイビスは満足気に微笑みながらそう言った。ははは愛い奴め、初めからそう言ってくれれば幾らでも撫でてやったものを……。
と、そんなやり取りをしていた私たちの横へ、気配が突然湧いて出る。
「お戯れは満足されましたか?」
「……ッ?」
いつもの如く、何の前触れも見せずに現れたウミノに初見のホメロスは困惑気味にこちらを見ているが、私は肩を竦めて首を振るしかない。私の口から彼女の能力について説明する事は憚れるし、そもそも言ったとして一度の説明でそれを理解する事は恐らく無理だ。
酷く簡潔に言えば、ウミノの能力は《色即是空》という、認識自体を書き換えるスキルである。
例えば彼女が"木"を"鉄"だと言い張れば、能力の認識改変を受けた者は"改変対象と能力者を含め"全員それを鉄だと思い込むようになるのだと。デメリットは改変を施してしまえば、自分ですらもそれが本来何であったか分からなくなる点だろう。
そして彼女はその能力を使って、私の存在を子供の状態のままに留め、更に素性を全て隠匿したらしい。鉱山へ忍び込んだ際も、他者からは奴隷と認識されるように改変を施していたのだそう。
因みに、他者より自分に対しての方が融通が利くのはジンの《魂混形代》と同じらしく、自らを世界に存在しなかった事にして、誰の目にも見えないようにすら出来るとも言っていた。『その場合、自分で自分を認識出来なくなるのでは?』と尋ねたが、自分に対して使用した時のみ対象から己を外せるのだと。
「まあ、もう少し驚かせないように努力はして欲しいかも」
「善処致します」
私の仲間は隠形に全振りしてる奴が二人もいて、しかも大抵何もない所から姿を現すので人目のある場所だと酷く目立つのだ。急に現れるのは隠密っぽくてカッコイイのは分かるけど、彼女たちはもう少し自重してほしい。
「それで、なんだっけ?」
「予定の時間が迫って参りましたので、お迎えに上がりました。入り口前には既に馬車を停めてあります」
ウミノは恭しく頭を下げながらそう言い、廊下へと向かう道を腕で示した。
話し合いと試験、それにホメロスとの遭遇で少し時間を超過してしまったらしい。今日は予定が幾つも詰まっているので、一つ一つテンポよく消化して行かないと時間が足りないと言うのに……。
「じゃあ行こうか、アイツらも待ちかねてるだろうし」
その後「ちょっと巻きで」と付け加えて、やや早足に私は馬車へと向かった。
***
私たちが次に馬車で向かったのは、王都郊外のやや開けた場所だ。
ただ、開けていると言っても、天幕の張られた炊き出し所や、視界の端から端まで並んだテントが埋め尽くしている為か圧迫感が凄まじい。そんな難民キャンプめいた光景に、思わず絶句したのは私だけでは無かった。
「あれが、全て鉱山に収容されていた奴隷たちです」
連絡窓から聞こえるウミノの声にも反応し損ねて、その膨大な数の難民を前に思わず唇を噛む。
継ぎ接ぎだらけの布を重ねて建てられた小さな家からは子供の顔が覗き、今しがた現れたこの場違いな程に豪奢な馬車をジッと見つめて佇んでいる。他にも、外を歩いていた人々の殆どは私たちの方を見て、何事かと言葉を交わしていた。
今更ながらにこれだけの人々を閉じ込めて働かせていたのかと、事実を再認識する程に激しい怒りが込み上げてくるのは何故だろうか。
そんな中で、一人……いや二人、馬車へ向かって走ってくる男女の姿が目に映る。
一人は酷くやつれた顔にこれでもかと言う程の笑みを浮かべ、もう一人は吊り上がった瞳に涙を溜めて、私の乗る馬車の扉までわき目も振らずにやって来た。
「ルフレさんッ!!」
「よ、無事だったか、アキト」
「無事なもんですか! 貴女が大怪我を負って運び込まれたと聞いた時はもう、心臓が止まる勢いで心配したんですからねっ! ……けど、もうとにかく生きてて良かったですよぉ!」
馬車から降りつつやって来たアキトに声を掛ければ、目の下に酷い隈を作った彼はそう言って脱力したように大きな息を吐いた。どうやらかなり心配をかけた上に、色々と事後処理まで任せっきりになってしまっていたらしい。
だが、それはそれとして……
「あでっ……!? な、なんで殴ったんですか今ぁ!?」
「メイビスから無茶したって聞いたから、お仕置き」
「えぇ……?」
一発殴るのはちゃんと忘れてはいなかった。
それから、涙目で頭を抱えるアキトの胸を軽く拳で突いて、今度こそしっかりと目を見て笑う。今回一番の功労者は間違いなく彼なのだから、しっかりと感謝の気持ちは伝えなければいけない。
「冗談は置いといて……本当にありがとう。お前が頑張ってくれなかったら、私は今ここに立っていなかったかもしれない」
「ルフレさん…………って、あれ? 少し見ない間に背、伸びました? それになんだか雰囲気が前と違うような……」
「男子三日会わざれば刮目して見よ、って言うだろ。私は日々成長しているのだよ」
「いや、ルフレさん女の子じゃ……というかその慣用句どこで……」
そうやって冗談交じりに言葉を交わし、久しぶりの再会を喜んだところでアキトの横に立つ人物にようやく視線を向ける。本来ならいの一番に声を掛けるべきだったのだろうが、私自身どう切り出したらいいものかと考えあぐねていたので、後に回してしまったのだ。
「お久しぶりですね、"アザリア"王女殿下」
「……そうですね、あなたも壮健そうでなによりです」
無難にそう一言掛けると、アザリアは真紅の髪を揺らして淑やかに微笑んで見せた。いや、声を掛けた途端いきなり怒鳴り散らしてくるかと思っていたのに、むしろそう言う態度を取られる方が私としては怖いんですけど……?
「ところで、その左腕は一体どうしたのですか?」
「これは……」
「また、無茶をしたのでしょう」
「……はい」
超然とした態度の中でジッと私の無くなった左腕を見つめる彼女は、徐に身体が密着する程近付く。そして、マントの中に恐る恐る手を差し入れると、でこぼことした不格好な腕の断面を撫でて、瞑目した。
「どうして、頼ってくれなかったの?」
「……事情があり、少し焦っていてそこまで頭が回っておりませんでした」
「一度国に戻って私やお母様に相談すれば、貴女が無茶しなくてもどうにか出来た筈よね?」
「……仰る通りです」
実際は本当にどうにか出来たかは分からない。
七聖人が――――ひいては神聖王国イグロスが絡んでいた以上、政治的な交渉のみで済む可能性は限りなく低かった。恐らくどういう道筋を辿っていようとも、グラディン・ハックとは最終的に戦う羽目になっただろう。
ただ、私的な理由で言えば、私は今回あの場で奴と相まみえる事が出来たのは運のいい方だったと今更ながらに思うのだ。
「あんたばっかが無茶して、こんな怪我までして帰って来て……私がどれだけ心配したと思ってるの!?」
アザリアはとうとう耐え切れずに言葉を乱すと、眦に浮かべた涙を腕へ落としながらそう言い募る。その顔を見れば、心配したと言うのが単なる言葉だけの物でない事は誰にだって分かった。
「すみません。ですが、貴女が危険な目に遭わずに済んだのなら、これで良かったのです。それに失ったと言っても、私の腕なんて安いものですよ」
「だから……それだと、そんな事ばかりしてたら、本当にいつか死んじゃうかもしれない……」
もしも、アザリアやフラスカ王家を頼って今回の件に臨んでいた場合、彼女が危険に晒される可能性は相当高かっただろう。フラスカはイグロスからしてみても厄介な相手である事は、あの国にアース教の教会が一棟たりとも無い事が物語っている故、それを奴らがみすみす見逃す筈も無い。
だから、
「守るべき人々が傷つくのは、私の本望ではありません。血を流すのは戦う者だけで充分なんです」
そう言う。
理不尽な暴力に晒されるのは、私のように自ら関わりに行った者だけでいい。ましてやアザリアは今回の件に全く関わる理由が無かったのだ。完全に私の個人的な問題で、そこに彼女が関与して血を流せば、私は怒りでどうにかなってしまっただろう。
「それに、アザリア様には私がそんな簡単に死ぬように見えますか?」
「見えない……けど、でも……‼」
それでも尚、納得がいかないのか訴えかけるようにこちらを見つめる深い紅色に、とうとう私の方が折れた。
「……分かりました、もう心配を掛けるような無茶はしません」
まあ、この体じゃあ無茶しようにもできないだろう。それに私は元々自分が犠牲になるような奉仕精神は持ち合わせていない。生きて皆を守り続けることに意味があるのだ。
「ほんとに?」
「本当です」
「ほんとにほんとう?」
「本当に本当です」
「それなら良しっ! おかえり、ルフレ‼」
そうして、ようやくアザリアは私から離れるも、改めてきつく抱きしめられた。
十三歳とは思えない豊満なそれに私の小ぶりな双丘が押しつぶされ、これでもかと言う程に性徴格差を感じさせられながらも、私は最早懐かしさすら感じる温もりを取り戻した。
ただいまと、そう返事をしながら。