第7話
感想ありがとうございます。
もう少し物語が進み次第、ぼちぼち返していきたいと思います。
快晴の天気が憎い。
赤い目が忌ま忌ましげに眩い光芒を睨みつける。
イザベラは日差しを遮る大きなツバのついた麦わら帽子を頭に乗せ、屋敷の門の前に佇んでいた。
未だかつてない不測の事態に昨晩はあまり寝付けず、禍々しい赤い目が一層に恐ろしさを増している。
「イザベラ、気をつけてね。まあでも今回は殿下が一緒なんですもの、とても安心だわ」
「そうですわね、お母様」
見送りに出てきている母親が、能天気な顔で微笑んでいる。イザベラは棒読みで頷いた。
現在、王子の到着を屋敷の者たち総出で待ち構えている。仰々しい出立に頭が痛くなった。
叔父の方には昨日のうちに手紙を送っており、今朝承諾の返事が届いていた。封を開けるまではもしかしたら駄目だと書いてるのではないか、という可能性を捨てきれず、イザベラは読み終わって打ちひしがれた。
「ねえ、アナ」
「何でしょうか、お嬢様」
こっそりと声を潜めて侍女を呼ぶ。
背後に控えている侍女が、一歩前に出て主人に耳を差し出した。
「今は何時かしら?」
「7時44分です」
「あのね、8時に約束をするということは、10分前には待ち合わせ場所に着いてなければならないと思うの。なので、7時50分に殿下がいらっしゃらなければ、私たちは出発してもいいのでは…」
「お嬢様、馬車が来ました」
ひそひそと若干暴論に近い持論を展開をして現実逃避をしていると、現実が残酷な勢いでビュンと飛んできた。
カラカラと道の向こうから馬車の音が聞こえてきて、ついに観念したようにイザベラは項垂れた。
時刻は15分前、ぐうの音も出ない。
やがて開け放たれた屋敷の門から、艶のある立派な毛並みの馬が4頭毅然とした表情で姿を表した。大きな荷馬車が広い玄関に入ると、少し小さい馬車が後に続く。更に後ろから馬に乗った騎士、クラウスの従者が追いついた。
御者が手綱を引く、無駄のない筋肉のついた馬脚が2、3度足踏みし、黒々とした馬蹄が空を切ると、車輪を軋ませて2台の馬車が入り口付近で停止した。
馬車が起こした風でイザベラの白いワンピースの裾がはためく、思わずスカートと帽子をぎゅっと掴んだ。
1台目の大きな馬車から王家の兵士達が降りて来て、イザベラたちに深くお辞儀をする。
彼らが2台目の馬車の後ろに控えると、馬から降りた従者が門に馬を縛り付けて、兵士たちと同じように深く頭を下げた。
そして従者が王家のものしては質素な外装の馬車の扉を開く。
中から現れたクラウス・アルフォード王太子が、紳士の礼をとってイザベラ達をにこやかに見渡した。
「おはようございます、皆さん」
クラウスは白いブラウスに黒いトラウザーズという出で立ちで、どう頑張っても庶民には見えないがそこそこのお坊ちゃん風に擬態していた。
「エヴァンズ夫人、本日は無理を言ってイザベラ嬢の帰省に同行を許して頂けたこと、感謝いたします」
「とんでもございません。こちらこそ、殿下に同行していただけるのならば、母親としてこれほど安心なことはありませんわ」
母親はふわふわと柔らかい表情でクラウスに淑女の礼をとった。その横でイザベラも頭を垂れる。既に後ろでは使用人達が深々とクラウスに膝をついていた。
「ええ、安心してください。前方は王家の兵士たちが、後方を僕の信頼する騎士が目立たぬよう一定の距離を取りながら警護します」
「頼もしいですわ。どうぞ、何もないところですが、楽しんで来てくださいね」
微笑み合う2人に置いてけぼりを食らいながら、イザベラはそわそわと落ち着かなさそうにしていた。
「さ、同行する使用人は前の馬車に乗ってくれ。屋敷までの道程で、いつものルートや寄る場所などがあれば御者に確認してほしい」
クラウスは使用人の方を向いて、テキパキと指示を出し始める。
その言葉を聞いて、イザベラは愕然とした。
待って。
それってこの王子と馬車という密室の中、長時間2人きりということでは。
シャイを拗らせた人間が、普段ほぼ話さない相手とそんな状況、地獄過ぎる。
イザベラは縋るような目で侍女を見つめた。
「あ、アナ……」
「お嬢様、では失礼致します」
クールな侍女は颯爽と1台目の馬車に乗り込んだ。
そういうとこ、好きだけど今は辛い。
「では、行こうか」
目の前にクラウスの手が差し出される。
見捨てられたイザベラは王子のエスコートによって、馬車に乗り込まざるを得なかった。
馬車の中、向かい合わせに座っている。
気まずいのはイザベラだけなのか、クラウスは静かに窓の外を眺めていた。馬の蹄が一定の間隔で地面を蹴る音が聞こえる、それに合わせて馬車もカタカタ揺れた。
「あなたはあの侍女を城に連れてくるのか?」
唐突にクラウスが口を開いた。
「城…?」
意味がわからず、イザベラはポカンとした顔で繰り返す。
「僕たちが結婚したあとだよ」
「結婚……?」
しばし沈黙が流れる。
「………………もちろんです。アナは私に取って掛け替えの無い姉のような存在、彼女が許してくれる限りずっと一緒にいてほしいですわ」
長い長い沈黙の末、イザベラはようやく正解を導きだせた。
まず、大前提として普段そんな未来を現実的に考えもしていなかったため、異国語を聞いた時のような顔をしてしまった。
「そうか、あなたは1人娘だったね」
「ええ、そうです。…殿下はご兄弟がいらっしゃいますよね」
「前に挨拶したと思うけど、姉と双子の妹と弟がいるよ。下は年が離れていてね、やんちゃ盛りは過ぎたはずなんだけど、妹の方が全然落ちつかなくて困る」
慈しむような目をして、クラウスは肩をすくめた。
以前イザベラも会ったことがある、当時、彼の妹と弟はまだ幼すぎたため会ったことはないが、姉の方はクラウスに似て精巧な人形のようにとても美しいお姫様だった。
「今日も出てくる時に妹に捕まってね、どうして子供ってあんな早起きなんだろう」
いつも余裕そうなクラウスのげんなりした表情が珍しくて、イザベラは興味深そうにその顔を眺めた。
不意にクラウスがこちらを向いて、バチっと目が合う。
凝視してしまっていたのが気まずくて、イザベラは不自然にならない程度にそっと視線を外した。
なんだか、初対面同士が話すような内容だ。
それだけイザベラとクラウスは普段、日常的な会話をした事がなかった。もう5年も婚約しているのに。
仕方がない事だ、イザベラは全て自分が悪いと分かっていたから、居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
再び沈黙が馬車の中に落ちる。
そもそも、2人きりと言うシチュエーションになる機会があまりないのだ。大抵、使用人を含め周りに第3者がいる状況で、イザベラはいつもエヴァンズ公爵家の令嬢として毅然とした態度を心がけた。学園の中であれば、模範生徒として正しい姿勢であろうとした。
しかし、こんな風に誰にも見られていない状況で2人きりとなると、あまりの距離の近さにどう取り繕えば良いのか分からなくなる。
クラウスの視線が突き刺さる中、イザベラは目の前の白いブラウスを意味もなく見つめた。
イザベラがしばらく王子の私服を眺めていると、黒いトラウザーズの膝のあたりに、茶色い糸くずのようなものが付いているのを発見した。
「殿下……糸くずがついてますわ」
イザベラがそう言って白い手を伸ばす、ふんわりとした小さな茶色い毛玉を摘み上げると、クラウスが口を開いた。
「ああ、それは─────」
ガタン、と馬車が揺れる。どこかの段差に車輪が躓いたのだろう。
その拍子にイザベラの指先からすり抜けて、その毛玉が空中に舞う。
「は…………くしッ」
大きなくしゃみが聞こえた。
キョトンとしてイザベラが王子を見上げると、彼は口元を抑えて眉根を寄せていた。
「お身体の調子でも…」
「はっ、はっ、……くしゅッくしゅん」
連続のくしゃみと共に、黒い前髪が揺れる。
クラウスは脱力して馬車の壁に寄りかかった。ぐし、と鼻をすする王子様にイザベラは恐る恐る自分のハンカチを差し出す。
「……ありがとう、後で代わりのものを贈る」
「いえ……お気になさらず」
ぐったりした表情でそれを受け取ると、クラウスは顔を拭った。
急にどうしたのか、それを尋ねても良いのか分かりかねて、イザベラは結局沈黙を保ったままだ。
「…今朝、妹がピグマリオンをけしかけてきてね」
先に口を開いたのはクラウスだ。
「ピグマリオン、ですか?」
イザベラは王家が飼っているトイプードルを脳裏に思い浮かべた。
大きなため息をついて、クラウスは頷いた。
「昔から犬アレルギーで、犬に近づくだけでくしゃみが止まらなくなるんだ。軽い症状だけど、僕がくしゃみする姿が面白いらしくて、妹がよくピグマリオンを僕のベッドに連れてくるんだよ」
疲れたようにそう言って、クラウスは目を閉じた。
「犬アレルギー…………」
そういえば、イザベラはふと思った。王宮に行った時、クラウスとピグマリオンが一緒にいるところを見たことがなかった。全く気にも留めていなかったが、まさかの理由に呆然とする。
「酷い妹だろう?」
薄眼を開けて、金色の瞳が苦笑まじりに問いかける。
イザベラは引きつった笑みを返した。
クラウスは知っているのだろうか。エヴァンズの領地の屋敷には、大型犬が5匹いる、と。
「す……少し、お休みになられますか?目的地までまだまだ時間がかかりますし……エヴァンズの領地までは3時間ほどで着きますけれど、そこから屋敷まで更に3時間かかりますの。途中、町で1時間ほど休憩を取りますから、それまでゆっくりされては……?」
背中に冷や汗をかきながらイザベラは提案した。
「流石、あなたの家の領地は広いね」
「…ところで、私はいつも途中で町に寄って食事を取るのですが、殿下はどうなさいますか?」
「あなたと一緒に町へ食べに行くよ。あなたがいつもどんなところへ立ち寄っているのか、興味がある」
カーテンのタッセルを外して窓を隠しながら、クラウスは即答した。
イザベラは頷きかけて、止まる。
「あ、……ですが、殿下のご容貌は、町の者が一目見ただけでおそらく…気づかれてしまわれるかと思うのですが」
服装は王族に見えなくとも、この国の人間であればクラウスの黄金の瞳を見ただけで彼が王族であるとすぐに分かる。王族以外が持ち得ない色、それは身分の証明には便利だが、こう言う場合ではネックになる。
言いにくそうにイザベラが進言すると、クラウスは小さく首を振った。
「心配いらないよ、ちゃんと変装用の眼鏡を持って来たから」
眠そうにそう言って、クラウスはイザベラに腕を伸ばした。王子の指が、イザベラの目元をそっと撫でる。
「あなたも少し休むといい」
触れるか、触れないか、くすぐったい感触にイザベラは赤い目を瞬かせた。
クラウスは目を閉じて、完全に馬車の壁にもたれかかった。
残されたイザベラも、昨日寝付けなかったことを思い出して眠気が移る。
それにしても、トイプードルはあまり被毛が抜けにくい犬種だ。それなのにあんなにくしゃみを繰り返すと言うことは、領地の屋敷に着いたら……イザベラはそこまで考えて、目を閉じた。
そういうことは、今は考えないに限る。
まどろむ2人を乗せた馬車は、カタゴトと車輪の音を響かせて王都から遠ざかっていった。