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93.ルフレ 十歳の初夏

回想編は書くのが難しいことを改めて思い知りました

「おば様、なにをしていらっしゃるのですか?」


 快晴――――とはいかないまでも、千切った綿菓子を貼り付けたような空模様を揺らす、初夏特有の温い風が優しく肌を撫でる日和。


 私の問いかけに、頬へ土を着けたおば様は顔を上げると淡く差した陽光に目を細めて、それから薄っすらと笑った。


「これはね、お庭に新しい花壇を作ろうと思って、今頑張ってるの」


「花壇、ですか? ただでさえいっぱいあるのに」


 いつも着ている菫にも似た色のドレスとは違う、フリルシャツにコルセット風の意匠がされたロングスカートを履いた姿は、貴族としては地味ながらにその、収穫期の稲穂のような美しい金髪との対比で良く映える。


 と言うよりも、この人は元の素材がいいので、何を着ようがきっと似合うのだろう。


 貴種の夫人が農民の着るような、麻で編んだ安っぽい服を着こなして見せる姿を想像すると、少し笑えた。


 そして、貴族とは言え男爵家の庶子程度の――――今は上女中ではあるが――――私に当て嵌めて見ると全く似合わないし、笑えるのでは無く、きっと皆から笑われるのだろうと想像して少しムッとした。


「しかし、どうしてそんなに泥まみれで……って、庭師のマルゴットさんはどうしたのですか?」


「いやねえ、これは私の趣味だからよぉ。それにあの人、草木の剪定は上手だけど、お花を扱うには乱暴すぎなの」


 私からしてみれば、マルゴットの作った庭園も十分に凄いけれど、分かる人にしか分からない違いがあるんだろう。


「ああでも丁度良かったわ、ルフレも手伝ってちょうだいな」


「私が、ですか?」


 『庭師は駄目なのに私はいいのか』と、目で訴えてみれば、おば様はまた笑って頷いた。


 仕方が無いので腕の裾を捲り、手渡された種を柔らかな土へ撒いて行く。そして、一列均等に撒き終わったところで、私はようやく"ある事"に気付いて、薄眼でおば様をねめつけた。


「あの……」


「なあに?」


「これ、茄子の種ですよね」


「そうよ。夏頃には収穫できると思うから、そしたら一緒に食べましょうね」


 ぽやぽやとした様子でそう答えるのを聞いて、それ以上問いただすのをやめたのは賢明な判断だったと我ながらに思う。確かに茄子は立派な花を咲かすが、これでは花壇じゃなくて畑だ。


 ……いや、よく見たらちゃんと耕されてるし、最初から畑を作ろうとしてたな、この人。マルゴットさんはきっとおば様が――――あろうことかその白くきめ細かな肌に泥までこびり付けて――――土いじりをしていたと知れば発狂して倒れるだろうから、黙っていたのだ。


 でもどうせマルゴットさんにはすぐ見つかるし、今は黙って付き合っておこう。


「古き王、震撼と豊穣をもたらす者、土の相、有たるは分解の力、信なる者の身を介しその恵みの一端をこの手に。"養恵(バイオ)"」


 おば様がそう唱えると、土が盛り上がり、独特な臭気を発して撒いた種を呑み込んでいく。トラクターもなしに勝手に土が肥えて行くのは、見ていて面白い。


「……トラクター?」


 だが、一瞬脳裏に過った車輪を持った鉄の塊の風体に、私は頭を捻る。


 はて……そんな奇妙なものを一体何の本で読んだのか、私の記憶にはないのだ。そもそも鉄で出来た馬車を一体全体何に使うのか、鍬を引き摺って畑を耕す訳でもあるまいし。日差しに弱い体を当て過ぎたせいかしら。


 つらつらと益体の無い――――私にとっては十分意義のある――――疑問に思索を巡らせている間に、おば様は土の魔法で畑を肥えさせていた。これであと月が数回満ち欠けしたくらいには、丸々太った茄子が育つことだろう。


「ですが、おば様。その既存詠唱は少し無駄があります」


「あら、そうなの?」


 私はそう言って、おば様がしたように両手を土へ軽く触れさせ、頭の中で術式を組み立てて行く。

 別に魔法を発動させるのに術式を口語――――詠唱と言う――――で発音しなくても問題は無いが、みんながそうしてるので私もそれに習って詠唱の一語目を発しようと口を窄め、


「相は()、結を有機とす。"養恵(バイオ)"」


「あらまあ!」


 そう発すると先程とは違う範囲の土が蠢き、同じ結果をもたらした。

 おば様は驚いたような、嬉しそうな声を上げて養分の行き渡った畑をまじまじと見つめる。


「凄いわ、あなたには魔法の才能があるのね、それもとびきりの」


「そんな事はありませんし、私にはこれしか出来ませんので」 


 そう、これが私の唯一の取り柄と言っても良かった。


 貴族の娘として行儀見習いに来た筈の私は、食事での作法も、貴族の子女として出来るべきお裁縫やダンスなんかはてんで駄目。その代わりに水と土の魔法が得意で、下女中(しもじょちゅう)がするような雑用――――皿洗いや洗濯が得意というどうしようもなさである。


 一応。魔法の才能も貴族のステータスの一つではあるけれど、おば様が褒めてくださる程凄いという訳でも無い。そもそも雑用の仕事なんかは、当主であるドゥ様の目に入る事すら無いので、私は貴族としては落ちこぼれなのだ。

 

「謙遜しないで、これはきっと将来貴女を助ける武器になるわ」


「そんな、謙遜なんて……ただ事実を言ったまでです」


「いいえ、そんな事は無いわ。この素晴らしい才能はしっかりと伸ばすべきよ、絶対に」


 私の肩に手を置いて、微笑を湛えながらそう言うおば様に、それ以上言い返す事は出来ず。ただ、この人は何か私の将来について、分かっているような言い方をしている事だけが気に掛かった。





 けど、私に未来なんて無い。


 後二年、十二歳になればまたあの部屋に閉じ込められる。


 そうでなくとも、母がガーランド様のお屋敷でお世話になり始めた時既にお腹の中にいた私は、他所の国の女だ。


 義父(ガーランド)と、一度たりとてまともに顔を合わせたことのないその関係が、どこまでも他人である事を物語っている。


 この世界で無償の愛をくれるのは、肉親だけだとヒトは言う。では、私は一体なにを代償として義父に、伯爵様に、おば様に、皆に愛されればいいと言うのだろうか。そもそも私はヒトに愛されたいのか、それともこの酷く曖昧で虚ろ気な"私"と言う存在をただ認めて欲しいだけなのかは分からない。


 記憶の片隅に沸く、見たことがない筈の光景を今に重ねて、また自分を呪う為に思考の海へと沈殿していく。


 私は、何者にもなれない。厚い透明樹脂の板に閉じ込められた犬や猫と一緒だ。

 買い手が付くまでその中で通り過ぎる人々に必死で媚を売るか、拒絶する。 


 その内脂ぎった金だけは持っている男達の中から奇特な飼い主が現れ、なんの選択権も得られずに家畜同然の扱いを受けて一生を終える。一方は政治の為の道具として、一方は性欲や欲望を打ち付ける道具として、売り買いされるだけの存在。


 嫌だ嫌だと言っても何かが変わる事は無いし、今こうして行儀見習いとして貴族の作法を学んでいるのも全部それの為だ。三十も年が離れていようが、貴族の元へ嫁げるのなら幸せなのだろうと己を騙しながら。


 私って、なんなんだろう。

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『創成の聖女-突然ですが異世界転生したら幼女だったので、ジョブシステムを極めて無双します-』
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