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第3話

寮の廊下をしとやかに歩く清楚な少女、その後ろを専属の侍女が付き従う。

学園の寮の中でも一等豪華な、女子寮の最上階の部屋が公爵令嬢であるイザベラには与えられていた。

学園の敷地内ではあるが、学び舎までの道程は馬車で10分とかかる場所だ。

アイリス学園の土地は広大で、1年生、2年生、3年生、そして女子寮と男子寮が分かれている。防犯面では学園中に精鋭の警備兵たちが配置されており、良家の令息令嬢たちは24時間体制で守られていた。


イザベラは現在このアイリス学園の2年生で、王族であるクラウスを除き学園で一番権力を持つ公爵家の一人娘だ。

誰も彼女に逆らわず、先輩であろうと皆彼女にうやうやしく接した。

何せ、彼女は第1王子の婚約者、つまりは次期王妃となることが決まっている。

しかも祖父は元宰相、父親は現外務大臣と、貴族の中でも国政に関わる一握りの存在だ。

『学園においては身分に左右されず、平等な権利を得る』というのがこの学園の謳い文句ではある。

通う人間は貴族やそれに準ずる者に限定されてはいるが、社交界では下から上まで身分に優劣をつけて数えられるところを、この学園内では伯爵家だろうが男爵家だろうが騎士だろうが平等に純粋に自分自身の能力を見られる。とはいえ、この学園を卒業すれば18歳となり、本当の社交界に飛び込むことになると皆重々承知している。

ここは小さな社交場だ。

本当の社交界に比べれば緩いものだが、油断していれば後で手痛いしっぺ返しがくるだろうことが簡単に予想できる。

だから皆、イザベラに媚びへつらう。庶民に毛が生えた程度の男爵令嬢に牙を向ける。


軋み音ひとつ立てず、するりと自室の扉を侍女が開けた。

大きな窓のある豪華な部屋だ。窓の外には小規模だが、綺麗に整えられた庭園が見える。

落ち着いた甘いピンクのカーテンと、アカンサスの葉が規則的に並んだ壁紙、白いテーブルとチェアは全て猫足で、気品も感じさせつつ少女らしい可愛らしさが感じられる部屋だった。


「アナ」


呼ばれた侍女はイザベラが中に入るとすぐに扉を閉めて鍵をかけ、ベッドの傍のクローゼットへ小走りで駆けて行く。

豪奢なクローゼットの取っ手に付いた、小さな錠を取り、勢い良くその観音開きの扉を開いた。


その瞬間、勢い良く飛び出したいくつもの柔らかそうな“何か”


部屋の隅に置かれた、リボンのかかった大きな箱には目もくれず、イザベラは降って来た“それ”を抱きしめた。


「ああ…!!!!会いたかったわ!!!」


イザベラは感極まったように叫んだ。

まるで感動の再会かのような熱い抱擁。

引き裂かれた恋人とようやく巡り会えたかのように、イザベラは涙声でぎゅうぎゅうと“それ”を抱きしめていた。

先ほどまでの鋭利な美貌が見る影も無く、口元を緩ませ勝ち気な目尻を下げている。

その間にアナは手早くイザベラのコルセットを外し、薄化粧を落とし、部屋着に着替えさせた。

その早さ、もはや慣れ切ったそれである。


「助けて、私もう駄目よ…、あなたがいないと息をするのもしんどいわ」


絶望の中、一筋の希望に縋るように儚い声で囁きかける。


───しかし、相手が反応をしめすことはない。


それもそのはず、あたりに転がる“それ”は、よくよく見ると全て大きな───…ぬいぐるみだ。


少女はその中の黒くふさふさしたぬいぐるみに向き直り、涙目で訴えかけた。



「あああああああ!!!ワンコに会いたいいい!!!!!」



心の底からの叫びだった。


悲痛な声を上げる主を尻目に、有能な侍女は部屋のアイテムのほとんどを犬グッズに変えていく。


「ああ、犬のお腹に顔を埋めてあの寝息を子守唄に眠りたい…死んだ振りの合図をして巨体がバタッと倒れる様が見たい…遊んでほしくて目をキラキラさせながらボールを持って来て伸びをしてほしい…顔が痒くて両方の前足で鼻をくしくし掻くのほんとかわいい…無理……」


イザベラは不気味にぶつぶつ言いながらベッドに転がり、黄金の髪を振り乱しぐりぐりとぬいぐるみの腹に顔を押し付けた。

ぬいぐるみの腹を指先でうりゃうりゃとこそばせたり、そのままひっくり返って自分のお腹の上に乗っけたり、抱きしめたままベッドの上をゴロンゴロンと転がり回ったり、普段のイザベラを知る者たちが見れば目を疑う光景だが、荒ぶる主人を見守る侍女は至って平静だ。


「犬を…ナデナデしたい……いい子いいこしたい……」


イザベラはブツブツと呻くように呟いて、光の無くした目で一心不乱にグリグリグリグリとぬいぐるみに頬ずりをした。



そう。イザベラは大、大、大の、()()()だった。



それはそれはドがつくほどの犬好きっぷりである。

幼い頃から領地でほとんど過ごしてきた彼女は、その人生の大半を犬と一緒に育ってきた。黄金の毛並みを持つゴールデンレトリバーのマリーとアドルフ、美しい白い毛並のホワイトスイスシェパードのダニエル、真ん中に白い筋のある茶色のもっふもふボーダーコリーのシャルロット、そして一番年の若い、大型犬の雑種がラウ。

「ラウ、シャルロット、ダニエル、アドルフ、マリー」

暫くそうして大分落ち着いて来たのか、すんすんと小さく鼻をすすりながら、一つ一つ犬のぬいぐるみを抱っこする。ちなみに特注である。

「お嬢様、たったあと3日もすれば会えるではありませんか」

呆れたように赤毛の侍女が言うと、少女はギロリと目尻をつり上げた。

「なんですって?前回会ったのが春の休暇よ?あれから何ヶ月彼らと会えてないと思ってるの!?我慢して、我慢して、我慢して…ようやく夏の休暇がくるのよ!なのに、まだ3日もあるなんて信じられる?それに初日はとりあえず王都の屋敷に帰らなければならないから、正確にはあと4日よ!!!」

「はあ…」

「そもそもよ、そもそもどうして!こんなにも私たちは引き裂かれなければならない運命なの?殿下の婚約者になって王都に連れて来られてから、ずっとあの子たちとは会えない辛い日々。私が幼い頃からずっと一緒に育って来たのに、突然引き離されてあれから5年よ!なんて非道!鬼畜!外道!」

怒濤のごとく言い募る主人に、侍女はどうどうと手を振って嗜めた。

「お嬢様、少し声を抑えて下さい。いくら最上階とは言え、誰に聞かれるや分かりませんよ」

「っ…うう」

「犬なら、王家が飼っているではありませんか。小さくて、とっても可愛らしいあの…」

「ピグマリオンは違うの」

スッと真顔でイザベラは首を振った。

「小型犬はもちろん、確かに、かわいいけど、抱いても軽すぎて潰してしまいそうだもの。それに物足りないわ。第一、なんなのピグマリオンって。誰がつけたのあの名前?センス死んでるの?大丈夫?」

話の矛先が別方向に飛ぶ。侍女はふむ、と考えるように頬に手を当てた。

「…そうは言われましても、大型犬を王都の屋敷に連れて来るのは難しいですし、何より今の()()()でないので」

絶対小型犬ブームが巻き起こっている現在の王都で、大型犬を飼っている令嬢は少ない。しかも田舎の緑の生い茂った広大な土地がある領地とは違い、この王都の屋敷に大型犬を5匹も連れてくるのは少し厳しいものがあった。

「絶望的だわ、どうしてご令嬢の方々は大型犬の良さを分かって下さらないの?皆してトイプードルを腕に抱えて、可愛いけど!」

可愛いけど!それが答えでは、と思いながら侍女は微笑む。

「小型犬は可愛くて、お世話が楽ですから」

暫く沈黙が続いた。

ぬいぐるみを抱いていた手を緩め、ベッドからむくりと起き上がり神妙な顔でイザベラが振り向く。

「…ねえ、アナ」

「知りません」

「まだ何も言ってないわ」

「お嬢様は殿下のことを愛していらっしゃる、それが全てでしょう」

しれっとそう言い切るアナに、苦虫を噛んだような顔で少女はもごもごと言い淀み、白いフリルの付いた袖口をいじる。

「…それは、もちろん嫌いではないわ」

「甘やかな黄金色の瞳は優しく慈悲深くて、あの艶のある黒髪も夜の色を映したようで美しく、いつでも物腰柔らかく、それでいてどこまでも真っすぐなところが、とても素敵だとおっしゃっていたではありませんか」

「流石アナね。一言一句間違っていないわ」

腰まで伸びたブロンドを搔き上げ、開き直ったようにイザベラは頷いた。

「そうよ、甘やかな黄金色の瞳は(犬の瞳のように)優しく慈悲深くて、あの艶のある黒髪も夜の色を映した(犬の毛並みの)ようで美しく、いつでも物腰柔らかく、それでいてどこまでも真っすぐなところが(ラブラドール・レトリバー犬にも似て)とても素敵だと思うわ。とっても紳士的ですもの。」

「色々物申したい部分は御座いますが、目を瞑りましょう。ほら、この婚約に問題はないではありませんか」

「…けれど私の理想の殿方は、それこそ小型犬のように可愛げのある感じの…そうね、例えばこの学園で言うとアルベルト様やティーダ様のような方が好きなのよ」

王子とは対照的な明るい茶髪に人懐っこい性格が魅力的な侯爵子息と、くりくりと癖の強い赤髪でいたずらっぽい笑顔の可愛らしいの男爵子息が侍女の脳裏に蘇る。

「………アルベルト様には婚約者がいらっしゃいますし、ティーダ様は身分が低すぎて家格が釣り合いません」

「分かってるわ、冗談よ。本当は私は犬たちと離れ離れになるのが嫌なの、アナも分かってるでしょ」

1匹、2匹とベッドの縁にぬいぐるみ達を並べながら、口を尖らせる。

ふいに、その赤い瞳が怪しく煌めき、侍女は嫌な予感が背筋を駆け抜けた。

「でも、よ?先ほどのライラック王国の件、聞きまして?」

「…さあ、お嬢様方の噂話は私めにはさっぱり」

「分かってる癖に。アドニス様が子爵令嬢と恋に落ちて、婚約破棄、クララ様は実家の領地へ…ですって!私、クララ様とは以前少しだけお会いしたことがありますけど、とても賢明な方でご本をお読みになるのが何よりも生きがいだとおっしゃってましたわ。実家に山ほど書物があって、まだ読み切れてないって嘆いていらっしゃったの。つまりこの婚約破棄は、クララ様にとっても田舎の領地でゆっくりと大好きな読書に浸れる結果となったということよ!?」

ライラック王国とこのアルメリア王国は友好国ゆえに、事あるごとにパーティーや式典にお呼ばれしたり招いたり、色々と交流がある。クララとイザベラはお互い王子の婚約者同士、その度に言葉を交わす機会も多かった。友人と呼ぶには、国同士の思惑が複雑に絡み合い過ぎて難しいものがあったが、お互い通ずる部分も多かった。

「はあ、類は友を呼ぶとはよく言ったもので…」

遠い目をしながらアナがそう言うと、イザベラは嬉しそうに指を組んで夢見る少女のようにうっとりと微笑んだ。

「そして、今私はクララ様と同じ状況にあると言っても過言ではないのではなくて?」

「……何のことやら」

「ルーナ様のことよ!殿下は今こそ、過渡期!つまらない婚約者を見限り、新しい可愛い婚約者に乗り換えるときよ、私は殿下を応援しますわ!」

バッと勢いよく立ち上がり、少女は輝く瞳で両手を天に掲げた。


「……………なんで、そんな結論に至ったんですか」


流石の侍女も頭を抱えた。そんな侍女を尻目にイザベラはストンとベッドの縁に腰掛け口を尖らせる。

「だって、どうしてもラウ達と一緒に過ごしたいもの…。お父様のお立場もあるし滅多なことは出来なかったから…いつの間にか降りられないところまで来てしまっていたけど、ついに、ようやく穏便に婚約破棄できるチャンスが巡って来たのよ!だいたいお父様は外交の仕事にかかりきりで、叔父様に領地のことは任せきりだし…まあどの道、うちは一人娘だからいずれ爵位は叔父さまに譲ることになるでしょう?私は領地に戻って叔父様にご迷惑おかけしないよう、今ある財産を食いつぶさないよう質素倹約に慎ましやかに暮らすわ」

「大型犬5匹飼ってる時点で全く慎ましやかではありませんけどね」

侍女の的確な指摘を流し、イザベラは(はや)る気持ちで胸を高鳴らせ、まだ見ぬ未来へ瞳を輝かせている。

「でも私、皆さんに言われるまで全く気がつきもしなかったわ。まさか殿下とルーナ様が身分違いの恋に落ちるなんてねえ…」

「そこまでは皆様おっしゃられていませんでしたが…」

「殿下、ルーナ様の前ではよく笑うものね…。さしずめ私は、恋の前に立ちはだかる障壁ですわね。もはや馬に蹴られるしかないわ…」

「お嬢様?聞いてます?」

どこか遠い世界にトリップしてしまった主人に、侍女はもしもーしと呼びかける。興をそがれたように、ちらりと侍女を見てイザベラは肩をすくめた。

「アナ、私はね。皆さんお怒りのようですけど、意外とルーナ様のこと好きよ。ただ、彼女の言動は令嬢としては信じられないくらい失格ですし、模範生徒としてはかなり厳しく接して行かなければならないけれど…今日もご覧になって?あの子、仔犬みたいにぴるぴる震えて…とっても可愛らしかったわ。皆さんが躾しろとかおっしゃるから、私ラウたちのことを思い出してちょっと気分が上がってノリノリになってしまったの…正論を言ったつもりだけどもう少しマイルドに言うべきだったかも…ダメね、反省しなくてはいけないわ…」

伏し目がちにそう言って、イザベラはため息を吐いた。

言ってることが正論でも、あなたの顔は恐ろしく威圧感があるのです。とは侍女も言えず。

色々と多大に気になる発言は混じっているが、小さな背中に背負ったその身分の所為で年齢に似合わぬ苦労を常々していることは傍で見ていて知っている。労るように侍女はベッドに腰掛ける少女の肩にそっとブランケットをかけた。

「…お嬢様、別に無理をなさって淑女の鑑として振る舞わなくてもよろしいのですよ?」

その言葉に、イザベラは顔を上げた。

持ち上がる瞼を縁取る睫毛も、金色。

瞬きとともに、隠されていたその赤い瞳が侍女の姿を映し出す。

侍女は思わずドキリとした。

同性であってもその魔に魅入られそうな、ゾッとするほどに赤い、赤い瞳を間近に見ると──────

「あら、アナったら。私、この国で最も由緒ある公爵家の娘だもの。皆さん、私を頼りにしているの、ご期待に応えないといけないでしょう?」

にっこりと美しく微笑む(かお)、血のように真っ赤な瞳孔がキュッと細まり、豊かなブロンドが波打つ。

それに魅せられたように侍女は息を呑み、沈黙の後にぽつりと…一言尋ねた。


「…あの、犬のどこがお好きなんですか?」


「そうね、やっぱりあのお腹かしら…あのあったかいふわふわの毛並みは最高よ。国宝に指定すべきだわ。むしろ何故未だ指定されてないのか信じられない…この国、無能すぎるわ…。ご存知?あのひっくり返った柔らかいお腹の上に顔を(うず)めると、人間より少し早い鼓動が聞こえて来るの。ふくふくの肉球からは何とも言えない香ばしい匂いがして、一緒に眠ると幸せな気持ちになれるのよ。ああ、ラウ、シャルロット、ダニエル、ルドルフ、マリー……!!!」


ここまでノンブレス。

淀みない口調で滑舌よく言い切って、涙目でぬいぐるみに抱きつく少女。

それを生温い目で見つめる侍女。

沈黙が落ちる。

侍女は咳払いの後、「僭越ながら」と前置きして口を開いた。

「お嬢様は少々、分厚い仮面を被り過ぎではないかと」

「分かっているわ。私、外面(そとづら)が良いの。反省はするけれど、治せないの。分かって」

「良い感じに言わないでください。つまりシャイなんですよお嬢様は」

「ええ、悲しいくらいにシャイよ」

開き直ってそう言った後、私の味方は犬達だけよ…とふて腐れたようにベッドに転がった。

「お嬢様、拗ねないで下さい」

「どうせ私は顔が恐いもの」

「………………そんなことないですよ」

「……アナの馬鹿」

「ほら、お嬢様。皆さんの前で自然に笑って下さい。お嬢様の笑った顔“は”怖くないですよ」

「緊張したら顔の筋肉が固まるの………」

「シャイ拗らせすぎですよ……」

やれやれ、と侍女は呆れながらも就寝の仕度を整えて行く。

湯殿の準備にバスルームへ駆けて行く侍女を尻目に、少女は腕に抱いたぬいぐるみの黒い毛並みを大事そうにそっと撫ぜた。

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