99.その心、打ち直せ
俺の両親は魔人に殺された。
数え年で五歳の時、とある小さな領村の宿へ押し入った盗賊団に殺された。しかも、俺の親だけでなく、その村にいる住民は皆殺しだ。
俺だけは、母に押し込められたベッドの下にいて、見つかる事は無かった。
その時見た光景はきっと一生忘れる事は出来ないだろう。血と臓物が泡を上げて飛び散るあの音、鼻を刺すような鉄錆の匂い。
そして、肉親の断末魔の絶叫と、死に顔を――――
自身のルーツを辿れば、元々は決まった土地へ居着かずに色んな国々を巡る民族の出身である。両親もその例に漏れず、行く場所行く場所で折々に物を売って風の流れに身を任せ、また次の場所へと向かう流浪の行商人だった。
そんな旅を続けていたら、生まれたのが俺。母が産気づいた時は街道の真っただ中で産婆もおらず、道の端へ退けた幌馬車の中で父が悪戦苦闘しつつ数時間、難産ながらに産声を上げたと言う。
根無し草である以上生活は決して裕福とは言えず、時には身も凍るような寒さの中で夜を超した事もあった。だが、両親の見せてくれるどこまでも広大な世界が、俺は好きだった。
山ほどの大きさもある竜が闊歩する山脈に、血液が溶岩の魚が泳ぐ炎の海。
夜の神に祝福された月下の森、古代超文明の遺物が埋もれる大墳墓、原初の白き竜が眠る永久凍土、そして……そんな秘境を踏破せんと挑む冒険者たち。
旅の途中、父が聞かせてくれた英雄譚を聞いて、俺は冒険者に強く憧れた。自分もいつかそんな風に、世界中を旅する冒険者になりたいと。
だが、結果はどうだろうか。
両親が殺されたあの日から、俺の人生は変わった。
浮浪児になり、どこへ向けたらいいのかも分からない怒りを臓物に溜め込みながら、毎日を過ごした。十二歳で冒険者になったのも、夢や憧れなんかではない。ただ、人より力が強くて荒事に向いていたから、金を稼げるから。理由はそれだけだった。
同業者にも魔人がおり、奴らを見るだけで虫唾の走る思いでずっと一人で仕事をしていたが、そんな俺も一度だけ子供の時に夢見た本物の英雄と出会ったことがある。
彼の名はエイジス。空をも切り裂く刃を振るう、蒼の剣士と言う二つ名を持った本物の英雄だ。
そんな男がなんの変哲もない田舎国の街へやって来た理由は知らない。それでも俺は居ても立っても居られずに、弟子入りを志願しに行ったものの、すげなく追い返された。
『強くなる理由に雑念が多すぎるな。特にお前は……殆ど自棄になってる。死ぬ為に強くなろうとする弟子を取る程、俺も残酷な人間じゃない』と言われて。
心を見透かされたような気分だった。
あの男は、俺が復讐の為に強くなろうとしている事を、目を合わせただけで察していたらしい。
俺は逃げるように奴の前から去って、それからは鬱屈とした毎日が続いた。肥溜めのように恨みつらみは胃の底へ溜まる一方、冒険者としての格だけは意味も無く上がっていく。それと共に素行も悪くなっていき、二つ名より先に悪名が広まっていく始末。
唯一の憂さ晴らしとして、雑用で雇った魔人種の子供を甚振っていたあの頃の俺は、本当に救いようが無い屑だった――――
「ぐ…………」
今、こうして惨めに這い蹲っているのは、そんな俺に相応しい姿だろうな。今まで散々自棄になって、他人へ当たり散らしていたツケが回って来たのだ。
ひしゃげた腕と、出血で霞む視界。その先には、先程まで相対していた敵の姿がある。散々啖呵を切って足止めすると意気込んでいた割には、全く相手にならなかった。
全くもって情けない。
小さな子供一人を逃がす事さえ俺は満足に出来ないのか。
『ごめん』
ふと、そんな一言と共に白い髪の少女の姿を幻視して、乾いた笑いが小さく漏れる。そう言えば、あいつに色々と謝りたい事があったんだっけ。
魔人だなんだと馬鹿にした事や、エイジスとの仲をごっこ遊びだなんて笑った事。それと……あの時の事を。
あの時、父を、師を失ったルフレが、何もかもを焼き尽くすような憤怒に塗れた姿を見た時――――俺はその男の言葉を思い出した。
『死ぬために強くなろうとしている』
まさしくその通りだろう。ルフレは何があろうと、自らの命を差し出してでも復讐を果たそうとしていたのだから。あの日の自分がどんな顔でエイジスの前に立っていたのか、こんな感じだったのだろうかと。
だが、その姿を恐ろしいと思うと同時に、強い虚無感に晒されて、こんな事を言うの自体がおこがましいのかもしれないけれど、憐れだと感じた。
復讐のその先に、何もない事が。
例え仇を討ったとしても、その先にあるのは大切な人のいない世界。
復讐は何も生まないなんて事を言うつもりはない。果たすこと自体に意味があるからだ。
だが、達成された復讐が次に生むのは"無"だ。心を煮立たせる程の宿願を果たした後、死ぬまでその"無"が身体に寄りかかり、延々と空虚さを囁き続ける。俺はそれに耐えられるだろうか?
彼女は、それを甘んじて受け入れ、今も生きているのだろうか?
別種族である筈の男を父と慕い、冷たい人の波の中で懸命に泳いでいた彼女は果たして本当に、俺が恨みを向けるべき相手なのだろうか。彼女を殺せば、俺も空虚にこの先を生きて行く事になるのだろうか?
答えは否。
そもそもが、種族もなにも関係のない事だった。
俺の家族を殺した仇と、ここに生きる彼女――――世界に生きる魔人は違う。
心のどこかでは分かっていたことなのに、目の前でその……仇と同じ種族が俺と同じ失った者になるまで、認める事が出来なかっただけだ。
「……ああ、そうか」
俺は、アイツの事がそんなに嫌いじゃなかったらしい。
『もしも生まれや育ちが違えば、きっと最初から友達として出会えていたかもしれない』なんて考える程度には。
もう、遅すぎるかもしれないけれど、アイツは俺の事を許してくれるだろうか? 友達になりたいだなんて言ったら、手を取ってくれるだろうか?
そんなこっ恥ずかしい事面と向かって言える気はしない。けど、あのお人好しで奔放な少女の傍に居る方が、復讐に生きるよりもよっぽど面白そうだ。
もし、あいつならこんなデブなんぞは、俺を伸した時のように一撃で沈めてしまうんだろう。
情けねえな、すっかりと負け犬根性が染みついちまってる。
「……だが、俺ともあろう男が、こんな三下にやられる程堕ちちゃいねえぞ」
未だ自由の効かない体に鞭打って上体を起こし、膝を着く。額から脂汗が、腕からは血が滴るが、痛みのお陰で意識の方は大分鮮明になって来た。
俺が起き上がった事に気が付いた奴は、驚いたように顔だけを此方へ向けて立ち止まっている。
【スキル《堅忍之徳》を獲得】
頭の中に響いた声と共に、再び戦いの構えを取れば、不思議と心はさざ波すらも立たない程に静謐な穏やかさを湛え、心の中で何かが強く固まっていくのが分かる。
「俺は約束は守る主義なんでな。ここから先――――足の指一本すらも踏み入れると思うな」
♢
おとぎ話の英雄に憧れた少年は今、ようやく一人の冒険者としてその軌跡をたどり始める。そしてこれは、後に語られる"最強の矛"と双璧を成す、"最強の盾"が密かに誕生した瞬間でもあった。




