ある梅雨の日の、雨宿り。
ぽつりぽつりと降り始めた雨はやがて雨よけを滂沱と打ち付け、畦道で撥ねては世界を鈍色に染め上げた。田んぼに囲まれた田舎のバス停は待合所が木で出来ていて、所々腐食している粗雑なつくりであるが故に雨漏りが酷い。バスが来るまでにはまだまだ時間が掛かりそうで、鬱屈とした空気に少女の気が滅入った。
高階朝顔は、溜息を吐いて鞄から本を取り出す。特に流行りという訳でもないし、歴史に名を遺した作品という訳でもない、有り触れた凡百の書籍。退屈しのぎにはちょうど良い。
ざあざあと、という形容の似合う降りっぷりだった。灰色の、ともすれば反射の加減で薄い水色にも見えてくる、青い木々を塗り潰す土砂降り。それがどうにも煩くて、気が散る。
「……集中できない」
朝顔は本を閉じた。雨脚は変わらず、遠く田んぼ越しに見える山はぼんやりとその全景が霞んでいる。淡い水滴で形作られる曖昧な世界は茫洋とした心を映し出す鏡のようでいて、しかし何処までも現実に過ぎなかった。
雷鳴は無い。風も無い。ただ大量に降り注ぐ雨は地面に溜まり、そしてそれらを打ちつけては掻き鳴らす。雨よけから滴り落ちる水音はリズミカルに撥ね、寂れた待合室に響いては消えた。濡れた若葉が薫る。
また、大きな溜息が漏れた。胸の内に何かがつっかえたような、そんな気分だ。別段何か嫌なことがあったわけでもなく、せいぜいが今置かれたこの状況に対する不満だが、湿気を多く孕んだこの頃の気候には彼女とて辟易する。退屈な毎日を一層濃縮させたような、この梅雨の時期は彼女にとってあまり好ましいものではなかった。
「なーんにも、やる気、起きないなぁ……」
気合を入れれば教科書やらを読んで時間を有意義に使えるだろう。読書という気分でなくとも、できないことばかりではない。どうせいつかやることなら、いっそ憂鬱な時間を使って効率よく生きていけばよいではないか。
などと考えるも、一度抜けきった気力はそうそう簡単に戻ってくるものでもなく、ただ朝顔はゆったりとベンチに身体を倒した。手提げ鞄を枕代わりに、脇腹と木の接地面には腕を差し入れて、快適な姿勢をとる。横たわった視界で覗く雨の世界は少しばかり新鮮だった。
朝顔の座っている、もとい寝転んでいる場所は、辛うじてまだ雨漏りの少ない位置だ。しかしそれでも時折水滴が頬をべちょりと叩いて濡らし、それが若干不快である。ベンチが年代物の木製だけあって、湿気っているのも駄目だ。要するに、余り快適とは言い難い姿勢だった。
「……」
だが、一度横になってしまったせいか意地のようなものが芽生えて、朝顔は顔をしかめながらも元の姿勢に戻ることは無かった。よく考えずともこんな結果になるのはわかり切ったことだったし、何より、ちょっと思っていたのとは違ったからと言ってすぐそれをやめるというのは悔しかったから。
この小さな待合所には神棚がある。しかし、何かしらの神を祀っているだとかそういうものではない。小さな招き猫がひとつだけぽつんと置いてあって、利用者が小銭をその傍に置いていくという、それだけのものだ。
その招き猫は妙に人を食ったような顔をしていて、そこが逆に愛らしいと周辺住民から親しまれている。普段は朝顔もその招き猫をそれなりに気に入っているのだが、この時ばかりは何やら馬鹿にされているように感じて苛立った。むっとした顔で睨め付けると、その次の瞬間特大の水滴が頬で弾けた。馬鹿馬鹿しくなって、三度大きな溜息を吐く。
雨脚は一向に弱まる気配を見せない。
都会ならいざ知らず、田舎のバスは二時間に一度通ればよい方だ。朝顔の住むこの地域ならば、ただ帰宅するだけでもひとつバスを逃せば大変なことになる。事実彼女は通っている高校前のバスを逃し、その先でもまたまた逃し、結果として限りなく辺鄙な場所にあるこのバス停まで来ざるを得なかったのだ。ふたつ離れた町からの通学故、そうまでしてでもバスに乗らないという手段は選べなかった。
「はぁあ……。なんか今日、ツイてないなぁ……」
時計の不調による朝寝坊から始まり、課題を自宅に置き忘れていたり、昼食分の資金が財布に残っていなかったり、結局小金を友人から借りて事なきを得たのだが、元々買う予定だった購買のパンが売り切れていたり。ひとつひとつはそう大したことでもないが、重なるとなんだか厄日のような気がしてくる一日だった。
制服は待合所に着いた時点では濡れていなかったが、今では地面で撥ねた水滴でじっとりと水気を孕んでおり、その気持ち悪さだとか、バスがまだまだ来ないことへの不満だとか、そうした諸々が朝顔の憂鬱を加速させていた。
叩きつける雨は地面で溜まり、それはある点を超えると一気に水溜まりとなって拡がる。当然彼女の足元も例外ではなく、土色に濁った水が靴を浸していた。少し指先を動かすと、それに伴って靴底から溢れる雨水が纏わりつく。嫌な感触だった。
「あー、気持ち悪っ……。どうせ誰も見てないし、脱いじゃおっかな」
思ったことは即座に行動に移すのが高階朝顔という人間だ。水を吸って重くなった靴を脱ぎ棄て、ベンチの上に胡坐をかく。やたらと長い黒ソックスも一思いに引っ張って、雑巾絞りの要領で捻った。行儀の悪さに思わず苦笑し、しかしこんな雨の日にわざわざこんな場所まで来る人間などそうはおるまいと開き直った。
普段出来ないことだけあって、背徳感と開放感がない交ぜになった奇妙な感覚を覚える。なんとなく浮ついた気分になったので、思わず鼻歌混じりに肩を揺らした。
そんなこともあり、まさかこんな天気で人が来るはずもないという油断もあったためだろう。朝顔はついぞそれに気付くことは無かったし、スニーカーが水溜まりを踏み締める軽快な音もまるで認識の外にあった。なので、その邂逅は彼女にとっては酷く唐突なものとなった。
「おおーっ!濡れる濡れる~っ!……あ」
「ん?……ぅぁ」
目線がしっかりと噛み合ったのは、当然と言えば当然のことだった。ゆったりとおよそ外出中と思えないほどに寛いでいた朝顔はだらけた姿勢でベンチにしなだれかかっていたし、少女はその半ば朝顔によって私物化されたような待合所目指してそれと知らず駆けていたのだから。異様に過ぎるその光景は、少女の目にしかと焼き付いた。
気まずい沈黙が降りる。ただ雨の音だけがざあざあとさんざめくその場において、しかし先に正気を取り戻したのは一応年長者の朝顔だった。
「……その、なんていうか……。どうぞ」
静々と姿勢を正し、何もなかったことを装いつつベンチの片側を片手で指し示す。彼女はぎこちない笑みを浮かべながら、醜態をなんとか取り繕おうとしていた。
「あっ、はい……。どうも」
朝顔の酷い有様を見てしまった少女は、背に赤いランドセルを背負っていた。子供らしいポップなキャラクターがプリントされたシャツに短めのフレアスカートといった出で立ちの、利発そうな少女。後頭部で長い髪を一本に結んでおり、その束は雨で濡れてもなお歩く度元気に揺れている。
やってしまったなぁ、と朝顔は後悔していた。バスが来るのはまだまだ先で、それまでこの何とも言えない空気間の中、圧倒的に年下の少女と二人っきりというのが非常に苦しい。先ほどの情けない光景を見られたという事実が彼女を精神的にごりごり削っていた。
雨蛙が喉を震わす。低い断続的な鳴き声がそこらから響き、地面を掻き鳴らす雨音と混じって田を賑わせていた。
「ぶえっくしょい!」
気まずさから、雨どいを流れ落ちる雨水を凝視していた朝顔は、音の満ちた待合所に響く少女のくしゃみに薄っすらと気付く。なるたけ意識しないように居ないよう振舞っていた朝顔は、恐る恐る少女に向いた。
当然というべきか、この降り頻る雨の中走って来たであろう少女は水浸しで、自分の身体を抱くようにして寒さに震えていた。そう寒い気温でなくとも水に濡れた衣服は体温を奪う。少女が凍えるのは道理であり、替えの衣服が無いなら仕方の無いことだった。
朝顔は一瞬だけ悩んだ。その躊躇いは概ね先ほどの失態が尾を引いていたからで、そうでないなら迷うほどのことですらなかったが、やはり今日は厄日だなあと考えつつ立ち上がって少女におずおずと声を掛ける。
「あのぉ……これ、貸してあげるよ。寒いでしょ」
セーラー服の上に一枚羽織っていたカーディガン、薄手だが乾いている分無いよりはマシだと思い、朝顔はそれを脱いで少女に掛けてやった。学校指定の鼠色で特別かわいらしいものでもないが、無難なのでなんとなく気に入っている。さりとて予備も何着かあるので、少女にくれてやってもよいとは考えていた。
「えっ、あ、その。ありがとう、ございます……」
突然の申し出に小さく跳ね、恐縮しながらもされるがままになっている少女。柔らかなカーディガンは直前まで朝顔が羽織っていたため、仄かな熱が宿っている。雨に濡れて冷えた身体を、その温もりはしとやかに包んだ。
「えーっ、と。平気?」
「あっ、うーん、はい。大丈夫です」
「そ。よかった」
ぎこちなくはにかんで、朝顔は元々座っていた場所に戻る。どちらかというと口下手で不器用な部類に入る朝顔は、しかし本人的には姉御肌を気取っている。生来のがさつさからどうにも良い印象を得られたことはあまりないものの、それでもやめるつもりはなかった。
色素の薄い髪を緩めのポニーテールに結い上げ、切れ長の常に睨んだような目をしている朝顔は、一見するとそのポーカーフェイスも相俟って不良か何かに見られることもある。が、確かに心根の方は善良であり、交友関係もそう悪いものではない。若干のとっつきにくさ故、交友が広いとは言えないが。
元の位置で何とも言い難い表情をしつつどっかり座り直す朝顔を、少女はちらちらと顔を動かさず視界の端で追う。それを何となく感じる視線で把握していながらも、どんな反応を求められているのか困った朝顔は、目線をあちらこちらに向けて首元を手で撫で摩っていた。僅かに開いた唇から、声は出ない。何を話せばいいかも正直彼女はよくわからなかった。
雨脚が僅かに弱まり、トタン屋根を叩く音が小気味よく響くようになった。轟々とした叩きつけるようなものではなく、時折降る大粒の雨が奏でる、ゴムボールで叩いたような空気的な音。こんこんというそれはドアをノックする音にも似ていて、しかしどういったわけか気持ちがいい。
用水路の流れに地面を這う雨水が合流し、慌ただしく流れるそれを小ぶりの雨が柔らかに叩く音。薄っすらと霧のように降り注ぐ雨は彼女らの眼前に広がる田んぼと小山を淡く溶かし、夢と現の境を思わせるように茫洋としている。蛙の鳴き声がそれらに妙な現実味を与え、しっとりと濡れた空気が青く鼻腔を擽る。
「あっ、あの!」
「うえっ!?なに!?」
突然声を張り上げた少女に、びっくりした朝顔は肩を跳ね上げて跳び退る。がちがちに緊張した様子の少女は、潤滑油の切れた機械のようにぎこちない動きで首を朝顔に向けると、一、二度口を開閉してから言葉を紡いだ。
「わっ、わたし、宮下慶って言います!あのっ、そのぅ……これ!そう、これ貸してくれてありがとうございます!」
「えっ?いや、うん。さっきも言ってなかったっけ、それ……」
「ええっ!?……そういえば、そう、ですね……。はい。ごめんなさい……」
しょんぼりと縮こまって、申し訳なさそうに固まる。朝顔の貸したカーディガンを握りしめた手が力無く垂れ、そのまま幾ばくかの時が流れた。朝顔も、また慶も、固まって動かない。ひりつくような時間を、ただ憎たらしい顔をした招き猫だけがじっと見つめていた。
「おっ、おお、おう。わわっ、私は、高階、朝顔です。そそそそのっ、よろっ、よろしく……」
先に動いたのは朝顔だった。何とも居心地の悪いこの空気を打破しようと、必死に話題を脳内で検索しつつ、どうにも無言で乗り切るには苦しい現状を変えるべく口の端をひくつかせる。挨拶は大事である。続く会話をあらかじめ考えていないと、余計に状況が悪化するのだ。
「うえっ、えっ、はい!よろしくお願いします!……っと、その、なんか、珍しい苗字ですね!?」
カラ元気気味に声を張り上げ、同じように口元を無理やり笑みの形に捻じ曲げた慶が答える。
「おおっ、っと、そう、かな?いやあそうでもないよ、多分……うん……」
時折雑巾を絞ったような雫の塊がぼとぼとと雨だれを駆ける。雨の勢いが増したのだろうか、少々地面を打つしぶきの音が大きくなって、跳ね回る細かな粒が膝を濡らす。横殴りの風が小さな木造の待合所内を吹き曝し、うべっ、という声を上げて朝顔は両腕で顔を隠した。
なんか妙な声を上げなければやっていられないほど何とも言えない空気感だった。
(……思っていたより小さい子の相手って難しいな……)
同年代の友人とばかり話してきた弊害か、あまり小さい子の親戚がいないからか、或いはそのどちらもか……そういった背景、また生来の口下手さもあって、朝顔の脳内は軽いショック状態に陥っていた。何か話題が無いものかと必死にめぐらすほどにその思考に埋め尽くされ、何か、何かという問いかけばかりが延々とループする。ひくついた口元はそのまま筋繊維が固まってしまったようで、時折ぴくりと痙攣するだけに留まっている。
が、それは慶も同じだった。彼女はこのバス停近くにある小学校に通う生徒で、部活動などもやっていないので目上の人間と話す機会がそれほどない。しかし今こうして相対している朝顔は高校生で、小学生の彼女からしてみるとどう言い繕っても大人だった。大人、それは何でもできて自由で、えらいもの。彼女からすると漠然とそうした認識があって、故に同級生とは活発に遊んでいるものの、そんな大人と会話するのはかなりハードルが高かった。慶は、親同士の会話を前にすると自分の親の後ろに引っ込んでしまうタイプの人間なのである。
そんなこともあり、彼女らの硬直状態はそこからしばらく続いた。張り付けたようなぎこちない笑みを互いに浮かべ、目だけはしっかり合っているものの、どちらも相手の出方を伺う情けない小動物のような反応をしている。
そして再び雨脚が強まり、風向きが変わって、二人の身体がびしょびしょに濡れた頃。
「ふえっ、へっ、ぇっ、ぶえっくしょん!」
ぎこちない表情のまま、慶は盛大にくしゃみをした。
やってしまった、と彼女は思った。この無様な醜態を見て高階朝顔という大人は、自分をどのように見るのか。ダサい、弱っちい、礼儀がなっていない……考えられることは色々あって、そういった漠然とした根拠のない不安が慶の胸を締め付けた。
つまるところ、彼女は大人が怖かったのだ。別に、虐待を受けているだとかそういったことではない。ただ大人というものがよくわからなくて、それが不安で怖かった。接したことなどそれほど多くは無いし、だからこそ自分とは隔絶した何かのように感じられていて、結果このように相手を伺って出方を見るような、そんなおどおどとした行動に表れた。それだけの、子供にはありがちな大人への信仰。
「っぷ」
「……へ?」
「ぷふっ、ふ、ははは!あははっ!」
そのため、朝顔のその行動は慶にとって予想外だった。何の脈絡も無く笑い出し、心からおかしそうにからからと笑っている彼女を見て、なんとなく自分が妙なことに気を配っていたのではないかと思った。そのため先ほどまでの両者の行動を振り返ってみて、なんだかにらめっこでもしていた気分になり、慶もまた噴き出した。
凝り固まった笑みではない、素の柔らかな笑い顔をした朝顔は本当にきれいで、慶は少しぼうっとした。
「慶ちゃん、だっけ?」
うっすらと目に涙を浮かべた朝顔は、心底面白そうに温かな微笑みを浮かべ、慶に手を差し伸べた。
「おいで。寒いでしょ」
膝の上をとんとんと叩き、笑いかける。
慶の胸が、とくんと跳ねた。それは言い知れぬ温かな感情で、しかし明確に何とまではわからぬまま、熱に浮かされるように朝顔の膝に乗った。
朝顔は慶を抱きしめるようにして抱え込み、その上に鞄を置いた。慶の濡れて冷えた身体はその人肌の熱でじんわりと蕩ける。首筋に掛かる朝顔の吐息が妙にくすぐったくて、うひっと声が出た。
「くすぐったいよ、朝顔さん」
「でも、こうした方があったかいでしょ?」
「それはそうですけどね」
慶はそう言ってはにかんだ。彼女は身体を預けるようにして柔らかな朝顔の身体にもたれかかり、力を抜いている。朝顔はその確かな重みを感じつつ、どこかこれまで感じたことのない、安らかな感情を得ていた。その名前は見当もつかないが、悪い気はしなかった。
しとしとと降り頻る雨は、淡い世界を鈍色に彩り、あらゆるものの境界を曖昧にする。
遥かな上空から降りて来た小さなひとしずくは、畦道に溜まる水溜まりで跳ね、細かな粒となって拡散する。それら小さな粒たちが空気に満ちて、しっとりとそれを眺める少女たちを包む。吸い込む空気は瑞々しく、同時に草の香りがして、春と夏を結ぶ境目の刹那を深く深く想わせた。
見渡す限りに広がる雫。
曇った空の、優し気な中庸。
深緑の木々、それを抱擁する小高い山々。
そのどれもが見慣れたもので、しかし、互いを温めあう少女たちにはどこか違って見えた。幻想的な生命の息吹、そうしたものを感じるのは、人の境界が溶け合うような雨の中で、一番近くの人間の、その呼気を、鼓動を感じているからだろうか。ただ甘やかで、心地の良い静寂。彼女たちはそれを、言葉にするまでも無く感じあっていた。
やがて、雨が止む。
雲が裂け、一日の終わりを示す斜陽が差し込み、そして遠い稜線に沈んでいった。排気音が聞こえ、重々しい振動と飛沫を上げる車体が見える。バスが来た。
「もうあったまった?」
その声音はどこまでも安らかだ。おどけたように朝顔がそう声を掛けると、慶はにこりと微笑んで答える。
「ううん、まだ。家に帰るまでのっかってていい?」
甘えたような慶の声に、朝顔は軽く笑ってうんと答えた。
朝顔は人を小ばかにしたような顔をした招き猫をちらりと見ると、なんだか面白い気分になってくすりと笑う。あとで神棚に十円玉でも捧げてやろうと気分よくそう思って、停車したバスに慶と手を繋いで乗り込んだ。
ドアが閉まる電子音と共に、エンジンが唸り、バスが発車した。車内には穏やかな顔をした朝顔と、舟を漕ぐ慶、そして運転手の姿しか見えない。紺色の空にじわりと朱を残す夕日の残滓が、艶やかに雨上がりの空を彩っていた。






