イケメン剣士大暴れ!
時代物に新たな新旋風
「源ちゃん、お願いだから、やめてー!」お涼の声は岩肌にこだまして響いた。
「あたしが、悪かった、うそよ、うそ!」
灰色や赤茶けた岩肌には、白い稽古着に襷をかけた少年がしがみついて一心不乱に手足を動かしている。
「尾根から行っても、鬼百合は採れるわ、ね、お願い、危ないからやめて!」
お涼は半分泣いたような声で、源介にすがるように叫んだ。
よく見れば、右足には草鞋がついているが、左足の草鞋は落ちたと見える。
「又次郎、千代、道場に行って兄さまたちを呼んできて」お涼は妹の千代の肩を叩いて、前に押し出した。
盃山の天狗岩。村人はそう呼んでいる。村を流れる馬駆川に沿って盃山の岩肌が約100メートルほどの高さでそびえ立っている。
お涼は後悔している。父の景久が、
「あの天狗岩を昇って、頂上の鬼百合の根を取ってきた者だけが化け物さえも退治できる秘剣・憑殺天を授かることができる男に選ばれるのだ」とお涼に言ったからだ。
「ただし、登って百合の根を取ってきただけじゃ、ダメだ。然るものから、厳しい修行を受けやっと伝授されるものなのだ」景久はまだ小さいお涼に語ったのだ。
「ただしわしが少年のころには、勇敢に挑もうとするものも結構いたもんじゃが、近頃の若い輩は、読み書きそろばんばかりで、弱っちくなったもんじゃ」
たしかそんなことを父・景久は言った。お涼が道場に出入りするようになった7,8歳のころの話である。
それをお涼は覚えていた。
*
八っつ半(午後3時)、道場が終わって、井戸の周りには若い門下生が集まって、一斉に沐浴をしている。
春も終わり、夏を迎えようとしている。日差しは、ここ東北の地にあっても、日によってはかなり暑い。ことに盆地である駒川藩は、日中の気温が高いのだ。
「今日の柿田さんは機嫌が悪かったな、突きに力がこもっていたもんな」島田又次郎は手拭いに水をいっぱいに浸らせて頭から被った。15歳になったとはいえ、胸の厚さや腕の太さは、まだあどけなさを残している。郡奉行の与力の次男坊だ。
「お前たちが、うじうじとしてっからさ」源介はからりと言いのける。
「だって、この暑さじゃ、汗が目に滲みて相手だってよく見えないよ」と又次郎。
「ったく、なんで俺ばっか、みんなの代理みたいに怒られるんだ」奈良源介はそういって頭から桶をざぶんと浴びた。源介は特別である。色黒の体。身長はもう6尺はあり、筋骨は隆々、胸板や腕っ節ももう一人前の男といった体つきである。その割に顔は小さく、切れ長の目に異人のような鼻の高さ。まさに益荒男ぶり、といってよかった。剣の腕前は、ここ神田道場の40人ほどの中でも、もはや10席の席次になっていたし、その腕前や風格から将来を期待されて若者の中ではリーダーのように慕われていた。
*
「なんなんだ、この声の覇気のなさは。声で気を高めなくては、とうてい上達は無理だな、暑さなどに負けているようでは、どんな相手にも勝てんわい」柿田はそういってみんなを見ては源介の頭を竹刀で叩いたのだ。
柿田惣右衛門は藩では、御弓役をつとめる20石ほどの下士だが、一刀流の神田道場では師範代をして、もう4年になる。4年前には藩の恒例行事となっている石清水天満宮の奉納試合で、ライバルの長谷川道場を相手に全勝して伝説になった男だ。
そんな柿田はまじめで常にストイックな性格のため自分に厳しくもあり、また門下生にも厳しかった。とくに今日は暑い。暑さにへたれている後輩に我慢がならなかったのである。
「仕方ねーよ、源介は神田道場、期待の星。柿田さんもそれだけ源介を可愛がってんだよ」又次郎は、源介の肩をパーンと叩いた。
「ちぇっ、可愛がるならこうやってほしいもんだな、ほれ」源介は又次郎の両乳首を手でつまんだ。
「馬鹿!やめろって」
「ほれ、ほれ、くすぐったいだろ」源介は又次郎の腋の下にも手を出した。
「あひゃっひゃ! やめろってば」又次郎は笑いながら、手拭いで応戦した。
道場の井戸の脇には神田道場主・大崎景久の母屋がある。母屋の方から声がした。
「源、又! 」
源介たちは声の方を見やると、濡れ縁でお涼が、手をおいでおいでしている。
源介たちは、適当に着物をはおった。
「勘治がね、まくわ瓜を食べなさいって、あなたたちだけよ」お涼はそう言って、下人の勘治が裏で育てたまくわ瓜をならべた盆を指さした。
「やっほい! やっぱ天は俺様を見てるんだな、罰の後には、まくわ瓜ってか」源介は手を出した。
ペシッ、お涼の手が源介の手をはたく。
「頂きます、は?」お涼が飼い犬を馴らすような声で言った。
「はーい、涼殿、いただきまーす」源介と又次郎は一斉にまくわ瓜にかぶりついた。
「んんめー!」種を飛ばしながら源介はパクついた。
「千代も欲しい」奥から妹の千代が出てきて、又次郎のまくわ瓜を奪った。
「お千代ちゃん、そりゃねーよ」又介は泣きそうな声で言った。
「たくさんあるでしょ、はい又殿」お涼は又次郎に瓜を渡した。
又次郎はどきっとして無言でまくわ瓜を頬張った。
「お茶もらうぜ」源介が、お涼の飲みかけの茶碗を無造作に飲んだ。
「あっ!」又次郎は驚きの表情で源介を見る。
なんか変か?という顔で源介はいる。
「い、いや・・・」又次郎は何も言えない。
(おまえ!おなごの飲みかけの茶碗、しかもお涼どのの茶碗を!)と又次郎はいつも源介の武骨で遠慮のない動作に嫉妬するのである。
今に始まったことではなかった。道場に来たころから源介とお涼には男女の分け隔てというものが無い。小さい時から源介はお涼を肩車をしたり、相撲を取ったりして仲が良かった。
又次郎にはどうしてもそのようにおなごに触れることはできなかった。
お涼は15になった。もう稽古には出なくなった。髪は島田髷になって、どこがといえば困るが体つきが丸くなった。母の志乃が美人だったこともあって、お涼は美人だ。というより可愛い。小さな顔に透けるような白い肌。細い眉の下にきれいで大きな瞳が輝いている。唇は厚ぼったいがそれが艶っぽく紅を引いたように赤い。
又次郎はいつからだろう? お涼の胸元の白い肌や、裾からこぼれる白い脚首を見ては、何かいけないものを見たような気になった。自分が卑しいのだ、と言い聞かせながらつい見てしまうのだ。
その点、源介にはお涼を「おなご」として意識することが無い。又次郎は源介がとんでもない馬鹿なんじゃないか、と思うのだ。夫婦となる契りでもしているのだろうか? それともお涼をまったくおなごと意識していないのではないか? 今のように、平気でお涼の口をつけたお茶を飲む源介に、いやそれを許しているお涼に、又次郎は無性に腹が立った。
「先生は、お元気か」源介はお涼に訊いた。先生は塾長の大崎景久のことである。
「うーん、なにか暑気あたりみたい。暑いうちは横になっているわ」
「精をつけないとな、鰻とか大蒜とかがよいぞ」
「百合の根もいいぞ」又次郎は言った。
「又、知っている? 馬駆川の向こうにある、盃山の天狗岩」お涼が訊いた。
「ああ、登れたら一丁前の男になれるっていう崖だろ」又次郎は言った。
「なんだ、それ? 聞いたことがないぞ、又次郎、教えろや」源介が食いついた。
「あのねえ、一丁前なんてもんじゃないわよ、又。登ったところに咲いている鬼百合の百合根を取った者だけが秘剣・憑殺天を授かる資格が与えられるのよ」
このお涼の一言がいけなかった。源介の心に火をつけてしまった。
「本当か、じゃ鬼百合の根を食べれば化け物さえも倒せるのだな」源介が意気込んだ。
「や、やめとけ源介、天狗岩は天狗しか登れぬわ。火の国熊本城の居反り(そり)とおなじだぞ」
「わしは天狗じゃ、又次郎。登った暁にはきっと別嬪さんと結ばれるかもしれん、しかも秘剣となら黙っちゃおれんわな」
「いやだ、源介。別嬪さんのために登るなんて、卑しいったらありゃしない」
「そうだよ、それに源介は天狗というより孫悟空だ。きっと登ろうとすると三蔵法師の罰で頭の輪っかが痛むように、めまいがしてぶっ倒れるぜい」
「孫悟空か、いいじゃねえか、金斗雲で天竺までひとっ飛びってか?」
源介は濡れ縁から立ち上がって金斗雲に乗る格好をしてみせた。
「馬っ鹿みたい。一間だって無理に決まっているわ」お涼は笑った。
「又、お涼、首実検が必要だ、わしについてこい!」
源介はおっとり刀よろしく、稽古着を丸めて竹刀を突っ込み、駆けだしていった。