100.もう一つの終わり
作者のツイッターでルフレさんのデザイン草案みたいなのを載せているので、どうぞ閲覧してみて、文章と合わせて想像してみるのもまた一興かと。イメージと違うだとか、忌避感を感じるといった方は注意です。【https://twitter.com/KansoShina】
――――暗い坑道を音も無く走る一つの影は、誰にも気づかれる事無く目的地へ辿り着こうとしていた。
あらゆる存在からの認識を阻害し、時に無かった事にすらする《色即是空》というユニークスキルを有する彼女――――ウミノが欺けない者など殆ど存在しない。それ故に、目的地に到着した際、どうするか考えあぐねてしまったのだが。
目の前で争っているのは、リフトと呼ばれていた人間種の男と奴隷の一人。
後者はどうやら手負いのようだが、それが些細な事だと言うかのように平然と、まるで敵意も害意も発さないままにそこへ佇んでいた。だと言うのに、不思議と目が離せない謎の存在感を放っており、相対する男もそれを感じているのか、用心深く間合いを測っている。
ここで不意を突いてしまえば、あの鈍重な男の喉笛などは容易に掻き切る事が出来るが、
「……あの方の配下足りえるか、私が見定めましょう」
一言そう呟いて、近くにあった手頃な岩へと腰を下ろした。
二者は睨み合ったままじりじりと距離を詰めて行くが、巨男だけが動いており――――まるで磁力で引き寄せられるかのように――――ジンはただ独特な構えをしているだけで、動く素振りも見せない。
「何か、敵意を集中させるスキルでも働いているのでしょうか……?」
聞こえないのをいい事に、ぶつぶつと考察を垂れ流しつつ傍観の構えを取る。
しかしその傍観者であるウミノですら、無意識の内にジンへ視線が引き寄せられている事実に気付けないでいた。
「オ……ッラア!」
そしてとうとう互いの間合いに入った直後、リフトのミートマレットがジンの頭部を狙って振り下ろされ、坑道内に硬質な衝撃音が木霊する。普通なら素手で受ければ肉が抉れるような一撃だったが、ウミノの目に映った尋常ならざる結果はそれを否定した。
「は……? なんだよ……それぇ?」
棘の付いた表面部分は確かに腕を叩いたにも関わらずそれ以上押し込まれる事は無く、鋭利な先端が皮膚に押し留められると言う奇妙な光景。
だがしかし、それ以上にリフトを驚愕させたのは、ジンの腕――――皮膚がまるで鋼のように硬質化していたことだ。骨すらも砕くほどの衝撃を受け止めたそれは、まるで褐色をした岩盤に見える。
頭上からの一撃を受け止めたジンは動じる事すらせずに肉叩きを押し返し、その形容しがたい類の圧にリフトはよたよたと後退った。
「この……ッ!」
呆気に取られたのも一瞬で、すぐに正気を取り戻したリフトが今一度、次は巨大な肉切り包丁を袈裟切りに振り下ろす。それに対してジンは避ける素振りすらも見せず、甘んじて攻撃を受け入れて――――
「おあッ!?」
――――またも、硬いもの同士がぶつかったような音が反響する。
しかし、今回はそれだけでは済まず、打ち付けた包丁が酷い刃こぼれを起こして手から弾かれ落ちた。静寂の中で転々と転がるそれを横目に、何か得体の知れない恐怖がリフトの中で沸き起こり、毛穴から冷や汗が滝のように噴き出す。
「な、なんだぁ……!? その姿は……」
リフトが巨体を慄かせながらそう叫ぶのも仕方が無いと思える程に、ジンの姿は驚きの変貌を遂げていた。身体構造自体を変化させたのか、顔面から足の先までを外骨格が覆い尽くしているのだ。
圧倒的重量を誇る巨腕からの一刀を物ともせず受け止めた肉体は比喩などでは無く、正しく全身が強固な鎧を着込んでいると言っていい。
その姿は、見様によってはいやに骨太な骸骨種のようにも見え、おおよそ人間では無く、魔の物と言われた方が得心の行く面貌だが……。
本来白目である部分が黒に変化し、逆に瞳孔は暗黒の中で煌々と光を灯す金色と化していた。更に、重厚な外骨格の顎から耳までずらりと並んだ歯の下には、本来存在していた口から歯列がもう一つ覗き、夜叉の如き威容を醸し出している。
「フシュー……」
急激に肉体を変化させたことで発生した熱量を蒸気として全身から噴き出し、彼の者は己の肉体が既に人ならざるモノへと変質している事を悟った。
「あれは魔人に進化……いや、変化したと言うのですか……」
そして、厳めしい変化を成した姿こそが、美徳系ユニークスキル《堅忍之徳》最強の権能そのもの――――《魔人化》である。
時間制限付きと言う欠点もあるが、スキル使用中のみ魔人と同等の能力を得るその権能は、並のユニークスキルの比ではない程の防御力をジンへ与えた。
外骨格自体が強固な防御結界であり、何人の刃も通さず、魔法を撃ち消し、全てを受け止め耐え切る。理屈と法則を捻じ曲げる《スキル》の力を以て、リフトには絶対に倒す事の出来ない不沈の要塞が組み上がってしまったのだ。
「畜生がああぁぁあああッ!!」
裂帛の気合と共に、呻りを上げてミートマレットが横から叩きつけられる。
しかし、側頭部に攻撃が当たったにも関わらず、衝撃で僅かばかり首が横へ動いたのみ。その顔には傷一つ付いていない。
「……あの時のあいつの一発に比べれば、これはなんだ? 虫にでも刺されたみたいだ」
そう独り言ちて、逆に黄金色の瞳孔が徐にリフトの姿を捉える。その直後、左拳が弩を引いた時のような軋んだ音と蒸気を発して、脇腹へ突き刺さった。
「ごぼッ……!?」
決して速くは無いが、どこまでも重いその一撃は十分過ぎるほどの威力を体に伝え、肉の壁を易々と突破して内臓を骨と拳とですり潰す。更にグロッキー状態になった顔面へ、返しの右フックが炸裂。
「がッ……」
鉄仮面がまるで豆腐でも叩いたかのようにあっさりと割れて、その下に隠れていた醜悪な面が露わになった。
こめかみに打ち付けられた拳が、錐揉み回転させながら殴り飛ばすのが早いか、それとも衝撃で意識が飛ぶのが早いか。ともかくその巨体は制御を失って冷たい地面へ沈み、それきり起き上がってくる事も無く、その空間には再びの静寂が訪れた。
「――――」
未だ急激に上昇した体温を排出し切れていないのか、残心を解かずに佇む身体の周囲には陽炎が揺らめく。そんな勝利への感慨も表に見せない拳闘士を静かに讃えるのは、坑道の天井から垂らされたランタンの明滅のみである。
その背後で趨勢を見守っていたハーフエルフは、戦闘の爾今へ思索を巡らす為に動けずにいた。
当初予想していた以上の結果と衝撃に対する感想は単なる強者への感嘆のみではなく、そこへ内包された得体の知れなさや危険性も過分に含まれており、それ故に彼女は逡巡する。
――――ここで殺しておいた方がいいのでは、と
他種族よりも危険に敏感なエルフの直感が、邪ではないにしろ、あの力から不穏さを感じ取っていた。理由はそれだけで十分か。
だがしかし、彼女がその二択の答えを選ぶ前に事態は進展を辿る。
「ヒト……?」
ウミノの鋭敏な聴覚が捉えたのは人間の足音。
それも一人や二人では無くもっと大勢のものであり、明らかに手練れらしき警戒の強い歩調から、ただの登山客で無い事は分かった。ややもすれば、伯爵の私兵たちが押し掛けて来たのかと、先程までの思考を保留にしつつ前方を見据える。
「何者だ!」
何度か右折と左折を繰り返した後に、足音はとうとう彼女たちのいる坑道に到達。先頭の斥候らしき男が翳したランタンの後ろから、皮鎧を纏った髭面の男が声を上げた。
その更に背後に控える――――六本足の馬を中央に据えた焼印の入った――――鎧の兵を見て、ウミノは己の警戒が杞憂である事を理解し、小さく嘆息を漏らす。彼らはルヴィエント侯爵家に仕える騎士の面々だと。
「……あんた、バルダザールさんか?」
「おっ……」
更に、今も《魔人化》を解かずにいたジンがそう溢した事で、髭面の男は目を瞬かせて声を詰まらせた。
「その声はまさか……ジン! 俺には分かるぞ、お前ジンだよなっ!? 生きてやがったかこの野郎めが! 心配かけやがって!」
驚愕の色を孕んだ表情は、次第に何かを確信するように変わっていき、最後には満面の笑みを浮かべてジンへ駆け寄った。
「いや、でもあんたがどうしてここに……」
「見りゃ分かるだろ、とある商会のタレコミで伯爵のやって来た事が全部表に出た、素っ裸だ! だから、俺が"ギルマス"として落とし前着けに来たんだよ」
つまりは、冒険者ギルドに喧嘩を売った相手を叩きのめしに来たと、そう言ってバルダザール――――ルヴィス支部のギルドマスター――――は豪快に笑う。
「つーかお前、なんだその悪魔みてぇな姿」
「……ああ、そう言えばアレはもう片付いたのか」
「アレって、あの転がってる奴の……いや待て、アイツはお前が倒したのか?」
「一回負けたが、なんとか……な」
諸々を指摘されてからようやく気が付いたのか、ジンは自分とリフトを交互に見てから、《魔人化》を解除した。鋭角に伸びた外骨格が煙を上げて消滅して行き、数秒もすると元の人間らしい姿が戻ってくる。
その様子を吃驚の声を漏らして眺めるバルダザールたちだが、彼らと騎士団とでは、その内情はやや違った。
「あれは……"人肉解体屋"じゃないか!?」
「我々騎士団でも捕らえることが出来なかったのを、本当にこの男が……?」
どうやら二つ名付きの重犯罪者だったらしく、騎士団のジンを見る目には驚き以上に畏怖と疑念の色が宿っている。
「しかし、聞いてた話と大分状況が違うな。どうなってやがんだ?」
「あー、うん。まあ……そうだな」
バルダザールも訝し気な表情で虚空をねめつけるが、それも尤もな反応であると、ジンはガシガシと頭を掻く。しかし、当事者でさえ今一つ分かっていないので、どう切り返したらいいかは分からない。
そして、その様子を密かに眺めていたハーフエルフは、小さく息を吐くと不承不承な態度で彼らの前へ歩み出た。
「そこから先は私が説明しましょう」
ここで放っておいたら、奥でまた面倒臭い事になりかねないと。




