109.空間魔法
ジンのその一言で慌てて階下へと視線を戻せば、丁度横から歓声が沸き起こる。
「話は取り敢えず置いといて、応援しようか」
「だな……とは言っても、応援しなくても余裕そうだが」
一階の演習場は普段設置されている木人などは全て撤去され、代わりにその部屋の中心へぽつんと一枚の巻物が設置されていた。中に刻まれているのは、形成・凝固・駆動・攻撃と言った幾つかの術式の束だ。単なる魔法を封じ込めたものでは無く、何かを生成する為のものと見ていいだろう。
「あ、おい。なんか出てくるぞ」
その言葉と同時に巻物から青白い靄のようなものが立ち昇り、刻まれた術式が順番に発動していく。
「成程、魔素を固めて作った人形か」
「魔力を直接視てるのカ、やはりアナタは凄いネ」
然程の複雑さはないものの、よく効率化出来た術式は凝固させた魔素を仮初の物質としてこの位相に固定しているらしい。まるで青いレゴブロックで出来た巨大な人型の……魔人形とでも呼ぼうか、がメイビスの目の前に顕現した。
目測で大体本物のゴーレムの四分の一程の能力がある、あれが今試験においての仮想敵のようだ。
「あの程度ならメイビスの敵じゃなさそうだが」
「さテ、どうだろうネ」
私たちがそんな話をしている間にも、メイビスは手から赤々とした火球を放ってゴーレムの体を貫く。攻撃を受けた箇所が霧散して勝負あったかと思われたが、穴の開いた部分は直ぐに塞がってしまった。
「あの魔人形は大気中から魔素を吸収して無限に再生するんダ」
ホメロスの説明通り、その後も数発火球を放つメイビスを嘲笑うかの如くゴーレムはみるみる再生して行っている。あちら側の攻撃が鈍重で当たらないものの、このままではいたちごっこだ。
「一発で集まった魔素を消滅させる程の攻撃じゃなけれバ、アレは倒せないのサ」
「そりゃまた……いい性格してるね、この試験考えた奴は」
「"C"ランクへの飛び級なラ、この程度の殲滅力は最低限必要なものでしょウ?」
さて、実はこれが本日"三度目"の試験な訳だが。E・Dランク共にこれよりも数段貧弱な仮想敵が出現し、メイビスはそれぞれ先程の火球一発で勝負を付けている。ただ、ここから先はそう簡単に行かないようだ。
「Cランクからは支部の所属国家での危機的状況に際して徴兵、国防の義務が与えられる。それを考えると妥当ともいえるか」
実は、同じ銀証保持でも、DとCでは雲泥の差があると言われている。
それは昇級に必要な功績点の数値だけでなく、一流としての意識の高さだ。先程ジンが言ったように、冒険者はその格が上がる程にギルドへ寄与する為の責務が増えて行く。具体的にはCランクから定期的に講習を受ける事を義務付けられたり、滞在している国の支部で災害や魔物の暴走が起きれば救助や防衛へ強制的に駆り出されることになる。
そういう面倒事を嫌ってDランクで停滞する冒険者も珍しくなく、Cランクとは一種の壁のような、英雄願望を抱いて覚悟キメた奴かそうでないかを篩にかける網と言ってもいい。その点で言えば、今ここにいる三人は全員英雄願望持ちの馬鹿野郎という事になるが。
「間違っては……いないか」
エイジスも英雄と呼ばれた冒険者で、私は弟子として師に憧れた。
はじめは他の選択肢もないお陰で始めた稼業だが、今では性に合っているとすら思える程どっぷりと嵌り込んでしまっている。この身一つと頼れる得物とでひりつくような冒険と死線を幾つも超えて行くというのは、他の何物にも代えがたい感動を私に与えてくれた。
安寧を求めていると言うのに、その裏では死に掛ける程のスリルを味わいたいと思っているのだから、つくづく私と言う女は矛盾している。これをどうにか両立する方法は無いだろうか?
「まあ、メイビスはそんな事考えて無さそうだけど」
眼下で奮闘する彼女は、自身が死ぬことに酷い恐怖感を覚えていた。
普段の仮面が剥がれ落ちる程に泣きじゃくったのは後にも先にもあの時だけで、少し違和感すら覚えたものだ。痛みに耐性がないのか、それとも……。
『おおっ!』
私がそんな事を思案している間にも趨勢は傾き、メイビスの攻撃によってゴーレムの右半身がごっそりと削り取られてしまう。そして、その手からは煤のように黒い炎の残滓が揺らめき、メイビスが本領を発揮し始めた事を示していた。
「再生しないネ、どういう原理ダ?」
削り取られた箇所はいつまで経っても再生を始めず、バランスを崩したゴーレムは膝を着くようにしてメイビスの眼前で動きを停止している。これにはホメロスも思案顔でそう呟くが、私だけはその理由を知っていた。
昨夜、メイビスが私に話してくれたのは身の上話だけに非ず。
魔女の扱う闇属性魔法の正体を事細かに教えてくれたばかりか、一つだけだが私にも扱える術式を伝授してもらっている。
して、その正体とは――――
「――――空間魔法」
「魔法……? あれは魔法なのか?」
闇属性魔法の正式名称は《空間魔法》、その名の通り空間を司る魔法だ。
以前、この世界の法則を無視した魔法は無いと口にした覚えがあるが、この空間魔法はそれに逆らうことなく扱える限りなく"ズル"に近い魔法である。ただ、この世界の法則は地球よりも相当に緩いので、この世界基準での法則を最大限利用した魔法と言った方が正しいか。
「氷属性の更に上、最上級魔法の片割れ。停滞と質量を司る空間魔法は、範囲内に存在する世界を支配下に置く」
「つまり……どういう事だイ?」
「メイビスの魔法の射程範囲内では、空気のような存在のアイツは滅茶苦茶不利って事だよ」
恐らく彼女は火球に闇属性魔法を付与して、重力を強めたのだろう。ゴーレムにへばりつく黒々とした炎は、再生する為の魔素の集合を阻害しつつ本体の動きも同時に封じている。
空間魔法は静の魔法の極地である為にその権能は凄まじく、重力を操作するのも然り、彼女は空間に二つの穴を開けてそこを行き来する転移も扱える。大気中の光の屈折率を変化させる事で、肉眼で視認出来なくすることだって可能だ。
転移に関しては更に『世界に空けた穴へ入り、入り口から出口という順番で穴を閉じると、出口の方へ放り出される』と説明されたが、超理論過ぎて未だに理解しきれていない。
『うおおおっ!?』
私の説明が終えると同時に、魔人形は幾つも放たれた黒炎によって食い尽くされた。
これでCランクは確定だが、まだやめるつもりは無いらしく追加のスクロールを設置するようにギルマスへ視線で訴えている。そして、眼鏡がスクロールを新しいものへと交換すれば、今度は私たちの方を見て小さく目配せした。見てろってことらしい。
「次は……なんだあれ?」
先程と同じように形を成していく魔素は、ゴーレムの数倍は膨張した後にその姿を露わにした。
「飛竜に似ているけド、あの翼じゃ飛べないから地竜かナ?」
それは退化した翼と凶悪な鉤爪を持った竜の姿を取り、本物さながらに咆哮まで上げて見せている。しかも、今度は能動的に攻撃する術式が組み込まれているのか、形成の過程が終わった途端にメイビスへ襲い掛かった。
が、
「過重力」
何故か動作の途中で動きを止めてしまう。
上から何かを押し付けられているように地面へと体を伏せると、仮初の体は段々と圧力に軋みを上げてその体積を減らしていく。そして、全身が半分程地面へ埋没した所で、重力に耐え切れずに魔素が勢いよく弾けて消えた。
再び空気に交じって溶けて行く魔素の中で、手を翳したメイビスはただいつもの眠たげな目つきでスクロールのあった場所をジッと見つめている。まるで赤子との戯れ程の面白みも無かったと言った表情だが、生憎と試験は此処で終了だ。
『い、今なにしたんだ……?』
『見えなかったが、あの娘がやったんだよな?』
『俺にはダミーがひとりでに爆発したように見えたぞ……』
ただ…… 、おかしいな。私が考えていたよりも、メイビスが強いような気がするんだけど?
精々が魔法に闇属性を付与するくらいの筈で、直接空間に干渉して重力を操るなんて芸当、私が相手の時はしていなかった筈だ。これも、《口呪の呪い》が解けたことと何かしらの関係があるのかもしれない。
因みに今のメイビスからは、もしかすると私と互角かもしれない程の力を感じる。空間自体に作用するあの魔法を何とかしない限り、そもそもメイビスに触れる事すら叶わないだろう。元敵キャラというのは加入すると弱体化すると前世ではよく言われていたが、彼女にそんな理論は通じないようだ。
尤も、私としては心強いことこの上ないのだがね。




