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第4話

さざめく波のように話し声が止まない、ホールに集められた生徒たちは色とりどりのドレスを(まと)い楽しそうにおしゃべりしている。

終業式を兼ねた学園の小さなパーティーが始まった。

まだ社交界に出ていない生徒たちだが、卒業後には飛び立つ身。パーティーの空気に慣れておく練習として、学園では度々生徒と教師たちだけの小さなパーティーがとり行われる。

イザベラは王太子にエスコートされ、会場に入った。

「そのドレス、とても似合っているね」

「ありがとうございます。殿下の見立てがよいのですわ」

クラウスが贈った目の覚めるような真っ赤なドレスを身に纏い、長いブロンドを背に垂らしてイザベラは微笑む。仕立ての良い繊細な生地で、余すことなく裾までふんだんにフリルと細かい刺繍が施されたそれは、このパーティーの中で最も素晴らしいドレスだと言えた。

だが彼は温度のない声色で婚約者に義務のように賛辞を送り、また少女も愛想笑いを返す。

所詮こんな程度の関係だ。

彼の目には、熱情も、恋も、反対に嫌悪の色だって見受けられない。

彼は白を基調とした軍服風のデザインの王子服を身につけ、イザベラの手を引く。

…白の隣に、赤はあまりにも目立ちすぎる。

イザベラは眩しい婚約者の姿を目を眇めて見た。

「どうかしたかい」

「いいえ、何も」

振り向いた拍子にさらりと黒髪が揺れる、幻想的な金の瞳がこちらを見下ろした。

なんて美しい人だろう。そう思うと同時に少しの罪悪感を覚えたイザベラは、反射的にふいと目をそらし、素っ気なく首を振った。

王子は気にした様子もなく、ホールの壇上に目を向ける。

「ああ、そろそろ挨拶に行かないと。ではまたダンスの時間に戻ってくるよ」

「ええ、わかりました」

王子であり、学年主席である彼は壇上で休暇前の挨拶をしなければならない。

彼にとっても、これは練習なのかもしれない。

いずれ国王として国民の前に立つ、その未来があるのだから。

そして、そのとき隣に立つのは───

「イザベラ様!」

大きな声で背後から声をかけられ、ギクリとする。

こんな無礼なことをする令嬢を、イザベラは一人しか知らない。

ゆっくりと振り返れば、目を輝かせてニコニコ笑う少女がいた。その後ろにブンブンと振る尻尾が見えたような気がして、イザベラは目頭を抑えた。

「……ルーナ様、ごきげんよう」

ここは平等な学園だ、だから目上の者に自分から話しかけても許される。けれど目の前のこの令嬢はそう言うことを何も分かっていないだろう。例えここが本物の社交界だとしても、平然と同じことを仕出かしそうでイザベラは少し頭が痛くなった。

「見てください!このドレス、クラウス様に頂いたんです!!」

真っ白なドレスを身に纏い、嬉しそうに全身ではしゃいで、くるくるその場で少女が回る。

その言葉に周囲の生徒たちがざわついた。

「……ルーナ様、あまりそう言うことを大きな声で仰るものではありませんわ」

「えっ、駄目でしたか?私、パーティー用のドレスが入学式で使った1着しかなくて、でもあれうっかり汚してしまって着るものが無くて…クラウス様に相談したら、お家の人の物を譲ってくださったんです。私、嬉しくって!」

本当に心の底から嬉しそうに頬を染めて笑う。

小動物のような彼女に、イザベラはハイハイ可愛い可愛いとグリグリ撫で回したくなる素の気持ちと、少しは恥を知りなさい!と怒鳴りつけたい令嬢の鑑としての気持ちの二つに板挟みになった。

「令嬢たる者、自分の家の繊細な事情をみだりに口にするものではありません」

しつけは最初が肝心だ。

赤い目を鋭く光らせ、イザベラが諭すようにそう言えば、少女はビクッと震えて静かになった。

ドレスを着て気分が高揚するあまり、思わずイザベラに声をかけてしまったようで、ハッとしたようにルーナは辺りを見渡し自分の状況を確認して、その青い目を潤ませた。

怖がらせるつもりはなかったが、落ち込んでしまった少女は子犬のように愛らしい。

「イザベラ様、あまり彼女を苛めないでください」

見かねたように一人の銀髪の青年がルーナの側に駆け寄った。

天の助けとばかりに少女は青年に縋り付く。青年は少女を安心させるように、その緑の瞳を柔らかく細めた。

「セドリック様、…私は苛めたつもりはありませんが。」

現宰相の息子であるセドリック・ダルトンは精悍な顔つきを僅かに歪ませ、少女を背に隠しイザベラから距離をとった。

「そうでしたか。失礼いたしました。では、私たちはこれで」

セドリックはルーナをエスコートして、そそくさと立ち去った。

一刻も早くこの場から離れたいと言う気持ちがありありと伝わって、イザベラは言葉にし難い感情を持て余した。

ああ、パーティーとはなんて退屈なものだろう。心の中で1人()ちる。

もう今すぐにでも領地に帰りたい気分だった。

とって食われるとても思っているのだろうか、あんな猛禽類でも前にしたような扱いをされて。

確かにルーナは可愛らしい、けれど、正しいことを教えてやらないと困るのは彼女だ。

あえてこの場で許して、あとで辛い思いをするのは彼女だというのに。


「みなさん、パーティーは楽しんでいますか?」


凛とした声が会場に響く、ホールの壇上に青年が立っている。

濡れ羽色の美しい黒髪がホールの照明を受けて鈍く輝いた。

彼はゆったりと周囲を見渡しながらその金の瞳を笑みの形に変え、一呼吸を置いて口を開く。

「本日は、学園前期最後のパーティーにお集まりいただき、ありがとうございます」

イザベラはホールの真ん中あたりで、壇上の男の顔を眺めていた。先ほどまでのざわめきは消え、水を打ったような静けさがホール内を満たしている。

皆、彼の言葉に聞き入った。

彼の言葉には無視できない威厳があり、思わず飲まれてしまう魅力がある。

「今、私のことを見たわ」

「違うわよ、私を見たの」

斜め後ろの方で小声でキャッキャとそんなことを言い合う声が聞こえる。皆、彼の瞳に映りたくてしょうがない。

皆、イザベラの瞳からは逃げ出すというのに。

ぼんやりとそんなことを考えていると、わあっと喝采が上がる。

大きな拍手とともに、いつの間にか壇上からクラウスの姿はいなくなっていた。

イザベラがほう、と脱力して後ろを振り向くと、白い丸テーブルを取り囲む、同じ学年の令嬢たちのグループと目が合う。

イザベラはどこか上の空な自分自身を叱咤して、彼女たちに近寄った。

「ごきげんよう、皆さん」

「ごきげんよう、イザベラ様」

淑女の礼を取ると、令嬢たちは口々に挨拶を返す。

「イザベラ様のドレス、とても素敵…」

「素晴らしい意匠ですわねぇ、本当によくお似合いですわ」

令嬢たちは口々にイザベラを褒め称えた。

「ありがとう。あなたもよくお似合いですわ、そのブルーのドレス」

先日のサロンで不満をこぼしていた少女マデリンは、パッと顔をほころばせた。

「彼女も、婚約者様からの贈り物ですって」

「しかもあの方の瞳と同じお色のドレス」

「はーあ、愛されてるのねぇ」

からかうような周囲の言葉に、マデリンはじわじわと顔全体をリンゴのように赤く染めた。

この国で自分の瞳と同じ色のドレスを贈るのは、この少女は自分のものだという独占欲の表れだ。

「羨ましいことね…」

ポツリと零したのはオレンジ色のドレスを着た少女。レオノーラは物憂げな表情で、頬に手をあてていた。彼女の婚約者はあの、セドリック・ダルトンだ。

「あなたも似合っていてよ、レオノーラ様」

「ありがとうございます、イザベラ様」

憔悴したような顔で、少女は礼の形をとった。

いつも凛とブラウンの瞳を前に向ける彼女が、暗い表情で佇んでいる。

視界の端で未だ、彼女の婚約者と男爵令嬢は仲睦まじくお喋りをしていた。

「ねえイザベラ様、先ほどの殿下の勇姿とても素敵でしたね」

「ええ、そうね。とても」

水を向けられたイザベラは、適当な相槌を打った。

たわいのない会話が繰り広げられ、時間が過ぎていく。


不意に時計の音が鳴り響いた、ボーン、ボーン、とその最後の音が余韻を持って鳴り終わる。

その瞬間、素晴らしい楽器の演奏が始まった。


ダンスの時間だ。


周囲の令嬢たちに一人、また一人と婚約者が迎えにくる。

マデリンの前に嬉々として茶髪の青年が駆け寄った。

人懐っこそうな顔のアルベルトが青い瞳を煌めかせ嬉しそうに少女の手を取る。

その熱い眼差しを受けたマデリンも満面の笑みを浮かべ、二人は寄り添った。

レオノーラの前にも、銀髪の青年がやってきて手を差し伸べた。

その顔は義務だとばかりに無表情で、それでもレオノーラは頬を染めてその手をとった。

皆、恋をしている。

傍観者のようにイザベラは少女たちの恋模様を眺めていた。


「さあ、イザベラ。僕と踊って頂けますか?」


ファーストダンスは婚約者と踊る。

それが、婚約者としての義務だ。

いつの間にか目の前で美しい王子が、イザベラに手を差し伸べている。

その顔は柔和な笑みを浮かべている、しかしそこに燃え上がるような激情も焦がれるような恋情も感じ取れはしない。

既に音楽は奏でられている、イザベラは当然のように頷いてその手を取った。

二人が踊り始めると、それを合図に皆も踊り出した。

赤いドレスがひらひらと舞う、見上げると真っ赤な瞳とドレスが王子の目に映り込んで、その美しい金色を汚していた。なんとなく物哀しくて、視線だけで周囲を見渡す。

微笑み合う男女が、手を取り合って楽しく踊っている。

ぎこちない者、照れ合う者、見つめ合う者、いろんな二人組が代わる代わるイザベラの視界をくるりと通り過ぎる。

「また領地に帰るそうだね」

耳元で囁かれた声に意識が呼び戻された。

その言葉の意味を咀嚼して、彼女は頷く。

「ええ」

それきりまた沈黙が落ちた。

流石に居心地が悪くて、イザベラは問い返す。

「あなたは?」

「僕は、父…いや、陛下に呼ばれていてね」

「何か重要なお話でもなさるの?」

「それが何も聞かされていないんだ」

クラウスが父親のことを陛下と呼ぶのは、最近のことだ。来年卒業を控えて、王太子としての自覚が強く表れ始めている。

彼は口元だけで笑みを形作ると、彫刻のようなその美貌をイザベラに近づけた。

「それより…あなたは、どうして領地へ?」

「どうして、とは。幼い頃から育った場所を恋しく思うのは悪いことかしら。それとももっと王妃教育を受けろと?」

「…いいや、そうは言ってない。あなたは既に王妃としての教育も十分受けているし、ある程度の自由は許されるさ」

「なら」

ターンをして振り返ったその顔は、無感動にイザベラを見ていた。

「会いたい人がいる?待っている人がいるのかな」

ドキリ、とした。

鈍く輝く黄金色が、イザベラの心を覗き込んだ。

…興味のカケラもない顔をして、核心を突くような言葉を紡ぐ。

言われた瞬間、5匹の犬の姿がイザベラの脳裏によぎった。

動揺が顔に出たのか、クラウスはフッと息を吐いた。

「楽しんでくるといい、……くれぐれもヘマをしないようにね」

何を言われたのか、よくわからない。イザベラは困惑してピクリと片眉を上げた。

曲が終わる、礼とともにスルリとその手はすり抜けていった。

義務のダンスが終わると、次の曲がすぐに奏でられパートナーが変わる。

すぐ側にいた同級生の青年が、イザベラに手を差し伸べた。その手を取り、互いに一礼をする。

先ほどの会話が気になってイザベラはダンスの合間にクラウスの姿を盗み見た。

彼は目立つ容姿だからすぐに見つかった。


白い王子服を着たクラウス、そしてその手を取る


───純白のドレスを纏う男爵令嬢。


キラキラと輝いた空色の瞳が、王子を熱く見つめていた。

茶色い猫っ毛の癖のある髪が踊るたびに楽しそうに跳ねる。

彼女のドレスの胸元に、襟元に、袖口に、“金”の刺繍が施されている。それが照明を反射して、光る。


それは、王子の瞳の色だ。


お揃いの白い服、初々しく微笑み合う二人の姿。

吐息が、震える。

イザベラは自分の胸にもどかしいような、歯がゆいようなよく分からない感情が蠢くのを奇妙に覚えた。

早く王都から解き放たれ、安寧の中で幸せに生きていたい。

5匹の犬と、戯れ、不安も感じず転げ回っていたい。

これはそのための第一歩だ。

2人の仲が深まれば、更にイザベラは邪魔な存在となる。すぐにあちらから婚約解消の打診があることだろう。

そう、昨日イザベラが言った通りの布石が着実に打たれている。

問題など一つもない。

「計画通り、ですわね」

血のように赤い目を細めて、うっそりと微笑んだ。

パートナーの青年は、恐ろしいものを見たような顔でゾッと背筋を凍らせて震えた。

夏の休暇が始まる。美しい音楽とともにその幕が開けられた。

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