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第40話


テラスから中に入ると、窓のそばで見張りをしていた従者が出迎えた。

隔てていたガラスが無くなると一気に愉快な熱気が勢いよく飛び出して、あたりを見渡すと多くの生徒たちがテンポの良いリズムに乗せてパートナーと踊りを楽しんでいた。ダンスに少し疲れた生徒たちはホールの真ん中から離れたテーブルの前に集まって休んだり、立食しながら談笑している。

外気との急激な温度差に喉がひりつき、イザベラは小さくコホッと咳をした。

目ざとくそれに気づいたクラウスが、優しく声をかける。

「喉、乾いたね」

「ええ、少し」

給仕人を探してイザベラが視線を動かすと、遠くの方にその姿が見えた。中央のダンスホールを横切って遠い端のテラスまで来てしまったが、向こう側のテーブルが整列した場所に給仕人たちは配置されている。

「取ってくるよ、ここで待っててくれ」

「え?いえ、大丈夫ですわ」

「遠慮しないで」

イザベラは慌てて否定したが、クラウスは笑ってひらひらと手を振りながら人並みをすり抜けていった。

残されたイザベラは戸惑いながらもその場に佇んだまま、ほうと息を吐いた。

その白い指でそっと口元を覆い、視線を下げてホールの床を見つめながら頭を(めぐ)らせる。

今まで通り、当たり障りなく義務と割り切って話さなければ、そう思っているというのに。無意識にチクチクと棘を出してしまう自分を、叱咤する意味を込めて軽く目元をつねった。

けれどイザベラが平静を取り戻しかけても、あの王子が2人の間に引かれた境界線を気がつくと飛び越えてきて、にっこり笑いかける。

その途端、この胸がぐうと苦しくなるのだ。クラウスはイザベラのことを知らなさすぎる、それと同時にイザベラもまた彼のことを全然知らない。

他人行儀で過ごしてきたこの1年半、きっと心の何処かでこの婚約はいずれ上手くいかなくなるのではないかと思い込んでいた。

義務は果たしながらもお互いが歩み寄ることもないまま、領地に逃げこんで大好きな犬たちと過ごして、そんな日がずっと続くような気さえしていた。

なのに、突然クラウスは臆病なイザベラにツカツカと歩み寄り、手を差し伸べた。

すると今までどこか遠い世界の話だったはずが、急激に全てが現実味を帯びてきて、怖くなる。

そして自覚すると全てが鮮明になり、今まで見ないふりをしていたものがイザベラの眼前で存在を主張し始める。

あの日、勘違いとは言えイザベラの告白から全てが始まった。貴族の中でも権力の強いエヴァンズの娘が強く名乗りをあげたことから、半ば強引に婚約の話が進み、イザベラが婚約者の座を勝ち取った。

世間では、おそらくそういう認識になっている。

その厚かましさにクラウスは表立って罵ったりはしなかったが、おそらく嫌われているだろうと思っていた。

だから、早く誤解を解くべきだった。

『実は本当はあの時、クラウス様ではなく同じ名前の飼い犬のことを申し上げたのです。本当に申し訳ございませんでした。ですから、私のことは気になさらず、気兼ねなく婚約を解消していただいて大丈夫ですのよ』

幾度となく馬鹿みたいなこの告白をしようとしては、不敬や家の評判、迷惑、これにより起こりうる様々な可能性が頭の中でぐるぐる渦巻いては、結局いつも言えずじまいでここまで来てしまった。

けれどルーナが現れて、ようやくすべてが終わると思った。

イザベラは表面上は婚約者の立場として、模範生徒として注意を促しながらも、大手を振ってクラウスを送り出そうと思った。その時、安堵の裏に微かに宿った痛みを隠して。


「ごきげんよう、イザベラ様」


物思いにふけるイザベラの背後で、誰かが声をかける。

振り返った先にいた、その人物を目にしてイザベラは目を丸くした。

「まあ、ごきげんよう……ルーナ様」

そこにいたのは、栗毛のはねた髪を一つにまとめて、淡い水色のドレスを身にまとう小柄な少女だ。

それは紛れもないあのルーナ・ボウマン男爵令嬢で、今朝泣いたせいか目の周りが少し腫れていた。

「あの……」

少女は緊張でカチコチに固まった手足をブリキ人形のように動かして、ちょこんと淑女の礼をした。

「今朝は、突然お部屋にお邪魔してしまって、申し訳ございませんでした」

ざわざわとホール中でさざめく笑い声や歓談の声にかき消されそうになりながら、少女は慣れない仕草で淑女らしく両手を合わせてお腹の上に置いた。

「ええ、そうですわね。もっと早めに気づいて欲しかったものですが」

内心呆気に取られながらも、イザベラはつりあがった目を細めて、返答した。

「ごめんなさい、……どうしても自分の感情が抑えられなくて、イザベラ様に八つ当たりしてしまいました」

しゅんとしながら少女はそう言って、今度はじっとイザベラのドレスを見つめた。

「素敵な、ドレスですね」

「あら、ありがとうございます。ルーナ様もそのドレス、お似合いですわね」

「ありがとうございます、……お父様に贈っていただいたんです」

どこか羨ましそうな視線をイザベラに送りながらも、少女は頷いて微笑んだ。

「クラウスさ…、殿下は一緒じゃないのですか?」

たどたどしく言い直して、ルーナは不思議そうに首を傾げた。

「ええ……ドリンクを取りに行ってしまわれて」

「クラウス殿下が、イザベラ様のためにドリンクを取りに行かれたんですか?」

少女はその青い目を見開いて、食い気味に言った。

そう言われると、まるでイザベラが王太子を顎で使ったような感じがして、けれど否定もしかねて曖昧に頷くしかない。

「そっかぁ、……やっぱりクラウス殿下にとってイザベラ様は特別なんですね」

諦めたように大きな目を閉じて、少女は苦笑した。

そして再びその目を開いた時、少し顔つきが大人びてイザベラを見据えていた。

「イザベラ様……私、少しは淑女らしく見えますか?」

ひょいと小さくドレスをつまんで上目遣いに伺うルーナを、イザベラはその赤い目で上から下まで眺めた。

「……まだまだ、ですわね。一つ一つの所作に滑らかさがなくて、及第点には程遠いでしょう」

努力しようとしているのは伝わってくるが、だからと言って大目に見ることも出来ず、イザベラはありのままを率直に告げた。

ダメ出しを受けたルーナはズンと肩を落として、けれど次の瞬間には立ち直って大きな目をクリクリと見開いて口を開いた。

「見ててください!!」

そう叫んで、すぐにルーナはあっと自分の口を押さえた。そして、「い、今のはなしです」と弁解して、しおらしく咳払いをする。付け焼き刃が露呈した瞬間を目の当たりにしながら、イザベラは呆れたようにその様子を見ていた。

「イザベラ様、私……淑女になって、あなたを見返します」

気を取り直したように少女はそう言って、その透き通る空色の瞳でイザベラの目を真っ直ぐに見つめた。

「でも、ただの淑女になんて絶対になりません。私らしい淑女を目指します」

グッと両手を握り込んで、少女は唇を噛んだ。そして一度目をつぶって、決意したようにパッと目を開く。

「そしていつか絶対、……イザベラ様とも友達になってみせますから!」

唐突な宣言に、イザベラは2、3度ほど目を瞬かせた。

最終目標が、それでいいのか。

「期待しませんわ」

イザベラが呆れてそう言えば、少女はむむと悔しげに口をモゴモゴさせる。

「そうね……けれど、あなたが変わろうと努力なさるのなら、私も相応の態度を取りつもりです」

クス、と微笑んだイザベラにルーナは驚いたように目を見開いた。

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