第30話
イザベラはティーカップで口元を隠しながら、気付かれないようにそっと目の前の男を伺った。しかし、相手の方はずっとこちらを見つめていたらしくバッチリ目が合って、その黄金がとろりと細まる。
いやだから、この間から一体何なのその目は?心の中で叫びながらイザベラは赤い目を泳がせて必死にキャパシティの余裕を取り戻そうとした。
時刻は穏やかな13時、昨日と同じく中庭にてテーブルを挟んで王太子が向かい側でお茶を飲んでいる。昨日と違うところと言えば場所が庭の隅の方の木陰ではなく、しっかりとした屋根のある東屋の中にいることと、目の前の王太子に時間の余裕があることだろうか。
双子たちは残念ながら今日はこれからマナーの勉強があると後ろ髪の引かれる思いを抱えながら、チラチラとこちらを何度も振り返りつつトイプードルを連れて王宮の中に戻ってしまった。
一度はクラウスに上目遣いで「お兄さま、休んでもいい?だってベラ今日帰っちゃうんでしょ?お願い!」と甘えようと試みていたが、「一昨日もスープの器の底を叩いていたのは誰だったかな」と苦笑する兄に諭されて唸りながら断念していた。
正直、子供の存在というのはありがたかった。沈黙が落ちても構わずに騒いで場を和ませてくれる。
実家の領地でも、結局のところ本当の意味で2人きりになる機会があったのは最初の馬車の中くらいなもので、後は誰かしらが周囲にいた。
だから、こんな状況になると困惑がイザベラのお腹を押し上げて一刻も早く家に帰りたくなる。
学園に入り日々顔を合わせる機会が出来ても、いつだって婚約者としての義務と割り切りながらお互い接していたように感じていたが、何故こんな今更お互いを知ろうとプライベートに干渉する機会を設けようとしているのか。だいたいが、いつも無感動な瞳でイザベラを見ていたというのに、先日から唐突に溶けそうなほど甘い瞳で見つめてくるのも理由が分からない。
しかし放っておくといつまでも視線が刺さり続けたまま時間が経過しそうな気がし始め、イザベラは密かに深呼吸をして外面をかぶり直した。
「クラウス様、問題の領地はいかがでしたの?」
「うん?……ああ、そうだね」
可愛げなくツンとした気の強い顔がクラウスの方を向けば、彼は甘く微笑むと考えるように紅茶を一口含んだ。
「…おそらく、あなたが聞いてもそんなに楽しい話ではないとは思うけれど」
横から差し込む光を反射して黒髪が艶々と輝いて、その隙間から覗く瞳が苦々しい色を湛えながら、彼はひとつ前置きした。
「とりあえず、当初の報告通りそこの領主は潔白だったよ。一部の領民が犯罪組織を作り上げて、……10年の間あらゆる地域から人攫いを続けていたらしい」
「まあ……10年も?恐ろしいですわね」
「ああ、年間で片手で数えるほどの誘拐で、身寄りのなさそうな者を狙っていたからなかなか足がつかなかったんだ。しかし被害者の証言が今年に入って出てきてね。最近ようやく犯人に目星がついて、ついに昨日ボロを出したというわけさ」
頷いてカップを置くと、クラウスは疲れたように軽く椅子に沿って伸びをする。
まるで非日常の出来事に、イザベラは顔を青ざめて尋ねた。
「被害者の方々は、どうなったのですか?」
「それは……そこの領主には領民の監督不行き届きとして、被害者たちとその家族に相応の賠償金を支払うように命じたよ。あとは今後、再発防止に向けて考えなければならないな」
意図的にはぐらかすようなクラウスの物言いに、喉の奥に重い塊が詰まるような感覚が残る。きっと無事ではないのだろう。どんなにオブラートに包んでも、ティータイムに薄暗い陰鬱な影が落ちてしまった。
「あなたは?」
唐突にクラウスは明るい口調でイザベラに問いかけた。
「昨日は楽しかったかい?あの双子に付き合ってくれたみたいで、ありがとう」
「…いえ、こちらこそお陰様であっという間に時間が過ぎましたわ」
「それなら良かった、何をして遊んだんだ?」
「そうですわね…お2人がピグマリオンとボール遊びを練習しているのを見守ったり…、主にシェリー様のお話を聞かせて頂くことが多かったですわ。…ああ、あと迷路の中の秘密の場所も教えていただきました」
「秘密基地か!」
幼い少年のようにクラウスはパッと目を輝かせた。
「昔からあそこは僕のお気に入りの場所なんだ、素敵だったろう?」
「え、ええ……ま、まさかあんな場所に隠されているなんて、驚きましたわ」
まさかこんなに食いついてくるとは思わず、面食らった。あの通り道をくぐり抜けたと白状しては淑女としての沽券に関わる気がして、濁すように答える。興奮したように話すクラウスはそれに気付かず、頷いた。
「そうだろう?僕も幼い頃に父上から聞いて知ったんだ。誰も知らない場所だから、1人になりたいときよく行ったよ」
「王家の方しか知らない場所ですのね」
「ああ、……でもそういえば、昔誰かが迷い込んだことがあったような…」
どこか遠くを見るように、クラウスは目を細めた。
「誰かが、泣いていたような気がする」
形の良い彼の薄い唇から、言葉が零れ落ちる。
イザベラはその瞬間、目まぐるしく視界を過ぎ去る自分の姿を見た。蹲り帽子を押さえつけながら、泣き続ける幼い少女を。
「……───イザベラ?」
「…………え?」
心配そうに覗き込む黄金が、こちらを真っ直ぐに見つめていた。
ぼんやりとしていたイザベラを気遣うように腰を上げて、その手が伸ばされる。
テーブルの上にある白い手を、壊れ物に触れるようにその大きな手が覆った。
「熱はなさそうだが……そういえばあなたは一昨日、領地から帰ってきたばかりだったな。…無理をさせてすまない。明後日から学園が始まることだし、折角だが今日は早めに帰ったほうが良いかもしれないな…」
「あ……」
静かにその温もりが離れていって、イザベラは目を瞬かせた。
再び椅子に腰を下ろしたクラウスが何かに気が付いたように自身のポケットに手を入れて、小さな包みを取り出した。
「ああ、そうだ忘れるところだった。忙しなくて向こうでお土産を買う時間が取れなくて、今朝慌てて王都で探したんだ、良ければ貰ってくれないか?」
「お土産…ですの?ありがとうございます」
義務的な贈り物は何度も貰っているが、こんなパターンは初めてでイザベラは困惑しながら包みを受け取った。
どこかそわそわと落ち着かない様子で、クラウスは首筋を掻いている。
「……その、気に入るかわからないが、この間のハンカチの代わりにと思って…どうかな」
「まあ………可愛いですわ」
リボンを解いて中身を取り出した瞬間、赤い瞳が輝いた。
レースのついた白いハンカチを広げると、布の端を幾匹もの小さな犬たちが駆けていた。
刺繍だ。
「犬の刺繍が入ってますの?素敵な発想ですわね…こんなものがあるなんて、私、刺繍といえば植物や模様のイメージしかなかったけれど、目から鱗ですわ……」
嬉しそうにハンカチを広げて、つり上がった目尻を下げてイザベラはふわりと微笑んだ。
今日一番のご機嫌ぶりに、クラウスはその様子を口元を押さえながらじっと食い入るように見つめている。
暫くしてハッと自分の浮かれ具合に気がついたイザベラが、気まずそうにハンカチを折りたたんだ。
「あの、…ありがとうございます」
「いや、喜んでもらえたようで良かったよ」
そう言いながらも、彼は真面目な顔でイザベラを見つめたまま視線を外さない。少し素が出てしまった自覚があるため、居心地の悪さを覚えたイザベラは身じろぎをして、我慢できず問いかけた。
「クラウス様、どうされましたの?」
「ん、いや……」
口元から手を外して、クラウスは困ったように目線を下げた。
「その………ダリアが、枯れてしまったんだ」
「ダリア?」
唐突に出てきた単語に、イザベラは思わず怪訝そうな声で聞き返した。
「ああ、あなたから貰ったダリアが、王都に近づくにつれ元気がなくなって、帰る頃にはすっかり萎れてしまって」
「…切り花ですから、長旅には不向きだったのでしょう」
その顔があまりにも悲しげで、イザベラはひとまずフォローとしてそう言った。
けれどクラウスは口元を緩めて、小さく首を振る。
「けれど、どうやらここでもダリアは咲くらしい。…多分、僕の努力次第で」
強い眼差しが、イザベラを絡め取るように熱く見つめていた。神々しい黄金の瞳が、気の強そうな顔のイザベラを映し出す。おぞましい赤い瞳がその中にポツリと浮かぶ、条件反射のように視線を逸らすイザベラの耳に優しい声が届いた。
「それがわかっただけで、今日は良かった」
低い声がまるでその瞳のように、とろりと脳に浸透する。
その穏やかな声色に記憶の底でカタカタと何かが揺れて、もう少しで何かを思い出しそうな、そんな予感を覚えてイザベラは怯えたように目を閉じた。
昨日は寝落ちしました、すみません
朝に更新なかったら寝落ちしたと思ってください…汗
よろしくお願いします。




