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第16話

夕刻の犬の散歩は少し不満そうなハロルドと使用人たちに任せて、イザベラはレオノーラの到着を落ち着かないまま自室で待っていた。

学園の模範生徒(ノウブルフラワー)モードのスイッチがすっかり切れて、油断している自分自身を叱咤する。

腐っても公爵令嬢、正しい淑女の鑑としての振る舞いを心がけねば。今朝に突然先触れを受け取ったイザベラは十分な心の準備が取れないまま、深呼吸を繰り返し精神統一を行う。

「お嬢様、お客様がご到着されました」

「………ふぅー、…ええ。今行くわ」

ピン、と背筋を伸ばして優雅に椅子から立ち上がった。顔が緊張でこわばっていき、ただでさえ釣り目の目尻がくいと釣り上がっている。

「……お嬢様、笑顔を」

「そうね、こうかしら」

にぃ、と唇が無理やり弧を描く。赤い目がらんらんと輝き、うっそりと細まる。その迫力たっぷりの恐ろしい微笑みに侍女は無言でため息をついた。


客間の扉を侍女が開くと、溌剌とした気の強そうな黒髪の令嬢が鋭い視線でこちらを見た。ブラウンの瞳は何やら怒りに燃え盛っており、立ち上がって淑女の礼をする際もいつもより所作が荒い。

「ごきげんよう、イザベラ様。この度は突然の訪問になってしまったこと、誠にお詫び申しあげますわ!」

「……ごきげんよう、レオノーラ様」

目が血走った勝気な令嬢が、息を巻いてイザベラに謝罪する。本当に申し訳ないって思ってる??イザベラは口元に笑みを携えたまま、赤い目を眇めた。

「レオノーラ様、あなたならきっと、私が申し上げなくともご存知だとは思いますが……事前の約束も無しによその家に急に訪問するなんて、令嬢として失格だとは思いませんこと?」

両者とも気の強そうな顔つきをしているが、イザベラが迫力のある耽美系美人であるとすれば、レオノーラは溌剌とした健康的な美人だ。

冷淡ささえ感じる美貌とその静かな叱責に、レオノーラは一度ぐ、と息を詰まらせて、けれど覚悟を決めたようにキッとイザベラを見据えた。


「そのようなこと……もはや何も怖くないのです!今の私にとっては!」


急にどうした。

少女は悲劇のヒロインのように悲しみに瞳を潤ませ、レオノーラは客間の窓のそばに近づいた。有能な侍女は何かを察したようにサッと扉を閉めた。


「私は…私は……っ!セドリック様と……婚約を破棄することに決めましたの……!ですから、もう他のことなどどうでも良いのです…!」


どうでも良くはないだろう。同年代ではイザベラに次ぐ由緒ある貴族の令嬢ではなかっただろうか。突然の小劇場に困惑するイザベラに、侍女が椅子を差し出した。頷いて腰をおろし、観劇する体勢に入る。

「先日、セドリック様と演奏会を聴きに行った時のことです…久々にお会いしたあの方の姿を見て、私の胸は酷く高まりました」

「そう……」

一緒に演奏会を聴きに行く約束なんてする関係なら、まあまあうまくいってるのでは?と思いながらイザベラはとりあえず相槌を打った。

「素晴らしい楽器の演奏を聴きながら、セドリック様のお美しい横顔を見つめられる時間は、それはそれは夢のようでしたわ……」

「そう……」

帰ってくれないかな、と思いながら、イザベラは目の前で陶然と頬を染める令嬢を無表情で眺めている。

「ですが、事は帰りの馬車の中で起こりました。またあの…!ルーナ様の名前を口にして!久々の二人でのお出かけに、他の女性の名前を!しかもあのルーナ様の名前を出すなんて、ありえないとはお思いになりませんか!?イザベラ様!」

激情型のレオノーラは、感極まったようにイザベラを見た。けれど返事はどうでもいいのだろう、すぐにまた一人劇場が始まる。

「私、ついに言ってしまいましたの。『ルーナ様、ルーナ様と、どういうおつもりですの。何故ルーナ様と仲睦まじくなさるのですか』と。するとセドリック様は冷たい表情で、『君には関係ない話だ』と……!婚約者である、私に関係ないとおっしゃったのです…!」

その時のことを思い返しているのか、彼女の両手が怒りにブルブル震えている。

「ええ…その場はもうわかりました、と言って帰りましたが…もう我慢ならないので、今朝方に婚約解消の打診を手紙で送りましたの」

「……今朝?」

「ええ、そうです!けれど、それだけではどうにも腹の虫がおさまりませんので、これから私は貞淑な婚約者を止めると決めたのですわ!!!」

ぐるん、と勢いよく少女がイザベラの方に向き直った。一つに高く括られた真っすぐの黒髪がさらりと翻る。

少女は意を決したように、息を吸った。

「そこで、イザベラ様を参考にさせて頂きたいと思い、突然ですが本日ここへと参ったのです!」

「参考?」

レオノーラはこくりと頷いて、両手を目の前で組んだ。

「愛されてないのに、人を愛するのは、とても辛いのです。注いだ分だけ、同じ愛が返ってこないと分かりながら、その人を愛するのはとても苦しいことです。…ですが!!イザベラ様は流石ですわ!!ええ、ええ、熱烈にも愛を告白し、殿下の婚約者の座をまんまとゲットされたのだと私も聞き及んでおります。私はその当時からセドリック様一筋でしたので、仮病を使ってお茶会には不参加でしたが。いえ、全く。イザベラ様は素晴らしいですわ!どうやったらそんな図太い神経をお持ちになれるのですか?私、尊敬いたします!」

一ミリも褒められている気がしない。レオノーラは元から高らかに言いにくいこともズケズケと言うタイプではあったが、こんな風なぶっ飛んだ少女だっただろうか。イザベラは仮病という手があったか、と今更ながらに思いながら、怪訝そうな顔で首を傾げた。

「……あなた、そんな性格でした?」

「今の私には、怖いものなどありませんの。恋に破れたならば、もはやこの身一つで修道院へ参る覚悟ですわ」

そう言って、レオノーラは物憂げに首を振った。

「どうでもいいけれど、あなたは何を私に聞きたいのかしら?図太い神経というのはお生憎様、生まれつきでしてよ」

皮肉げに冷たくそう言った。ただの勘違いなんです、とは言えまい。

その言葉を聞いて、レオノーラは急にしおらしく縮こまった。

「…その、お聞きしたいことがございまして」

もじもじ、と手をすり合わせて、ブラウンの瞳がイザベラを見つめている。


「……その、イザベラ様はクラウス殿下という婚約者がありながら、領地で“犬”を飼っていると…そうお伺いしておりますが…」


酷く言い淀むレオノーラに、イザベラは怪訝そうな表情を隠せない。

「その通りですが、何か問題が…?」

「まあ!!ハレンチですわ!!!!」

「何が…?」

レオノーラは急に大きな声を出して飛び上がった。パン、と両手で顔を覆った顔は真っ赤に熟れている。

大丈夫だろうか、と少女の頭を心配して眉を寄せているイザベラを、侍女が残念そうに見ている。

「い、犬とはどんなことをされますの?」

そろり、ブラウンの瞳が好奇心の色を宿して指の隙間からイザベラをうかがい見る。

イザベラは愛犬を思い出して、ふむと頬に手を当てた。

「どんな…?それは…普通に、散歩したり」

「デートですわね」

ホッとしたような顔でレオノーラが息をつく。

「あとは……食事をさせたり」

「晩餐にご招待ですわね」

独特な言い回しをする令嬢だな、と思いつつイザベラは首をひねった。

「……まあ、芸をさせてご褒美をあげたり」

「ぐっ……いえ、そのくらい想定の範囲内ですわ」

恥じ入るようにレオノーラは口元に手を当てた。

「まあ、普通のことしかしてないですわ」

「……待ってくださいイザベラ様」

鋭いブラウンの瞳が、不満そうにイザベラを見つめている。ゆっくりとため息をついて、彼女は首を振った。

「イザベラ様、……私、建前をお聞きしたいのではありませんわ…!本当のことをおっしゃってくださいませ、ここで聞いたことは全て私の参考にさせて頂くのみで、他言したりは致しません。誓いますわ」

見透かすようにそう言われて、イザベラは思わずたじろいだ。この令嬢はイザベラがあえて飲み込んだ部分に、気がついているというのだろうか。

「ほっ、本当のこと…ですか……引きませんか?」

「承知の上です、心の準備はできてますわ!!」

その目は真剣だった。

イザベラは赤い目を泳がせてしばらく逡巡したものの、少女の本気のその目に覚悟を決めた。

「そうですわね……例えば昨日は、…足の匂いを嗅いだり」

「あっあっあっ、足の匂いを嗅ぐ!?」

少女は仰天して目を剥いた。

「ええ、日課ですの」

「日課ですの!?」

くらりとめまいがしたように額を押さえて少女は壁に寄りかかった。イザベラはすっかり犬たちのことを思い出し始めて、指折り数えながら昨日したことを言い連ねて行く。

「あとは…転がしてお腹の上で寝てみたり…おへそをくすぐったり…耳とか鼻を揉んだり…あと……」

「ま、待ってください、もう十分です、もう十分ですから」

何故か息切れを起こしているレオノーラが、ギブアップとでも言うように両手をどうどうとかざした。

ふう、ふう、と細い腕で額の汗を拭い、少女は恐れ入ったとばかりにイザベラの前に膝をついた。

「す、すごいですわ……流石すぎます、私の想像をはるかに超えておりました……私にはとても、真似できそうにありません」

くしゃり、と気の強そうな顔を情けなく歪めて、レオノーラは涙を零した。

静かに泣き濡れる少女に、イザベラはハンカチを差し出した。

「犬は嫌いですの?」

「嫌いというか…その……」

やはり何故か言い淀む少女に、イザベラは少しだけ考えてそっと手を差し伸べた。

「よかったらうちの犬に会ってみてはいかが?もうすぐ帰って来ると思いますし」

「ええ!?」

顔を真っ赤にして、すぐに青ざめる。器用なことをするなあ、とイザベラはその様子を眺めた。

「レオノーラ様、元気がないようですし。会うだけできっと癒されますわ」

「は、はあ……癒し系なのですね…」

目をそらし気味にぎこちなくレオノーラは頷いた。

「さあ行きましょう」

珍しく笑顔な模範生徒(ノウブル・ローズ)を前にして、先程までの威勢はどうしたのかのろのろと鈍い足取りで庭先へとついて行く。

ちょうど、散歩から帰ってきたハロルドが門のそばで手を振っていた。

そして、走ってくる毛むくじゃらが5匹。

無意識に笑顔になって行くイザベラが犬たちを迎え、頭を撫でる。

対するレオノーラは口をポカンと大きく開けて、令嬢にあるまじき顔をしていた。


中盤も終わりに差し掛かってきましたので、少し今後の展開を整理したいと思います。

すみませんが、明日、明後日の更新をお休みさせて頂きます。

よろしくお願いします。


誤字修正しました。

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