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103.愛

 生前、私が風邪を引くと、母はいつも卵がゆを作ってくれた。


 土鍋で消化にいいように柔らかく煮込まれた白米と、塩気のついた卵が失った汗と体力を取り戻させるように体中へ染み渡る感覚は今も覚えている。一緒に飲んだポカリスエットが変な後味を残すのも、風邪を引いた時の特別な思い出だ。


「ほはわりっ‼」


 そんな感慨にも似た感想を抱きつつも、私は底の深い皿へ乗せられた麦がゆを飲み干すと、そのまま皿を掲げておかわりを要求する。


「ま、またですか!? これでもう何杯目だと……」


「いいから早くっ」


 驚愕か呆れか、ウミノがどっちともつかない顔でそう言いつつも、大釜からお粥を掬っておかわりしてくれた。隣に立つ女給さんは何故か心なし顔が引き攣っているが、気のせいだろう。


 念のために言っておくと、現在は目を覚ました王都のルヴィエント侯爵邸内の食堂にて絶賛朝食中である。


 私は食客扱いなので待遇はかなりいいし、鉱山の件でその責務は殆ど果たしたようなものだから、こうして好きなだけおかわり出来るというものだ。ガハハ。


「最早見ていて清々しいくらいの食べっぷりだね、ハハハ」


「ほっへもほいひいへふ、ほんほはひはとふほざいまふ」


「御主人様、口に食べ物を含んだまま喋ってはいけません」


 そして、今私の向かいに座って、薄幸そうな顔で笑みを作る壮年の男性こそが、ルヴィエント侯爵家現当主のアデウス氏だったりする。いやあ、まさか家主を目の前にして麦粥のわんこそばをする程食い意地が張ってるとは私にも思わなんだ。


 ……というか、何故か食べても食べても満腹にならず、幾らでも胃に放り込める気さえしているのだが……なんだか私の体、おかしくない?


 以前は体格の割には食べる方ではあったものの、胃袋の大きさと詰め込める容量に当然ながら限度はあった筈なんだけどなあ。原則として質量保存の法則はこの世界でも働いているのに、今の私がそれを無視する食いっぷりを見せているのはやっぱり変だ。


 だがそれでも手は止まらず、それぞれ計五キロの麦と牛乳――――十キロの麦粥を平らげた所で、食事の方が無くなって私の勝利と相成った。うん、別に体に何か不具合がある訳でも無いし、この事は後回しにしても問題は無いだろう。


「それじゃあ、功労者のお腹も満たせたところで改めてお礼を。本当にありがとう」


 アデウス氏はそう言って立ち上がると、私に向き直って貴族式の礼――――胸に手を添えて軽く頭を下げる、いわゆるボウ・アンド・スクレープ――――をして柔らかな笑みを浮かべた。これは平民に対して普通はしない所作、つまりは正しく最上級の感謝の言葉と姿勢である。


「こちらこそ、傷の治療と衣食住の提供に誠に感謝しております」


 この国は魔人排斥の風潮が強いと思っていたのだが、貴族にもそうではない人間がいたようで少し驚いた。しかし、礼儀として私が返したカーテシーとお辞儀を見たアデウス氏も、同様に驚いて目を丸くしている。


「……ほう、礼儀作法がしっかりとしているね。何処かで習ったのかい?」


「ええと、これは少し事情があってですね……」


 きっと私が八年前に伯爵邸で上女中として働いていた事を明かせば、また一悶着ありかねない。それ故に言うべき内容をよく吟味する必要があるのだが……。どうにも、取り戻した記憶だけでは補完出来ない部分が多々あって、説明のしようがないと頭を悩ませていた所――――


「……それに関しては、一旦待って」


「メイビス?」


「い、いつの間に……!?」


 ――――いつの間にか隣の椅子へ座ってそう言ったメイビスに話を遮られてしまった。


 不遜な少女(推定)の奔放ぶりに、先程の数倍驚いた顔で後退るアデウス氏。後退した生え際と若白髪を見るに、こういうストレスに日夜晒されていたのだなと、何となく可哀そうになる。


「お前、どこ行ってたんだよ。目を覚ました時にいなかったからてっきり逃げたかと」


「私は逃げも隠れもしない、ただ……王女の様子を見に行っていただけ」


「王女って、アザリア様の事か……?」


「そう。場合によってはルフレ、貴女があの小娘に様を付けられるような関係ではいられないかもしれないから、会いに行ってきた」


 珍しく長々とそう口にしたメイビスは、意味深にジッと私の事を見上げていた。


 様を付けられなくなると言うのは、一体全体どういう意味で言った言葉なのだろうか。私と王女との関係が、何か悪い方向へ変化するのだけは勘弁してほしいが。


「ルヴィエント侯爵、人払いを」


「そ、それは構わないけれど、一体何の為に?」


「今から話す内容をメイドには聞かせられないから」


 メイビスの指示でアデウス氏が食堂からウミノ以外の従者を退出させると、彼女はポンチョの胸ポケットから一枚の封筒を取り出し、そしてそれを机へと置き、私の方へ滑らせる。


「これ、読んで」


「……手紙」


 受け取った手紙を持ち上げ、まじまじと見つめる。


 なんら変哲の無い封筒のようにも見えるがしかし、そこに掛けられた魔法と、差出人の名前を見つけて私は思わず動きを止めた。


「……リアシャルテ・バーム・ウィステリア」

 

 何も言われずとも分かる。これは母が私に宛てて出した手紙だ、しかも態々フルネームを用いて。


 何故既に封蝋が開いているのかは言及しないでおくが、開けた張本人も中にある手紙は読めてはいない筈。と言うか読める筈がない、母は風魔法から派生した音と水魔法を用いた文字を司る魔法の使い手だったのだから、私宛に書いた手紙を他人に読ませるわけが無いのだ。


 中の便箋を取り出してみれば、その内容を秘匿するように文字の虫たちが蠢いて入り混じっている。


 だが、私の指先から徐々に魔力の波が紙へと伝播していくと、段々とその虫たちの列が意味を成し始め、何かを伝えるという本懐を遂げる為に一つの文書として私の前に整列した。


 ここに何が書かれているのかは知らない。だが、メイビスが言った言葉の答えは、恐らく手紙の中にあると思う。母がわざわざ手紙を残していた事、何故直接私の元へ現れないのかも、全てここに書かれている筈なのだ。


「読むしか……無いか」


 故に、どれだけ躊躇しようとも、私はその全容を知らなければならない。

 

 せめてこの緊張をここにいる面々にも味あわせてやる為に、音読でもしてやろうか。


 一人で抱え込むなんてもう御免だからな。メイビスもウミノも、こうなったらとことんまで付き合ってもらうとしよう。

 


***



 ――――気の遠くなるような遥か昔の事。


 具体的に言えば多分十世紀ほど前、この大陸に《魔王(まおう)》が生まれた。


 はじめの魔王は、機人族(オートマタ)という非常に珍しい金属人形の魔人だったのだと言う。ただ、この初代魔王もはじめから魔王であった訳ではなく、長い時を生きたが為に素養が開花しただけである。


 そもそも《魔王》とは《勇者》と対を成す存在であり、《賢者》や《聖女》と言った者達と同様に定められた役割の一つ。更に端的に言えば因子そのもの、誰にでもなり得る可能性があっただけで、彼が魔王となったのも偶然の産物に近い。


 何はともあれ、そこから魔王によって国が興され、魔人たちによる楽園が生まれた。魔王の力を笠に着た魔人種は人間に対して侵略を行い、領土を広げ、繁栄していく。


 だが、魔人至上主義を謳う彼らの天下は永劫と続くことはなく、その(のち)に誕生した神聖王国イグロスの聖女と初代勇者は魔王へと決戦を挑み、そして封印に成功する。およそ二世紀という長い期間国を治めた魔王は消え、人類圏の国々は平穏を取り戻した……かに見えたが、それは一時の夢幻に過ぎなかった。


 それからたった十年と言う短い時が過ぎたある日、二人目の魔王が誕生する。


 二代目魔王は元々初代に仕えていた竜人族の戦士であり、彼は主君である存在を封印した人間を酷く恨んでいた。


 その為、当然の帰結として二代目は人間に対して復讐を行い、初代よりも悲惨な魔王による暗黒の時代が到来。この時代――――二代目魔王が最も人類を窮地に追いやったとして、歴史書にも当時の出来事が幾つも書き記されている程。


 例を挙げると『村を滅ぼし、そこに住んでいた人間の肉で焼肉パーティーをした』だとか『人間の国の王を生け捕りにし、その娘の肉を削いで無理やり食べさせた』等と言った悪逆非道ぶりが散見される。


 この二代目のお陰で、被害に遭った国の人々は後世まで魔人忌避を謳うようになったのは間違い無いだろう。そして、そんな二代目を当代聖女と勇者が見逃す筈も無く、二十年と言う長い期間戦争状態を継続して、ようやく魔王の首は落ちる事となった。


 だがしかし。


 代償は大きく、聖女の命一つに加えて、勇者とその子、そのまた孫、子々孫々のずっと先までもが死ぬ寸前に放たれた魔王の呪いによって苦しめられるという痛み分けに終わったらしい。


 その二代目勇者の子孫は現在も世界のどこかで生きており、終わらない呪いによって苦しめられ続けているのだと。


 そして、最も知名度が低く、大陸史史上最も温厚であった三代目魔王は誰の目にも留まることなくひっそりと生まれた。それが今からおよそ二百年前の事で、実際に魔人の国を統治していたのはたった二十五年という短い期間のみ。


 先代、先々代と比べればかなり短く、しかも一切の戦争行為を行わずに魔法を研究し、民草と穀物を育てて暮らしたと言う。


 更に不可解であるのが、三代目は勇者によって討伐されるでも無く、生まれた時と同じようにその姿をくらませた。この三代目に関する説は多々あるものの、最も有力とされている学説が『魔導の深淵を見る為に世界の果てへと赴いた』という荒唐無稽なものである事から、穏健でありつつも最も謎の多き魔王である事が伺える。


 最後に――――現状末代となる四代目魔王は二代目と同じ竜人族から生まれた事で、悪夢の再来かと人々は酷く恐れた。しかし、そんな考えとは裏腹に、四代目はただ三代目の築いた小さな国を細々と統治するのみであった。


 それでも人間側はそんな悠長には構えていられない。


 『竜人の魔王となればいずれ本性を表して世界に危機が訪れる』と、何処かの国が言い出し、次第にその波が広がり、魔王討伐の流れが生まれてしまう。そんな中で派遣されたのは、《灰の勇者》と呼ばれる青年だった。


 彼は実際に魔人の国へ赴き、出会った魔王を見て大層驚いた。


 なんと、玉座に座していたのは魔王とは名ばかりの優しい老いた王様であり、訪れた勇者に豪勢とはいえずとも、精一杯のもてなしをしたと言う。


 これを受けて勇者は魔王の首を取るに取れず、ただ事情が事情なだけに手ぶらで国へ帰れば何言われるか分からず、どうしたらいいかと悩んだ。そんな時、彼の前に現れたのは魔王の孫娘――――灰被りのように真っ白な髪と肌をした、とても美しい竜人族の娘だった。


 灰の勇者と灰被りの王女の出会いは鮮烈で、お互いに一目で恋に落ち、その日の内に愛し合ったのだと。後に二人は子を生す事になるが、恐らくこの時既に彼女のお腹の中に"娘"はいたのだろう。

 

 魔王は二人の仲をとても喜んで認め、すぐにでも結婚をするべきだと言った。


 だがしかし、そこで悲劇が襲う。


 いつまでも帰らない勇者に業を煮やした人間の国が、魔人の国へ侵攻を始めたのだ。


 森の中に隠れるように存在する魔人の国は、人の軍勢と戦えるだけの力を持っておらず、かと言って人間がそんな事情を汲んでくれる筈もない。数少ない魔人の戦士たちは次々と命を落とし、やがて城まで攻め入られた魔王と勇者は、王女とそのお腹にいる子だけはと、その身を犠牲にして彼女を逃がした。


 親友であり、頼れる元パーティーメンバーであった風来の剣士と、貴族の嫡男の癖に冒険者をしていた変わり者の魔術師に愛した女性を託して、勇者は逝った。加えて彼らに魔王から霊人(レイス)半・妖耳族(ハーフエルフ)がお目付け役として付き、なんとか人間の国へ逃亡を果たす。


 魔人と勇者の間にいずれ産まれるであろう子を護る為に。


 身分を偽り、貴族すらも欺いて取り込み、何があってもその娘の未来を失わせない為に、彼らはその身命を賭した。


 "ルフレ"と名付けたその少女がやがて成長し、真実を告げる手紙を読んで選択をする日まで。一人の祖父と、三人の父、そして二人の母によって守られた彼女が、どんな道を選ぼうとも――――









『どんな道を選ぼうとも、私たちは皆、あなたの幸せを願っています』


 


 手紙の最後がそう括られていたように。


 この日、私は自らの運命を知った。

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