転役物語。白雪姫→ジュリエット→オオカミ少年→桃太郎→赤ずきん→マッチ売りの少女→→?
冷え切った空気。静かに降り注ぐ雪。止まない足音。ランプ灯の皮肉な暖かき光。
私はマッチ箱の一杯詰まったバスケットを抱え、路上で呆然と立ち尽くしていた。指先も耳の先も感覚はとうに麻痺し、疲れなど忘れ、ひたすらにぼぉっと佇む。
「次はマッチ売りの少女……か」
小さすぎる呟き。無機質な人混みの中に消えていった。私の存在がかき消されているのと同じように、なかったことになる。最早誰一人として呟きの有無さえ確認する事は出来ない。
重い溜息が皮肉にも白く宙に舞う。薄れて消えて無くなるのは案の定、同じだった。
これで6回目の転職ならぬ転役。赤ずきんの役から逃げたらすぐにこれだった。先程までバスケットにあった、テキーラもチーズクッキーも今はもうない。
赤ずきんの運命から逃げたのは必然だった。後悔はない。オオカミに喰われるわけにはいかなかった。まだ死ぬつもりは毛頭ないから。だから逃げた。
結果、売り子として拾われたはいいが……マッチ売り、か。
赤い頭巾を深く被りなおし、改めて路地を彷徨いだす。吐き気のするこの空間から抜け出すように、道行く人の流れに逆らって早足で進んだ。
私は知っている。
行き交う人々の眼中に私の存在など微塵もない事を知っている。
多分、背が低いからとか、汚らしいとかじゃない。今日が今年最後の日だからとか、急ぎの用があるとかそんなのは理由じゃない。
興味がないから。関係ないから。
それだけ。たったそれだけの理由。深くも何ともない。
だからだよ。だから、私とぶつかったとしても、マッチ箱が雪の上に散らばったとしても、一言もない。彼らにとっては、街灯に肩が当たったのとなんら変わりはない故、当然の反応なのだろう。
雪の上にひざまづき、マッチを拾っていたが、間も無くそれもやめた。
赤く擦り切れた指がかじかんで動かなくなったのか、精神肉体的に疲れたのか。
いや、そもそも最初から……。
……
その夜、人気のない路地裏に、くすんだ雪に混じってマッチと赤い頭巾が残されていた。
気づいた人は誰一人としていなかったが。
■
「そこ!しっかりやりなさい!」
「……はい、お義姉様」
「分かっているならさっさと働きなさい!そこ!ホコリまるけじゃない!同類同士さっさと綺麗にしなさい」
言われるがままに擦り切れた雑巾で床を磨く。どこに埃が落ちているかなど知らない。
7回目の転役。次は養子として拾われた。石造りの立派な家の四女としてだった。
ただし、実質は奴隷。洗濯、掃除、食事の支度。養子なら賃金トラブルもないため、最近巷で養子奴隷がブームらしい。世は私を不幸と呼ぶだろう。
でも、幸せ。
クズとかゴミとかバカとか灰カスとかしか呼ばれないから分かりづらいが、多分「シンデレラ」役になれた。
そう、赤ずきんやマッチ売りなどと違って死ぬ事もないから。
運命に身を委ねよう。
ブスな義母と嫌味好きの義姉達に従っていれば魔法が私を救ってくれる。
運命が救ってくれる。
「薄汚い奴隷の分際で……まともに仕事もできないのですか?」
「……ごめんなさい」
「ふん、あなたの代わりなんていくらでも居ますから。ここでご飯が欲しいならしっかり働きなさい!」
義理の姉は言うだけ言って立ち去った。
あの人も、運命を受け入れているのか。いや、そもそも運命なんて気づいて無いのかもしれない。
そんなことを考えつつ、手を動かし続ける。
最初の役、白雪姫の時。私は馬鹿だった。
運命に従う事なんておかしいと思っていた。転生直後でまだ落ち着いてなかったのも原因だったかもしれないが、それにしたって愚かだった。
白雪姫なんて毒林檎をかじって寝たフリをするだけでよかったのに。
白雪姫の運命から逃げたこと。最高の運命を、人生を逃したこと。それが一番の後悔。
今の私はといえば、手は痛むし、ご飯は雑穀中心だけど、それでも幸せ。赤ずきんやマッチ売りとは違う。いつか救われる。
あれほど憎んだ運命の手によって、いつか。
一筋の希望を頼りにおよそ一年待った。一年耐えた。
そしてそのいつかはきっと今日。
■
夕暮れ時。
無駄に着飾った義母と義姉達がノックもせず私の部屋に入ってきた。相変わらずの高飛車な顔に加え、自らの晴れ姿を見せびらかすようにしてこちらを見下す。
「失礼」
「……はい」
「今日、王子主催の社交界がありますから、夕飯は用意しなくてよろしい」
やっとだった。辛い日々も今日報われる。この後魔法にかけられて、私は姫として返り咲ける。
「返事は!」
「はい!」
「ふんっ、元気だけは良いのね。それなら家中の掃除をしてなさい。さもなくばこの間喰われた赤ずきんの少女みたいにオオカミの餌にしますからね」
「……え?」
「お母さん、それってオオカミ少年の嘘だったんじゃないの?」
「バカね。それこそ子供の為の嘘よ」
「そうそう、嘘だったら近衛騎士達がわざわざ森の探索までしないでしょ。事実だよ、じ、じ、つ。ねーちゃんバカだねー」
「バカって何よ!あんたの方がバカでしょ」
「バカはって言う方がバカですうー。義妹よりバカでしょ」
「うわ、ねーちゃんそんなバカだったの?」
「何よ!バカバカって。私あなた達の姉なんですけど?!あんた達の方がよっぽど」
「ん、ん」
義母が話しを遮ってわざとらしく咳払いをした。
三人の娘達も意味を理解し、静かに、そしていつも通りの高飛車な顔つきに戻った。
「とにかく、家中の掃除を済ましておくこと。良き来年を迎える為にしっかり働きなさい。以上です」
義姉が「じゃあねぇ、本物のおバカさん」と言い残し、バタンと戸を閉め去って行った。
一人残された私。
呆然と立ち尽くす。
虐めはいつものことだった。そんなことに逐一反応する事はない。
ただ、一つ。聞き捨てならない言葉が一つだけ。
そして、囚われる。
よぎる一筋の可能性。
「私の代わりに誰かが赤ずきんになって死んだ」
何せ「私の代わりはいくらでもいるから」
次の瞬間、冷たい石畳の上に雑巾と可能性を捨て、走りだす。
今日は12月31日。大晦日だった。
■
「……マッチ、マッチは要りませんか?」
見覚えのある路地。
懐かしく肩苦しい空気。
聞きたくない足音。
その中で。その中で一人。
「マッチ、マッチは要りませんか?マッチ要り、あっ……すみま」
「邪魔」
「す、すみません」
落としたマッチ箱を健気に拾う赤毛の少女が一人、いた。
私……ではない。私以外の誰か。
あの時の私はそもそも売る気すらなかった。あんなベタなセリフを口にする事もなかった。
その前に逃げたから。
「マッチ、要りませんか?」
長いこと見つめていたからだろうか。マッチ売りの少女は私の方にも声をかけてきた。
「ええ、是非」
「10ペンスです」
「えっと……」
服のポケットを漁る。確か少しお金があった気が……1ペンスしかなかった。
助ける云々の前に助ける財力など奴隷の私にはなかった。
「……ごめんなさい」
「いいですよ。はい、これ」
そうマッチを一箱を取り出すと、硬貨の上から被せるようにして私の手の上に乗せた。彼女の冷え切った手が私の手を暖かく包み込む。
「いいの?」
「……ええ。どうせ全部燃やして使い切るつもりだったので」
その言葉に体が震えた。
私は知っている。その後彼女は……
「ダメよ!」
手の中に収められたマッチの箱を握りしめ、叫んだ。突然の事にたじろく少女を前にして続ける。
「燃やしちゃダメ!燃やすぐらいだったら……逃げよ?」
「……どこに?」
「どこでもいい!マッチのバスケットなんて放り投げて!」
「死ね、って言うの?」
「違う!生きて欲しいから!このままじゃここで」
「知ってる」
言い合いは唐突に停止した。
代わりに、再生ボタンが押されたかのように、足音も、雪の音も、街灯の光も一斉に動き出す。
「知ってるの。私、ここで死ぬんでしょ」
自身が死ぬ事をあたかも当然のように笑顔で語る少女を目の前にして、言葉を……失った。
「なんとなく分かるの。運命って言うのかな? きっとみんなもそう。生まれた時から運命がなんとなーく見えたし、その運命に従って生きてきたし、運命のおかげで生きてこれた」
「で、でも、その運命に殺されるのよ?!あなたはそれでいいの?」
「いい」
迷いのない力強い一言。
雑多な空間に埋もれることのない、生きた声だった。
「私を育ててくれたのは運命だもの。裏切ることなんてしない。あなただって、お母さんを殺したりしないでしょ?それと同じこと」
「……せめてさ。せめて恨んだり、他人の運命を妬んだりしないの?」
「しないよ。私の運命は私のモノだもの。最後がハッピーエンドだったとしても、バッドエンドだったとしても、私はそれを受け入れる」
淡々と答えていく。これも運命なのか、違うのか。
「もし生まれ変わって、それが素敵な運命だとしても、前世で裏切ったりしたら、きっと運命が私を裏切ると思うの。だから私はいいから信じるとか悪いから信じないとか、そういうことは……しない」
落とした最後のマッチ箱をバスケットに詰め終え、少し雪を払った後、少女は
「お買い上げ、ありがとうございました」
と笑顔のまま立ち去った。
■
冷え切った空気。
静かに降り注ぐ雪。
止まない足音。
ランプ灯の皮肉な暖かな光。
私は一箱のマッチ箱のを握りしめ、路上で呆然と立ち尽くす。
罪なのだろうか。罰なのだろうか。私に残されたこの一箱のマッチは。
泣こうにも、涙の出し方を忘れた。
みんなみんな捨てて、逃げて、生きてきたから。
私はどうすればいいのだろう。
神に、運命に、問いかけても答えは出ない。出るはずはない。
何が悪かったか。
何がどうしてこうなったか。
何で私は迷うのか。
頭に雪が積もり始めた頃。
一つの答えとともに走り出す。
□
「マッチ要りません?マッチ」
「……ねえ」
「マッチですか……!、あなたは」
「お金、まだ払ってない」
握り続け温もりをもった1ペンス硬貨を少女の胸の前にまで差し出す。が、マッチ売りの少女は受け取る仕草すらしなかった。
「……いらないです……私は死にますから。死ぬ人間より、生きるあなたの方が持ってる方がいい。それにあなたは私に同情してくださったんでしょ?私はそれで」
「十分じゃない!」
少女の肩がビクリと震えた。
そして初めて、少女は顔に浮かべた薄笑いをやめた。
「あなたの言うことは正しい。合ってる。でも諦めているだけ。あなたは生きる事を諦めてるだけ!そうでしょ?」
少女は答えなかった。
「私はね、あなたに生きて欲しい」
「えっ」
顔をあげた少女のバスケットを奪い、大声をあげる。
「マッチ、マッチは要りませんかぁ!!」
久しぶりに叫んだ。相変わらず行く人は興味すら示さないが、少女だけは私を見ていた。綺麗で大きな瞳をより一層大きくして。
少女と正面から向き合い、真摯に語る。
「あなたがどうしても運命に抗えないってなら、私があなたの運命を変えてみせる。私が運命に抗う罪を全部背負ってみせる。だから、あなたも生きて」
「見ず知らずの私に……何でそこまで……」
「マッチ」
「え?」
「買ったから。一割で。顧客第一号ってね」
久々に笑って答えた。
「ね、もう一人じゃないから。あなたが死んだら私が悲しむ。だから死なないで。私があなたのそばにいるから」
私が欲しかったその言葉。
そのままあなたにあげるから。
罪滅ぼしかもしれないし、後悔かもしれないけど、私はあなたに生きてて欲しい。
その後、胸に飛び込んできた少女をしばらく抱きしめていた。
服は濡れたけれど、暖かかった。
□
「マッチ、マッチは要りませんか?」
「マッチ、安売りです!9ペンスですよ!」
相変わらず人はこちらに興味は示さない。
「やっぱりダメね。買う人ここにはいないわ」
「え?!」
「だってほら。煙草吸ってる人、大体ライター持ってるし。今時売れないよ。それにただでさえ安いマッチをこれ以上安くしたら赤字よ。あ、か、じ」
「え、でも元値が1ペンスだって」
「ああ、それ有名なオオカミ少年の嘘」
「嘘?!」
少女は安売りの選択肢さえ潰され、うなだれていた。涙を瞳に浮かべるものだからこちらとて胸が苦しい。
「ね、売る場所を変えましょ。少し田舎の方ならまだ希望はあるわ。訪問販売形式だったら20ペンスで売れるわ、きっと。よし、行きましょ!」
「え?今から?」
「今からよ!そのついでにどこかでご飯もお呼ばれになればいいのよ!」
「えぇ?」
「大丈夫!私たち可愛いから、どっかの王子様が目をつけてくれるわよ、きっと」
「だ、大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫!」
二人で見つめ合い、クスクスと笑った。今までの中で一番幸せだった。
そう、はっきり言える。
「あ」
「どうしたの?」
「名前、聞いてなかった。ねえ、あなた名前、何て言うの?」
「えっと……」
少し恥じらいのような間の後、天使のような笑顔でこう続けた。
「ヘンゼル。私はヘンゼル。ねえ、あなたは?」
to be continue……?