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第37話


その時、波のようにさざめいていた騒めきが、緩やかに収まり始める。

向こうの壇上に立つ高貴な姿を目にして、やがて広いホール全体が静まり返った。

衣ずれの音一つしない空間の中、多くの生徒たちの視線を一身に集めた存在が、にこやかに辺りを見渡して口を開く。

「みなさん、こんばんは。パーティーは楽しんでいますか?」

絵に描いたような美しく穏やかな王子のよく通る声が、鼓膜を柔らかく揺らす。

「本日は無事にみなさん顔を久しぶりに見ることができて安心しています。さて、休暇は満喫出来ましたか?」

黄金の瞳が、一人一人の顔を見るように左右を順番に見回す。微笑む者、頷く者、様々な反応を見て、クラウスは頷いた。

「うん、みなさんとても良い顔をしているようで何よりですね。……僕も今回の休暇はとても充実していました。何より、婚約者との時間を取れた時が一番良かったかな。実は今回は休暇の始まりも、終わりも、両方とも婚約者と過ごせたんですよ」

いつもある程度聞き流している挨拶の言葉に、突然自分の存在が飛び出してきてイザベラは目を剥いた。

その言葉に周囲に騒めきが広がっていく。

「あまり話すと自慢になってしまうから、やめておくけど」

バチ、と照れを含んだような黄金の瞳がこちらを見た気がして、絶句する。

隣から、「まあ、お熱いですわねぇ」と嬉しそうなレオノーラの声がして、その途端、好奇の視線が一気にイザベラに集中した。

レオノーラに悪気が微塵も無いのは、承知している。

しかしその言葉を発端にビシビシと色んな視線が四方から飛んできて、イザベラはいっそテーブルの下にでも隠れたくなったが、淑女としての矜持がそれを思いとどまらせた。

あまりにも、いつもと勝手が違いすぎて目眩がしてくる。

「それはさておき、本日からまた学園が始まりますね───……」

そんなイザベラの気持ちを汲んだのか話は移り変わり、安堵していると今度は近くの令嬢のひそひそ声が聞こえてくる。

「休暇の始まりと終わりをご一緒に過ごされたって……」

「見ました?あの甘〜い微笑み……あぁ羨ましい」

「一体どのようにお過ごしになられたのかしら…」

斜め前の令嬢たちがチラチラとイザベラの方を振り返って顔を赤くしている。

ふとその視線とかち合って逸らすわけにもいかず、イザベラは引きつりそうになる筋肉を総動員させて口元を微笑ませた。が、そのイザベラの渾身の笑みを見て彼女たちはひっと息を飲んで顔を青ざめ、慌てたように前を向いて背筋を伸ばす。

ようやく見慣れた反応が返ってきて、イザベラは複雑な気持ちで目を伏せた。

「───気持ちを切り替えて、より一層励むようにして下さい。それではみなさん、今宵はパーティーの続きを楽しみましょう」

壇上でクラウスはそう締めくくり、その瞬間ホール全体で割れんばかりの大きな拍手が沸き起こる。

混乱しているうちに終わってしまって、ほとんど聞いていなかったイザベラはとりあえず便乗して拍手を送った。

挨拶が終わって壇上から降り立ったクラウスは、真っ直ぐにイザベラの元へと歩き始め、周囲の生徒たちも自然と左右に下がって道を空けた。まるで海を分かつかのようにじわじわとイザベラまで一本の道が出来て、その向こうから王子が優然とやってくる。

「イザベラ、お待たせ」

「お帰りなさいませ…?」

早すぎるお戻りにイザベラは若干引き気味に返答した。周りの生徒たちの興味深そうな視線が未だ突き刺さっている。

「……と、セドリック、レオノーラ嬢、こんばんは」

イザベラの隣で寄り添う学友に、今気がついたとばかりにクラウスは少し遅れて挨拶をした。

「ご機嫌麗しゅう存じます、クラウス殿下」

「……盲目ぶりがすごい」

綺麗なお辞儀を返すレオノーラの横で、セドリックはじとりと呆れたような目をして友人である王子を見つめた。

対するクラウスは美しい笑顔を作って、ハハと笑う。

「セドリック。レオノーラ嬢のドレスの色、とても素敵だね。まるで君の瞳のようじゃないか」

「まあ!ありがとうございます!」

どんどんセドリックの顔が赤みを帯びていく。それに気づかずレオノーラは純粋に嬉しそうに頬に両手を当てた。

「おや、君が襟元につけているブローチ……まるでレオノーラ嬢の瞳の色にそっくりだ。よく見つけられたものだね」

感心したように頷いて黒髪を揺らすクラウスに、セドリックは思わず頭を押さえた。

「……………私が、悪かった…」

セドリックはしてやられたような顔で、クッと悔しげに喉を鳴らした。

友人に独占欲を見られるのは、かなり恥ずかしいものなのだろう。

羞恥が勝り、同じように言い返すような気力は彼になかった。そもそも言い返したところで勝てる気もしないのだが。

「変な奴だなあ、なんで謝るんだ」

優しげな目を細めて苦笑するクラウスを、胡乱げな顔つきで見つめてセドリックは首を振る。

「レオノーラ、そろそろ私たちは行こうか」

「あら、もうですか?」

婚約者にそう言われた後、少し何かを言いたげな顔でクラウスを一瞥して、レオノーラは困ったように首を傾げた。

「もうすぐダンスが始まるだろう」

「それもそうですわね……では、また後ほど」

せっつかれてレオノーラは頷くと、イザベラとクラウスの顔を交互に見て、含みのある顔で微笑む。

お互いに礼をし合って、2人が立ち去ると丁度その時、振り子時計の音が響き厳かな音楽がピタリと止んだ。

そして次の瞬間には、ワッと華やかな旋律がホール全体を埋め尽くす。

ダンスが始まる、みな一様に楽しげに近くのもの同士でペアを組んでこちらの合図を待っている。

コツ、と磨かれた床に革靴が音を立てて、イザベラの目の前に大きな手が差し出された。

「イザベラ、僕と踊って頂けますか?」

夜空に輝く星のような金色が優しげに、イザベラを見下ろしている。そこに宿る感情の熱に、戸惑いながらもイザベラはそっと手を重ねた。

「ええ、もちろんですわ」

重ねた手の熱さに驚くよりも先にグッと手を引っ張られ、背中にもう片方の手が回される。

力強いリードでくるりとターンをして、それを合図に周りの生徒たちも一斉に踊り出した。

強い眼差しが至近距離でイザベラを見つめている。

ダンスというものの性質上、無理に視線を逸らすとおかしいため自然とその神々しい瞳と見つめ合うことになる。

黄金にポツポツと浮かぶシミのような赤い瞳が、イザベラを見つめ返している。

「セドリックがあなたの家に行ったって、本当?」

「え、ええ」

話す時の吐息さえ感じ取れる距離で甘く、低い声で囁かれ、イザベラの背筋によく分からない震えが走った。

時折、クラウスの黒髪がイザベラの頬をサラリと掠める。

「じゃあ、あなたが彼らの恋のキューピッド役をしたっていうのも本当だね」

「そんなことをした覚えはありませんわよ」

顔を強張らせてイザベラがそう言えば、クラウスはくすりと笑った。

「でも、あなたには天使がよく似合う」

美しく微笑む顔は、慈しむようにこちらを見つめていて。


────天使みたいで、きれいだと思うよ


一瞬、遠くで幼い子供の声が聞こえてきて、イザベラは思わず瞬いた。

「イザベラ?」

名前を呼ばれて、ハッとしたように顔を上げる。

「……からかっていらっしゃるのね」

「まさか」

いつになく上機嫌に、クラウスは喉を震わせてイザベラの身体を抱き寄せるように回転する。

ノリに乗っているのか、いつもより目まぐるしく回る景色に、息が切れる。

「目が回りそうだわ」

「大丈夫、僕が支えていてあげるから」

思わずこぼした泣き言に、優しげな声色でクラウスが囁いた。

この声を、イザベラはきっと知っている。

退路を塞がれたイザベラに残された道は、後はもう蓋を開けるだけだというのに。悲しげな少女の泣き顔が、イザベラを躊躇させる。いや、ためらう要因はそれだけではない。

早くおいでと優しく差し伸べられた手を、本当の意味で取ることは臆病なイザベラにそう簡単にできるはずもなかった。

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