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第33話

シリアス過ぎてごめんなさい。次回でルーナメインは終わりです。


その無垢な瞳には悪気など、()()()()()も無い。

だと言うのに、何故だろうか。

それは不自然にもどこか(いびつ)で───、薄ら寒いものがイザベラの背筋を伝う。

青い瞳はただただ純粋に輝いて、少女はこてりと愛らしく首を傾げた。

「イザベラ様?」

ふわふわとした砂糖菓子のような甘い声が、不思議そうにイザベラの名前を呼ぶ。

少しの逡巡の後、イザベラはゆるりと首を振った。

「私にはあなたが理解できませんわ。……どうして、ご自分が間違っていないと思えるのかしら」

もう頭ごなしに叱りつけても無駄な気がして、イザベラの瞳に諦念の色が混じる。

問い返されたルーナは何度か瞬きを繰り返して、やがて考えがまとまったのかその焦点がイザベラに定まる。

「私……5歳の時に、誘拐されたんです」

唐突な切り出しに、ひとまず冷静にイザベラは目の前のカップに手を伸ばした。口にした紅茶は、既に冷めている。

「当時のこと、幼かったけどとても怖くて、未だに鮮明に覚えてます」

ルーナはじっと目の前のカップに視線を移し、その水面を覗き込んだ。

俯いて水面を見つめる姿は、庇護欲を刺激する様相をしている。

「その日は父様と町に遊びに行っていて、途中ではぐれちゃったんです。雨が降ってて、何度も転んで泥だらけになって、来ていた服も汚れて、気がつくと知らない男の人に荷馬車の中へと引っ張り込まれて、ガタガタ地面が揺れて……すごく怖くて、怖くて、随分遠くまで運ばれて……」

淀みないその口調は、まるで何度も繰り返し話し慣れているようにも思えた。

「途中でどうやって逃げ出せたのか、あまり覚えてないです。その時小さすぎて自分が貴族だってことは理解してなくて…でも、運良くたどり着いた近くの町の教会の孤児院に引き取られて、みんないい人でした。物心ついてからはそこで頑張って食事や、お洗濯、野菜や家畜の世話のお手伝いをして、みんなと仲良くして、……上手くいかないこともあったけど、諦めなければ最後には分かり合えました。そうそう……人はみんな平等だって言うのがそこの院長様の口癖だったんです」

この少女にとって、その場所での思い出は輝かしいものなのだろう。懐かしむように遠くを見上げて、小さな口元が綻ぶ。

「そして13歳の時、父様が見つけ出してくれました。私……実は貴族だったんです!」

少女の目が一際輝いて、くるりと癖毛が跳ねる。ぐし、と目を擦って、少女は嬉しそうに微笑んだ。

「毎日が劇的に変わって、ドキドキしました。すごく楽しくて、貴族としての勉強は難しいけど、素敵なものに囲まれて、父様も母様も優しくて、私、まるで物語の主人公になったような気持ちで……私ってなんて運がいいんだろうって!」

紅潮した頬をそのままに、ルーナは身振り手振りでその感動を伝えようとした。

「学園に入学してからも驚きました。だって、本当の王子様がいらっしゃるんです!クラウス様はいつも私の話を優しく聞いてくださいました。特に誘拐された時の話は何度も何度もお話して、大変だったねって優しく言ってくださって」

イザベラの脳裏に、微笑む王子の姿が過ぎる。ずっと、彼はイザベラの前では感情を露わにしない、隙のない人だった。

あの無感動の瞳しか知らなかったから、ルーナの前では彼はよく微笑むから。

けれど、今となってみれば、───この少女の前でのあの人の笑顔は、一体なんと形容すればいい。

苦笑とも少し違う、甘くて、優しくて、僅かな憐れみを含んだあの瞳を。

「……他にもたくさん仲良くしてくれる人ができて嬉しくて、でも女の子にはなんだか嫌われて……でも、私、信じているんです。いつかきっと、分かってくれるって」

少し意気消沈して、でもすぐに首を振って自らを肯定するように少女は両手を目の前で握りしめた。


喉がひくり、と痙攣した。

───僕が動けば大事になる、あなたは正しいよ。

けれど、学園にいる間くらい、多少は大目に見てあげてもいいんじゃないかな、とは思うけど

平坦な声が、耳を掠める。

その声に被せるように、少女がか細い声で問いかけた。


「だって、ここは平等なんですよね」


涙に濡れる空色の瞳が、見つめている。

本当に、この子は愚かなのだろうか。

そう思った時、その目の中にちらりと縋るような色を見つけて、……腑に落ちたような気持ちで、イザベラは目を伏せた。

この少女の(いびつ)さがようやく分かった気がした。

彼女はきっと、既に()()()()()()()()()のだ。

自分が砂の上に足を乗せていて、その足場が今にも崩れそうだと。

けれど、今まで信じてきた自分の考えを、安寧を手放すなんて恐ろしくて、ずっとそこにしがみつき続けている。

心の奥深くでは気がついているのに、長年染み付いた考えが自分自身を支配して、そして、ついに足先が崩れてきて少女は咄嗟にイザベラに縋り付いた。

自分の考えを肯定しようとして足掻いて、足掻いて、否定も邪険もせずにずっと微笑んでくれていた優しい王子に、それとなく僅かに背中を向けられて、そんな些細な出来事に敏感に反応するほどに、彼女は自分の足元のほころびに気がついている。


───あなたは少し頭が固過ぎるよ

ここでは身分など関係なく、皆が平等だと言ったはずだろう?


紳士的で柔和な笑みが、少女をかばう。

それは、果たして少女のためを思ってのことだろうか。

学園で会えば、無視などせずに愛想良く振る舞う。

けれど、王宮に手紙が来ようと返事を出さない。

それが意味することは、あまりにもむごく、けれどそれは学園から一歩出れば当然のことで。

この国の王太子たるお人が、ひとりの下流貴族の令嬢相手に理由もなくわざわざ時間を作ることはない。

足元の汚れを、自分で綺麗にすることなんてせずに、周りの人間がその道を掃除する。いや、汚れを汚れとも思っていないのだ。気にもとめていない。

イザベラは無意識に詰めていた息を、ゆっくりと吐き出した。


「そうね、()()は……あなたの言う通りでしょうね」

「やっぱり!そうですよね!!私、貴族の学園に通うことになるって聞いて最初は不安だったんですけど、ここは平等を謳う学園だって知ってからすごく楽しみだったんです。なかなか上手くいかないことも多いですけど、でもまだ入学したばかりですし、きっといつか……」


心底嬉しそうに少女が笑った。

その勘違いに、イザベラは目を細める。

貴族の社会に、彼女の考えは通用しない。

このまま本当の社交界に出た日には、一瞬で弾き出されるだろう。

誰だって自分に甘い気持ちはあるし、誰だって素の自分というものをきっと持っている。

イザベラのように、人に言い辛いくらいの引くほどの犬好きっぷりだったり、自分の地位や責務を投げ出して領地に引きこもりたい気持ちとか。

でも、ルーナの場合はあまりにも自己中心的だ。世界の基準を自分に合わせようとしている。社会に出るためには、自分の基準を世界の基準に寄せる努力をしなければならないのに。


「なら、あ、あの、イザベラ様!私と友達になっていただけませんか?私、いつも女の子に遠巻きにされてて、こうやって怒りながらもちゃんと話しかけてくれる女の子、イザベラ様だけで……ずっと、お友達になりたかったんです」


期待に輝く空色に、初めてイザベラは微笑んだ。

微笑みかけられたルーナは、パッと目を輝かせる。


「ルーナ様、……それは出来ませんわ」


少女の顔が、固まった。

おぞましいほどに真っ赤な瞳が、冷たく少女を見下ろしていた。

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