108.やはり私も同行しよう
「ホメロス院」
改めて色々と踏ん切りがついたところで、私たちはようやく演習場へとやって来た。演習場は体育館とほぼ同程度の広さであり、吹き抜けの二階は一階の様子を見れるようになっている。
そして専ら、休暇明けの冒険者が仕事前に勘を取り戻す為の場所として使われているが、今は受験者の為に人払いが為されていた。
お陰で暇を持て余した連中は二階で駄弁っており、試験を野次馬する気満々のようだけど。それに加えて、新人が如何程なものかと文字通り偵察に来ている輩と、あわよくばそのままパーティーに勧誘しようとしている面々も混じっている為かやたらと人が多い。
「じゃあ私たちは上で見てるから、がんばれよ」
「ん、余裕で合格してくる」
かく言う私もそんな観客の一人で、既に彼女は私の勧誘に乗ったのだ。後発が何を言おうともメイビスは靡かないし、私とて渡すつもりは無い。
激励を送りつつも二階へ上がると、先客たちが細い通路に詰まっており、際へと追いやられるようにして男が目の前で身体を縮こまらせていた。日本の通勤電車染みた光景に、思わず眉を顰めるが、その中で不自然な程に隙間の空いた空間が目に付く。
しかもそこから上へ振られた手に既視感を感じ、よくよく目を凝らして見ればその正体は直ぐに判明した。
「灰の、ここ空いてるヨ」
「ホメロス!? 帰ったんじゃないのかよ……」
「だァれも帰るとは言ってないじゃあないカ。その証拠に、ワタシは"先に行く"と言った筈なんだけどねェ」
「ぐおっ!」
「お前って、こういう奴が苦手なんだな……」
四本の肢を後ろ手に壁へと引っ掛け、更に器用な事に椅子へ座ってるような姿勢で佇んでいる声の主はそう言って、悪戯っぽい笑みを此方へ向ける。それに思わず唸らされるが、確かにホメロスは帰るとは一言も言ってはいなかった。
ただ……あの状況であんな台詞、そうとしか思えなくない?
あれ、私が間違ってるのかな……?
まあ、ともかくとして、そこへ座る――――もとい、壁に張り付いているホメロスを気味悪がってか、スペースが空いているのは確か。これ幸いとそこへ滑り込めば、丁度眼下ではバルダザールと眼鏡が連れ立ってやって来て、メイビスへ試験の説明をしている所だった。
「なあ、ジンも冒険者登録した時に飛び級試験受けた?」
その為、まだ開始まで時間がありそうだと、なんとなしに尋ねてみたのだが……。
「いいや。お前らにゃ言ってなかったが、俺は元々孤児だ。そんなアテも能力も無かった」
「……っ」
私が何の気も無しに振った話は、藪からとんでもない蛇を飛び出させた。
ただ、それでも何でもない事のように返事をしたジンは、瞼の上から頬まで走る傷を指で撫ぜ。一方、私は変な気まずさから、自分で話を振ったにも関わらず口を噤んでしまう。
それは、『相手が"あのジン"だから、どうせ過去に何も抱えていないだろう』という阿保な考えで口走ったからだろう。
誰にだって人生と言うものは同じ価値のもと与えられるもので、そこに貴賤などはない。
その筈なのに、私は過去に痛めつけられた事があると言うだけで、彼の過去を軽んじた。同じ速度で回る世界を一緒に走っていれば、他の誰かと衝突なんて幾らでもするだろうに。
「……すまん」
絞り出すように返した一言を聞いてジンはなにを思ったか、
「俺も、お前と一緒だったって事だよ」
ただそう言って、ガシガシと私の頭を揉みくちゃに撫で回した。
大きくて、乱暴で、それでいて優しい男の手。久しく感じていなかったそれは、違うと分かっていてもあの人の事を想い出させて仕方が無い。
少し心が痛い。
「悪かったな。色々と」
「……何だよ急に」
私がこいつに謝られるような事は、幾らでも思いつく。それでも正面切って言われるとどう返していいか分からなくなって、無性に泣きたくなるのは何故か。
真っすぐに私を見つめる黒い瞳は、昔のような濁りを感じさせない透き通った黒曜石のような黒で、そこに嘘も偽りも含まれていない事を言葉無しに伝えていた。彼はきっと、心から私に謝罪をしている。
「別に……もう気にしてないし」
「けど――――」
私が今、こいつの人生を軽んじた事も、過去にジンが私を貶めて殴った事も、許すかどうかは別として一生互いの記憶に残るだろう。ただ、それが悪い事だと私はあまり思っていなくて、その証拠に過去の因縁はこうしてまた私たちを引き合わせた。
全ての物事には全て意味が存在して、この出会いもきっと縁がそうさせたに違いない。
ならばと、
「私はただ、大切な人と静かに暮せればそれでよかった」
「……」
「でも、どうやらその為には色々と超えなきゃいけない障害があってさ」
私は吐き出すように言葉を並べ、独白のようなそれをジンは黙って聞き続ける。
「一人じゃ厳しくて、今は一緒に戦ってくれる仲間を探してるんだ」
「……そんな戦い、平穏とは程遠いと思うが」
「そう、だから私はせめて大事な人たちの安寧だけでも守ることにした」
「……具体的にどうするつもりなんだよ」
思わずと言った様子で耐え兼ねたジンが訊ねると、私は一度目を合わせてから徐に瞑目し、再び言葉を紡ぐ。
「実はさ、私……王族なんだ」
「そうか」
「魔人の国ウェスタリカの王女……って自分で言うのも変な感じだけどな」
「…………いや待て、今なんて言った?」
「だから、私はウェスタリカの魔王の孫だって――――」
一度は聞き流したジンだが、眼下のメイビスと私との間で視線を往復させると、そう言って目を瞬かせた。ついでにホメロスも耳聡く聞いていたのか、顎肢が見える程に口を開けて此方を見ている。
「……冗談?」
「私が冗談でこんな事言うと思うか?」
「はは、だよな…………っつー事は本当に……」
「キミがあの、魔王の、血族…………?」
力を御せるのは力のみで、権力と渡り合うには相応の権力が必要だ。それこそ一国の主でもなければ到底手に入らないような、強大な力が。
そう、大事な人達の安寧を護る為に、私は国に戻って王位を継ぐことにした。
王族の力で公的にイミアを庇護すれば、聖国もやたらと手を出してくる事はなくなるだろう。それに、ここまでして生かしてくれた祖父と両親たちの為にも、私が王家を再興したいという気持ちは強い。
まあ、ジンのリアクションは想定内だったにしても……。
「噂に敏感なお前なら知ってると思ったけど」
「……馬鹿を言うナ。魔王の血族はとっくに滅んだと、ワタシたちにも伝わっているんダ。それに、キミは本名で無く灰の魔剣士として市井は認識している。かく言うワタシもキミの家名までは知らなかったんだゾ」
憤慨した様子でそう言いつつも、ホメロスは四本の肢を忙しなく動かす。
「咄嗟に音遮結界を張ったはいいものノ、こんなところでそのような大事な話をするもんじゃあないよ全ク……」
「音遮結界?」
「あア、ワタシのスキルは"音"を司ル。こうして内部の声を外へ漏らさないようにする等は簡単サ」
それを証明するように、ホメロスは近くにいた手頃な男の背後で思い切り手を叩いて見せるが、振り向く素振りも見せない。しかし、逆に外からの音は遮断しないようで、喧騒はしっかりの私の耳へ届いている。
「風魔法でも似たような事は出来るが……、ここまでのはスキルじゃないと出来ない芸当だな……」
まさに声を仕事道具とする吟遊詩人の彼に似合いのスキルとでも言おうか。
「逆に音を遠くまで届けたリ、遠くの音を拾ったりも出来るヨ」
「だが、冒険者が自分の能力を他者へ教えてもいいのか……?」
そう尋ねたジンの疑問は尤もで、大抵のスキル持ちはその優位性を保持する為に他者ヘスキルの詳細を話す事は滅多にない。それが例えパーティーメンバーであっても教えない事がある程だと言えば、スキルがどれだけ所持者にとっての生命線となり得るかが分かるだろう。
筋力増強や身体強化なんて分かりやすいものだとどうやってもバレるので、敢えて開示することで尊敬を集める輩もいるが。
「問題はないサ、なにせ今ワタシの目の前にいるのは本来傅くべき相手ダ。隠し事など無用だろウ?」
「つまり?」
「ここでそんな態度を取ったら目立つかラ、それを以て頭上から物を申す事をお許し願いたイ」
「成程、それは私の話を信じたって事でいいんだな?」
「誰が疑いましょうかネ、キミ……いやアナタは確かに"自ら"血族を名乗ったのだかラ。信じる以外にないでしょウ」
この辺りの判断基準が良く分からないものの、ともかくホメロスは私の事を本当に王族だと認めたらしい。王家の紋章の入った手紙を出せば、大抵の魔人なら勝手に傅くとウミノは言っていたけどその必要もなさそうだ。
「それで、アナタは何故このヒトの冒険者にその素性を明かしたのデ?」
「ああ、そうだった。そう言えばそういう話してたな」
ホメロスの介入ですっかり話が脱線していたが、そもそも私がジンにこの話をしたのは大体メイビスの時と同じ理由である。すなわち――――
「俺を勧誘するか、そんな事だろうと思ってたがな」
「話が早いね。勿論忠誠なんか誓わなくていいから、仕事……そうだな、護衛として一緒に来て欲しいんだ。当然いい値で報酬も払う」
「お前に護衛が必要かどうかのツッコミは無しか?」
「無しで頼む」
私がそう言うと、ジンは顎に手を当てて考え込むような仕草で目を伏せた。返事待ちの間に改めてその姿をまじまじと見るが、六年前とは比べ物にならない程に体格が良くなっている。当時のエイジスの一回り以上大きいんじゃないか?
この世界の平均身長は、摂取できる栄養に偏りのある食事情のせいか大して高くない。その中で裕福な諸侯などは例外的に近代欧州と同様に背の高い者もいるが、ジンはそんな彼らよりも更に高いようにも見える。
一体何食ったらここまでデカくなれるんだろうか。
「……いいぜ、この俺がお前の盾になってやる。その代わり報酬はたんまり貰うからな」
「頼むよ、見ての通り今の私は丸腰でとってもか弱いんだ」
「抜かせ、片手でも俺に負けないって言ったのは何処の誰だよ?」
「それだけ信用してるってことさ、ウミノから鉱山でのことも聞いてるしな」
ジンの能力についてはウミノから粗方伝えて貰っており、その異常な程の力は直に見ていないものの既に知っていた。《魂混形代》とは似ても似つかない能力らしく、私の時と同じく何かしらのきっかけで後発的に発現した可能性が高い。
ウミノはスキル発動時のジンから異様な雰囲気を感じたとも言っていたが、所持者の精神に変調をきたすのも《憤怒之業》と似ているようだ。
まあ、
「罪滅ぼしだなんざ考えてねえ。ただ俺は強え奴に付いて行けば、良い思いが出来ると思っただけだからな」
「くふっ……分かってるよ」
変わらない調子でそんな事を言っているのを見ていると、心配はなさそうだが。
「成程、やはり大層な野望がおありのように見受けル、ワタシも同行しよウ」
「えぇ……お前も?」
「アナタについて行けば、何か面白い事が起こるような予感がするのでネ。それを詩にする者が必要でしょウ?」
「別にしなくていいし……」
そして、何故か流れでホメロスも付いてくる事になってしまった。まあコイツは多分好奇心が殆どの動機だろうが、Aランク冒険者が二人いれば心強いので断る理由もない。元より魔人種の冒険者は数人雇って連れて行く予定だったし。
「……つーか、試験始まってね?」
「えっ……?」
それはさておき、どうやら私たちが話すのに夢中になっている間に試験は始まっていたようだ……。




