第27話
昼食を食べ終わり、少女に連れられて向かった先はあの迷路だ。トイプードルを抱えた少女は意気揚々と入り口に飛び込み、2人を手招きした。
「シェリー、だからピグマリオンを中に入れちゃダメだって」
「ずっと持ってるから大丈夫ー!」
「あーもう、ぼくも怒られるからやなんだよ」
鼻歌を歌いながらずんずん迷路を進む少女を追いかけて、イザベラは辺りを見回した。生垣で覆われた壁は高く、外の景色は見えない。時折道が左右に分かれているが、迷うことなく少女が進んでいくため道を覚えている暇もなかった。
迷路に入ってどのくらい経ったか、何度かトイプードルを抱え直して、少し疲れたように歩く少女を見かねてイザベラが声をかけた。
「シェリー様、重いでしょう?私が持ちましょうか」
「……いいの?」
「迷惑かけるくらいならさいしょから持ってくるなよ」
振り向いた少女は助かったとでも言うようにホッとして、イザベラにトイプードルを差し出す。横で少年がため息をついて小言をこぼしていた。
「ほら、ピグマリオンおいで」
「あ、そうだベラ、この子も!リオンって呼んで!リオン!」
人に慣れているのかイザベラの腕の中でじっとしている茶色くて温かくて小さい犬に意識を奪われていると、思い立ったように目の前の少女がぴょんぴょん跳ねた。
「ピグマリオンのあだ名ですの?」
「うん!あのね、この子、お兄さまが変ななまえつけたんだけど、変だからわたしはリオンって呼んでるの。かわいいでしょ!」
「……そう、…クラウス様が命名されたのね」
薄々そうじゃないかとは気づき始めていたが、やはりという気持ちでイザベラは薄笑いを浮かべた。
自分のいないところで妹に駄目押しのように2回も変だと言われているクラウスを多少気の毒に思いながらも、確かにこのかわいいトイプードルにピグマリオンは無いと少女に同調せざるを得ない。
「王宮のみんなが言ってるわ。お兄さまはしゅみが悪いの!」
「ま、まあ……」
邪気のない笑顔で、少女は明るく言い放った。
そんなはっきりと言えるとは…、イザベラは頷いていいのか迷って少年の方を見たが、彼も小動物のようにすごい早さでサッと目をそらした。
「だからわたし、このあいだね、こっそりお兄さまのお友達のドレスをえらんであげたのよ!」
「……お友達のドレス?」
「うん!」
自慢するように少女が胸を張って、飴玉のような瞳をこちらに向ける。イザベラは何か嫌な予感がして、腕の中でクゥクゥ寝ている犬を撫でた。
少女は無邪気に頷いて、記憶を思い返すように人差し指を天に向けてきょろりと瞳を動かす。
「んーと、このあいだね、お兄さまのおへやにあそびにいったらヴィンスがいて」
「ヴィンス……ああ、クラウス様の従者の方ね」
あまり聞き慣れない名前だがイザベラは少しの間の後、学園でもよくクラウスの側で見かける青年の姿を思い浮かべた。
「えーと、なんだっけ?今回のパーティーでドレスがひつようなご、が……ゆ?………わすれちゃった。とにかく、パーティーでお兄さまのお友達がドレスがいる!ってはなしてたの」
難しい言い回しが思い出せず、少女は身振り手振りを使って必死にイザベラに伝えようとしていた。イザベラは頷きながらセドリックの言っていた学園の支援制度の話を思い出す。
「でもね、でもね、そうしたらね、ベラ!お兄さまったら、なんていったと思う!?」
かわいらしい顔を急にぷっと膨らませて、少女は下唇を突き出した。
「わかりませんわ、教えてくださる?」
「あのね!!てきとうにえらんでくれっていってたの!!!わたしびっくりしちゃった!いくら自分のしゅみが悪いからって、お友達のドレスをそんなふうにえらんじゃだめでしょ?」
「…ですわね……」
話の展開が段々と読めてきて、イザベラは絞り出すように相槌を打った。少女は気にした様子もなく、むしろ興奮してくるくる回りながら歩く。
「だからわたしが代わりににえらんであげたの!ヴィンスに頼まれたかかりの人が、じみーな色のドレスを入れてたんだけどね、あんなのかわいくないもん!お友達ともーっとなかよしになって欲しいから、キースに手伝ってもらってお兄さまとおそろいのきれいな白いドレスにこっそりいれかえたの!」
嬉しそうに輝く黄金の瞳が、上目遣いにすごく良いことしたでしょ?褒めて褒めて?とイザベラに期待を向けている。イザベラは確認するように、静かに問いかけた。
「……それって、金色の刺繍が入った、白いドレス?」
「うん!そうよ!お姉さまのおさがり!……あれ?なんでベラ知ってるの?」
「………………なんとなくですのよ」
膝から崩れ落ちそうな気分を隠して、イザベラはそっと少女の頭を撫でた。今の一瞬で、ドッと疲れた。
少女と少年はイザベラのそんな内心も知らず、楽しそうに笑い合っている。
「みんなにかくれて、こっそり箱のなかみをいれかえるの楽しかったー!ね!キース」
「うん、まあね。でもシェリーがしつこいから手伝ったけど、あれってほんとにいれかえてよかったのかなあ」
「まだいってるの?大丈夫よ!怒られてないもん!」
少女より大人びているように思える少年も、結局加担しているあたりやはり双子だ。よろめくイザベラを似た顔2つが不思議そうに振り返って、どうしたの、早く早くと元気な声で手招きした。
ようやくたどり着いたのは行き止まりで、高い緑の生垣がそびえ立っている。少女はその壁に向かって突進しておもむろにしゃがみこんだ。
「あっ、ここ!ここくぐって!」
少女が生垣の下部をガサガサとかき分けると、1人分ほど通れそうなまあまあ大きい穴がある。まさか、とイザベラは口元をひくつかせた。少女と少年は慣れたようにその穴をくぐり抜け、そこから顔だけを覗かせてイザベラを呼んだ。
「はやく!ベラも来てー!」
「…………いや、その…流石にそれは」
「大丈夫です、怖くないですよ!」
目をそらして、どうにか断り文句を考えるイザベラに見当違いな少年の声が高らかに響く。流石にこれはきっちりと言わねばと赤い目をつり上げた、その時。
「淑女としてそんな……」
「ベラ、来てくれないの?」
渋るイザベラを、悲しそうな幼い声が遮った。その声に思わずそちらを見てしまったのがいけない。
うるうると子犬のようにその美しい黄金の瞳を潤ませて、口をへの字にする少女と目が合った。
沈黙の後、イザベラは長い長いため息を吐いた。
こんないとけない少女の瞳を突っぱねることができるだろうか、イザベラは額を押さえてもう一度ため息を吐いた。
「はい、ついた!」
「ここは……」
嬉しそうな子供の声が頭上に落ちる。
ドレスをできるだけしぼませて何とかその穴をくぐり抜けたイザベラは、衣服や髪についた葉っぱを取りながら、ゆっくりと立ち上がった。4面を生垣に囲われた小さなスペースだ。
息をすると、鼻腔に瑞々しい草の匂いが広がる。
その瞬間、イザベラはまたあの妙な既視感を覚えて、あたりを見回した。
小さな緑葉が波のようにざわりと騒めく。
何故だろう、景色が、匂いが、どこか懐かしいような、そんな不思議な感覚があった。
「ここ、秘密の場所なの」
「作るときにてちがいでできた場所で、兄上がぼくらにおしえてくれたんです」
嬉しそうに少女が笑って、コロリと芝生の上に寝転がった。少年もその隣に座り込んであくびをしている。
「そう、ですの……優しいお兄様ですわね」
夢うつつのような気分で、イザベラは腕に抱いた犬を少女に手渡した。
「うん!やさしくて、おもしろいの!お兄さまはリオンに触るとすっごく大きなくしゃみが出るのよ!今朝もすっごいおっきなくしゃみしててね」
「シェリーまた兄上のへやにピグマリオン持ってったのか!」
「だって面白いんだもん」
悪びれずに少女はケラケラ笑った。少女の頬をトイプードルが懸命に舐めている、くすぐったそうに身をよじって仕返しのように長い垂れ耳をパタパタめくったり、ふわふわの犬の顔を両手でグリグリ挟んだ。癖毛の茶色いぬいぐるみのような顔が、へちゃっと潰れてブサカワになっている。
仰向けに転がる少女は立ったままのイザベラと目が合うと、にっこり笑う。
「ベラ、ベラはどんな犬飼ってるの?ほら、こっちきてよ!」
呼ばれてイザベラが隣に腰を下ろすと、少女は寝返りを打って両肘を芝生につけた。期待するように両手で頬杖をついている。少年もどこかウズウズと遠慮がちに期待した目をしていた。
「そうですわね…私は実家で、大型犬を5匹飼っていますの」
「ええ!!5匹も飼ってるの!?」
「すごい、ぼくたちなんて1匹なのに」
顔を見合わせて子供達は目を見開いた、無垢な反応にイザベラはいささかくすぐったさを覚えた。
「ねえ、おおがたけんってなあに?かわいいの?」
「ええ、それはもちろん」
「リオンより?」
なんとも答えにくい質問を平然とした顔でする、イザベラは悩むように首を傾げた。
「この子とは全然見た目が違うから、どちらがとは言えませんわ」
「みためがちがうの?どんなの?」
「まず大きさが違いますわ、大型犬はその名の通りとっても大きくて……そうねえ、シェリー様とキース様と同じくらいかも」
イザベラが両手を広げると、少女は口に手を当てて驚き、少年は少し不安そうに眉を下げた。
「そんなにおっきいの!?」
「なんか、怖そうだなあ」
「怖いですって?」
赤い瞳がギラリと光って、少年はびくりと座ったまま後ずさる。イザベラはハッとしたように咳払いをして憤慨を抑え、諭すような冷静な口調で子供達に向き直った。
「大型犬はですね、頭と体が大きい分、とってもお利口なんですのよ。きちんと躾をすればまったく吠えませんし、一度覚えた芸は忘れません」
「芸ってどんな芸ですか?」
「リオンはボール遊びと、おすわりできるよね!」
「もちろんボール遊びも出来ますよ、高く投げたボールをジャンプしてキャッチして、大きくてふさふさの尻尾をブンブン振って持って来てくれます」
「大きくてふさふさなしっぽをブンブン!!かわいい…!!」
「ジャンプしてキャッチ……かっこいい…!」
2人して本気で羨ましがるものだから、イザベラも嬉しくなって鼻高々に自慢を続ける。
「おすわり、お手、おかわり、伏せももちろん出来ますし、バンと言う合図をすれば、大きな体が横にバタッと倒れます」
「なにそれ!!すごい!!」
「面白い!!」
すごいすごいの幼い大合唱に、愛犬が褒められてすっかりイザベラは気持ち良くなった。
「何よりうちの犬たちはしっかりと手入れされてますから、毛並みもふわっふわですの」
「ふわふわ…」
「ふあっふわ…」
自分の家の犬を自慢していると、段々とヒートアップしていくのがイザベラの悪い癖だ。犬の話を始めて、一体どのくらいの時が経っただろう。我に返ったときには、目の前にキラキラと輝く黄金の瞳が興奮したようにイザベラを見上げていた。
「すごい!!わたし、おおがたけん見てみたい!!」
「え!?」
少女は持ち前の無邪気さを持って、イザベラの腕にしがみついた。解放されたトイプードルが芝生の上でブルブル身体を振っている。
「ぼくも……」
「ええ!?」
助けを求めて少年の方を見れば、恥ずかしそうに頷く姿にイザベラは困り果てた。
「ベラ!連れてきてよ!!」
「いや…それは…」
ついつい饒舌に愛犬のことを語りすぎてしまったことに気がついても後の祭りだ。子供達の興味がすっかり大型犬に向けられてしまい、イザベラは宥めるように2人の頭を撫でた。
「ほら、日も暮れて来ましたし、もう戻りましょう」
「はあーい、ねえベラ!明日もおおがたけんのお話聞かせてね!」
「え……」
顔を引きつらせるイザベラに、追い打ちをかけるように少女は双子の片割れに同意を求める。
「ね!キースも聞きたいよね!」
「うん……ぼくも聞きたいな」
「いえ、その……お姉様は?お2人はお姉様に遊んで頂かないの?」
兄がいなくとも、姉がいるではないかと思い出し、イザベラはホッとして提案したが、子供達はつまらなそうな顔をした。
「お姉さまはさいきん、いそがしいの」
「今日もがいこくの婚約者さまのところにいってます」
他国の王太子を婚約者に持つ王女は、考えればもう結婚も間近なのだろう。年の離れた姉と兄を持つ幼い子供達は顔を曇らせて、拗ねたように下を向いた。
「わかりましたわ……」
寂しそうな顔をする子供達を前に、良心がちくちくと痛んでイザベラはやはり頷いてしまい、子供達はしてやったりと顔を見合わせて歓声をあげた。
すみません、諸事情により土日の更新をお休みさせて頂きます。
来週…遅くとも再来週くらいには完結できるよう頑張ります。
よろしくお願いします!
追記:誤字訂正しました




