1.転生と理解
ここから先の話は全て湯船に浸かりながらしていた妄想の産物です、覚悟して読み進めてください。
――――これは、一体どういうことだ。
目を覚ました俺の第一声はそんな、困惑の一言だった。
いや、それよりかは『微睡んでいた思考が一瞬にして現実に引き戻される感覚』と言った方がより正確か。
昼下がりの教室で、喧騒を子守唄にうたた寝をしているような、そんな感覚。大きな通りを行き交う馬車の蹄鉄と、人々の足音はそれほど生易しい喧しさでは無かったが。
ふと、足元にある水溜まりを見下ろせば、そこに映っているのは痩せぎすの少女だ。ぼさぼさで手入れもされていない灰被りのような白い髪に、真紅の瞳を持っている。
顔立ちは十歳程度と言ったところ、栄養が足りていないのかやけに背は低い。
そして、これが今の俺の姿だった。
浮浪児か奴隷、そのどちらかが似合いそうな容姿に見覚えは無いが、不思議とこれが自分だと認識できる。
「……ッ」
そんな、妙な納得の仕方をしたところで、一瞬偏頭痛にも似た痛みが頭に走った。
通り過ぎる通行人の幾人かは、頭を抱えて蹲る俺に珍奇な物を見るような色を浮かべた視線を向ける。
「……ああ、そうか」
そして、金や青、果ては桃色の頭が往来する通りを見て、また1つ納得した俺は呟く。よく見れば服装だって日本で見知っている物とはかけ離れているではないか。
そうだ、段々と思い出して来たぞ。
よろめきながら立ち上がり、蟻のようにひしめき合う群衆を伏し気味の上目で眺める。
乾燥してひび割れた唇から外見と不相応な諦観の念の籠った息を吐き、
「俺、転生したんだった」
そう呟いた瞬間、馬車の車輪が目の前の水溜まりから水飛沫を俺の全身に浴びせかけたのだった。
***
先道晃、それが前世での俺の名前。
享年22歳。
生前の話は最早ここでしたって意味をなさないので割愛する。
まあ、そんな長ったらしい説明をしなくとも最終学歴が中卒のニート、無職、引きこもりと、俺を形容する言葉はこの程度で事足りるだろう。
馬鹿正直に生きて来たが為に割を食い、負感情の捌け口にされ、その結果俺自身がどうしようもないクズになった。
今思い返してみると、あの地球と言う星の日本と言う国は、中々に理不尽な世界だった気がする。
確か……俺が死んだ日は酷い猛暑で、まだ六月だと言うのにジリジリと照りつくような太陽に晒され、我慢できなくなった俺はコンビニへ涼みに行った。
その道中、信号待ちをしている時に、車道から物凄い勢いで車が突っ込んで来たのだ。
俺が気付けたのは本当に偶然で、隣にいた女子高生の制服が汗で若干透けてたのをのぞき見していたからなのだが。
しかし、人間咄嗟の判断と言うのは恐ろしいもので。
何を思ったか、俺は直線上にいたその女子高生と、ついでに隣にいた大学生らしき男を強引に車の進路から引っ張り出した。
その結果俺だけが取り残され、見事に撥ねられる結果となり『ほぼ無意識とは言え、人助けをした結果に死ぬとかドラマかよ』なんて考えながら俺は確かに死んだ――――
――――死んで、それから転生した。
地球のある前の世界とは違う、異世界に。
名は、
「……ルフレ・ウィステリア」
そう、ルフレだ。しかも女。
ルフレは十三年前に男爵家の庶子――――お生憎様、男爵が従者の女性との一夜の過ちを犯した結果の産物である――――として生まれた。
それからは離れで両親の顔を見ることも無く幼少期を過ごし、ルフレは食事と必要最低限の衣類だけを与えられて育った。俺の記憶が戻ったのが今さっきなので、この十三年間を自分の人生だと思うのにまだ実感が乏しい。その為に、一応は"ルフレの"と枕詞を入れている。
記憶が戻る前のルフレは非常に大人しく、気の弱い少女だったらしい。因みに俺は引き篭もりではあるものの、コミュ障でも小心者でもない。
そんなルフレの性格が災いして最悪の人生を歩む事になるのだが……しかし、今となってはそんな事を言っても後の祭りだろう。具体的に言うと8歳の時、ルフレは殆ど厄介払い同然に伯爵家へ女中として奉公に出されてしまう。
貴族の家の侍女と言うのは大抵主人から、そっちの意味でちょっかいを掛けられる立場にある。と、まあ案の定ルフレが十二歳になった年に、伯爵は手を出そうとした。
だが、それを伯爵夫人、つまり奥方が偶然見てしまい激怒。
着の身着のままのルフレを屋敷から追い出し、宿無し職無し一文無しの完成だ。
それからはルフレもあちこちで仕事を探そうとしたのだが、無理だった。まだ成人していない少女を雇ってくれる所なんて無い、というのもある。
加えて、ルフレ――――俺はもうひとつ重大な問題を抱えていたのだ。
「はぁ……」
路地裏の階段に座りながら、俺は濡れたボロ布にも似た服を絞って溜息を吐く。背骨の付け根から伸びる白い毛並の尻尾が揺れるように石畳を撫ぜ、俺の気持ちを代弁するようにしょんぼりと垂れ下がる。
そして、頭部から生えた角へ指を這わせ、陶器のようなソレを見て溜息を吐いた。 この二つとも、普通は人間に備わっていない筈のものだ。
「魔人と、人の半魔……ね」
そう、ここはいわゆるファンタジーの世界。魔法や魔王、勇者などが当たり前のように存在する、異世界だった。時代は大体欧州の中世かその少し前くらいかな?オタク知識にはある程度造形があると自負している俺も、こういう展開を妄想していなかった訳じゃない。
しかし、いざその立場になってみると現実の理不尽さに心が挫けそうだ。
俺は自分の白髪を手で梳き、大きな溜息を吐く。
「髪の色1つ取っても、ここまで違うなんてなあ……」
ましてや角や尻尾の生えた人間なんて夢物語だけのものの筈だった。
事情としては、俺の母親が魔人種の一種である竜人族で、その上奴隷だったらしい。
貴種の父親……男爵がそういう趣味の持ち主だったのもあって、何処かで手に入れた母を侍らせていて、俺を産んでからは正式に側室としていたようだ。
それでも子供を産むのは本意ではなかったようで、俺はある程度成長したら敢え無く厄介払いされたが。
この、今俺がいる《ルヴィス》という街を含めた《アルトロンド王国》では、魔人や亜人という人間の近種は立場が低く、娶られない限りは基本的に労働奴隷か貴族の慰み物になる以外に道はない。
記憶の中の知識だけだから曖昧だが、とにかく魔人を雇う人間なんてどこにもいないって事だ。人生詰んだ男が死んで転生したと思ったら、まさか今度は少女に転生して前以上のハードモードを強いられるとは思ってもみなかった。
女で子供って言うのが、前世よりキツイ理由かもしれない。
前世ならば職無しではあるものの、雨風を凌げる家も食事もあった。親のすねを齧り、飢えることも無くのうのうと日々を無為に過ごしていた。
だが、今はどうだ?
吹きさらしの野外に座りこみ、通行人から小銭や食事を乞う始末。
弱冠十三歳にして物乞いで、被迫害種族で、社会の最底辺とか一体どこのダークファンタジーの出自設定だよ。まあ、魔人という種にあるのは勿論悪い部分だけでは無いが。
人間種よりも平均的に高い身体能力に、魔力との親和性もあり、そしてなによりも《スキル》という特殊能力を持って生まれやすいという特徴がある。
人間の千人に一人と言う割合で発現するそれは、魔人であれば五人いれば大体一人はスキルを所持している程の搭載率なのだ。
因みに俺も持っているが、これに関してはまた後で改めて熟考するとしてつまりは、記憶が戻った今なら、まだなんとかしようもあるのではないだろうか? と言いたかった。
「現代知識で無双……出来るか?」
そもそもこの出自からして、なんか既にどうしようもない感が漂っている。だというのにそこからどう現代知識を活用して、成り上がればいいのか……。
俺の前世の知識と言っても高校二年生程度までの一般教養と、あとはしょうもない雑学くらいしか頭にないぞ。
銃の設計図とか丸暗記してるわけでもなかろうて、異世界転生した主人公諸兄は一体どうやって現代の利器を軽々と発明してのけたのだろうか。
というか、少なくともこの国は『四則演算と母国語で宮廷語の読み書きが幾らか出来れば秀才』という判定を貰える程度には文化的では無いし、蒸気機関すら未開発の可能性すらある。
折角転生するなら、俺的には近世ヨーロッパでバリバリスチームパンクな世界の平民スタートが良かった。
というか、俺は一体どこの誰に転生させられたんだ?
いや、普通いるじゃん。転生特典をくれたり、異世界で暮らす上で色々と便宜を図ってくれる神様みたいな人たち。
いきなりほっぽり出したと言う事は、説明の義務を放棄したと見てもよろしいか? 転生って仕事の引継ぎみたいなところあるし、この世界の神様の職務怠慢と言う可能性もあるな。
まあ、何方にせよこの放置っぷりはやる気無くすわ……。どうして俺だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ。普通異世界転生って俺TUEEEEE展開が待ってるもんじゃないの?
「けど――」
ここで諦めてしまえば、自分の殻に閉じこもり引き篭もった前世の二の舞になるだろうな。
上述したようにラノベみたいな現代知識で無双して成り上がるなんて、大それた事は出来ないと悟っても、まだ諦めるわけには行かない。
こんな状況で駄々を捏ねたり贅沢を言っても仕方が無いし。孤児スタートであればありふれた幸せを謳歌して、平凡な生活を送る――――いわゆるスローライフというもの――――のが丁度いいゴールか。
「とにかく一人で生きていく力を付ける事が当面の目標だな、まずは飯……次に金」
最優先事項は衣食住の確保、そして住はともかく衣と食は満たされなければならない。人は食べなければ生きていけないし、服だってこのままの薄着では風邪を引いてしまう。
「……よし、やるか」
俺は、自分自身へ言い聞かせるように呟いた。
うだうだと悩む時間はもうお終いにしよう。答えの出ない問いは幾ら考えても時間の無駄なのだ。それは引き篭もっていた間の数年間、延々と自らの存在意義問い続けた俺が立証している。
――――まずは腹を満たす事、それを目標に俺は路地裏から通りへ一歩を踏み出した。