107.奇譚の詠手
「さテ、ワタシの噂をしていたのは何故かナ?」
彼はそう言って天井から降り立つと、長い"触覚"を撫でて優美に微笑んだ。
「魔人種の蟲人族、初めて見たぜ俺……」
男性にしては長い金髪に切れ長の碧眼と、彼の顔の形状は殆ど人間と変わらないものの、先程述べたような触覚や口の内部には顎肢に似た器官が備わっている。
瞳も良く見れば普通では無く、単眼が虹彩のように瞳孔の中に四つひし形で並んでいて、人間ではない事を明らかに示していた。それに加えて、脇の下からはもう一対の腕……では無く肢が伸びており、球体関節然としたそれの先にあるのは鉤爪のような四本の指。
彼の外見を端的に表すと人型の虫――――形状的にはコオロギやその辺りの昆虫と酷似している――――が、それだけでは表現しようのない謎に満ち満ちた容貌をしていた。
彼は本質的にヒトなのか、虫なのか、一体どちらなのだろう。
しっかりと会話が出来て意思の疎通が可能という事はヒトが虫に寄ったという説が有力そうだが……この世界は異世界だ。
もしかすると火星にいるゴキブリのように独自の進化を遂げて、今に至るのかもしれない……っていやいや、そんなどうでもいい事を考えている場合では無くて。
私達が此処に来た本来の用件を済ませなければ。
「ルフレ・ウィステリアだ。お初お目にかかる、ホメロスさん」
「キミは……うん、やっぱり灰の英雄さんだネ。噂よりちょっぴり背が高いけド、可愛らしいお顔は見聞に違わないネ」
《サン語》がネイティブな人物特有のイントネーションはやや聞き取り辛いが、彼は私の事を知っているような台詞を確かに口遊んだ。どうやら、思った以上に《灰の何某》と言う二つ名は広まってしまっているらしい。もしくは、彼が人よりも噂に敏感であるか。
ともかく、互いに存在を認識していたのなら話は早く着きそうだ。
「私はあんたを探していた」
「ほウ? 英雄サンもワタシのファンだったのかナ?」
「まあ、そう違いはないよ。吟遊詩人としてのあんたに用があるんだ」
私がそう言うとホメロスはその蠱惑的な瞳を細め、唇の隙間から吻のような器官をチロチロと覗かせた。新緑のリネンハットや狩人のような装束だけ見れば、只の弓術士か吟遊詩人に見えるのに、彼は一々仕草がセクシーというか、なんというか……。
「それは、ワタシの詩を聞きたいと言うことだネ。いいだろウ。キミが聞きたいのはツンドラに響く巨人の嘆きか、はたまた極東の剣士、武の便りか。いヤ、もしかしテ、新しく作った灰の魔剣士の輪舞かイ?」
「流転の癒女の迷宮譚」
「……なるほド、わかっタ。では、ひとつ、詩を吟じるとしよウ」
――――今より少し前のこと、癒しの力を携えた麗しき彼女の話を。
彼の口が紡ぐ、そんな語りから始まった詩は『不思議な治癒の能力を持つ女槍術士が迷宮へと潜り、その中で危機に陥っていた冒険者たちを助け、力を合わせて無事迷宮を踏破した』という至ってありふれた英雄譚だった。
ただ、この詩が少々特殊なのは、迷宮にいた冒険者たちは皆手練れ揃いだったという点と、それがつい半年前に実際に起きた出来事であるということ。そして、その語り部である彼自身が、その場に居合わせたという事だろう。
冒険者の英雄譚と言うのは、往々にして本人の武勇伝を聞いた詩人が誇張して広めるものだ。
尾ひれと背ひれが何枚も付き、剣で倒したと言う話が素手に置き換わり、這う這うの体で何とか竜を倒せばそれが一騎当千の無双譚へと変化し、いつ間にか事実とは無縁の話まででっち上げられることすら稀にある。
しかしながらこの『流転の癒女の迷宮譚』は徹頭徹尾すべてが事実であり、実際に起きたことを事細かに描写しているのだ。元々《奇譚の読み手》と言う二つ名自体が、彼自身がAランク冒険者として実際に経験して感じた話を詩にしている事から来ている為、彼の話の信憑性はこの大陸で最も高いと言ってもいい。
ただ、
「ホメロスさん、その冒険者の髪と目の色は茶色だったか?」
「……ワタシ、彼女の容姿は詩の中で口にしていなかった筈だけド、なんでそう思ったのかナ?」
今作において肝心の主人公――――癒女の容姿に関して以外はと、注釈が付くが。
「いや、何となくだよ。私の知り合いの槍術士が茶髪茶目だったからつい」
私がそう告げると、四つの単眼が収縮して口の端から覗いていた顎肢が勢いよく引っ込む。そんな彼の明らかな動揺と前述した話の信憑性の高さから、この話に出てくる『槍使いの癒女』がイミアである可能性は限りなく高まった。というよりも、ほぼ確定と言ってもいいだろう。
彼女が私の知らないところでそんな事をしていたのかと思う反面、変わらずにいるのだと何処かでホッとしている自分がいたが……。
「おいおいお前ら、一体なんの話をして……」
「けど……ホメロス、その詩を人前で二度と口にしないで欲しい」
「……ッ!?」
本題はそこではない。
蚊帳の外にいたジンが口を挟もうとするのを上から遮り、私はホメロスにそう言い放った。一瞬で場の空気が緊迫したものへと変わると、彼の人ならざる四つの瞳に剣呑さが宿る。
「……ワタシの詩がそんなにお気に召さなかったかイ」
「そんな事は無い。むしろ感謝している位だけど、これ以上彼女の情報を広めるのはよしてくれ」
「…………キミは、あの娘のなんなのかナ。それに、ワタシ以外の誰かがワタシに歌うのを禁ずる権利があると?」
「それを承知で頼んでいる、どうかお願いだよ」
「………………」
イミアが生きているという情報を教えてくれた点に関して言えば、私はホメロスに感謝しなければならないのだろう。けれども、名の通った彼から衆人へとこの話が伝われば、もしかするとアース教はまた彼女を殺そうとしてくるかもしれない。
私の手の届かないところで彼女が殺される事を想像したら、全身を掻き毟りたくなるような衝動に襲われて正気を失いそうになる。何故私から逃げるのか、その理由は分かっているのに、それでも彼女を見つけて何処か安全な場所へ押し込めてしまいたい衝動に駆られてしまうのだ。
「……ふぅ、キミはやっぱりどこまでも噂どおりのようダ」
「へ……?」
そうして互いの意志をぶつけ合うように暫く睨み合った末、先に目を逸らしたのはホメロスだった。
彼は瞑目して息を吐くと、服の中から装飾品のような小さなものを取り出す。薄い金気の音を立てながら私へ投げて寄越されたそれは、聖職者が身に着ける祈祷具のようだ。十字の真ん中に横から見た白い竜の姿が彫られており、その額から一対の巻角が生えている。
雑、と言うよりかは不慣れと言った方がいいか。子供が一生懸命に彫ったような風情さえ感じさせるそれは、イミアが持っていたものとよく似ていた。
「もしキミに会ったら渡してくレと、彼女がワタシに預けたものだヨ」
「イミアが……」
「やレやレ、あの娘はこうなる事も分かっていようだネ」
ホメロスが呆れたように肩を竦め、壁に背中を預ける。
その顔からは何となく「してやられた」といった感情が見えて、私も毒気を抜かれてポカンとするのみ。イミアは、敢えてホメロスにあの流転の癒女の迷宮譚を歌わせていたというのか。
「それともう一つ、彼女からキミへ言伝を預かっていル」
「ッ!」
だが、彼の言葉はそこで終わりでは無かった。彼女からの言伝と聞いて、否が応でも心臓の鼓動が早くなる。掌にじんわりと汗を掻いて、口の中が渇くようだ。早く、早く聞きたいとせがむような私の視線に気が付いたのかその直後、
『……蛇の月、豊穣の宴、闘神の眠る空の下にて再会を望まんとす』
一音一句、発音も違うことなくホメロスは言葉を綴った。
再会――――その言葉に、狂ったメトロノームのように早鐘を打つ私の心臓は一際大きく跳ねる。果たしてこの短い間に、私は何度驚愕に心揺さ振られるのか。これ以上は無いと思っていた矢先の事で、余計にその驚きは大きいぞ。
だが、やはり……。
「偶然じゃ……無さそうだなあ」
「灰の。キミはワタシがバカンスのついでに、偶々この国に立ち寄ったとでも思ってルのかナ?」
「や、その考えは丁度今捨てたよ。成程、態々御足労願って申し訳ないね」
「……そこの蟲人族はルフレに会いに来る為だけにこの国に来たの?」
メイビスがそう訊ねると、ホメロスは無言で頷いて肯定とした。そもそもギルドの中で出待ちを喰らった時に気付くべき話だが、まさかAランク冒険者を配達員代わりに遣わせるとは私には考え付かない発想だった。
「最初はフラスカの手前の国まで行ったのだけどネ。キミの噂が東から流れて来ているのを知って、慌ててこの国へ来たんだヨ」
「それは、本人から頼まれてした事……なのか?」
「そう、とも言えるシ、違うとモ言えるネ。一つの行動に理由が二つ伴うなんてよくあることじゃアないか」
婉曲した言い回しで話を事実から遠ざけるホメロス。
その態度に若干の苛立ちを覚えつつも、秘匿されている『もう一つの理由』とやらが、私へ会いに来た本来の理由である事を暗に察する。ならばここは大人の対応で、鷹揚に構えていてやろうでは無いか。眉間に皺が寄っているのはちょっと目疲れしただけである。断じて怒ってなどはいない。
「ねえお兄さん。私、はやく結論を言って欲しいんだけどなぁ」
「おや、これは失敬」
そして、物腰を丁寧にしようとすると、どういう理屈か女の子のような口調になってしまう。いや、私は一応女の子なわけですが、記憶が戻る前と比べると大分今の性別に毒されてきたなぁと感じるのだ。
「ワタシがキミに会いたかったもう一つの理由っていうのはネ、彼女の師の事なんダ」
「師……? 今のイミアには師匠がいるのか?」
「少なくとも彼女はそう言っていたけどネ」
そこまで言って一度区切ると、ホメロスは私の耳元へ顔を寄せる。
「……"あの男"には気を付けた方がいイ」
「――ッ」
そうして私一人にしか聞こえないように告げられた台詞に、思わず言葉が詰まった。今、イミアの傍にいない私に一体何をどう気を付ければいいのかという思考と、彼の忠告でその男とやらに抱いた警戒心とで渾然一体になり、上手く返す言葉を紡げない。
「……じゃ、届け物も終わったシ、ワタシは先に行くよ」
「あ、おい……!?」
私が考えを纏め終えない間にも彼は私たちの横をすり抜けて、呼び留める言葉にも手を上げて応じるだけでそのまま去って行ってしまった。
「――――」
故に、宙に浮いたまま投げかける事の出来なかった返事と疑問を、私は何処へいるとも知れない彼女への想いと共に呑み込む。今するべきことは、杞憂でも自責でも無いというのが分かっているからだ。
私は、彼女が安心して帰って来れる居場所を作って待てばいい。
「……その為に国一つを巻き込むなんて言ったら、おば様や母様は怒るかな」
自分で選んだ道を往く覚悟は決めた。その為にやるべきことも分かっている。私はもう、何も出来ない子供じゃない。何が立ち塞がろうと、私は必ず大切な人"たち"との平穏を手に入れて見せる。




