第28話
子供達の楽しそうな喧騒がそこかしこから聞こえていた。真昼の庭は木々までも賑やかに葉を揺らし、日差しを受けてきらめいている。
今まで見たことないくらい色んな子供達がいて、知らない顔ぶればかりで、その中で1人小さな胸は張り裂けそうなほど大きく鼓動を打ち鳴らしていた。
大きなツバの帽子を深く被ったまま、寂しく日陰で佇んでいるだけではダメだと自分でも分かっていた。
庭先でかしましく達者におしゃべりしている女の子たちや、転がるように追いかけっこをしている男の子たちの中の数人がチラチラとこちらを見ている。
帽子のツバを握りしめたまま、ぎゅっと唇を引き結び、一歩踏み出した。
そばにずっと一緒にいた優しい犬がいない、そのことを意識するとたちまち緊張で顔が硬直して、足がすくみそうになる。
必死の思いで少年少女たちの目の前に来ると、途端にみんなピタリと今までしていた遊びを中断して、物珍しそうな瞳が一斉にこちらを向いた。
何だろう、誰かな、見たことない、どうしたの、口々に幼い声が囀り、無邪気にこちらを伺っている。
「ねえ……!」
思い切って声をあげると、帽子を掴む手に力が入った。
息を大きく吸って、覚悟を決める。
「わ、私も入れて……!」
そう言うと同時に、意を決して帽子を取った。
大きな風が吹いて、整えられた草花がざわめく。金の髪が舞い上がり───。
「う、うわっ!!なんだよそれ!?」
「いや!!怖い!!!」
子供達の悲鳴が上がった。
蜘蛛の子を散らしたかのように、怯えながら駆け出す子供達。
遠巻きで面白がって「もしかしてバケモノ」とヒソヒソ言い合ってる子も、「怖いよぉ」と泣いている子も、もはや誰もこちらを普通の目で見ようとはしない。
様々な表情の、そのどれもが畏怖の念が宿る瞳でこちらを見つめている。
呆然としたまま暫くその視線に晒されて、この心がパキンと音を立てた。
子供達の悲鳴を聞きつけて遠くから大人たちが心配そうな顔で駆け寄ってきて、……反射的に逃げ出した。
外したばかりの大きな帽子を深く、深くかぶり直して駆け出す。
今日初めてきた場所だ、行き先なんて分からない。とにかく、あのたくさんの怯える瞳から、一刻も早く逃げ出したかった。
息切れを起こしながら、誰もいない場所を求めてわけも分からず走った。
帽子のツバを思いっきり下げているから周りがよく見えないが、もうこの帽子と一体化してしまいたい気持ちでいっぱいだった。
鼻の奥がズキズキと痛んで、視界が滲む。走っている間に涙が零れ、ふぐ、と変な声が出た。
いなくなって初めて分かった。犬が居ないと、自分は友達1人作れないのだ。
いっつも一緒に居たから、領地の町へ出かけても子供達はみんな話しかけてくれた。
こんにちは、可愛いね、触ってもいい?好奇心旺盛な子供の瞳に、大好きな愛犬が褒められて嬉しくて、自然と笑顔になった。
シャイな性格の架け橋となってくれていた犬は、もういない。
この恐ろしい赤い瞳を怖がることなく受け入れてくれた、あの優しい犬はいない。
どうしていなくなっちゃったのか、何が悪かったのか、考えても分からなかった。
気がつけば次第に道が狭くなって、右や左やどちらに曲がったのか定かではない。
視界が緑いっぱいに染まって、咳き込みながら一度立ち止まった。空に向かって伸びた高い生垣が行く手を阻んでいる、行き止まりだ。
すると後ろから大人たちが呼ぶ声が聞こえた気がして、慌ててしゃがみ込んだ。
その拍子に勢い余って転んでしまい、壁に激突しそうになって思わず目をつぶった。
ざん、と音を立てて帽子ごと頭が壁に入ったが、思ったより衝撃は少なかった。不思議に思って突き刺さった壁を確認すると、何故かその部分だけ葉っぱでカモフラージュされた空洞になっていた。
驚いたが、すぐに大人たちの声が先ほどよりも近くで聞こえて、考えるより先に壁の中に入り込んだ。
「ここは…」
飛び込んだ先は、4面が緑の壁に囲われた小さな秘密基地のような場所だった。
まるでおとぎ話のような、不思議な空間。
……誰もいない、ただ静かな自然が穏やかに佇んでいる。
よたよたと端っこに膝を抱えて蹲り、ようやく独りきりになれたと声を殺して泣き続けた。
「キャス……助けてよ…」
ポツリ、と鼻声で愛犬の名前を呼んだ。
次から次へと洪水のように涙が押し寄せてきて、ぎゅうぎゅうと帽子を頭に押し付けた。
誰にも見られないように。
もう、…誰にも傷つけられないように。
どのくらいの時をそこで過ごしただろう、とても短い時間だったような気もするし、何日も経過したような気さえした。
泣き疲れて、うつらうつらと夢うつつのような感覚で微睡みかけていた時、物音がして一気に意識が覚醒した。
ガサリ、と入り口の壁が音を立てている。
心臓が早鐘のように鳴り出し、震える手で帽子のツバをつかんだ。
また、あんな目で見られるかもしれない、恐怖が胸の内をじわじわと侵食して音を立てて唾を飲み込む。
下げた帽子のツバの下から見える、この視界にゆっくりと白いシャツ姿が映り込んで、…不意に誰かの声がした。
「……──────」
その声に、記憶が早送りのようにフラッシュバックする。
日向のような美しい瞳が、その横顔が、再び嫌な気持ち全てを覆い被せるように心の奥底に舞い戻り、────カランと蓋の閉まる音がした。
瞼をパチリと開いた時、イザベラの頬に生ぬるいものが伝っていた。
不思議に思いながら指でそれを拭って、霞みがかった意識でぼんやりと視線を動かせば、見慣れない天井が上にある。
それがベッドの天蓋だと気付き、肌に触れる滑らかなシーツと嗅ぎ慣れない甘い花の香りにここが王宮であることをようやく思い出した。
昨日は王家の双子に振り回されてへとへとになり、その後の晩餐でも王家の人々に囲まれながら食事をして緊張がピークに達し、客室にたどり着いて泥のように眠り込んだのだ。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな日差しを見つめ、イザベラは横に寝返りを打った。
光の粒子がキラキラと舞い、部屋の中が照らされる。
その眩さに記憶の底で何かが息づいた気がして、けれどそれはハッキリと形となす前に朧げに消えてしまう。
「何か、夢を見ていたような気がするのに、」
赤い瞳が惑うように揺れる、ゆっくりと白い瞼が降り視界は閉じられた。
悲しくて、苦しくて、けれど温かいような、そんな気持ちがまだ残っている。
微睡みの中でもう一度その夢が見たくて、侍女が部屋の扉を叩くまでイザベラは温もりの中に包まれていた。




