気晴ラシ祭リ
1年に一度、年の終わりが近づくとある森に逆さ虹がかかる…………。
森の動物たちは表情を変え、新たな自己と対面する。
まさに大いなる夜祭り。
これは、その夜祭りの様子である。
夜来の雨が上がった……。
午後にあの逆さ虹がかかったので、今夜は祭りだろう。
美しさを極めるとそれは恐怖になる。あの虹を目にして思ったことはそれだった。
頭のてっぺんに針をうちこまれたような感覚が襲い、それからザザーと鳥肌が立った。
どんなに優れた絵画も、戯曲も、映画(それにしても最近の映画はひどい)も、つくられた芸術には到底達することのできない天然の芸術作品だった。
あの虹だけは死ぬときまでずっと覚えていたいと思った。
この森はとても静かで、私を含む森の動物の暮らしも穏やかだった。自然のサイクルに人間が入ってくることはない。
環境破壊や住宅問題、産廃業者の不法投棄など、人間たちの闘いにくたびれて今年この森を訪れた動物は5匹。今年の新入りは、一体どんな本性を持しているのか楽しみである。
本来なら、自分の本性など覗かれたくはないだろう。今夜くらいはそっとしておいてあげるべきであろうと思う。しかし、私はとても好事家で社交的な性格なので、あえて皆に挨拶をして回ろうと思う……。
【アライグマ・洗井さんの場合】
広場に足を向けると、なにやら騒がしい。粗暴な言葉が飛び交っている。
一体なにごとか。
見ると、普段は皆の洗濯を一手に引き受ける、揉み洗いの匠ことアライグマの洗井さんが、マサカリを振りまわしておるところであった。
「どうしたんだ洗井さん。悪い酒でも飲んだか?」
「良い酒も悪い酒もねえよ。誰かと思ったらこら、ハリネズミ。なんだその澄ました顔は」
洗井さんは普段から気配り上手で通っている。しかし、虹の影響でこの有り様だ。あの恐怖の芸術作品で、洗井さんが変わってしまった。
「ちょっと冗談で棒を振りまわしたらこの有り様よ。みんな逃げちまって面白くねえ。たかが棒でびびっちまいやがって。おいハリーよう、こっちへ来い、殴らせろ」
普段は優しい人が、実は粗暴な奴だった。ありがちではあるので、そこまで驚いてはいなかった。
「殴られたら、私に何の得があるんだい。痛いだけじゃないか」
「お前が痛いぶんには良いんだよ。ほらこっちへ来い」
「いつも洗濯をしてくれてありがとう。君もたまにはお金をとってもいいんだよ」
「うるせえ。俺だって商売でやろうと思ってたんだよ。善意は食えねえからな。でもここじゃ貧乏人しかいねえ。仕方なくボランティアでやってやってんだ。なんで俺がお前らの汚れものの後始末をしなくちゃならねえ……」
私が去った後も、洗井さんは一人で暴れていた……。
【ヘビ・細田さんの場合】
足元でうごめく蛇が細田さんであることを理解するのに、時間がかかった。そもそもそれが細田さんであることが信じられなかった。
細田さん、いつもの3倍に膨れていた。細田さんというくらいだし、普段は木の枝くらいスリムな体型なのに、今の細田さんは孟宗竹のようにまんまるに膨らんでいた。
細田さんは生まれつき胃が小さい。だから普段は食が細いのだ。
「細田さん、私ですよ」
「ああ。誰かと思ったらハリーさん」
「あなたは性格が変わっていないのですね。安心しました。洗井さんはひどかったですから」
「その話は聞きましたわよ。金太郎ごっこなんて趣味が悪いわよ」
「そいで、細田さんは何をなさってるんです? その体型はどうしたんですか?」
「今ね、ネズミの荒食いをしているのよ。普段の私ってアレでしょ? 食が細いでしょ? あんまり食べないでしょ? でもね、私だって爆食いツアー参加したいとか食べ放題で元をとりたいとか、そういうことを考えたことがあるのよ。元をとる。それって大事なことでしょ?」
「そうですね」
「だから今夜は私の中では爆食いツアーなのよ! ネズミってサイコー! こんなふうにアゴもどんどん外していっちゃうの」
細田さんの顎が抜けて、ネズミが細田さんの体内にゆっくりと入っていくのが見えた。
「アゴが外れる。私のたがも外れていくの。分かるでしょ?」
「そうですね」
【コマドリ・鳥居ちゃんの場合】
少々疲れてきた。何か飲もうと思って、目についたスナックにふらり入った。
戸を開けると、歌声が聞こえてきた。人間の世界で流行っている曲。歌っているのは、たしか、コマドリの鳥居ちゃんだったか。仕草が愛らしいと人気のコマドリだった。
まだイントロのあたりだったので、しばらく鳥居ちゃんの歌を聞くことにした。小声でウィスキーを頼んだ。歌が終わってから、鳥居ちゃんの席へ向かった。
「こんばんは。すごく上手な歌だったよ。感情が入っても声がふらつかないね。難しいことなのに、君はプロなのかい?」
「いえ……」
鳥居ちゃんは気まずそうに目をそらして、
「私、ホントはすっごくオンチなんです……。人前じゃ歌ったことないんです。人前でも平気で歌える人って、いいですよね。私なんか、下手なの分かってるから余計緊張しちゃって……。普段から気軽に歌えたらなって、ずっと思ってました。だって、飲み会の二次会とかって、絶対カラオケの流れになるでしょ? そんなとき一人だけ歌えない、なんて言えないもん。今日くらいは私が主役でいいですよね?」
「君は音痴でもそうじゃなくてもモテることには変わりないからどちらでもいいと思うよ。思う存分歌いなさい」
席を立とうとすると、鳥居ちゃんは、私の手を強く掴んだ。
「痛いじゃないか。小指と薬指、人差指と中指をガン開きにして掴むのはやめてくれないか。裂けちゃうでしょ」
「許しませんよ。そんなこと言っといて、逃げるんですか? 夜明けまで私の歌に付き合ってください」
「いや、それは嫌でござる」
「なんでですか。うまいって言ってくれたじゃありませんか。なんで忍者みたいな言い回しになってるんですか」
「嫌だから嫌でござる。ドロンするでござる」
鳥居ちゃんの手が緩んだ隙をついて、スナックから逃亡した。
【リス・鬼胡桃さんの場合】
「きゃー」「わー」
「おい逃げんな。触らせろ!」
「きゃー」「わー」
「どうしたんですか? 今年65歳にもなる生真面目一徹の宮大工・鬼胡桃さんが一体なにをしているのです?」
「俺はガキの頃から、ふさふさの尻尾に興味があったんだ。今夜の俺は変態だ。さあ、モフモフさせろ」
「きゃー」「わー」
「ああ……なんということだ。森の動物たちの尻尾がモフモフされていく。ああ、なんて激しい……とても描写できぬ……」
「さあ、おめえもモフモフさせろい」
「私のしっぽはハムスターと同じくらい短い。だからモフ感はないと思いま、あっ。変なとこ触らないでください」
【クマ・熊田さんの場合】
ドングリ池まで(変態から)逃げてきて、池にドングリを投げて願いごとをしている熊田さんに出会った。
熊田さんは、ファミリーという組織を形成している恐ろしい侠客であった。ドングリの密輸・水利権の独占・おにごっこを利用しての違法賭博など、悪行は尽きることがなかった。さっきの変態も恐ろしいが、熊田さんも恐怖の対象であった。
今夜は様子が違う。
「あ、ハリーか。こんばんは」
熊田さんはドングリをシュンとした顔で池に投げていた。
「なにか、お願いごとですか?」
「ああ。実は俺、喧嘩はそんなに強くないんだよ。だから喧嘩になりませんように、ってお願いをしていたんだ」
「でも、熊田さんは充分怖がられているじゃないですか。誰も喧嘩する人なんていないと思いますけど」
熊田さんは池にポトポトとドングリを投下しながら、
「でも、負けたら弱いって分かっちゃうだろう。そしたらみんなに舐められるだろ。部下も言うこと聞かなくなるしね。ハリー、君が羨ましいよ。君は全身に鎧を着ているからね、防御もいいし、その棘で体当たりすれば勝負になっちゃうだろ? 俺なんか体重と筋肉がついているだけさ。ファイトスタイルが単調で、弱点を分析されれば負けちまう」
「だから今夜は打って変わって弱気なんですね。普段は肩を揺らしてわざと足音を大きくして大勢の部下を連れて、俺が王だ、みたいな顔して歩いてますけど」
「俺は本当は弱虫なんだよ。この祭りが終わってからも、俺は強い心を持ちてえ。鋼の魂でブルースを歌いてえ」
「そうなればいいですね。ムリですけどね」
「なあ、俺のためにドングリを投げてくれないか? 俺の願いが叶うようにって」
「いやー、もう無駄でござりましょう。そろそろ夜が明けますもん」
私はあくびをしてから、熊田さんに分かれを告げた。
さて。夜が明けて、夜祭りが終わった。皆、それぞれの朝を迎えておる頃だろう。
生きるということは、気晴らしが必要なんだ。気晴らしをする・気晴らしをしたいという気持ちが大事なんだ。
日々が枯れて、祭りで気を晴らす。そして日常へ戻って行く……。
みなさま、毎日色々おつかれさまです・おつかれさまでした。
夜明けとともに、私の中に、いつもの私が戻ってきたようだ。
次の逆さ虹がかかるまで、私は絶対家の外に出ない。