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第23話


「母上、彼女を返して頂いてもよろしいですか?」

聞き覚えのある声に振り向けば、正装姿のクラウスが僅かに息を切らせて立っていた。

「殿下……?」

「あらあら、思ったより早かったのね」

笑みの形に細められた金色の瞳が一瞬イザベラを見つめたが、王妃の声に反応して苦々しく眉をひそめた。

「……流石に酷いのではありませんか、この時間のないときに邪魔をするなんて。…しかもこんな広い庭の隅で隠れるようにして」

クラウスは少しこめかみあたりに張り付いた艶のある黒髪を片手で拭った。

「知りませんよ、私はイザベラとお茶がしたかったのだもの。ね?」

飄々としながら王妃はイザベラに微笑みかけた。突然目の前で始まった親子喧嘩にどう答えたものかと唇を引き結ぶと、王妃はくすくすとおかしげに笑う。

「ふふ、ごめんなさい?ようやくイザベラが私の娘になるのだと思うと嬉しくて、ついね。クラウス、あなたはもっと私に感謝しなくてはいけませんよ」

「……ええ、もちろんですよ、王妃様」

「あら、先程は久々に母上と呼んでくれたと思ったのに、残念ね」

口元を引きつらせてクラウスは王妃に笑顔を向けた。王妃はティーカップを優雅に持ち上げ、涼しい顔で紅茶を啜っている。

双方笑顔だがどこか不穏な空気が漂う、その間に挟まれたイザベラは戸惑いながら口を開いた。

「あの…何のお話で?」

黄金の瞳がイザベラを見る、クラウスはゆっくりとした仕草で首を振って眉を下げた。

「いや、すまない訳の分からない話をして……それより、今日は来てくれて嬉しいよ」

「こちらこそお招き頂き、ありがとうございます」

タイミングが掴めず遅くなってしまったが、イザベラは立ち上がって淑女の礼をとった。

「イザベラは私とお茶会の途中ですよ。誰かさんが大バカ者のせいで、彼女が王宮に来てくれる事なんて滅多にないんですから」

涼やかな声がぎこちない2人の間に割って入る。クラウスはため息をついて口元に手をやり、王妃に向かってあのですね、と切り出した。

「……先程、秘書官があなたを探していましたよ、何でも休憩に行くと言ったきり戻らないとか…こんなところで油を売っている暇はないのでは?」

「あら、大変。時計が狂っていたのをすっかり忘れていたわ。…では、ここはあなたに譲ってあげます。イザベラ、今度またお茶会しましょうね」

王妃はサッとその青い目をそらして、イザベラにウインクした。何をしても上品さを損なわれないところは、流石すぎてイザベラもあっけに取られる。

「あ……はい。光栄ですわ」

優雅に立ち上がり護衛達を引き連れて王妃が幻のように去っていく。

残された王妃のティーカップを王家の使用人がすぐさま片付け、新しく湯気の立つ紅茶を置いていく。

目の前で立ちすくむクラウスを見上げ、イザベラはとりあえず目の前の椅子を指し示した。

「どうぞ、お座りになってはいかが?」

「え?ああ、そうだね。では失礼するよ」

促されて少し嬉しそうにクラウスは先程まで王妃が座っていた向かいの椅子をひょいと持ち上げて、イザベラの少し隣に置いてゆったりと腰を下ろした。

近くない…?と思いながらも、横から視線が突き刺さっているのをヒシヒシと感じ、何も言えず手持ち無沙汰に紅茶を口に運ぶ。気づかれないように様子を伺おうと赤い目をそろりと動かせば、こちらをじっと見つめる黄金の瞳とバチっと目が合った。想像以上に熱の籠った視線に、カップを取り落としかけてすんでのところで持ち直した。

「一月ぶりだね」

「え、ええ」

ゆるりと微笑む顔に、視線を泳がせながらイザベラは頷いた。

「まず、あなたには謝らなければならないことがあって」

「はい?」

申し訳なさそうに眉を下げて、クラウスは目元を擦った。

「……せっかく来ていただいたんだが、実は急用ができてしまってのんびり出来なくなってしまったんだ」

「あら……そうですの」

予想していなかった話に、イザベラはただ目を瞬かせた。

「予定していた公務は終わらせたんだが……今朝、目に余る領地が報告に上がってきて」

「目に余る、ですか」

真顔でイザベラが不思議そうに繰り返せば、クラウスはいいあぐねるように口を歪めた。

「そう、……人権侵害というか……まあ、一部の女子供が不当に扱われていた可能性があって、その証拠を掴んだらしい」

「まあ、……人身売買ですか?」

「それに近いだろうね」

含みのある顔でクラウスは頷き、正装の襟元が窮屈なのか何度か首に手をやって息を吐いた。

「なんて酷い……」

「領主は直接的な関係はしていないようだが、他領の人々も被害に遭っていた可能性がある。領民の狼藉を気づかなかったのか知っていて放置していたのか、どちらにせよ何らかの責任は問われることになるだろう。陛下の命を受けて、経験も兼ねて僕が実際に赴いて沙汰を下すことになった」

「まあ、重大ですのね。お忙しいことですわ」

口にすると他人事のような響きを持って言葉が宙を舞う、イザベラは自分の無愛想さに呆れた。この王子様は忙しいのだ、だからこそこの距離のまま破綻することなく婚約生活が続いてこれたのだろう。ぼんやりとそう思いながら、紅茶を口に含もうとしたが既に中身は飲み干してしまっていた。お代わりを頼むべきか、それともすぐに帰ることになるならこのままで良いかと考えていると、横から意を決したような硬い声が届いた。

「これは僕のわがままなんだけど、あなたは予定通りこのまま王宮にいてほしい」

「……なぜでしょう」

驚いてそのまま疑問が転がり落ちる。思わず見てしまった顔は真剣で、やはりさっさと紅茶のお代わりを頼むべきだったと後悔する。空のカップを持ち上げたまま固まるイザベラを、クラウスは射抜くように見つめた。

「その、……僕の帰りをここで待っていてほしいんだ」

「………………は………」

「ダメ、かな」

急にへにゃりと子犬みたいな目で見られて、イザベラはたじろいだ。てっきり帰っていいと言われると思っていたものだから、予想外の展開に強張った顔のまま言葉を紡ぐ。

「ダメ、も何も…クラウス様が待てとおっしゃるのなら、私はそれに従うほかありませんわ」

「……そうだね、すまない」

自嘲気味に目を伏せるクラウスに、イザベラは軽率に出した言葉を少し後悔した。

「必ず、明日には帰るようにする」

「そう、ですか」

沈黙が落ちて、けれどいつまでも空のカップを持っているのもおかしいのでそっとソーサーに置いたが、ドギマギと震える指先が思うようにいかずカチャリと音を立ててしまった。

「その代わりと言っては何だけど、何かしたいこととか欲しい物があれば言ってくれないか。できるだけ叶えるようにするよ」

「したいこと…?」

領地に帰って犬と戯れたい、と本能が秒速で答えを出したが、それを見透かしたようにクラウスが苦笑した。

「出来れば領地に帰りたい、以外で」

「……そうですか」

目を閉じてイザベラは暫く逡巡して見たが、すぐに目を開いて首を振った。

「……これといって、特にありませんが」

「ない?」

驚いたような顔でクラウスがこちらを見つめた。

「新しいドレスが欲しいとか」

「いえ…」

犬と走り回って泥だらけにしてしまうからドレスなんて勿体無くて普段使わないし、どうせなら汚れてもいい服が欲しい。

「宝石やアクセサリーの類が欲しいとか」

「まさか」

犬に当たって怪我をするかも、もしかしたら誤飲の可能性もある。

「どこかに行きたいとか、誰かに紹介してほしいとか……何も?」

「………いえ」

強いて言うなら、大型犬を飼ってる家を紹介してほしい、まあこんなことは言えないが。

イザベラが首を振ると、クラウスは参ったとでも言うように天を仰いで目を閉じた。

「……わかった。王宮は自由に好きな場所へ行ってくれて構わないから、気ままに過ごしてくれ。何か欲しいものが思いついたら、いつでも使用人に言ってくれていい」

「わかりました」

そう言った後、何かに気づいたかのようにクラウスがくるっとこちらを向いた。

「……何なら、確か今ちょうどピグマリオンを庭に放している時間だから、探して遊んでやってくれないか」

「考えておきますわ」

そわ、とイザベラの表情筋が動いて、頷くと、クラウスは一瞬食い入るようにこちらを見て、やがて眉を下げて頷いた。

「はあ……ついてないな、どうしてこんな日に報告が上がってくるのか」

「……あの、あちらで顔を百面相させている方は、もしかしてクラウス様をお待ちなのでは…?」

「ああ……そうだね、行かないと」

少し離れた場所で時計をトントン、とずっと指先で叩いている男はおそらく王子の従者だ。クラウスは叱られた子供のような顔をして重い腰を上げた。

「だけど……不思議だな」

「はい?」

「あなたがここで待ってくれていると思うだけで、帰るのがこんなに楽しみだなんて」

見下ろした顔があまりにも優しくて、その黄金色に映るのを罪悪感を覚えるのも忘れてポカンと見上げた。

クスリと微笑んで、クラウスはひらりと手を振った。

「行ってきます」

「い、行ってらっしゃいませ」

慌ただしく出かけていった姿を見送り、イザベラは今自分がどんな表情をしているのか顔に手を当てて動きを止め、首を振ってお茶のお代わりをもらうため使用人を呼んだ。

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