プロローグ
くるり、と金色の巻き毛が揺れる。
少女は大きなツバの帽子を深くかぶって、緊張した面持ちで子供達の前に立っていた。
子供達は追いかけっこを一旦やめて、震える少女を不思議そうに見つめている。
「ねえ、……わ、私も入れて」
勇気を振り絞って、少女は帽子を取った。
大きな風が吹いて、整えられた草花がざわめく。その金の髪が舞い上がる。
───どこかで、悲鳴が上がった。
少女は走った、ボロボロと涙を零して地面を濡らしながら。
やがて、誰もいない場所にたどり着いた少女は蹲り、声を殺して泣き続けた。
ぎゅうぎゅうと帽子を頭に押し付けて、誰にも見られないように。
もう、…誰にも傷つけられないように。
記憶はそこで、途切れている。
跳ねるような調子で軽やかに少女が駆けて行く、栗毛の髪がくるりと風を含んで膨らむのを振り向き様に視界の端にとらえた。
放課後のサロンへ向かう途中の令嬢達は、不快そうにその後ろ姿を見送る。少女はそのまま中庭に飛び出し、嬉しそうに一人の青年に駆け寄った。振り向いたその青年の瞳は驚きに軽く目を開き、すぐに優しげな笑みを浮かべ少女に話しかけた。
頬を上気させ、身振り手振りで青年に何事かを話す少女は、見つめるこちらの侮蔑の視線に気付きもしない。
張りつめた空気の中、令嬢達の中でも一際見事な黄金の髪の少女がふと口を開いた。
「───犬みたいね」
鮮やかな血のように真っ赤な瞳が冷ややかに眇められる。
美しい少女はその整った白い顔を優雅に扇で隠し、唇を歪めて吐息を零した。
その瞬間、周囲がにわかにざわめく。
「まあ、イザベラ様ったら」
「本当、はしたない雌犬だこと」
波紋を描くように広がる嘲笑。くすくす、と少女達の堪えきれない笑い声が辺りを揺らした。
「駄犬には躾が必要ですわね、ねえイザベラ様」
その流れに便乗してか、甘えるような声色で一人の少女がそう言った。
釣り上がった赤い瞳がその声の主を振り返る。
イザベラの気を引けたことに喜色を浮かべ、少女は得意そうに媚びた視線を返した。
じっとこちらを見るイザベラのその目は、瞳孔の奥までもが血の色に染まっている。何もかもを見透かすように、少女を覗き込んでいた。
「…イザベラ、様?」
いつの間にか笑い声は潜まり、痛い程の沈黙の中、見つめられた少女は徐々に困惑し始め、うろと視線を彷徨わせた。
じわりと汗が滲む、僅かな畏れを少女が抱いた時、突然キュウとその赤い目が細まった。
「そうね」
ポツリと、こぼれた言葉。
少女がイザベラの視線から外れる。
「それでは、叱ってきますわ」
その内容とは裏腹に、随分と楽しげな声色だった。
緩やかな金色のウェーブが踊り、制服のドレスの裾がはためく。
優雅に背筋をピンと伸ばしたまま、イザベラは中庭へと消えた。
少女達は口々に、流石イザベラ様ね。と囁きながら、ゆっくりと彼女の後を追う。
───気に入られようとして調子に乗って目立つ発言をすべきではない。
この学園の誰も、あの方に睨まれれば、一家ともども生きては行けないのだから。
軽卒に発言した取り巻きの少女は、既にあの禍々しい赤い瞳から解放されたというのに、未だ生きた心地のせぬまま小さく息を吐いた。