97.決着へ
ここ最近、プロジェクトが忙しくて推敲の出来ていない書き溜めがどんどん増えて行くので、2時間後と4時間後と6時間後と8時間後の自分を未来から連れて来てやって貰いたい
『な、なんだ……あれは……』
『今の、どうやって避けた?』
『いやいや、あれ見切るって……視野どうなってんだよ!?』
『剣が滑ってる……』
口々にそう漏らしながら、逃げずにこの場に残った奴隷も兵士も皆一様に、その荒れ狂う暴力と相対する流麗かつ合理性を突き詰めたような剣技に目を釘付けにされていた。
神鉄流という剣術流派は堅牢そうな名とは裏腹に、柔軟な受けを主体とする護衛剣術であり、基本的に貴族や近衛騎士の扱う流派と言うのもあって冒険者や市井には馴染みが薄い。
故に、彼女の――――派手な金属音すら立てずに攻撃を逸らすという――――高等技術を目の当たりにした彼らの心境は推して知るべしか。
そもそも、相手の剣を受け流す事は単に受け止めるとか、打ち払う等と言った動作よりも難しく、加えて相手の膂力や技量次第でその難度は普通に打ち合うよりも数倍段跳ねあがる。
自身を守る為だけに振るわれるという前提故に成り立っているのであって、神鉄流の剣技を攻撃に転用するのであれば相当な修練が必要であり、それは最早絶技と呼ばれる領域の話になるだろう。
これが、武の道に一生を注ぐ奇特な剣士であればまだ分かる。だが、冒険者というのは仕事であり、心血を注ぎこそすれど武を極めるのは本懐ではない。精々習得すると言っても、基本の受けの型程度。それ以上となると流派の門戸を叩くか、範士に直接教わる必要があるのだ。
だからどうしてもいい所取りをせざるを得なく、どんな状況に置いても有用な型の無い無流とも呼ばれる戦剣法と、弧月流を齧った方が手っ取り早く強くなれると言う結論に至ってしまう。
だがしかし、これは一般的な冒険者を基準とした話であり、何事にも例外と言うのは発生するもの。
「何で、だよっ!!!」
煮詰めたような怒気の籠った声と共に、錆びた鉈包丁の片割れが袈裟切りに振るわれた。
常人であればそもそも見える筈も無いような、重厚で鋭利な一撃が華奢な白い肩を叩き潰さんとし、それを追うように一手――――いや、二手先を読んだもう一方の刃が外側へ薙ぐように風を切り裂いていく。
単調に見えて妙技。膂力に任せた圧倒的な暴力を本能だけで支配し、相手の隙を突こうと振るわれる二丁の刃は、剣戟の交々を繰り返して更に、その鋭さを増しつつあった。
そう、強者との打ち合いは不幸にも、この極限の死闘の合間において狂った食人鬼の成長を促してしまっていたのだ。剣で鳴らした一端の武芸者であれば、先程までの数合までならなんとか耐えられたが、たった数秒の間にも増した一撃の重みに遅かれ早かれ沈む事は明白であろう。
『いや……だからなんで、あれを避けれるんだよ』
『どっちもバケモンか……いや、バケモンだな。身体がブレて見えやがる』
それも、一端の剣士であれば……の話であるが。
頭頂部から足のつま先までブレる事の無い体幹は、どれだけ無茶な姿勢であっても一分のずれも無く凶刃をその身から逸らしていく。受け止める事が叶わない攻撃も柔らかく弾き、避け、隙を見せない。
腕を斬り飛ばす致命の一撃を与えたあの見えない斬撃も、タネが割れこそしないものの、肌に触れる直前に再び現れるという性質のお陰か対処し切っている。それどころか攻撃の予兆を見切り、逆手にとって反撃すら入れる始末だ。
あれだけ痛みに対して鷹揚だった筈の男でさえ、今では全身に出来た切り傷、刺し傷に痛痒の面貌を浮かべている。
決して致命傷となり得ない攻撃であっても、生涯でこれほどまでに傷を付けられ、攻めきれないままに苦戦を強いられた事が無かった彼にとって、これは屈辱以外の何物でも無かった。
そして、そんな男とは真逆に、あろうことか少女は笑っていた。
普通ならば、一撃一撃が致死性を孕んだ攻撃を捌き続ける事に対し苦悶の表情を浮かべ、脂汗を流すであろう場面でだ。そこで、この上ない程に妖艶で無邪気――――足し引きすると可憐に落ち着く――――な笑みを浮かべていた。
更に命へと届きうる攻撃が迫る度、より凄惨な笑みを深めて行く。
いっそ身震いする程の色香を撒き散らしながら、己の全霊を賭して死闘に興じ、生を実感する姿は本性を曝け出した化生の類と言われた方が得心が行くであろう。
そして、嗤う彼女の姿を見ていたメイビスは、この趨勢が一体どちらへ傾くかを半ば察していた。
彼の冒険者とは一度手合わせして実力は折り紙付きである事も知っていたし、ある意味で既知の仲である男の事も良く知っている。そんな両者を知る彼女から見て、戦闘が始まった直後であれば実力は前者を多少の贔屓目で見てほぼ五分であった。
直後に片腕を飛ばされ、彼女が隻腕となった事に思わず悲鳴を上げたのは、その危い均衡が崩れたから。幾ら七聖人の二人を下せる程の実力者であっても、このハンディキャップを背負って戦えば敗北は必至だろう。
だが、だがしかし、戦意の上澄みすらも削げないどころか、片腕のみで相手を完全に抑えているのはメイビスにしても予想外の出来事だった。
元より隠し事や謎の多い彼女の事だ。
あれが本気であっても全力で無い事は傍から見ていても分かるし、まだ何か切り札を隠し持っているようにも見える。一枚か……いや、二枚、もしかすると今すぐにでもあの食人鬼に膝を着かせる策があるのかもしれない。
「「「おおおっ!?!?」」」
それを証明するが如く、戦闘の舞台になっている空洞の中心から流れる風が変わり、遠巻きに見守る人々の声が重なり合って反響した。
もう何度目になるかも分からない袈裟懸けの一撃を、ルフレは刀を添える事でそのまま横へと逸らす。そこまでは今まで通りであり、次に繰り出される連撃もルーティーンのように受け流すだけだったが、今回は違った。
今まで型を忠実になぞる体運びをしていた彼女が、それを崩したのだ。
刀身を引く動作の途中で放り出された体は、美しさとはかけ離れた姿勢。だがしかし、欠いたのは流麗さのみであり、合理性は依然としてその動きに宿っていた。
弓なりに引いた刀は腕のみならず、肩と背中の筋力を余すことなく伝え、振り下ろされる。
この時に気付いた者は僅かではあるものの、それが先に述べた無流の剣術――――戦剣法である事は彼らの目に見ても疑いようが無かった。しかも相手を殺傷する事のみに特化し、研ぎ澄まされたその一撃は熟練の剣豪にも勝るものであると。
唐突な動きの変化で受けに回った側としては悪夢としか言いようが無く、無意識的に防ごうと伸ばされた腕をすり抜けて尖刃が肩口へと達する。それはそのまま強引に肉を掻き分けて筋を断つと、鳩尾までを一息に切り裂いた。
「あ、ぎゃああぁ!!?」
物々しい絶叫と共に傷口から赤色の飛沫が迸り、少女の真っ白な肌と髪へ血染めの斑点を作る。が、連撃の合間を縫って攻勢に出たのだ、彼女のターンはここで終わりではない。
筋肉をズタズタに裂きながら引き抜かれた刀を、接地する程に低く持つと、返す太刀で逆袈裟に斬り上げる。
伊達にも七聖人、二度の攻撃を素通りさせる程グラディンも甘くは無い。ギョッとしたのも束の間、筋を斬られて上がらない腕と逆の手にて相殺を試みるが……。
「――――"天斬崩地"」
それが、無限とある剣筋の中、無心で放った斬り上げであれば出来ただろう。
しかしながら、少女が放ったのは"必殺の一撃"。その一撃に殺意を、憎しみを、恨みを、痛みを、全身全霊を籠めて叩きつけられる奥義だった。
今までにない程に金属の軋む音が耳朶を叩き、グラディンが鍔迫り合いへと持ち込んで押し込もうと力を籠めた瞬間、反対側から押し付けられていた圧力が途端に消える。
直後に視界の端を掠めるのは、歪みも欠けも無く切断された金属の塊。
それが自分の手に持った鉈包丁の成れの果てである事に気付いた時には、死が彼の喉笛へ手を掛けようとしていた。そんな極限の状況下で本能に従う彼が取った行動は、欲求を満たす事。
ありとあらゆる物を――――空間でさえも――――食い尽くす《暴食之業》を持つ者として、例え鉄の塊であっても己の前では等しく食料であると。青白い炎と瘴気に覆われて喰う事の叶わない少女だが、その手に持つ武器は違うと。
「……ッ!?」
「ふはっ!」
そして嗤った。
自身の武器である刀を半ばから食い千切られた少女の、驚愕の表情を見て。
***
負荷を掛け過ぎた脳が焼き切れそうだ。
絶殺と言う強い意志のお陰で、体の動き自体は油を差し替えたばかりの機械のように滑らかだが、頭の方は「そろそろ限界だぞ」と、警告を発していた。
それもその筈。あの尋常じゃない速度で振り回される鉈を掻い潜って、どうにか重めの一発をぶち込んだのだ。《識見深謀》で脳細胞を焦げる程酷使しなければ成し得なかっただろう。
一手一手、全く違う流派の動きを組み合わせる"繋ぎ"と言う技術は、選択肢を増やして対処を難しくするエイジスのとっておきだ。今回は最初の二手までなら、当初の予定通りだったのだが……。
「しまっ……」
振り上げた右手から重量が消え、実際に刀身の殆どが抉られたように消え去った刀の残骸を見て、最後の最後で失敗した事を理解する。
沸騰する頭が脳内麻薬を放出しまくってるお陰で、なんとか心を保たせているものの、この機会を逃せば勝ち筋を全て失う事になるやもしれない。
よって、相手に主導権を奪われて仕切り直しになる前に、決定打を叩き込む必要がある。
それも針の穴に糸を通すような細く狭い筋だ。順番を間違えたら最後、何方の首が飛ぶのかは自明の理であった。
となると、奥の手……と言うには些か偶発的過ぎる結果生まれた代物であっても使わざるを得ないし、先ずはターン制RPGが如く反撃に出ようとしている奴の攻撃をどうにかしないといけない。
それを見積もった上で、この勝負に勝つには――――
「――――五手だ」
あと五手で終わらせるし、終わらせなければいけない。それ以上は手詰まり、つまりは私の負けだ。