10.クズは死んでも治らない
「オラァッ!」
呻る風切り音と共に、俺の頬を鈍色の刀身が掠める。
激昂したジンによる一撃を寸でのところで――――と言うには語弊がある、かなり余裕の紙一重で回避した。
(……なんだ、全然遅いじゃんか)
返す太刀で振り上げられた剣先を半歩後ろへ退いて避ける。ジンは顔を一瞬顰めるが直ぐに攻撃を再開し、今度は剣が横薙ぎに振るわれた。
「チッ! すばしっこいガキだぜ!」
「なに、お前が遅いんだろう?」
上体を逸らしてそれを回避し、そのまま後ろへ倒立宙返り。魔種の身体能力による恩恵は、そもそもこうして相手の攻撃を受けない為にも活用できる。
『……すげぇぜあの子、ジンの攻撃全部捌いてやがる』
『あいつ確か裏街に住んでる魔人のガキじゃなかったっけ? なんであんなに強いんだ?』
『バッカお前! ありゃエイジスさんとこの弟子って話だぞ、そりゃ強いに決まってんだろ』
余裕そうな俺とは裏腹に息を切らすジンは野次馬の声を聞いて、益々顔を憤怒に歪める。
「クソッ、みんなしてエイジスエイジスって、あのクソ野郎なんてただの老害だろうが! クソッタレ!」
うわ……一度に三回も同じ言葉を使うとは、なんと語彙力の無い事か。舌戦はもう少し罵倒のレパートリーを増やしてからにした方がいいだろう。
しかし、この世界でも意外と人間の動きが鈍いことに今更ながら驚いている。ずっとエイジスという達人を相手にしてきたから、目が慣れてしまったのかもしれない。ジンも素人と言う訳では無さそうだし、俺が成長しているのもある……筈。
それを確かめる為に、専守防衛はそろそろやめにして、反撃に出るとしよう。
「顔と腹、どっちがいい?」
「は? 何言ってんだてめ――――」
俺の言葉にジンが怪訝な顔で三下らしい台詞を口走ろうとした直後。
「は……やっ!?」
一歩踏み込んだとは思えない距離を詰められ、眼下に肉薄する私を見てジンは狼狽する。
これが弧月流歩法、《瞬歩》。
「い、いつの間に……!?」
「えっと、よそ見してる間かな?」
日本の古武術にも似たようなものがあるが、あれは自重の掛け方を極端に前のめりにする事で足の出を早くする技術だ。此方で言う《瞬歩》とは、ふくらはぎの筋肉を激しく収縮させて、瞬間的に高い推進力を生み出すという脳筋仕様の技である。
普通に考えてあり得ない現象なのだが、世界観が世界観なので多少物理法則に逆らっていても深く考えない方がいいだろう。
質量保存の法則を完全無視した空間系の能力もあるらしいし、考え出したらきりが無いのだ。
という訳で、まずは一発目。
「おごっ!?」
固めた拳を鳩尾目掛けて放つと、中子骨が筋肉へと深くめり込む。
軽く叩くような予備動作無しの拳撃だが、魔人の膂力は人間より優れている。恐らくジンの体には金槌で殴られたような衝撃が走った筈だ。
その証明と言わんばかりにジンの体は浮き上がり、仰向けに倒れようとしている。それを引き留めるように彼の胸倉を掴み、体を引き戻す。
「今すぐこの人に謝れば、もう殴らないが……どうする?」
「ぐふ……だ、誰が薄汚い魔人の言う事なんか聞くかよ……社会のゴミが……」
社会のゴミか。
確かに、俺を含めたスラムに住まう人たちは、この国にとってゴミも同然だろう。
「……そ、そのゴミがエイジスに拾って貰ったからって、調子に乗るんじゃねえぞ……」
そう考えると、エイジスはゴミ拾いをした事になるが、言い得て妙。浮浪児で魔人、人権なんて無いに等しい俺を拾ったのだから、あながち間違いでもない。
うん……間違いじゃない。
エイジスが俺を養うメリットは皆無に等しいと言うのに、あれはなにを思ってか三食昼寝付きで給料まで支払ってくれるのだ。冷静に考えると、不可解極まりない。
「……胸糞わりぃ家族ごっこしやがって、所詮てめぇは穢れた魔人の子供なんだよ!」
ジンはこめかみに怒筋を立て、唾を飛ばしながらそう叫ぶ。俺は無表情でそれを受け止めるが、胸中は騒々しいどころの話じゃなかった。
奴の言葉のせいで、出てくる前の言い合いを思い出す。俺はエイジスの情けで今こうしていられるのだ。彼が拾ってくれなければ、ジンを圧倒できる程強くもなれなかった。それ以前に、俺はそもそも社会に必要とされていない。
エイジスがいなければ俺という存在を証明する物など何一つない。
「ヘヘ……魔人の子は魔人、結局人とは相容れない魔物モドキだ。その内愛想尽かされて捨てられるだ――――」
「――ッ!」
故に、その言葉は俺の思考を真っ赤に染め上げた。
ジンの台詞を最後まで聞き終える前に、視界が怒りで歪む。
「げっ……!?」
頭は真っ白になり、その時、俺が何を思ってそうしたのかも分からない。が、気付けば俺は憤激のままに、ジンの顔面を地面へ殴りつけていた。
「はぁっ……はぁ……」
喧しく脈打つ心臓の音が全身を震わせ、霞んだ視界の先に伸びたジンの姿が見える。俺はどうしてこんなに動揺しているんだ、たかが三下の小悪党に言われた負け惜しみだろう。俺がエイジスに捨てられる事を恐れている?
『――――また薄汚ねぇ浮浪児に戻るか?』
エイジスに捨てられて、またあの不衛生で夢も希望も無い場所に出戻るのが怖いのか?
『薄汚い魔人――――社会のゴミ』
俺は社会のゴミで、ゴミは捨てられるのが正しい。
多分、前世からずっとそうだった。たった一度の出来事で世界に絶望し、自分の殻に閉じ籠った。親の脛を齧り、ただ飯を喰らい、働きもせず時間と金を食い潰すだけのゴミに成り果てていた。
それは否定しない、今更否定しても詮無い事だろう。
しかし、どこかで他の同類共と俺は違うと思っていた。自分は奴らよりもよっぽど優秀で、ちょっとした事故のせいで同じ所に堕ちてしまっただけだと。やればできるけど、やらないだけ。
本気を出していないと言い訳をして、現実から目を背け続けた。
それでも、何かきっかけがあればまた頑張れる筈。
そうして、来もしない猫型ロボットを待ち続け、降ってこない女の子を受け止める為に空を見続けていたのだろう。
つまり、俺はエイジスに捨てられるのが怖いんじゃない。
「見下ろしていた場所に落ちるのが、怖いんだ」
運よくエイジスに拾って貰えて、俺はまた勘違いをした。
やっぱり他の奴らとは違うんだと、俺は特別なんだと思い込んでしまったらしい。無価値な自尊心を守る為に同類を内心で見下し、自分の方がまだマシだと優越感に浸る。
この上なく馬鹿で、世間知らずなゴミ。
まさしく虎の威を借る狐――いや、炎竜のまたぐらに居座る白兎だ。ちょっと運が向いて来たからと言って調子に乗り、人の力を自分のものだと思い込んでいる。
全部、与えられたものじゃないか。
俺が自分で手に入れたものでは無いじゃないか。それなのに勘違いして驕り高ぶって、自分と同じ境遇の子供たちが可哀そうだ? 傲慢にも程がある。
やはり、人と言うのは一度死んだ程度では変わらないらしい。結局一番スラムの子供たちを差別していたのは俺で、上から目線で憐れんでいたのだ。
ようやく自分の愚かさに気付いて、俺は目の前で伸びたジンを見つめる。
「俺も、お前のお仲間って訳か」
いや、違うか。
大っぴらに魔人たちを毛嫌いするコイツはクズだが、内心では上から目線の俺の方が余程質が悪い。
綺麗事は、やっぱり綺麗事なのだ。
「……おっさんおっさんって言うけどな、俺はまだ21だぞ」
「えっ、マジ?」
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