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第11話



ぽふん、と柔らかく弾力のある感触が唇の上に乗る。

小さな鼻の穴がスゥ、と深く息を吸い込んで、満足そうにフウウウと息を吐いた。

「香り立つこのかぐわしい匂い……焼きたてのトウモロコシを彷彿とさせる香ばしさ……しっとりとした手触り…素晴らしいこの弾力…」

静けさの中、ボソボソと暗闇の中で少女は呟く。

不意に、カッとその赤い目を見開いた。

「ダニエル、あなたね!!」

「ワフン!」

少女の目の前で白い毛並みの凛々しい犬が、ピインと耳を尖らせて尻尾をブンブンと振っている。ホワイトスイスシェパードのダニエルが、嬉しそうにイザベラの頬をベロリと舐めた。

「はあああ、……ううう………無理……やば…………かわ……………匂いまで可愛いとか何なの……存在が奇跡……?」

クンクンクンクンとその前足をうっとりと嗅いでは、少女は不審者のように言葉にならない声を漏らしている。

ひと段落すると彼女は名残惜しげにその足を降ろさせて、もう一度目を閉じた。

そして地面に座り込んだまま、体を少し回転させる。

「はい、次……お手!」

差し出した少女の白い手の平の上に、柔らかい肉球がいくつもポフポフと置かれる。

イザベラはくすぐったそうにクスクス笑いながら、眉を下げた。

「こーら、一人ずつでしょ」

そう言っても、今度は更にぽん、と木の枝を乗せてくる始末。

「あら、木の枝をくれるの?でも後にしてね、今はお手よ」

ぽい、とイザベラがそれを捨てても、再びぽん、と置かれる木の枝。

枝分かれした何の変哲もない木に、不思議そうに触れながら首を傾げた。

「もう、だから……………ん?……木の枝にしてはえらく柔らかいような…何かしら」

そう言いながら、そろりと目を開く。


真顔の侍女が、暗闇の中に浮かび上がっていた。


「ぎゃあっ………………!!!?」

小さく悲鳴を上げて、イザベラが飛び上がる。

侍女は片手を差し出した状態のまま、呆れたように溜息をついた。もう片方の手にはランプが握られている。

「あ、アナ………!?」

「……悪かったですね、木の枝で。仕事している女の手ですので」

「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのよ…!!まさか人間の指が乗せられているとは思わなくて…先入観があったというか……その、あなた何でここに…?」

「それはこちらのセリフです」

冷え冷えとした侍女の視線が、咎めるようにイザベラを見下ろした。

「お嬢様。この真夜中に、お一人で、庭とは言え外で、何をなさっているのですか?」

しまった。薮をつついたイザベラは、あからさまに視線を泳がせる。

「え、…あの、その…に、肉球ソムリエごっこを……」

「はい?」

「すみません、ワンコに会いたすぎて我慢できませんでした」

侍女の圧に耐えきれず、すぐさま白状した。イザベラは決まり悪そうにいじけている。

屋敷の庭に設置された大きな鉄製の犬舎の前で座り込んだイザベラは、放し飼いにされた飼い犬たちに囲まれていた。

丘の上から見下ろす町もすっかり寝静まり、灯りはほとんど見えない。

「明日会えばいいでしょう…」

「だって……折角帰ってきたのに、今日全然触れ合えなかったんだもの……ありえないわ……」

さりげなくボーダーコリーのお腹をモフモフしつつ、恨めしそうにちらりと侍女を見つめる。モフられたシャルロットは気持ちよさそうに目を細めて、ハッと鼻を鳴らした。

無理〜〜〜〜〜かわいい〜〜〜〜〜

デレ、と口元をだらしなく緩めてわしゃわしゃとイザベラはそのお腹を更にくすぐる。すると徐々にその巨体が傾き、ゴロン、と降伏のポーズを見せた。前足をぴーんと伸ばして、まん丸の黒い瞳がもっと撫でろとイザベラの顔を見つめている。

「ああああああああああああ」

奇声を発しながらイザベラはシャルロットの白いお腹にスリスリスリスリ頬ずりして、ぎゅうぎゅうとモフモフの毛並みを抱きながら転がった。そのままゴロンゴロンと何回転も転がっていく。

しばらくして落ち着いたのか、イザベラは整えられた芝生の上で寝そべりながら、シャルロットを抱きしめて幸せそうに微笑んだ。その周りを楽しそうに他の犬たちが鼻を寄せて尻尾を振り続けていた。

「お嬢様」

冷たい声が上から降ってきて、ようやくハッとする。

バサバサになったブロンドの隙間から、絶対零度の侍女の視線が見下ろしていた。

「明日は王太子殿下を町に案内するのですよね?」

「………そうでした」

「その髪、どうしましょうか?」

「………ごめんなさい、綺麗に直してください」

引き離される恋人たち、今生の別れのようにイザベラは目をうるうると潤ませた。

「はい、帰りますよ」

「うう…」

イザベラはズルズルと侍女に引きずられるようにして、自室へと戻るしかなかった…。


時間は少し前に遡る。

犬に意識が全集中して、クラウスを尻に下敷きにしていることに気づかなかったイザベラは、あの後屋敷に入ってから頭を下げた。

「クラウス様、申し訳ございませんでした…。お怪我はありませんか?」

「…ズビ、…気にしなくていいよ、僕の方こそ余計なことをしたようだったから」

鼻を詰まらせながら、しょぼしょぼと目を瞬かせてクラウスは柔らかく頷いた。長旅だっただろうからと、叔父が気を利かせて客間でお茶を用意してくれて、二人は向かい合うようにしてテーブルの前に座っている。

「ですが…」

「殿下は優しいなあ、俺なら絶対潰れてると思うけど」

「……ハル!」

赤い瞳で睨まれて、くすんだ金髪の少年が肩をすくめた。

向かい合う二人の横には、イザベラの従兄弟のハロルドが座っていた。

「申し訳ありません、ハル…ハロルドはこの田舎町でずっと育ってきたものですから、口の聞き方を知らなくて…」

「ベラだって同じようなものだろ」

不服そうにハロルドは唇を尖らせて、椅子の背もたれに体重を預けた。子供っぽい従兄弟に、顔をしかめてイザベラが叱責する。視界の端で、クラウスがどこか憂いを纏わせて目を伏せた。

「ハル、あなたもう14歳でしょう。しかも来年は学園に入学するのよ、もう少し…」

「……公の場じゃないんだ、僕は気にしてないよ。それに将来、近い親戚になる関係なのだから、砕けた口調で構わない」

そう言うと口の端を上げて、クラウスは少年を射抜くように見つめた。

その強い眼差しを受けて、パチパチとハロルドは緑の目を瞬かせた。一瞬の間の後、笑いを堪えるように少年が口元を抑えて俯く。

「王子様、なかなかいい趣味してるね」

「…それは、ありがとう」

複雑そうな顔で礼を述べるクラウスに、少年は降参するように両手を上げて、歯を見せ笑った。

「ベラ、悪いと思ってるなら相手に誠意を見せたほうがいいと思うな」

「え?」

置いてけぼりを食らって口を閉じていたイザベラを振り返って、ハロルドが明るく言った。

「踏み潰したお詫びに……いや、転んだのを助けてもらったお礼に、例えば…この町を案内してあげるとかさ」

「ええっ?」

素で驚いているイザベラの姿に、大分順応した様子でクラウスは微笑んだ。

「それは嬉しいな、ぜひお願いしたい」

「…………え、ええと、ですがシネラリアに比べると、本当に何もない町ですので…案内と言いましても…」

「どんな町か見てみたいと思っていたんだ、あなたが一緒にいてくれるならきっと楽しいと思う」

「………………わかりました……」

ジトリ、と従兄弟を横目で見て、イザベラは観念したようにしぶしぶ頷いた。

その時、ちょうど使用人が晩餐の支度が出来たと3人を呼びにきた。もう少し早くきて欲しかったと、八つ当たりのようにイザベラが思っていると、クラウスが席を立つと同時にコロリと何かが落ちる。

「おっと」

「それは……?」

クラウスが大事そうに拾い上げたそれを見て、不可解そうにハロルドが眉を寄せた。

「ああ、これ?僕が作った犬アレルギー防止用の仮面でね。目と鼻のところはとても小さな穴を開けて、犬の毛が入ってきにくいようにしているんだ。さっきは弾みで取れてしまって、情けないところを見せてしまったね」

照れたように不気味な木製の仮面を手にしている王子を見て、イザベラはゴホンゴホン、と咳払いをしている。

「うん……やっぱり、いい趣味してるわ…」

引きつった顔でハロルドが、もう一度念を押すように繰り返した。

すみません、「義兄弟」→「親戚」に訂正しました。(寝ぼけてました)

ハロルドの年齢を「15歳」→「14歳」に訂正しました。

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