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第49話

金色は神秘的で、美しい色だ。数多ある国々の中で、示し合わせたわけでもないのに共通の認識というものは不思議と存在する。

輝くものに人は心惹かれるものだ。クラウスの瞳は王家しか持ち得ない黄金色をしている。王の証、神秘の光、天上から舞い降りた天使のようだと人は言う。

クラウスにとっては、そんなもの何の価値もないのに。

幼い頃から自分の目が苦手で、誰も彼もが褒めそやすその美辞麗句を聞くのもうんざりだった。確かにクラウスはこの国の第一王子ではあるが、ただの人間だ。

魔法が使えるわけでもないし、天より舞い降りた天使だなんて片腹が痛い話だ。特別というよりも、鏡を見るたびにお前は普通ではないと指を差されているようで気分が悪い。

けれど、イザベラに出会ってからは、それも悪くはないと思えたのだ。

中庭を歩く彼女の長いブロンドが、日差しを反射してきらきらと輝く。それは、クラウスの色だ。

イザベラがそっと淑やかに振り返ると滑らかな髪が踊るように翻り、光の下で透き通る赤い目が柔らかく細まった。心底嬉しそうに、イザベラが無邪気に微笑む。夢にまで見た愛らしい微笑みが、まっすぐにクラウスを見ていた。

「クラウス殿下」

喜色を帯びた彼女の声が、この名を口にする。それだけで、クラウスは歓喜のあまり顔が熱くなった。

「ありがとうございます、私と婚約を解消して下さって」

はにかむ顔が、これ以上ないくらいに嬉しそうにクラウスに感謝を述べた。喜びで飛び上がらんばかりだったクラウスの顔が、硬直する。喉がひゅうと乾いた音を鳴らして、心臓が一気にどくどくと音を立てた。

え、と口にした声は音にならずに消えて、気にした様子もないイザベラが鈴を鳴らすようにコロコロと笑う。

「これで、やっと私……大好きな人と一緒になれますわ」

彼女の後ろに、巨大な影が落ちる。背の高い男が彼女の腰に手を回して、その顔はぼんやりと陽炎のように見えない。

柄にもなく目頭に熱いものが込み上げて、クラウスは笑みを口元に浮かべたまま気付かれないよう鼻をすすった。いつか来るとはわかっていた。

王族たるもの簡単に心の内を読まれてはならない、心を乱してはならない、一つの存在に執着しすぎるべきではない。気品と余裕を持って、彼女によかったねと微笑みかけなければ。

けれど体面も気にせず、イザベラに触るなと子どものように叫んで彼女を奪い返したい。だけど嬉しそうな彼女の笑顔を壊したいわけじゃない。邪魔者がどちらかなんて既にわかりきっている。

目の裏が熱い。鼻もぐすぐすと無様に鳴って、クラウスは思わず顔を覆った。最後だというのに、こんなにも格好つかない姿を彼女に見せるなんて。

「は……っは………は、ぁ………っぐしょん!!!」

自分の大きなくしゃみの音で、クラウスはハッと目を開けた。

眼前を茶色いもじゃもじゃの毛が覆い尽くしている。

数秒思考が停止したものの、クラウスはそっと顔の上に乗ったその“生き物”を持ち上げて腫れぼったいまぶたを伏せた。

「………シェリー」

「はぁい」

良い子のお返事に頭が痛くなる。

「僕の寝室にピグマリオンを入れてはいけないと前も言ったね?」

「うん!お兄様、ずぅずぅいって、何いってるのかよくわからないわ!面白いっ!」

ベッドの上で栗色の髪をくるくると踊らせて、興奮したようにきゃいきゃいと声を上げてはしゃぐ姿が寝転んだ視界の端に映っていた。

持ち上げたトイプードルの毛が未だ鼻をくすぐっており、掻きむしりたいほど痒い鼻腔からグシュグシュ音が鳴る。ロクに言葉も発せない無様な状況を見て、年端も行かない妹がケラケラと悪魔のように笑っている。

鼻と目に来るタイプの犬アレルギーを患っているクラウスを、無邪気な子どもが面白がって転げ回るのだ。最近は学園にずっと居たものだから、長期休暇一日目の洗礼のような恒例の悪戯をすっかりクラウスは忘れていた。

「はっくし、はっっっくしゅ、ぐし、ぐっしゅ、……はあっくっしょんっ!!!」

クリクリとした黒目のトイプードルがカールの毛並みを揺らして、尻尾で喜びを表現している。ハッと口を開けて、犬なりに嬉しそうな笑顔をクラウスに向けていた。可愛い、確かに可愛いとは思う。確かに命に危険があるような甚大な症状ではない、笑い事で収まる範囲内かもしれない。けれど、目覚め一番から目と鼻が地獄のように痒いのは正直勘弁してもらいたい。

「僕は止めようとしたんです、兄上……!」

「キース……そうか、ありがとう」

いつも思うが、止めようとしたなら最後まで止めてくれないものだろうか。

扉の隙間から落ち込んだ顔を覗かせる幼い弟に本音は言えず、兄の顔でクラウスは優しく頷いた。同時にずずぅと鼻腔から一際大きい雑音混じりの水音が鳴る。その横で、お兄様何いってるのか全然わかんない!とシェリーが笑い転げているのを見ないふりして。


それにしても休暇初日から、最悪の夢を見た。

まるで予知夢のようなそれが、嫌でもクラウスの頭の中で何度も再生されている。

ガリ、ガリ、と胸を掻き毟るような鋭い音が響く。

来たる未来だと内心では気がついていながら目をそらしてきたというのに、まさか夢で突きつけられるとは思いもよらなかった。あんな場面になって、ようやくイザベラは笑顔を見せてくれるのかとクラウスの口から乾いた笑いが漏れる。

イザベラには領地に愛する人がいて、彼女を笑顔に出来るのは見知らぬその人間だけなのだろう。

そんなことはとっくの昔に気がついていた。

学園にいるとき、クラウスはいつだってイザベラの姿を無意識に目で追ってしまうのだ。だから、時折彼女が遠くの何もない場所を見つめて微かに微笑むことを知っていた。何かを思い出して切なそうに笑うイザベラの姿を見たとき、その脳裏には一体どんな人間が浮かんでいるのだろうと嫉妬でクラウスは身動きできなくなる。

嫉妬、屈辱、苦しみ、何よりも大きな悲しみと切なさがこの胸を締め付けて、クラウスはありったけの感情を込め握りしめた手を振り下ろした。

ガリ、と嫌な音が静かな部屋で大きく響く、と同時に後ろから声がする。

「……大変申し上げにくいのですが、殿下。そろそろ陛下との約束のお時間になります」

「傷心の僕をもう少し放っておいてくれないか」

学園が長期休暇に入った一日目の午前中、寮から王宮に戻ったクラウスに従者が嫌々声をかけた。自室で真顔のまま黙々と手を振り下ろし続けているクラウスに、従者は苦々しい顔を隠さない。

「そんな不気味な物をまた作って……」

「ああ、やはり気分が落ち込んでいるときに作ると出来が悪いな。ヴィンス、お前にあげよう」

「丁重にお断り申し上げます」

ため息とともに差し出されたその物体、木彫りの不気味な仮面を従者が顔を背けながらそっと押し戻す。従者にはその出来とやらが普段とどう違うのかさっぱりわからない。いつも通り立派な呪いの仮面ではないか。

似たようなある種独特な雰囲気を醸し出している、確実に同じ作者であることが伺える不気味な仮面たちがクラウスの自室の壁にいくつも飾られていた。王族や貴族が芸術に手を出すのは普通のことだが、そのセンスは普通ではない。使用人の手によって何とかしてお洒落で高貴な空間を演出しようと飾り方にいくつも工夫がなされているが、いかんせんオブジェに重大な問題があるため全ての苦労は無に帰している。明かりの消えたこの部屋には正直入りたくはない。

「何、遠慮しなくても構わない」

純粋な善意を持って、クラウスは有無を言わせずその呪われた物体を従者に押し付けた。有能な男は真顔のまま沈黙した後、丁寧に感謝の意を述べる。その目は死んでいる。

「殿下、謁見の間に参りましょう」

「長期休暇といっても公務公務と、僕には今日から三日しかまとまった連休は無いのに。少ない自由時間くらい存分に落ち込ませてくれてもいいんじゃないか」

彫刻用のナイフを指先でくるくると回しながら、クラウスは暗い声で恨めしそうに言った。

「これ以上その………作品を量産されても困ります。さっさと行きましょう」

作品という言葉が出てくるまで従者の口はいろんな形に動いたが、無事に障りのない言葉を選び取った。

「まあ確かに、苛立ちを作品にぶつけるのは良くないな。……行こうか」

ケースの中にナイフを仕舞って、明後日の方向に納得したクラウスは頷き立ち上がる。先日学園へと、帰ったら話があるとわざわざ畏まった手紙が国王から届けられた。普通の親子関係とは異なり、一国の王ともなれば息子といえどなかなか会う機会も少ないものだ。久方ぶりに会う父親の元へとクラウスは歩き始めた。

それが運命を分かつとは思いもよらずに。


謁見の間にて玉座に座る国王と王妃に、哀れみの籠った視線を投げかけられながらクラウスは冷や汗をかいていた。

「哀れな息子よ」と黄金色の目をした威厳のある国王がクラウスを見下ろした。

「馬鹿な息子よ」とかわいそうなものを見るような目で王妃がため息をついた。

「かわいそうな息子の初恋ですもの、私も見守っていたかったけれどこのままではあまりにも哀れだわ。甘やかすのは教育上良くないと思うのだけれど国王様があなたのことを哀れむものだから、チャンスを与えましょう」

王妃の言葉の意味が理解できず、クラウスは傅いた姿勢のままゆっくりと瞬きをした。

「何を言われているのかわからない、という顔をしているわね。……クラウス、あなた最近婚約者とはどうなのかしら」

「どう、とは?」

あまり触れられたくない話題を出されて、クラウスは目を細めた。その態度を見た王妃が大げさに肩をすくめる。

「あら可愛くない。素直に泣きついてきたら少しは可愛げがあるものを」

「王妃」

「ええ、わかっております」

国王にたしなめられた王妃は白魚のような手で口元を隠し、頷いた。

「婚約者にイザベラ・エヴァンズが選ばれた時のことを覚えている?」

「……ええ、まあ」

微笑みを貼り付けて、クラウスが相槌を打つ。濁した言葉の裏で何度も再生された少女の笑顔がよみがえる。

「優しいだけでは王妃にはなれないわ。威厳がなければ…ね。けれど、威厳だけあって優しさがないのも良くはないの、それでは人が付いてこないでしょう。王妃となる人間には、その両方を兼ね備えていなければ……あのお茶会の場で彼女はどのご令嬢よりも威厳があったわ。けれど、あまりにも高圧的すぎて、初見では決め手にかけたの」

今でも鮮明に思い出せる、ツンと澄ました顔つきは確かにきつそうで、その上あの珍しい赤い目が威圧感を感じさせていた。

「クラウスが好きだって、彼女は微笑んだわね。とても嬉しそうに」

わかりやすくクラウスの肩が動いた。

あの日、氷が一瞬で溶け落ちる様を目の当たりにして、クラウスはあっという間に心を奪われた。己に愛を囁く少女が、その嘘偽りない表情があまりにも鮮烈でクラウスは身動きさえできなくなった。

つり上がった赤い目が、甘い砂糖菓子のようにゆるりとほどけて、薔薇色に染まった柔らかそうな白い頬に触れたいと思った。

「五年越しの秘密をあなたに教えてあげましょう」

王妃はそっと細い人差し指を赤い唇に押し当てた。


まるで足が地面についていないように、現実感がなかった。

まだ夢を見ているようで、でも目は覚めない。よろめく足取りでピグマリオンの腹に擦り寄り、大きなくしゃみを3連発したあたりで、ようやくこれが現実であると確信した。

理解すると同時にあまりの衝撃に感情を抑えきれなくなって、クラウスは無作法にも先触れも出さずにイザベラの屋敷へと押しかけた。

御者を急かして、大きく揺れる王家の馬車の中でクラウスは先ほど知らされた事実を何度も頭の中で繰り返す。

「あのお茶会の後、イザベラの母親───私の友人であるエヴァンズ夫人が思いつめた顔で訪れたの。会った瞬間頭を下げて、彼女は私に謝罪したわ」

王妃は過去を思い返すように視線を左に動かして、語る。

「謝罪?」

「ええ、申し訳ありません、とね」

そんな話は聞いたこともない。イザベラの母親が謝罪するような事柄が、クラウスには思いつかない。

困惑するクラウスに、王妃は目を輝かせて口元を綻ばせた。

「さあこれから言うことをよくお聞きなさい、クラウス。」

生き生きとした王妃の表情に、横にいる国王は呆れたようにため息をついた。

殊更ゆっくりと勿体振るように開かれた赤い唇が、秘密を告げる。

「イザベラはね、領地の屋敷に犬を飼っているそうなの」

「犬、ですか」

その言葉にチリ、と心が揺さぶられる。愛人を比喩として犬に例えた、あの例の噂が頭によぎった。

目を伏せるクラウスに、王妃はふふと笑みを漏らして一息に告げる。

「ええそう。黒い毛並みの橙色の目をした大型犬、名前は───クラウス、と言うそうよ」

……意味がわからなさすぎて、クラウスは珍しくわかりやすく怪訝な顔をした。

王妃はにっこりと微笑み、先ほどまでの勿体ぶりようが嘘のようにスラスラと詳細を話し出す。

「犬に殿下と同じお名前を付けるなんて、大変申し訳ございませんでしたと困ったように目を伏せる夫人に、私は全て理解したわ。つまり、あのお茶会でイザベラが嬉しそうに好きだと公言したのは他でもない、あなたのことじゃなくて、愛犬のことだったのよ」

王妃は理解したと言うが、クラウスはさっぱり理解できない。真顔のまま静止して、思考を懸命に動かす息子を王妃がにんまりと笑う。

「意味がわからない、と言う顔ね」

王妃は最高に楽しそうだが、国王はかわいそうにと呟いてクラウスを憐憫の宿った瞳で見下ろしている。

「つまり───始まりは勘違いだったわけだけれど、私はイザベラのことを気に入った上に、あなたは珍しくも彼女にポーッとのぼせていたから、夫人と口裏を合わせてそのまま彼女を婚約者に据えることにしたの。そのうち何とかなると思っていたのだけれど、あなたたちどちらも臆病で真逆の方向に進んでいくものだから……」

悲しそうな顔を作りながらも、息子が不器用な初恋に右往左往と戸惑っている様子を眺めて楽しんでいるのが丸わかりだ。

「…………い、ぬ………………犬……?」

ようやく動き始めた頭が、それでも理解を拒んでいる。

その様子を見て、楽しそうに王妃がにっこり微笑んだ。

「あら、やっぱりあなたイザベラが関わると可愛げがあるわ。あなたの可愛げなんて救いようのないセンスくらいなものだと思っていた日が懐かしいわね」

混乱のあまり額を押さえるクラウスに、駄目押しのように王妃が囁いた。

「彼女、領地で飼っている犬を溺愛しているらしいわ。王都の屋敷では五匹も飼えないから、頻繁に領地に帰るそうよ」

王妃の言葉に、パズルのピースがかちりとハマった。

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