104.月下の夜話
今回、所々に百合の花が咲いてる箇所があります。
記憶を取り戻した時、"俺"はこの人生――――いや、魔人生か――――をハードモードと言った。
明日食べるものも無い中で、どうやって生きて行けばいいのかも曖昧なまま、自分の出自と運命を呪った事を覚えている。覚えているからこそ、今ここで訂正しなければならないだろう。
「……どれだけ恵まれていたんだ、私は」
伏した目が妙に熱く、鼻の奥がツンとする。
一体……一体どれだけ多くの人達に望まれ、そして助けられて生きて来たのかが、今ようやく分かった。
手紙に書かれていたのは、初代から今代――――祖父までの魔王たちの歴史と、母とそれを取り巻く人々の真実。
母とお腹にいる私を助ける為に、実の父と祖父は文字通り命を懸けた。エイジスとアヴィスは灰の勇者である父の仲間で、母を逃がす為に危険を冒して手を貸してくれた。更にアヴィスはその後家督を継いで、屋敷の中に母を匿って出産までさせたのだ。
おば様、アデーレはウミノの能力を使って共に伯爵へ取り入り、私を見守る為だけに仮面の夫婦になった。行儀見習いとして伯爵邸に住まわせたのも一種のカモフラージュと、母と私が一か所に固まる危険性を考慮しての事だったのだと。
あわよくば伯爵家の庇護が得れればと言う思惑も無かった訳ではないが、思った以上にあの成金はクズだったので断念したらしい。
そして、その危惧は的中し、私がおば様に逃がしてもらう数年前に男爵邸は"反魔人勢力"からの襲撃を受けた。
幸い事前に察知していたお陰で、こうして手紙を残す時間はあったようだが。それでも両親は人の及ばぬ僻地へ姿を隠さなければならなくなってしまった。そこも安全という訳ではないらしいので、今も生きているのかは不明。正直に言って泣きたくなる位心配だ。
だが、そんな風に私を庇護してくれていた人々の事が綴られているのに、エイジスの事に関しては殆ど何も書かれていない。事情を知る人間だったのなら、あの決別の日にアデーレから何か聞かされていてもおかしくは無かった。
「――――私の能力によって誰も貴女を貴女と認識できなくなってしまった為、エイジス氏の御助力は得られないものかと思っておりましたが……そうですか」
手紙を読み終えた今、改めてウミノへ訊ねてもこう返ってくるばかり。
イレギュラー的に私の命が狙われたあの時の行動は、彼女にしても苦肉の策だったのだと言う。誰も白竜人を知らない土地まで逃げ延び、ひっそりと生きていてくれていればいいと。そう思って、アデーレとウミノは私を逃がしたらしい。
その事から、私と師匠が出会ったのは本当に偶然だったようだ。
辛うじて私が知人の娘である事だけは"認識"出来ていたお陰で師匠は私を庇護し、育てた。それが結果として巡り巡って、この場所で"反魔人勢力"の人間を二人も倒すことになるとは、当時の彼にしても予想できなかっただろうな。
まあ、結論として彼らが何故こうまでして私を守り、育てたのかと言えば――――
「単に、御主人様……"王女殿下"が皆、大事だったのです」
「それで? たった一人の子供を育てる為に命かけたって言うのか? 馬鹿なの?」
「子育ては命がけ」なんてコピーもあるが、こんなちっぽけな私なんかを生かす為に何人死んだと思ってるんだよ。皆がくれた愛情と私が返せる恩じゃ、どうやっても釣り合わないだろうに。
本当に、馬鹿だ。
「もう、ほんっと……ばか、馬鹿だよ……マジで……」
気を抜いたら視界が滲んでしまいそうになる程、私の胸の中から感情が滔々と溢れ出していた。
この手紙の中には、ただの一文でさえも『先代の仇を取れ』だとか『祖国の再興を』等と言った文章は書かれていない。ただ、私の知らなかった真実と、私の身を案じた優しい言葉だけが綴られている。みんなが、私を愛してくれている事だけが、伝わってくる。
この世界で無償の愛をくれるのは肉親だけだとヒトは言うが、そんなのは嘘っぱちだろう。
私を見てみろ。こんなにも沢山の人間が愛を注いで、その小さな心から零れてしまう程にいっぱいにしてくれているのだ。これを見てもまだそれはまやかしだと言う奴がいたら、私が直々にその頬を引っ叩いてやる。
……けれど、これに私は何を対価として、愛し、育ててくれた恩を返せばいいのだろう。一生かかっても返しきれないかもしれない、本当にどうしたらいいのか分からない。
「ウミノ……」
「はい。なんでしょうか、御主人様」
「私は……どうしたらいい?」
「それは御身が決める事です。どうぞご自身のやりたいようにしてください。御身には未来を選ぶ権利があり、その未来が我々にとっても最良の道なのです」
私がそう訊ねると、ウミノはそう言って少しの間目を伏せると、ふわりと笑みを作った。
要は自分で決めた道なら後悔するなって事でしょう、私にだってそれくらい分かっているさ。私のやりたい事を、道を選んで、それに恥じないように生きる事が、ここまで育ててくれた人たちに対する恩返しにもなると信じている。
それならば、行く道はもう決まったも同然だ。
彼らがそれを望まなくても、私はきっとこうしただろう。何十回、何百回人生をやり直したとしても、この道を選んだ筈だと確信が持てる。
そう、不思議なことに最初からそうしたかったとでも言いたげな程、私の心は固まっていた。
「私は……私の責務を果たしに故郷へ、魔人の国へ行くよ」
自分の出自を知って尚、それでも「知った事かと」見て見ぬふりすることも出来るだろう。だが、ここまでお膳立てされておいて、何もしないなんて言うのが私の性に合うかと言われれば、そうではない。
「これはつまり、僕も共犯者と言う事になるのかね……?」
ここでようやく、蚊帳の外だったアデウス氏が状況を呑み込んだのか、恐る恐ると言った風にそう訊ねた。
「そういう事。裏切ったらどうなるか……分かる?」
「ひえぇ……」
こらこらメイビス、そうやって直ぐにお貴族様を恫喝するんじゃあないよ。
「アデウス卿、改めて……ウェスタリカの王族として貴方に助力を願いたい」
「まあ、初めからそういうつもりではあった……のですがね。お相手がかように美しいお姫様となれば、是非もございません」
「それは一体……?」
まるで私の正体を知るより前から、決まっていた事のような口ぶりだ。思わず訝しみの視線を向けるのも無理は無いだろうが、アデウス氏はそれを見て疲れた笑みを浮かべて懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「政権の交代はいつの世も突然です、首を挿げ替える時期が来たのでしょう」
それは、いわゆる王が犯した罪を書き連ねた逮捕状のようなものらしい。
「如何なる地位の者であろうとも、犯した罪の重さは平等。王であろうとも裁かれるべきであり、あの御方も少々やり過ぎた」
国勢を揺るがしかねない政策の敢行と、国民を裏で奴隷化して働かせていた罪は流石の王であっても許される物ではない、そうアデウスは言った。
つまりは正面から罪を突き付け、王位を退かせると言う話のようで……。既に王太子含む上院議会である貴族院の面々とも話し合い、可決しているのだと。ついでに伯爵と王の目溢しで甘い汁を吸っていた連中も纏めて吊し上げる予定でもある。
「ですので、協力は致しますが……その前に私側からも一つ、要求がございます。ルフレ殿下」
***
闇へ薄っすらと雲をまぶしたような、夜空へ浮かぶ弦月に照らされた窓辺に彼女は佇んでいた。彼女に充てられた部屋は私の部屋と遜色ないように見えるが、またアデウス氏に無理を言ったのでは無いだろうか?
そんな彼女の、いつも二つ纏めにしている撫子色の髪も今は解かれ、月の光を受けて艶やかにその甘い色彩を輝かせている。
「メイビス」
その名を呼べば、少し眠たげな瞳が此方を向いてやんわりと細められる。
「色々と助かったよ、まさか本当にちゃんと後始末してくれるなんてな」
「お安い御用、なんてことは無かった」
彼女は、揺れる歩調で私の元へやって来ると、少し追い抜いた背のせいでこちらを見上げるようにしてそう言った。そうして、暫くの間無言で私を見つめてから、静かに腕を腰へ回して抱き着いてくる。
いつもなら拳骨を食らわせている所だが、色々と手伝ってくれたので今回くらいはご褒美として許してやろう。
それに、
「これも全部、お前の計画通りか?」
「……」
彼女の隠し事を考えれば、今この場から逃がす訳には行かない。
「……いつから、気付いて」
「元々敵だった奴が、妙に協力的になれば誰でも疑うさ。それに、鉱山でも言っただろ、根掘り葉掘り聞くって」
私も右手で彼女の腕を掴んで拘束すると、そのままベッドへ身体を預ける。なし崩し的に向かい合って座ったメイビスは、胡乱な目をしつつもその手を振りほどこうとはしない。
そんな息遣いが聞こえる程に近い距離感で、彼女の瞳が僅かに揺らいだ。
「……啓蒙の魔女エルヴィラ」
「何?」
そして、ポツリとそう呟いたのを皮切りに、メイビスの口から言葉が溢れ出す。
「私の母の名前。そして私は魔女の子、流星の魔女メイビス」
「ちょっと待て、魔女って……お前、まさか呪いが……!?」
呪いが解けた――――暗に表情でそう告げる彼女に、私は驚きの表情を隠せなかった。一体どのタイミングで、なんてのは分かる筈も無いが、自ら口にしたというのはつまり……そういうことなんだろう。
「アキトには嘘を言ったけど、私がここへルフレを連れて来たのは意図しての事だった。あの鉱山で教皇が何をしているのかも知っていた。その上でお前ならそれを全て壊せると分かって巻き込んだ」
まるで今まで抑えていた分が全て溢れ出してしまったかのように、呼吸を忘れる程に言葉を接ぐ彼女は必至に何かを訴えているようだった。
「でも、七聖人までいるのは予想外で、お前を危険に晒した。それは……それだけは本意じゃなかった、この腕も……本当は……」
無くなってしまった腕へ触れるのを恐れるように、その手前で宙を彷徨う指が、力なく皺を作る裾の端を掴む。彼女の目には僅かに涙が滲み、普段は見せる事のないような酷く悲し気な表情をしていた。
「……私、本当は聖王国が、アース教が嫌い。あいつらはばあやを、母様を"奪った"、私を"呪いで縛りつけて、四百年も操った"。だから、ルフレの力を見た時に利用しようと……思った。私が直接手を出す事は出来ないから、代わりの"駒"を使って」
「お前」
メイビスの言葉は、足らずとも私へ何を伝えたいのかがはっきりと分かった。だが、この一日でもう何度衝撃を受ければいいのか、情報過多で頭がパンクしそうな勢いではある。もう少し小分けにして情報公開しませんか、神様。
「つまり、それがお前の目的って事でいいのか?」
「……そう、私の目的は聖王国を打倒する事。それで傀儡にされた母と祖母を助ける」
「なるほどねぇ」
その一言で、なんとなく今までの彼女の行動に説得力が生まれたような気がした。自らを七聖人と名乗りながらも聖王国との関係を否定したのも今なら納得がいくし、思えば彼女はローレイン卿以外――――彼は自業自得だろう――――に人を一人も殺していない。
確か……あの鉱山長相手ですら傷口を焼いて失血死しないように配慮していたっけか。アキトを人質に取った時も本気で殺す気は無かったようだし、さりげなく殺されそうになってる奴隷を助けたりもしていた。
彼女の行動は敵と認識していれば矛盾を孕み、事情を汲めば理解できるが。
「まあ、利用しようとしたのは頂けないけど」
「……やっぱり軽蔑する?」
「う~ん、別にしないかな」
利用した事に対して勿論怒りはある。結果として色々あったにしろ、過程で彼女が関係ない私を巻き込んだのは大変腹立たしい事だ。しかし、それでも不思議と軽蔑や恨みと言った気持ちは湧いてこなかった。
それ故、首を横へ振る私に、メイビスは声を詰まらせて伏せ気味の瞼を大きく見開く。
「……それは、ずるい」
それからそう言って私の胸元へ顔を埋めると、小さく鼻を啜る音が空気を震わせた。静寂の中で小さな体のぬくもりと悲しみだけが伝わって来て、私はただ頭を撫で続ける事しか出来ない。
「嫌われると思ってた」
「元々そんなに好感度高くないだろ」
「……ッ!」
「ごめん、冗談だよ。私もお前の事は割と好きみたいだし、嫌ってなんかいないさ」
時折思い出したかのように言葉を交わし、部屋に差し込む月明かりがそんな二人を優しく照らす。
「私もな、あの国とは色々と因縁があるんだ」
「……ん」
はじめはイミアを狙った事だけに私は怒りを燃やしていた。しかし、その後に判明した伯爵邸での出来事の真相や、母たちが追われる原因となった犯人など、その全てにあの国が関わって来たのだ。もうイミア以外では関係ないと、問題を遠ざけている場合ではない。
「だからさ、私と来ないか?」
「……」
メイビスがこうして事情を明かしたのは、もうこれ以上私を利用する気が無いという意思の表明なのだろう。腕が無くなったことに関して、酷く責任を感じているようだし。
けど、今後彼女がいれば、私の思い描いた理想の形を実現するのに一歩近づくのだ。ここで何としてでも仲間に引き入れて起きたい。
「お前が私を利用したみたいに、私もお前が必要みたいだ」
「……その言葉、求婚と捉えても?」
冗談めかした台詞で、こちらの真意を探るように囁かれる掠れ声と吐息が耳朶を擽る。だが、私は彼女の瞼が震えている事に気付いていた。
「無理強いはしないし、断ってもいい。けど、それでも私はお前が、メイビスが欲しい」
「本気……?」
宝石のような紫紺の瞳に見つめられれば、途端に自分がとんでもなく恥ずかしい台詞を口走ってしまったのではと、顔の当たりに熱が集まってくる。もう少しニュアンスを変えても良かったかもしれないが……まあ、どちらにしろ本心は同じだ。
「本気も本気、大真面目だよ」
「……そう」
それだけ言うと、メイビスは密着していた状態から体を離し、立ち上がった。
「魔女の手を取るという事の意味を、お前は分かっているの?」
魔女……魔女か。
魔女と言えば、聖女と対を成す悪しき魔法使いっていうのが世間一般の印象だが果たして……。
「何か不都合でもあるのか?」
「む……定期的な魔力供給が必要、ルフレみたいな質の高い魔力なら六日に一度」
「それくらいなら別に幾らでもやってやるさ」
「……魔女はみんな悪者扱いされてるからお前の風評に響く」
「言わせておけばいいだろ。それに魔王の子孫の仲間だ、魔女くらいじゃなきゃ釣り合いが取れないね」
「……お前は、私が裏切るとは思わないの?」
「前も言ったけど、そうなれば私の責任だ。お前に裏切らせた私が悪い」
「うぐ……」
そう尽く言い負かされ、ジトっとした目で私を睨むメイビスに、私はニッコリと笑って見せる。
「……やっぱり、狡い」
「そっか、それで返事は決まったか?」
狡いとはなんだ、狡いとは。ただ私は断れるお願い事をしているだけだと言うのに。
「……ばか、断れる筈がない。お前からは色々と貰い過ぎた」
「それはつまり、"はい"ってことでいい?」
「……ん、魔女に二言は無い」
だが、とうとう観念したのかメイビスはこくりと頷くと、
「ルフレ――――流星の魔女の名において、契約者たる貴女の傍らに私は常に寄り添い、その身を護り、智慧を貸し……そして、"愛する"事を約束しよう。同上を貴女も誓いなさい」
「分かった、誓う」
私をジッと見つめてそう宣言した。
『魔女との契約は絶対』という、朧気な記憶から引っ張り出して来た情報は、彼女が如何に本気であるかを私に悟らせるのには十分過ぎる。
そして、その直後。
彼女は徐に膝を折り体を屈めると、指先を足へと這わせ――――そのまま脛へキスを落とす。
「にゃっ!? おまえ……なにしてっ!?」
「契約の証はキスだと、相場は決まっている」
慌てる私を余所に、メイビスは擽るような仕草で太腿から腰、鎖骨を指でなぞると、そのまま首へ腕を回してベッドへ押し倒した。
「んふ、じゃあいただきます」
「ま、まて……ちょ、なに、なにを……っ!?」
幼い面貌に妖艶さを隠すことなく浮かべ、彼女は笑う。
しまったと、そう思う間もなく私の口は塞がれ、柔らかい感触に全神経が支配された。彼女は愛撫するように舌同士を絡め、歯列をなぞり、上顎を舐り、力の抜ける感覚と脳みその芯から痺れるような甘い快感に襲われる。
一方的にされるがままの状態で、抵抗も出来ないまま一分、また一分と時間が流れて行き、壁掛け時計の長い針が五回動いてようやく、密着していた唇が離される。遠ざかっていく甘美な感触への名残惜しさを表すかのように、お互いの口から銀糸のアーチが伸び、ぷつりと途切れた時に何故か妙な物悲しさを感じた。
「ふぅ、ごちそうさま。とっても美味しい魔力でした♡」
「はひぃ……はぁ……待って、まさか……今のが魔力供……給……?」
妙に脱力して、なんか持ってかれてるなあと思ったら、キスで魔力を吸い取られていたらしい。
「肉体同士を触れ合わせればなんでもいいけど、キスが二番目に効率がいい」
今までもなんかやけに私へのスキンシップが多いと思ってたが、あれも全部そう言う事だったのか……!? いやいや、ちょっと後からそう言うのは無しにしません? ねえ。
「因みに一番効率がいいのは、セ――――」
「それ以上は言わんでいいっ!」
そんでもって更にこれから一週間に一度、毎回これをしろと?
やれやれ……、魔女という強力無比で私よりも知識の豊富な仲間が加入したのはいいが、とんだ対価のお支払いが待っていたというオチだった。
いや、別に「気持ち良かったからもっとしたかったな」とか考えてませんよ……
……ほんとに。




