第22話
出発当日、イザベラは情けない顔で大型犬に抱きついていた。
「まだ休暇は4日も残ってるわ……ギリギリまでここに残りたい……」
「お嬢様、馬車を待たせていますので」
「鬼……」
「誰が鬼ですか」
呆れた顔をしている侍女の後ろで、毎度のことながらよくやると屋敷の外壁に寄りかかってハロルドは苦笑している。
「ラウ、シャルロット、ダニエル、アドルフ、マリー……またすぐに帰ってくるから、元気で待っててね、お願いよ?」
5匹は別れが分かっているのか、利口に座って静かにイザベラを見上げていた。
「ハル、この子たちのことお願いね。あとハルも元気で」
「俺はついでなんだ……まあいいけど。ベラも元気で。あんまり迷惑かけないようにね」
「何のこと…?」
「別に、アナも元気でね」
声をかけられた侍女は頷いて一礼した。イザベラははぐらかされたような気がして釈然としない気持ちで口を尖らせた。
叔父と叔母も見送りに出てきてくれ、名残惜しいながらも最後に犬たちを1匹ずつ抱きしめて顔中にキスをしてイザベラはようやく馬車に乗った。馬車が動き出した後も、後ろ髪を引かれるようにチラチラと何度も窓から振り返って、遠ざかる屋敷に涙を滲ませた。
町が完全に見えなくなると、また冬の休暇まで会えないことにとてつもない寂しさを覚えながら、イザベラは細く息を吐いて背もたれに寄りかかった。
今日中に王都の屋敷に戻って身体を休ませ、明日は約束通り王宮へ訪れる予定になっている。
正直、どんな顔をして会えば良いのかわからなかった。どういう風の吹き回しか、突然領地に押しかけてきて嵐のように去って、今度は王宮に招待して、あまりの急な変わりようにどう対応すれば良いのか困惑してしまう。
明日のことを考えると緊張してしまって、イザベラは目には見えない想像のエアわんこを抱きしめて自分を落ち着かせた。
久々の登城には色々な意味で胸が張り裂けそうで、その分いつもの数倍恐ろしい顔をしてイザベラは王宮に足を踏み入れた。
領地の屋敷には使用人しかおらず、そもそも当初は帰ってくる予定ではなかったため父も母もやはり留守にしていた。そうなると緊張をほぐすことも難しく、王宮に向かう時間が近くにつれピキピキと顔がこわばっていくイザベラに、侍女が何度も顔について指摘するも、その度に「こうかしら?」とニィと迫力満点に微笑んだ。それを見て、もはや諦めたように侍女は力なく頷いた。
門番に招待状を渡し、厳重に身元をチェックされた後、うやうやしく王宮の奥へと案内される。とてつもなく広い敷地に何度来ても圧倒され、イザベラは定規のように真っ直ぐな姿勢で、目尻をきつく釣り上げてあたりを見渡した。本人的には慣れない場所に落ち着かず不安そうに辺りを見渡しているつもりだが、はたから見れば猛禽類のような鋭い瞳で恐ろしくも獲物を吟味しているような印象を与える。
王宮の使用人たちは王太子の婚約者の気を損なわぬよう、無駄のない動作で丁寧にイザベラを案内した。
「王太子殿下がお待ちです、ご案内致します」
そう言って前を歩く使用人の後ろを、淑女らしく、しとやかについて行く。見た目は平然と勝ち気そうな顔をして余裕そうだが、中身は全然違うなどと、誰が分かってくれるだろう。
一歩一歩足を前に進めるごとに、ドッドッと地面を響かせるのではないかというほど大きな心臓の鼓動がイザベラの鼓膜を揺らす。
こういう時間が最も苦手だった。いっそワーッとひと思いに走り出して突入したい…と心の中で思っていた。
その時だ。
予期せず長い廊下の向こうから1人の女性が姿を現した。
「イザベラ、よく来てくれましたね」
護衛の騎士を引き連れ、にこりと美しく微笑むその姿は、女神のような気品がある。心の準備が出来ていないイザベラは一瞬息を止めて、すぐに我に返って淑女の礼をとった。
「久方ぶりにお目にかかり、大変光栄にございます。王妃様」
「そんなに畏まらなくていいのよ」
麗しく青い目を細めて、その下瞼に長いまつげの影ができる。思わず見惚れるイザベラの頭をそっと白い指が撫ぜた。
恐れ多く硬い表情で固まるイザベラを、優しく手招きする。
「折角だもの、一緒にお茶でも飲みましょう」
その言葉に慌てたのは案内役の使用人だ、ギョッとしたように王妃を見て慌てて口を挟んだ。
「恐れ入ります、王妃様……イザベラ様はクラウス殿下の元へご案内するよう申し付けらておりますが……」
「あら、そんなの放っておいて構わないわ。彼女は私がお借りします、と息子に伝えておきなさい」
「……承知いたしました」
微笑む顔は美しく、逆らえるはずもない。イザベラが視線を使用人と王妃の交互に彷徨わせていると、その笑顔がこちらに向いてドキリとする。
「さあ、行きましょうか」
そう言って連れ出された先で、結果的にイザベラは王妃と向かい合ってお茶を飲むことになっていた。
どうしてこんなことに、と思いながらそっと紅茶を口に含むと、緊張でカラカラになっている喉に染み渡る。
広い王宮の中庭の一角に用意されたテーブルに2席の椅子、侍女を含め使用人たちは後方で待機していた。
「クラウスから聞いたわ、明日まで滞在してくれるのでしょう?」
「はい……」
嬉しそうに首をかしげる王妃に、イザベラは真顔で頷いた。これではいけないと、口元を歪めてニィと微笑んではみたが、それを見ても王妃はただ微笑ましそうな顔をしていた。
「私嬉しいのよ」
慈愛に満ちた瞳でイザベラの方を見て、王妃はゆるりと紅茶に口を付ける。
「あなたのような子が、私の娘になってくれるなんて。“クラウス”のために王妃教育を頑張ってくれたあなただもの、そうそう、学園でも模範生徒に選ばれたそうね」
その言葉にイザベラの目が泳ぐ。騙しているのはクラウス本人だけでは無いのだ、イザベラは優雅に口元を覆って謙遜するように首を振った。
「勿体無いお言葉ですわ」
「そんなことないわ。人を教え諭すことって、なかなかあなたの年齢では出来ないものなの」
「……当然のことを言っているまでですから」
「それでも、それを聞き入れさせる力が無ければ、ただ反感を買うだけですからね」
謙遜すればするほど、褒めてくる王妃に返す言葉が思いつかず、イザベラはただ礼を述べて頷いた
すると王妃が内緒話をするように声を潜めて囁く。
「ずっとあなたとクラウスを見守ってきて、とても楽しかったわ。特にあの子、あなたの前では面白いんですもの」
「……あの子?」
「ええ、クラウスよ」
「クラウス様が……面白い、ですの?」
「とっても」
にこにこと王妃は青い瞳を優しげに伏せて頷く。
意味が分からず戸惑うイザベラが、まごつきながら問おうと口を開いたとき、後ろから声がした。




