102.後の事
なんかすごい説明が長くなった気がする、分かりにくかったらすいません。
目覚めると、そこは知らない天井だった。
「……生きてる」
肩まで丁寧に掛けられた金刺繍のされた布を押しのけて上体を起こせば、寝起きの眼に薄明に照らされた室内がぼんやりと映り、自分が生きている事を確かめさせられる。
起き上がった拍子に、否が応でも暗色の帳に星をまぶしたような色合いの豪奢な天幕が視界に入った。すると、文字通り目が覚めるような絢爛華麗な織物への感嘆を伴って、漫然とした思考が意識の本覚醒と共に纏まりを見せ始める。
寝起きで全容を把握する事は難しいが、鉄柵で覆われた冷たい地べたではなくベッドに寝かされていたという事を鑑みると、取り敢えず安全な場所にいると思って問題無さそうである。
しかし、この国でこれ程のベッドルームを用意できる人物に心当たりはない。
「う~ん……?」
誰も見ていないのをいいことに、わざとらしく首を傾げてみると、体のバランスを崩してベッドへ倒れ込む。
何故踏ん張りがきかないのかを一瞬考えるが、質の高い絹製の寝間着にすっぽりと覆われた体の――――左肩から先の主張が無い事を思い出した。
脇腹にしがみつくように項垂れている袖が、気を失う前に起きた出来事をより鮮明に想起させ、よもや危惧していた事が本当に起きるとはと、思わず嘆息が漏れる。
まあ、四肢の一部を欠損する程の死闘だったと考えれば、生きているだけまだ運が良かったのかもしれない。それでも、少し軽くなってしまった自分の体を見つめれば見つめる程、中々どうして表現し難い喪失感に襲われる事に違いは無いが。
あまりメランコリーな気分に浸るのはよろしくないので、そこから目を逸らすようにワンピースの裾を捲って、他に傷が無いか確かめてみるも異常はない。
むしろ傷痍どころかシミ一つ無い肌は、女性にしては筋肉が付き過ぎ――――それでも目に見える程ではない――――だろうかと言う程度だ。あの戦闘では致命傷には至らないまでも、それなりに傷を作った自覚はあった以上、もう少し痕が残ると思っていたのだが……。
「……傷じゃなくて、魔法の跡だな。これ」
魔法と言っても光の治癒魔法では無く、水属性の医療魔法が働いた跡だ。
裂傷部分の雑菌や汚れを洗い落とし、出血した血液中の水分を蒸発させて速やかに瘡蓋を作る……と言ったような、外科医療に特化した魔法の使い手による施術の痕跡が私には見える。
そしてこの高度な魔法行使は、十中八九魔術師ギルドの組員によるものか。
聖女の奇跡の如く怪我を治せる訳では無いものの、消毒と止血を適切に行い、傷痕を残さないように処置を施すくらいなら彼らには朝飯前である。
ただ、一体何処の誰がそんな高度な医療処置を依頼したのだろう? ここは異世界につき当然保険適用外なので、彼らに仕事をされたという事は低く見積もっても金貨数枚のお支払いが待っている。頭が痛くなるね。
まあ……お金の事は取り敢えず置いておくとして、"身体"の方はどうだろうか。
「やっぱり大きくなってるよな」
以前よりも高い目線が相当伸びたであろう脚を捉え、それから顎を引いてやや膨らみの増した胸元へとアングルを移す。
詐称されていた約十年間の成長を以てしても、そこまで大きくならなかったのはきっと遺伝子のせいなのだ。鮮明になった記憶の中の母もそこまで大きくなかったし。
胸の大きさも踏まえて現在の外見は客観的に見ると、発育途上の十五歳かその辺りの印象で落ち着くだろう。
この二十年間で貰った他者からの印象というのは様々であり、十歳かそこらの子供に見る人もいれば、先程述べたように外見相応の年代を口にする者もいた。
その事から――――ただの憶測なので正否は定かでは無いが――――ウミノの能力というのは迷彩のように物理的にカモフラージュを施しているのではなく、他者の認識そのものを捻じ曲げるものなのではと考察できる。
要は、誰からもそう見えるように世界の法則レベルで認識を書き換える程の力――――《スキル》の領域で無ければ成し得ない結果を得ているという事だ。
この術を掛けたウミノですら、私の事を『男爵家の義理娘。ウェンハンス伯爵に追われる白髪の半魔』としてではなく『鉱山に潜入した半魔の冒険者ルフレ・ウィステリア』という別の存在として認識していたのが証拠となり得るだろう。
だが、ウミノよりも力のある存在は、その認識の齟齬をある程度見抜ける可能性もある。
私は自分が伯爵邸から逃げざるを得なかった理由こそねじ曲がっていたが、その全てを忘れた訳ではなかった。エイジスも私が母――――リーシャの娘である事を認識出来ていた。
そういう人々は阻害を受けていようが、それなりに本質に近しい私を見る事が出来ていた為、私の印象や年齢の数値にバラつきが出ていたと考えるのが妥当か。
まあ、ぶっちゃけ本人に聞いた方が早いんだろうけどね。
気持ちを落ち着ける為に考え込むのは、いわゆる私にとっての定常処理になってしまっているのだ。
ともあれ――――"俺"という存在は、最初から"私"だったのが分かってホッとした。
十三歳の折りに唐突に訪れた不完全な記憶の回帰のお陰で、以前は転生した"俺"としての自我と、この世界で生まれた"私"の二つが心の中にあった。だが、全てを思い出した今なら言える。
"俺"は生まれた時より"私"であって"私"も"俺"であり、二人共がルフレ・ウィステリアなのだと。
記憶が戻る以前も、幾度か前世での出来事や固有名詞などを断片的に思い出していたので、絶対に間違いは無い。それによって少々性格と言うか、価値観等も変わってしまった気がするが、土台となる部分は依然として"俺"なので、こうも落ち着いているんだろう。
性格や趣向はどちらかと言えば"私"寄りで価値観は相当ごちゃ混ぜ、特に倫理・道徳観念に関してはかなり変わった自覚がある。その辺りは魔人種の精神性を強く引き継いでしまったが為のものだと、何となくそう考えているが、実際は良く分からない。
さてさて、そんなある意味で生まれ変わった私が今気になっているのは、ここがどこだと言う事。
先ず、自分の寝ているベッドからして規模が違う。
数人寝転んでも問題はなさそうな広さがあるし、安い綿糸で嵩増ししている様子も無い。清潔に整えられたシーツといい、相当な御品である事は間違いないだろう。
幾ら察しの悪い人間だろうと、これがただの客に向けたものではない事は、部屋の内装を見れば一瞬で分かる。
「どこかの貴族家か……?」
王室で使用するようなキャビネットから、磨き上げられた鏡台とドレッサー。恐らくは、一点ものであろうそれらが惜しげも無く置かれているこの部屋は貴族の屋敷か、もしくは何処かの王宮やもしれない。
よく考えなくとも何か察せるような気もするが、取り敢えずは人を探そう。大抵こういう貴族のお家では部屋の前に使用人が控えている事が普通だ、家主に挨拶をする為にも目覚めた事を伝えなければ。
ベッドの縁へ腰を下ろし、備え付けられていた履物へ足を通そうとした私は、やっぱり降りるのをやめて居直った。
「……ウミノ、居るなら居ると初めから言ってくれ」
「おはようございます、ご主人様」
いつの間にか俺の横に付けていたハーフエルフのメイドをじっとりとねめつけて、嘆息を漏らしながらベッドへと戻る。どうやら人を呼びに行く足労は必要ないらしい。
「まずはお目覚めになられた事、心よりお慶び申し上げます」
「あー、うん。ありがとね。それで、此処って何処なの?」
「ではお体を清めながら、その事も含めてご主人様が眠っておられた間のお話をしましょう」
なんというか、ウミノは実に淡々と事務的な空気を漂わせつつ、ベッドの傍へ添えられていたお湯が張ったタライで手ぬぐいを濡らすと、私の全身をせっせと拭き始めた。
温い布が髪の毛先までしっかりと皮脂や汗を丁寧に拭き取り、何とも言えないむず痒さに晒されている間にも、彼女は私が眠っていた間の事――――およそ一週間眠り続けていたらしい――――を口にする。
「勇者共々侯爵家が動き出していたのはご存知でしょうが、あの直後に鉱山一帯は手の者によって封鎖。中で強制労働に従事しておりました約千名の奴隷が保護されました」
ふむ、中々に行動が早くて助かるというものだ。
元々侯爵サマも業を煮やしていたらしいので、相当前から事を起こす準備が出来ていたと見える。きっかけを与えたのが私達であるのは間違いないが、ちゃんと動いてくれた事には感謝しなければいけないな。
「その後、不正取引と法律に抵触した人身売買に関する文書の開示と共に、ウェンハンス伯爵と従者は王太子様の権限によって一時的に身柄を拘束され、現在は王都内部にて軟禁状態になっております」
「王太子が?」
寝間着を脱がせて、背中を拭いていたウミノの言葉に私は思わずオウム返しのようにそう言った。ここに来て現れた王太子と言う存在は、私達が立てた予定に組み込まれていないパーソンだ。
そもそも王室は腐敗しきって伯爵ともずぶずぶの仲だと思っていたのだが、違うのだろうか?
「はい。丁度一週間ほど前、ルヴィエント侯爵含む王太子らの戦争を由としない穏健派閥と、戦争へ賛成している現国王率いる過激派による内乱が勃発しました」
「えっ、それマジ?」
「マジです」
一週間も寝ている間に、本当に色々起きたらしい。まさか内乱にまで発展するとは思ってもみなかったと言うか、それって多分……。
「伯爵邸の小間使いを名乗る匿名の人間種……ええ、彼によって前述の汚職が侯爵家へ密告、露呈した為、穏健派はそれを材料に攻撃を開始したとか」
「アキトかぁ……」
そうじゃないかと思ってはいたが……いや、内乱勃発の火種を持ち込むとか、よく考えると相当クレイジーだなあいつ。人畜無害そうな見た目しておいて、一番やばい奴かも知れない。
「そして、現在御主人様は侯爵家の協力者として、彼、アキト様と共に王都の邸宅で匿われているという訳です」
「なるほどねぇ……、因みに形勢はどうなんだ? 普通に考えたら国王派は相当旗色が悪そうだけど」
「推察の通り、今はまだ暗闘の段階ですが王太子派閥が有利かと。加えて、この国へ滞在なされているフラスカの第一王女様が中立の立場として、王太子様の主張の正当性を認めている為に、抗争と言っても一方的なものになりつつあります」
「……アザリア様が、この国に?」
脳裏に気の強いお姫様の姿が微かに過り、その――――炎のように紅い髪の毛先が視界の端で揺れたような気がして、内心で動揺を孕んだ不安感が湧き出してくる。
全く、なんだってそんな危ない事に首を突っ込んだのか。もし何かあったらと考えれば気が気ではない。今すぐにでも傍へ行き、無理やりにでも彼女を抱えてフラスカの城へ駆け出したい程だが……。
「待て……」
いや、もしかして。
もしかすると、彼女は私達を探しにこの国に来たのではないか?
今の今まですっかりと忘れていたが、私が第一王女の護衛として働く任期はあの時点で一ヵ月以上残っていたのだ。
その理由が半ば誘拐に近い形だったとは言え、仕事をほっぽり出してしまったのは事実だし。しかも、すぐに戻ると言う選択肢が取れたにも関わらず、私情を挟んでそれをしなかったので言い訳なんて出来る筈も無いしなあ……。
そう考えると、今回の件が自分の過去にまつわる物だったからと、色々無意識に無茶を通そうとしてしまったのかもしれない。
見通しの甘い作戦を即決する事も然り、最初からアキトのしたように敵対派閥の貴族を利用したりと、他にやりようはあったのでは無いだろうか。潜入するにしても、もう少し考えてから動くべきだったのだろう。
個人の力で権力に対して抵抗するのには限度があると身に染みたし、私が如何に短慮で無勢であったかを分からされたようだ。今更ながらにそんな考えに行き着いても、腕一本と言う高い授業料は帰ってくる訳でも無いが。
せめて同じ轍を踏まないように、この失敗は心にしっかりと留めて置こう。
さて、
「お腹、空いたな……」
一週間眠りっぱなしのお陰で空っぽの胃が悲鳴を上げ始めたようだ。
ついでに糖分不足で頭が回らなくなってきたので、そろそろ思索を切り上げて現実に向き直るとしますか。




